highland's diary

一年で12記事目標にします。

小倉陳利さんの演出について

 

異能バトルは日常系のなかで」は、カレカノを継ぐもの http://royal2627.ldblog.jp/archives/41537816.html

 イアキさんの、上の記事が、小倉陳利さんの演出のまとめとしても極めて良い記事だった。付け足しながら引用してみると、小倉さんのコンテ(と大塚演出)の特徴として挙げているのは、

(1)構図の手法
  横顔ドアップ抜きで目元・口元(感情)隠す
  同ポ、ポン寄り、その逆の多さでテンポを出す

(2)止め絵の手法
  バンクの積極的使用
  顔隠しの絵作り
  
(3)深刻なシーンの描き方
  シリアスな場面を直接的に描写
  回想シーンのインサート方法(ネガポジ反転、彩度落としモノクロなど)

と網羅的で良い指摘。『カレカノ』『異能バトル』だけでなく、小倉さんが直近では最も多くコンテを切っていた『新世界より』での演出なども、基本的にはこの方法論に則っているし、こうした手法を多く使っているように思います。

小倉陳利さんの演出については、まっつねさんの、

小倉陳利さんの演出感は摩砂雪と鶴巻を足して二で割らなかったような良さがある。 新エヴァには足りない、摩砂雪と鶴巻がTVシリーズを通して作ってきた「エヴァっぽさ」を一番継承しているのはきっと小倉さんでしょうね。

http://d.hatena.ne.jp/mattune/20100703/1278138751

 という評も、的を射ているように思います。小倉さんというとまさに『エヴァ』っぽい構図とカッティングの使い手。

小倉さんといえば、アニメーターとしても旧劇エヴァや『ケモノヅメ』での仕事などが有名ですが、TV版エヴァに原画として参加後、『カレカノ』『フリクリ』にメインで参加し演出家として個性的な仕事を見せた、名実ともにオールドガイナとニューガイナ世代の結節点を象徴するような存在。

TV版『エヴァ』といえば、演出は基本的には効率論で出来ていて、

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ゲンドウのこのポーズにしても、この一枚絵だけでキャラとして成立するようなものでありながら、目元さらに口元を隠すことにより、まずは口パクに要する(作画の)枚数を削減。ゼーレのメンバーも基本的にはモノリスのような石版で表現され、姿が出ず演技もありません(演技に要する枚数の節約)。また、こういった表情が出ない描写によりキャラの心情をこちら側に想像させ深みを出している、上手い表現なわけですよね。

エヴァ』に関してはキャラの場所移動の描写の省略、戦闘シーン以外は止め絵中心の構成、ミサトの目元に影を落とし黒塗りで隠す描写など、大雑把にいえば枚数を省略しつつキャラの奥深さを出す描写を積み重ねる、そして節約した分の作画リソースを戦闘シーンに多く配分する、という方法論を選択していたことは、常識というか今更特に説明を要さないことだと思います。

小倉さんも基本的にはこの方法論に則っていて、

 たとえば『フリクリ』4話での、

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取り調べ室の中で話していたアマラオとナオ太が、

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時系列前後するシーン挟んで次のシーンでは外に出ていたりする(移動の描写略)のもそれに則ったもの。

バンクの多用についても、コンテ担当した『Angel Beats!』12話の絵コンテ抜粋を見ても「同ポ(カメラ位置同じで同じ背景を使用)」「カット兼用」の指示書きが多く見られます。余談ですがAB!に平松さんと共に元ガイナ組として参加したのは、元ガイナの平田雄三さん(AB!のキャラデ総作監)の縁でしょうか?

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 小倉さんの演出の特徴については上掲のイアキさんの記事でかなり指摘されていますが、自分的にポイントだと思う特徴について補足(蛇足?)する形で書いてみようと思います。

まず、

(1)シンプルな横位置・縦位置・正面顔のレイアウト多用

小倉さんが過去にコンテを担当した作品からいくつか抜き出してみる。

・『フルメタル・パニック!』8話

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・『新世界より』4話

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・『異能バトル日常系のなかで』6話

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(余談ですがここは撮影での強いボカシも驚いた)

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基本的に人物は横位置・縦位置で配置し、キャラを正面から捉えたレイアウトが多い。この辺も『エヴァ』っぽい印象としても繋がる所ですが、キャラを正面や真横からカメラで捉えていて、秩序的でやや硬質な印象も受けます。

しかし、こういったインパクトを排したシンプルなレイアウトを積み重ねた上で、

(2)ポイントとなるシーンでの独特のカットワーク

を使ってくる。
小倉さんは元よりキャラの位置関係を反転させたりカメラが回り込んで逆位置から撮ったりといったカット繋ぎが多いですが、
新世界より』18話の、この

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ちょっとイマジナリーライン跨ぐような、連続の切り返しでポイントにしたりとか、
『Another』11話での、この

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位置関係をつかみ所なくさせるイマジナリーライン跨ぎであるとか。
小倉さんはシンプルなレイアウトの積み重ねの上にこういった、ポイントとなる所での独特のカットワークや、ハッとさせるようなカットを用い、違和感を際立たせているという印象です。
こうした「決定的に何かが起こっている」ような不穏な感じを出す演出としては、『フリクリ』4話の、このシーン

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 のカット繋ぎなんかはまさに顕著な例だと思います。コンテ段階でここまで不気味な「よく分からない」描写を盛れるのも凄いですがw

あと、 
(3)足の間からキャラを仰ぎ見るカット、より広くはモノナメレイアウト
も結構多用しています。

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 足の間からキャラを映すカットについては、一枚絵で映画的な立体感や臨場感を醸し出せる優れたレイアウトですね。国産TVアニメ第一弾の『鉄腕アトム』の頃から使われているものです。

モノをナメているというのも、レイアウトとしての機能を底上げする上では重要。
また、横顔をナメることについてなど、最初に言及したイアキさんの記事でも指摘されていました。
『異能バトル』3話の、この胸をナメるアングルも、とても良かったですね(胸が良いという意味ではない)。
そうそう、そしてこれも目隠しになってますね。

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あとは、「じわPAN」に加えキャラの心情に寄っていくような場面での「じわT.U.」、その逆に突き放すような場面での「じわT.B.」などカメラの動きを割と細かく指定しているようにも感じますがこの辺についてはコンテというより演出による指定が大きいのかもしれません。

あとは、鏡面にキャラを映すようなレイアウトも多いですね。これもレイアウトの機能底上げと絡む所と、内面描写とからでしょうか。

・『Another』11話

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・『新世界より』17話

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・『異能バトルは日常系のなかで』6話

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特徴としてはこういった所でしょうか。独特のカットワークに加え、兼用カットを重ねてリズムを作ったり、『フリクリ』4話のような奇妙なポージングとか、アングルとかも持ち味だと思いますね。『新世界より』『Another』といった作品に参加している所からも分かるように、ホラーっぽい描写を得意とする人でもあります。

『Another』のこれ

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とか、

フリクリ』の

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これとかの感じですね。『新世界より』でも、18話などホラーサスペンス調の話を多く担当していました。

 また、個人的に『異能バトルは日常系なかで』3話は小倉さんの持ち味もありつつ演出的に上手いと思ったところがいくつかありとても良かった。

たとえば、このシークエンスでは千冬の立ち位置は鳩子・灯代側にあり下手(しもて)位置

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 なのですが、彩弓の回想シーンを挟んで

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次に4人が映るシーンでは千冬の立ち位置が彩弓側の上手に移動!これは彩弓の語る内容に千冬が同調してるのに合わせてでしょう。回想シーンの間に移動しているというこのさり気なさ!移動に要する「枚数の節約」という点でもこれはポイント。

また、もう一度回想シーンを挟んで更に2カット後、次に4人全員が映るカットでは

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 画面内でのキャラの上手・下手の立ち位置が逆転しています。

先ほどまでとは逆に灯代・鳩子が会話の主導権を握り(上手)、彩弓らがそれに同調する側(下手)に回ったことを画面位置で表現する、基本に則っていながら上手い描写!

また、この回は灯代の義兄、桐生一の初登場回なのですが、

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登場シーンのファーストカット(安藤と遭遇)から一貫して画面の上手側にいた桐生が、喫茶店でのシーンで、

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 直前の、この画面上手側を背中で埋め尽くすような位置から逆転、

妹である灯代の登場と共に

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灯代を上手側に配置した下手側へと移行!

と、この二人の関係性を表すような表現になっている。

アニメーターとしても天才だけど、コンテも上手いなあ、ホントに。小倉さんが、『パンスト』以来久々にガイナ・トリガー系列でコンテを切っているという意味だけでも『異能バトル』は貴重な作品。大地さん回や7話の望月さん回も良かったし。

『異能バトル』に関してはもう少し書きたいくらいですがひとまずこれくらいで。

あとそろそろ、年末なので「話数単位で選ぶ、2014年TVアニメ10選」も書いてみたいですね。

今回は以上です。

映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』にインスピレーションを与えたカートゥーン

 
※映画内容に関する大幅なネタバレを含みます
ダンサー・イン・ザ・ダーク(Blu-ray Disc)

ダンサー・イン・ザ・ダーク(Blu-ray Disc)

 

 『ダンサー・イン・ザ・ダーク』は2000年公開のデンマーク映画、ラース・フォン・トリアーが監督しアイスランドのシンガーソングライターであるビョークが主演を務めた上で劇中の音楽を担当し、話題になりました。

アメリカを舞台に、生れつきの病気により徐々に視力を失っていくチェコ移民のシングルマザー(ビョーク)を主人公に据え、遺伝により13歳で手術をしなければいずれ失明してしまう息子を救うため彼女が悲劇に陥っていく様を描いたこの映画においては、現実の場面と、病気によりまた元来の夢見がちな性質により、白昼夢に陥った主人公の夢想の場面との二つの場面が並行して描かれています。
 
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現実の場面は彼女の覚束ない視界を再現したようなハンディカメラ撮影による手ブレ感ある画面で、色褪せたセピア調のトーン。また、彼女の不安定な意識の再現というのもあってかジャンプカットを多用したドキュメンタリー風の進行です。
 
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一方で、夢想の場面においては彼女の内面を表すように一変して華やかな色調の画面になり、デジタルの固定カメラの切り替えで、そのシーンにおけるリアリティを超越したミュージカルが展開されます。ミュージカル場面においても登場人物の服装が変わったり新たな小道具が加わるわけではなくあくまでそこになるありものを用い展開されますが(それは彼女の意識があくまでその場を起点として生じているからですが)、彼女はそれまでに見聞きしたミュージカル映画や音楽からサンプリングしたものと、その場における物音とを自由に組み合わせてそこに音楽を創造していきます。
無実の殺人容疑をかけられ、死刑を宣告され段々と悲劇的な状況に追い込まれていく残酷な現実と、美しく色鮮やかな夢想の場面とが対比され話は進行していきますが、最後の場面、彼女が処刑台に立たされる段になって彼女の処刑を前に集まった観衆(彼女を心配して集まった友人達もいる)を前に、彼女は映画においてそれまで並行して進行していた二つの場面が合わさったかのように、直接現実の舞台(処刑台)の上で聴衆にミュージカルソングで歌いかけます。
 
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この場面は現実の場面として描かれますが、それまでのジャンプカット進行が排されアップでじっくりと顔を映し、決定的な処刑の場面、そして訴えかけるようなラスト、エンディングに繋がっていきます。
この映画のプロットに影響を与えたカートゥーン作品があるらしいというのが監督であるトリアーの口から語られています。
セルマの処刑、そして失明は、作品のメロドラマ的な側面だ。ビョークに送った最初の脚本にはセルマの失明という設定は盛り込まれていなかった。だが、そのあとで私はとてもよくできたアニメを見る機会に恵まれた。1930年代に作られたワーナー・ブラザーズの作品で、ある警察官が人形を見つけ、恋仲にある女性の娘にプレゼントする。幼い少女は階段に座ってその人形で遊んでいるが、ふとした拍子にそれを落とす。すると少女は下を見ることなく手で辺りを探り、それを拾い上げるのだ。たったそれだけのことで観客はその少女が盲目であることが分かる。洗練されたすばらしい描写だった。

少女は母親の顔も街の様子も見ることなく、さまざまな音に囲まれて暮らしているという設定は『ダンサー・イン・ザ・ダーク』のそれに近いものがあった。少女の空想の中で人形は生命を持った存在となり、少女を連れて世の中を見て回る。少女は地下鉄の騒音からジェットコースターを連想し、ニューヨークのスラム街に咲き乱れる花園を作り出す。そして母親の顔をイメージするのだ。見る者の涙を誘う美しい作品だった。

(Interview  ラース・フォン・トリアーダンサー・イン・ザ・ダーク』より)

ここで監督のトリアーが言っているアニメ作品は、"The Enchanted Square (1947)"というファイマス・スタジオ制作のカートゥーン作品で間違いないと思われます(フェイマス・スタジオは1930年代を通じてディズニー社最大のライバルだったフライシャー・スタジオの後身となる会社)。ワーナーではなくパラマウントの配給、'30年代ではなく'40年代の作品ですが、筋が非常に似通っているのでほぼ間違いありません。パブリックドメインになっているのでリンクを貼っておきます。

archive.org

詳しくはこの記事でも紹介されていますが、日本でも雑貨や絵本などでポピュラーなキャラクターであるラガディ・アン人形(下画像はラガディ・アン&アンディで、左側がアンで右側が弟のアンディ)が登場するカートゥーンとして三本目に作られたものです。

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リンク先の記事では筋が紹介されているので参照すれば英語が分からなくても鑑賞できます。それで、この作品を実際確認してみると、

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なるほど、「すると少女は下を見ることなく手で辺りを探り、それを拾い上げるのだ。たったそれだけのことで観客はその少女が盲目であることが分かる」との言葉通り、この描写だけでこの少女が盲目であることの説明になっています。事実、この作品においてはこの描写以外は一言も彼女が"blind(盲目)"であるとの説明は入りません。台詞ではなく仕草で語る、まさに「洗練された描写」と言えます。

「優れた作画(=animation)はそれ一片だけでもインスピレーションを与える」というように、アニメーションは演技も現実そのままの模写ではなく誇張したいものを取り分けそれと捉えて描くわけですから、自然主義的な演技であってもそれはある種また現実のそれとは違った形で鮮明な印象を残すこともあるのだと思います。

何というか、今回の記事は「フライシャー・スタジオのアニメがこんな所にも影響を与えていた!」というのを発見したということでそれを指摘するだけのような内容なんですが、このカートゥーンが魅力的なのでそれについても書こうという趣旨です。

この作品自体、音から生じる空想の世界を色鮮やかに描いた一片として優れており、想像力の美しさを描き、現実世界では人形のような目として描かれる盲目の少女ビリーの眼に空想の世界では瞳孔が生じているなど、現実の場面と対置する形になっており『ダンサー・イン・ザ・ダーク』に繋がっている点もあります。しかし何より、この作品は単体で見て優れているし、独立して鑑賞されるべきでしょう。最後に警察官が残す、少女の想像力を肯定するセリフである、
「顔に付いている眼で見る者もいる。そして心の眼で物を見る者だっているんだ」
"There's some who see with the eyes in their head, and there's some who see with the eyes in their heart."

という言葉も胸に残ります。映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の脚本には「結果的に間違った選択を続けその無垢さ/献身さ故に受難者となってしまう女性」というややサディスティックな側面があるのに対しそのようなイヤミが感じられないというのもこういった作品の良さでしょう。『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を見た後は、その元に影響を与えたこの小品を鑑賞するのもいいのではないでしょうか。

この「魅惑の街角」"The Enchanted Square"(1947)はラガディ・アン人形が登場するカートゥーン作品としては三本目にあたりますが、一本目・二本目はともにフライシャー・スタジオの作品で、特に一本目はデイブ・フライシャー(フライシャー兄弟の弟の方)の監督作品です。

「魅惑の街角」とスタッフの多くが共通しているらしい"Suddenly It's Spring"はアニメーションのスタイルとしても似通っています。デイブ・フライシャーの"Raggedy Ann and Raggedy Andy"は「ラガディ・アン&アンディ」人形の誕生秘話とでも呼ぶべき話で、二人が造られ名づけられる過程も描いており、これも傑作です。人形が魂(anima)を吹き込まれ動き出す(motion)というモチーフは静止画の連なりからアニメーションが生起するのと歩調を同じくしているようでもありますね。

この二作品も合わせて鑑賞されるとよりキャラクターやカートゥーンへの愛着も深まり望ましいのではないかと思います。

「二つのお人形」"Raggedy Ann and Raggedy Andy"(1941)

https://archive.org/details/RaggedyAnnAndAndy

「人形の願い」 "Suddenly It's Spring"(1944)

https://archive.org/details/Cartoontheater1930sAnd1950s1

 次はできればまた近い内に(日本の)TVアニメに関して書きたいと思います。感想記事ばっかじゃなくてたまには考察系も書きたいですね。

 

(追記)2014.12.5

(以下蛇足)

映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』についても少し。「息子を思い立ち回ったところ、結果的に間違った選択を続けその無垢さ/献身さ故に受難者となってしまう女性というモデル」はやや脚本のサディスティックな部分で好き嫌いが分かれるでしょうが、冷酷の場面に際しては想像力の美しさで抗い「映画のラストは留保される」というあのエンディングに繋がるのは一つ観客にメッセージ性を託す上では効果的でしょうね。映画の直接的なテーマ性としては死刑制度への批判やチェコ(東欧)の共産主義と対比される形でのアメリカ批判なども乗っかっているのでしょうけど、あくまで想像力の持つ美しさを描き出した作品として評価したいです。

トリアーが採用している「ドグマ95」の撮影技法については、正直なところあまり上手く行っているとは思いません。記事を書くにあたってミュージカルシーンのキャプチャを取ろうとしたのですが、セルマがちゃんと映っているカットが少ないんですね。ミュージカルをちゃんと見せるという意図であれば、不適切な技法を選択していると思います。これはこれで映画として成立していたので良いんですけど、ビョークの音楽に助けられてる部分は大きいなあと思います。

『楽園追放』公開初日に見ての感想メモ

『楽園追放』、初日で見て来た。備忘録的なメモをば。見たのは公開初日ですが、立て込んで書くのが遅れました。他の人の感想とかはまだ見てません。

ゼロ号試写を見た氷川竜介さんが「ええ話や!」と仰っていたけど、それは非常に同感。まさに「ええ話」という形容がマッチ。
 
それにしても虚淵さんは、板野一郎真下耕一、新房、I.G.の塩谷×本広克行、村田和也(コードギアス副監督にミロス)、に続き水島精二とも組んで、順調にスターダムに登り詰めてる感があるなあ。
 
それというのも極めて王道のエンタメで、一本化したシナリオで、無駄のない構成だった(筋は単純ともいえる)。ラグランジュ点に位置するスペースコロニー内に築かれた電脳空間と、ナノハザード後の荒廃した末来の地球が主に舞台になっているけど、テーマはSFとしては古典的なもの(結局のところ電脳空間とリアルとの価値観の対立で、それに人工知能アイデンティティの話がある)で、虚淵的には現代的なテーマ性に刷新されてはいても、定型としては古いとも言える。ポストヒューマンでありサイバーパンク
 
タイトル(『楽園追放』)の意味もダブルミーニング、トリプルミーニング(或いはより幾重にも)になっており、ディーヴァから見たリアルワールド、リアルワールドから見たディーヴァ、地上から見た宇宙、といったように主要キャラ三者三様(アンジェラ、ディンゴ、フロンティアセッター)のテーマから見て取れるものになっている。
 
本作でのアンジェラ、フロンティアセッター、ディンゴらリアルワールドの住民とは、ガルガンティアにおけるレド、ヒディアーズ、現生の地球人類と置き換えて見てみることもでき、恰好の比較対象だろうし、比較されるだろうなとは(チェインバーと、本作においてそれに対応しているだろうフロンティアセッターとでは、構図的に位置づけが異なるものの)。
 
電脳世界において、階級によって割り当てられるメモリ量によって生活レベルや行動が規定されるというアイディアはイーガンの『順列都市』を彷彿とさせるけど、階級社会・管理社会のモチーフとして使われているという点ではシビュラシステムの方が近いかな。
 
テーマ的には生身の人間も、データ存在も意志を持った人工知能もそれぞれに人間であり多様性に寛容であろうという極めて分かり易いもの。その上で、多様性に偏狭な態度を取る電脳世界ディーヴァを主人公が放棄するという所に、ややプラスアルファで価値観が乗っかっているけど。きわめて明快で、テーマに合わせてシナリオが収束する強固なストーリー構造を持っている。
 
ラストの味わいも、宇宙進出への展望の礼賛ともとれ、多分に'50年代SF的なもの。『アイゼンフリューゲル』のラストとか見るに、虚淵氏はこういうの好きなんだろうな。
 
虚淵の思想的な面から捉えれば、以前『鬼哭街』のインタビュー(http://www.4gamer.net/games/130/G013023/20110617067/index_3.html)でガンガン言ってた「もし出来るなら、躊躇なくガンガン全身義体化しちゃうぜ!」に表れてるように、「電脳化とかそういう技術の発展に抵抗はないし楽観的な態度は取る(けどその技術に縛られ過ぎるのもどうかってところ)」という面は昔から一貫して変わらないスタンスだとは思う。
 
東映じゃなく例えばI.G.とかだったらもっとラディカルなテーマ性になった可能性もあるかなあとも思ったけどガルガンティアがそれですね。
 
本作の虚淵の脚本抜擢のきっかけは『神林長平トリビュート』に虚淵が寄稿したものが東映の野口プロデューサーの目に留まったかららしいんだけど、あれに虚淵が書いてた話、昔過ぎてほとんど記憶に残ってないなあ。元長柾木のやつのがまだ印象に残っているくらい。喋る人工知能が出て来たのは覚えている。
 
ディンゴのキャラ造形(外見)も往年のイーストウッドを転写したものだけど、砂漠地帯だし、アンジェラは保安官だし、虚淵がSF的世界観とウエスタンを絡ませるているのは多分に『続・殺戮のジャンゴ -地獄の賞金首-』(2007年)的だなあ。そういえば『ジャンゴ』の時、ニトロプラスは(新しいもの好きなNitro+らしく)「グラフィック上でモブキャラを全部CGモデルで描く」というのをやっていたけど、ショボくて合ってなさ過ぎて半ばギャグになってた。『楽園追放』がグラフィニカスタッフ総結集の豪華ビジュアルで作られてる事の有難さを痛感。思えばそれまで「バッドエンド症候群」に取り憑かれていた虚淵が初めて胸躍るハッピーエンドを書いたのって『ジャンゴ』だと思う。『Fate/zero』書いたあたりから「バッドエンド症候群」克服できた実感はあったみたいだけど。
 
映画の話に戻ると、3DCGで作られているというのが大前提で、大きなポイント。セルルックなCGという点ではかなり奏功している。モデリングも優れているし、動きの付け方もタメツメが利いている。アクション中でも止まっている所で止まっているのも大きいかもしれない。
一般論として、3DCGのアニメーションは演技が過剰でクドいものに見えてしまう傾向にあるけど、それは、3DCGのモデリングだと手描きアニメーションと違い中割り動画を重ねなくても動かせる部分があるから過剰なものになってしまうしそう見えてしまうのだと思うけど、かなりの部分でそのようなクドさや、不自然さは克服出来ていると感じた。
 
3DCGではクドさが抜けている部分のある一方で、脚本に関しては、(バトルに至るまでの過程の描写とか、そういうプロットの組み方はやはり上手いけど)細部の描写でくどく感じてしまう。明快なシナリオなのはいいけど、極めて演出意図、作劇上意図が見えてしまうという意味で。
 
フロンティアセッターの設定語りとかはある程度キャラ付けとして許されるものだとは思うけど 
セリフはもっとカットしてもいいのでは。
 
たとえば、「あの野蛮で不潔なリアルワールドで~」という終盤でのセリフはまだ良いにしても、
 
序盤にリアルワールドに降り立ったアンジェラの「何この埃っぽい大気......こんなの呼吸しろっていうの?」というセリフに、もう過剰さが見て取れるし、このセリフだけで後々のストーリー展開がもう予想出来てしまう。
 
食事のシーンが多いのも、アンジェラが初の地上で病気になったり偵察のため屋上に上らされたり(ディンゴが高所恐怖症というエクスキューズ)するのも、全部、後の(アンジェラがディーバに反旗を翻しリアルへ移行する展開の)ための前振りだって露骨に分かってしまう。
 
最初に砂漠に降り立つシーンも、単純に咳こんでさり気なく愚痴を言うぐらいだけでもいいし、車を運転するアンジェラが疲れでウトウトするとか、そういうさり気ない描写を重ねるだけで十分伝わっただろうと感じる。親切設計というかお節介というか。
 
そこは、映像で見せられるのだから映像で語れば良いというのもある。そこで稚拙さが見え隠れしてしまうのは良くない。もっとコンテ段階でセリフを大幅にカットして映像で語らせるか、原案・プロットだけ虚淵でホン自体は他の人が書いても良かったのかもしれない(でも虚淵の作劇はセリフ込みというのはどうしてもあるからそれは難しいかも)。
自分は虚淵のダイアログ好きな人間なのでそこら辺は寛容に見てしまうんだけど。
まあ当初はもっと前半とかで「世界観を象徴するような」セリフがあったのを尺の都合で大幅カットしたらしいし、尺の都合で切るべき所は切っているんでしょうけど。
 
映画というものでやってる以上TVシリーズ以上にキツキツの構成になってそのような粗が目立つようになってしまったのかなとは。
穿った見方をしてしまえば、これは3DCGの迫力ある映像に重点があるから、「プロットは練るけど(いい意味で見ている最中に頭使わなくて済むよう)ストーリーはその分明快な親切設計にする」、という連携なのかもしれない。
説明セリフという所からだと、SF的世界観だと虚淵はSF作家としての地が出るのかなあと思ったり。
 
筋立てについてはもう一点。説得力を持たせる問題として、最初の方である程度、もっとディーヴァでのアンジェラたちの描写をした方が良かったんじゃないかな。ポストヒューマンらしく高度な情報処理能力でディーヴァで浴びるままに快楽を享受してる様子が、ビーチでの描写だけじゃイマイチ伝わらないし。最初にあのフロンティアセッターとのバトルからの導入があるのを考えると難しそうだけど。
ディーヴァでの階級制度についてもダイアログで説明あるのみだから、ドット絵的なロースペック住民とかを少し描写しとくとかしても良かったのではと思う。そのせいで、「ディーヴァと比べてこの地上では~」っていうアンジェラの台詞や描写の部分が、観客が想像力で補うしかなくなってるし。まあキャラが増えるし蛇足かもしれないけどね。
 
以下雑談につき箇条書き
 
○『楽園追放』は、ガルガンティアのハナハル先生に続き、またもエロ漫画家(saitom名義)のキャラ原案。そういえばキャプテンアースもキャラ原案は成コミ作家先生だったなあ。齋藤将嗣さんはキャプアスでもデザインワークスとして参加されているんだなと知った。
 
 
○後半、アンジェラが再度ディーヴァに戻ってからは京田コンテパートとの事。エウレカでの村木靖の仕事も彷彿とさせるし本家板野監修(?)のサーカスは劇場スクリーンで圧巻。劇場での視聴を強く推奨。
 
○「'80年代のAICOVA」っぽさという話を京田さんが言っていたけど(バブルガムクライシスとかゼオライマーとかの辺の?)後半のアクションもそれを彷彿とさせるし(作画やタイミングも)、前半シーンのアクション以外の描写もウエスタンというよりはそっちのノリなのかな。SFとしての本作の位置づけもそうかもしれません。作画のバラつきもそうですが。 
 
○ロケット発射シーンは三角形ぽい破片の描き方とか、シーンの見せ方とか『王立』を感じる。
 
○3DCGらしくだけど、作画バラつきもいい味だと思う。公式アカウントがアップしている動画でもCGアニメーターごとにパート分け紹介していて良いなあと思う。


Expelled From Paradise Film Making Vol 2 - YouTube

既にCGアニメーター個別の作画wikiも出来てるし、CGも作画の一部として評価されていくんだろうと感じる。サンジゲンの名倉晋作さんも参加されていたのをクレジットで発見。
 
○3DCGでエロの描写に力入れるのは理解できる。CGだとやわらかい肉感というものは出しにくいというイメージがあるし、だからそこへのオブセッションがあるというのも極めて分かる。これに関してはどこまで出来るかという実験でやっている部分もあるだろうけど、それ含めて評価できるものと感じる。作劇上、そこで意識的なアングルで撮りまくってしまうのもどうかと思うけど。
 
○キャスティングも上手く行っていたと思う。水島監督の指名で縁のある人選というのもそうだけど。ディンゴのキャラも当初の想定以上に存在感あるものになっていたし、釘宮さんがこの主人公やってるのも、”生身の肉体の不在”という通底するキャラ性を持つ『ハガレン』(水島作品)のアルフォンスをずっと演じていた人だからというのもあるだろう。
  
しかし、ゲスト出演が高山みなみ林原めぐみ三石琴乃なのは完全に声優ギャグだなあ
 
(追記)2014.11.17
虚淵作品として見ちゃってて水島精二については全然触れてないなあとは思う。虚淵のストーリーラインありきでの企画でしょうというのが理由だけど。そこら辺は水島監督ファンの人に任せます。
<比較対象としてありそうなアニメ作品>:00、UN-GOハガレンガルガンティアサイコパスビバップゼーガペインアルペジオあたり

アニメ制作・アニメ業界もののアニメって

水島努×P.A.WORKSの新作アニメ『SHIROBAKO』はアニメ業界が舞台で制作進行が主人公のアニメ制作アニメ。世間的には、幾原監督をモデルにしたというアニメ業界小説『ハケンアニメ!』 が話題になるなどアニメ業界ものはタイムリー。しかしアニメ制作・業界物についてまとめているような記事が見当たらなかったので、多分に紹介文的なものになってしまうかもしれませんが書こうと思いました。

SHIROBAKO』に関して言うと、水島監督×シリーズ構成:横手美智子のコンビは『ハレグゥ』を初め『イカ娘』『じょしらく』など多くの作品で組んでいるけど、そこにP.A.の関口可奈味キャラのニュアンスが加わり、音楽は『TARI TARI』『ガルパン』の浜口史郎というスタッフィング。おそらくは『いろは』に続くP.A.の「働く女の子」シリーズ2弾ということですがアニメ制作アニメということで似たような系列の『まんがーる!』のような雰囲気も込みでいくのかなあ、、とか。女の子5人組がメインで、水島監督で横出美智子シリーズ構成という点のみ取り出せば実質『じょしらく』ですが。

 企画の始まりは2、3年前に水島監督と乗ったJR中央線の車中でのこと。制作現場を舞台にした作品を作りたい。制作進行の話ではなくて、制作進行の目を通して見たクリエーターへの敬意や、この業界の今を描きたいという話をしました。監督も制作進行の頃から作ってみたかったようで、「実はファーストシーンはもう考えてあるんです」と、2社の進行車が交差点で並ぶシーンの説明を受けました。監督構想20年のシーンです!じゃあ、作りましょう、というのがこの作品の始まりです。

 

(「メーカー横断アニメガイド2014SUMMER」『SHIROBAKO』プロデューサー 堀川憲司 インタビューより)

水島監督が(シンエイ動画での)制作進行時代から温めていた二十年来の企画とのことで、ギャグやフィクションを交えつつもアニメ制作工程を描きそれをエンタメとして仕上げていこうとする気概も伺えます。

水島努監督の制作現場時代の体験談もエピソードなり描写なりで活かされるのかなと思いますが 、ここに来て自分にとって思い出されるのは同じく制作進行の女の子が主人公のOVAアニメーション制作進行くろみちゃん』シリーズ。

 (……) その後さらに、ラッキーモアというアニメの撮影会社の立ち上げに参加し、その流れで、ラッキーモアの出資会社であったイージー・フィルム(以下イージーと略)というアニメ制作会社の制作部に移籍しました。そのイージーの頃の制作経験が『アニメーション制作進行くろみちゃん』で描かれているわけです。

 

大地丙太郎『これが「演出」なのだっ 天才アニメ監督のノウハウ』より)

大地監督のキャリア的には『ドラえもん』の撮影監督を5年ほど務めた後初のコンテデビュー、そして一旦アニメの仕事を離れた後に再び制作進行としてアニメ業界に復帰していますが、この頃の実際の経験が『くろみちゃん』においても活かされているとのこと。実際、制作進行の主人公に関してではないですが、大地監督がコンテ打ちの際に笑いながら説明しているのを前にアニメーター陣はひたすら真面目に下を向いてメモを取っている……というような上掲書において語っているようなエピソードが『くろみちゃん』においてワンシーンとして出て来るなど、実際の経験に裏打ちされた描写がなされている部分も感じられます。

アニメーション制作進行 くろみちゃん [DVD]

アニメーション制作進行 くろみちゃん [DVD]

 

 『くろみちゃん』はやや誇張も含まれますがアニメ制作の常に切迫したスケジュールや品質管理に関する厳しい状況をコメディタッチで描いていて、それにシリアスな要素を絡ませる大地監督お得意の芸風。

2作目はスケジュール管理に関して質よりも早さを優先させることで厳しい制作状況を乗り切ろうとする制作デスクが登場し、テーマ的にも更に踏み込んで、締め切りをとりあえず乗り切ろうとする現場主義的な考えと、それでも品質を維持しようとする向きとの対立軸になる。

制作されるアニメ本数に見合った人員やスケジュールが確保されていないアニメ制作の現状に対する大地監督の問題意識が根底にあるのでしょう。

 思えばアニメーションの厳しい制作現場における現場主義・商業主義に対しそれに抗って真摯な作品作りを進行しようとする態度を真面目に作品として描こうとするならばそれは作品内としては「理想/現実」の対立軸というところになるので作品のドラマ性はそこで担保できるのだと思います。『SHIROBAKO』でもその面は関係してくるのでしょうか。

ところで、アニメ制作に題材を取ったアニメのエピソードは多々ありますが、

  • 妄想代理人』10話「マロミまどろみ」(脚本:吉野智美 絵コンテ:佐藤竜雄 演出:遠藤卓司)
  • こいこい7』6話「熱血闘魂・鬼軍曹どのっ!制作進行サクヤさんです〜」(脚本:社綾 絵コンテ:八谷賢一 演出:米田和博)
  • GOLDEN BOY さすらいのお勉強野郎』6話「アニメーションは面白い!」(脚本・絵コンテ・演出:北久保弘之)

 など、役職でいえばアニメーションの制作進行を主人公としたものが目立ちます(前者2本はTVアニメの1エピソードで、後者1本はOVA)。『SHIROBAKO』も主人公は制作進行の子のようだし。その理由として考えられる内容のことを『妄想代理人』監督である今敏が証言しています。

他でもない我らが「業界物」なので、アニメの舞台裏、制作現場やスタッフ、制作プロセスなどの紹介も重ね合わせた方が良かろう、ということになった。となると、原画動画、美術 背景、色彩設計、撮影などなどの絵にかかわるポジションは主人公として除外されることになる。なぜなら彼らの仕事は机から動かない。監督や演出というポジションも主人公として魅力ではあったが動く範囲が限定されていることに変わらない。そのポジションの仕事ととして動き回ってくれないと各プロセスやスタッフの紹介もままならない。そして各スタッフの間を動き回るポジションというと「制作」しかない。制作といってもプロデューサー、制作デスク、制作進行など 色々あるが、各スタッフ間を頻繁に回って歩くのは「制作進行」しかない、ということになる。
 

妄想の九「アニメのアニメ」|「妄想」の産物|KON'S TONE

 アニメ制作の舞台裏に触れるような「業界物」の内容にするならば、アニメ制作の最も多くのセクションに関わる人間であり、かつ能動的に行動をとり物理的にも移動の多い制作進行を主人公にした方が当然やり易い、という計算の上で制作進行という役職が選ばれていたのが分かります。

アニメ制作ものとして個別に作品について触れると、「マロミまどろみ」は『妄想代理人』の1エピソードということで、アニメ制作の逼迫した状況を体現するかのようにアニメ制作の各役職が次々と少年バットに始末されていき、それを制作進行の主人公の回想という形で描いています。各役職の担う役割についても詳しい解説が入る。

OVAGOLDEN BOY』は北久保監督、キャラデの川元利浩のもと磯光雄本田雄の参加した作画アニメとして知られていますが6話は当時のセルアニメの制作の様子が細かく分かるエピソード。アニメ現場現場の実写素材を使ったりとなかなか面白く、またオリジナルエピソードの最終話としてそれまでのヒロインを総括するような構成にしているのも上手いし、原作の江川達也、北久保監督、作監川元利浩さんそれぞれをモデルにした原作者、監督、作監も本編内に登場。

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 『こいこい7』6話は主人公達がアニメ制作に駆り出されるギャグ回ですが(というかこのアニメはほぼギャグ回かもしれませんが)、過密スケジュールを管理するスパルタ制作進行として奔走するサクヤの台詞

「いいか!貴様ら動画は原画も描けない無能な連中だ」
「私の任務はその無能な貴様らにきちんと動画を上げさせることだ」
 
「いいか。貴様らは人間じゃない。色を塗るためだけの機械だ」
「筆を持たない貴様らにはひとかけらの価値もない」

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 などはなかなか衝撃(というか、言ってる当人がまず人間じゃなくサイボーグなんですが)。期日に間に合わせるため3徹したり逃げ出したスタッフを強制連行したりする描写もあったり。

また、アニメ制作の工程をなぞるようなものとは別に、プロデューサーと原作者、監督との駆け引きに焦点を置いているエピソードとしては

とかがあるかと。『こち亀』原作にもあるエピソードですが、アニメ版ではよりアニメに関して細かい描写になっています。両津が原作者不在の状況を利用して原作者の代理人としてアニメ制作に意見出しを行い、関連商品を売りたいスポンサー側の要求を持ち込み少女漫画の内容を改変しまくった挙句ロボット戦隊変身バトルものの商品紹介番組にしてしまうという内容ですが…。この回はアイキャッチ、EDが劇中作のものに差し替えになるなど遊び心が尽されてます。

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原作サイドとアニメ作品との関係というのをより深く掘り下げてシリアスなものにしてかつ今風のアレンジになっているのが

かもしれません。制作現場までは踏み込みませんがこれもアニメ回で、倉田脚本のオリジナル回として、センセーショナルな内容でもあったので記憶に新しい人も多いかもしれません。

そういえばこの当時『こち亀』 の監督だった高松信司監督は「アニメ業界ものやりたい」というつぶやきを以前していました。結果的にTVシリーズとしては水島監督が先に着手することになりましたが、高松監督のアニメ業界ものも見てみたいです。

高松監督といえば、アニメ制作回というのとは少し違いますが、コンテを担当した『銀魂』94話「電車に乗るときは必ず両手を吊り革に」のアバンでこんな事をしていたのが思い出されます。


銀魂 アニメになるまでの過程 - YouTube 

あくまでメタなギャグとしてですが、アニメを構成する素材を露呈させそれをスラップスティック的に見せて行くところに面白さがあるし、アニメ制作を題材にしています。

同じようなコンテ撮りやレイアウト撮を見せるような描写は川口監督の『SKET DANCE』でもしていました。

こち亀』のような長期シリーズのアニメだとアニメ制作回も挟みやすいのだと思います、『星のカービィ』では2回やっていましたが、『ハヤテのごとく!』『ケロロ軍曹』『美少女戦士セーラームーン』のいずれもファーストシーズンでアニメ回があります。

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上から『ハヤテ』、『ケロロ』、『セラムン』。

星のカービィ』49話のアニメ制作回は徹夜での作業、アニメーターの重労働、逼迫したスケジュールなどを描き、「アニメーターにも基本的人権はある」とキャラに言わせたりし、アニメ内でアニメの制作状況についてのバッシングを入れたり自虐ネタも取り入れたりといったアニメ内からの告発めいたエピソードとして有名ですが、本編内、アニメ放送の最中ぶっつけ本番でアフレコすることになったキャラの会話がこれで。

ブン「あーじれってえアニメだなもう」

フーム「さっきから全然動かないで突っ立って喋ってばかり」

パーム「動かすのが大変だからお喋りして誤魔化してるんだ」

メーム「しかも動いてるのは口だけ」

フーム「でもほら、カメラワークはあるわ」

メーム「動いてるように見せかけてるだけ。これじゃサギよ」

パーム「こういうアニメは安く作れるね」

エスカルゴン「お金も時間も無いんだからしょうがないでゲしょうが!」

 この49話の脚本は『カービィ』総監督の吉川惣司さんで、『ルパンVS複製人間』も監督している大ベテランですが、虫プロ設立後まもなくの日本TVアニメ黎明期からアニメーターとして活躍されている方による脚本と考えると重みがあるしブラックなリミテッドアニメ批判としても取れるのが面白い。89話の方の脚本も合作で書いていて、そちらはオタク的なネタも多くパロディ色も強い内容になっていましたが。

 他にもハヤテのアニメ回はアフレコアニメ的内輪ネタもあったりケロロのアニメ回では劇中劇のアニメの原画を声優が描いていたりしていてネタとしては面白いですが、一旦このくらいで。

あと、そういえばOVAの『ナースウィッチ小麦ちゃんマジカルて』の4話もアニメ回でした。

 OVA小麦ちゃん』シリーズは3話から制作が京アニからタツノコに移り、それまでのパロディ多めのギャグ路線は踏襲しつつ米たに監督のカラーが強くなりタツノコの自社パロが入ったりギャグ色のより強いアチャラカ気味になっていた印象ですが、アニメ回も、アニメ制作については段階的な描写はありますが、脚本家の「あかほりさとろう」が登場したり「ヤシガニ」ネタが入ったりするギャグ回。

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 TVやOVAシリーズ内の1エピソードとしてアニメ回が挿入される場合、それはメタなギャグとして行ったり、アニメ制作者との距離を近づけるようなものだったり、アニメファンとしての製作過程への興味を刺激するようなものとしてのいわばファンサービスであったり内輪ネタであったりすることが多いかと思います。

余談としては、『小麦ちゃん』4話と『ハヤテ』44話とでどちらにもナベシンが劇中でのアニメ制作スタッフとしてカメオ出演を達成しています。

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『ハヤテ』一期に関してはおそらくは川口監督のつてでナベシンはローテに入っていたので他の回でも出まくっていますが『小麦ちゃん』の米たに監督の回でも出演で、もちろん声も本人。ナベシンの出演するような回だとアニメ制作のメタネタやパロネタでも許されるというようなところでしょうか。

アニメ制作アニメではアニメ内にまた劇中劇という形で作品が生じるいわゆるメタ構造になるわけですが、その作品の中での現実と作品のリアリティのラインも重要な要素になるかと思います。そこをギャグに振るかどうかというのもあるし(最近だと『俺妹』などは劇中劇については凝っていて後にスピンオフ的に作品が出たりしているし(実際の制作経緯はまた違うみたいですが)『ブラック・ブレット』劇中アニメの「天誅ガールズ」が独立に商品展開したりしていますが、『SHIROBAKO』でも劇中劇と絡めて(商品的にも作品的にも)どのように展開していくのかというのは楽しみです)。

また、アニメ制作を題材にした漫画や小説と違いアニメ制作アニメは実際の経験に裏打ちされた部分がでるのがやはり好きだし、そこに業界内からのカミングアウト的なものを感じたりもします。

そういえば以前、こんな話をしました。

 漫画制作が題材の漫画といえば『サルまん』や『バクマン』などスッと浮かぶのに対しアニメ制作が題材の漫画は少数タイトルに限られてる印象があります。

そこで気になって、アニメ制作を題材にした漫画についてもちょっと調べてみたところ、結構なタイトルが出ていますね。

戦場アニメーション 1 (ジャンプコミックス)

戦場アニメーション 1 (ジャンプコミックス)

 
アニメ95.2

アニメ95.2

 
アニメもんエッセイ~お江戸直球通信~ (NORA COMICS SP)

アニメもんエッセイ~お江戸直球通信~ (NORA COMICS SP)

 

 『これだからアニメってやつは!』はアラサー女性のアニメ制作進行を主人公にした漫画で、その点ではやや『SHIROBAKO』とも似てるかもしれませんが実際は全然違う感じはします。余談ですが1巻巻末には「アニメ監督という仕事」について作者と大沼心の対談というかロングインタビューが収録されているのでお勧めです。

自分は前から好きなのは『レイアース』などで有名な元アニメーターの石田敦子さんの『アニメがお仕事!』ですが、やはり実際の経験に裏打ちされた部分が大きいし、キャラの掘り下げやリアリティの面でも優れていると思います。アニメ―ター主人公たちの青春ラブストーリーモノですが、仕事に遣り甲斐を感じる部分も伝わるし原画マンや動画チェッカーの労苦、アナログ時代のアニメ制作の状況も分かり、仕事と恋愛の葛藤もある。

 自主制作アニメを題材にした今井哲也の『ハックス!』も佳作で、学生主人公の青春ものでもあり、アニメに関わらず現代におけるクリエイティブな創作行為全般に通じるような普遍性を持っていると思います。

ハックス!(1) (アフタヌーンKC)

ハックス!(1) (アフタヌーンKC)

 

 また、アニメ制作を題材にした漫画とはちょっと違うと思いますが声優を題材にした漫画も最近は数多くあるようです。

newsdays2008.blog.fc2.com

web.archive.org

漫画『こえでおしごと!』『REC』などはアニメ化もしていましたが、アニメ化すると実際に声優さんによる声が声優キャラクターに付くのでメタ・アニメ的になると思います。『REC』もシャフト制作、故・中村隆太郎監督でアニメ化していましたが、新人声優キャラの恩田赤を実際の新人声優(当時)の酒井香奈子が演じているし。吉田玲子脚本のもと漫画とは少し構成も変えて「恋と仕事」を軸にして実直に描くようにしており、また各回脚本やOPでのビジュアルなど大胆にオードリー・ヘプバーンをフィーチャーしてのアニメ化で、アニメ独自の良さがありました。ちなみに『REC』原作の方では声優ヒロインの妹がアニメーターであり、後の方でヒロインとしても出てくるし、アニメ業界の話も絡んできています。

REC DVD-BOX

REC DVD-BOX

 

 ここまできて『SHIROBAKO』に話を戻すと、主人公:制作進行をはじめ声優、アニメーター、ライター志望、CG担当という5人はとてもバランスの良い采配になっていると感じます。制作進行を主人公に据えることでアニメ制作工程についての見通しをよくし、今やますます重要性を増しつつあるCG担当を投入する一方、それに偏らないようライターなどもあり、新人声優という役もアニメファンにとっては魅力的なものとして機能する。そして彼女らが学生の頃自主制作アニメを作っていた仲間であるという設定も、既存の作品でも取り上げられていた部分を持って来る感じでニクいと思います。この配役は水島監督のキャリアとも深い関わりがありそうですが、このあたりはプロデューサー側の采配もあるのか、それとも水島監督によるものでしょうか。

なお、TVアニメやOVAでのアニメ回についてはここでとり上げた以外にもあると思いますが、自分の知っていて心当たりのある範囲では大体これが全部だと思います。長くなりましたがそれでは今回はこの辺で。
 
(追記1)2014.9.11 
TVシリーズの『ミンキーモモ』第二作にあたる『魔法のプリンセスミンキーモモ 夢を抱きしめて』(1991~1992)、通称「海モモ」の1エピソードもアニメーターが主人公の話と聞いたので追記します。
首藤剛志さんがWEBアニメスタイル連載のコラム「シナリオえーだば創作術」この回 で触れていましたがまだ見たことが無かったので見てみました。
リンク先でも触れられているように演出家の石田昌平さんの追悼エピソードとして制作された回で、プライベートフィルム的な要素も強いですが、生前の石田昌平さんの原案を作中のエピソードに取り入れているのに伴い脚本クレジットも首藤剛志さん石田昌平さんの共同表記。石田さんと重ね合わせる形で、死に瀕したアニメーターである一人の男を主人公にしており、彼が自らのキャラやモモに見送られながら月夜をバックに夢列車に乗って空に去っていく、昇天の美しいシーンで締めくくられます。彼の死の一因としてはアニメ制作現場の厳しさも描かれますが、そこが主眼にあるわけではなく、夢敗れ死んだ彼を悼むのと並行して彼の夢が継承されていくという要素も入っており、石田昌平さんという実在のアニメーターを悼む内容であるという外部的な文脈なしでも感動させられるような名エピソードでした。できればこれを機に『ミンキーモモ』のシリーズも通して見てしまいたいなと思います。そして『ミンキーモモ』の原案やメインの脚本でも活躍しこの話の脚本やコラムを書いた首藤剛志さんも今や故人になってしまわれました。ここで冥福をお祈り致します。
 
(追記2)2014.9.24
記事内でナベシンについて書いたのですがナベシンが監督した『へっぽこ実験アニメーション エクセル♥サーガ』(1999~2000)、でもアニメ制作回、というかアメリカを舞台にしたジャパニメーション回がありました。
  • 『へっぽこ実験アニメーション エクセル♥サーガ』17話「アニメーションUSA」(脚本:倉田英之 絵コンテ:別所誠人 演出:平池芳正・福多潤)

あんまりアニメ制作の描写もないので入れなかったのですが一応アニメ回なので書いておきます。エクセル演じる三石琴乃本人でセラムン(の月野うさぎ)パロやってたりネタ的な見所は満載、この頃のやりたい放題やってた(今も?)ナベシン節も楽しめる。脚本書いた倉田も後にホントにアメリカ行ってそれでルポ書いたりしてましたね。

ついでに、アニメ制作の描写があるだけなら『おたくのビデオ』2話とかも浮かびますけど、あんまり関係ないですね。

(追記3)2015.1.17

アニメ業界漫画に関して追記です。

上井草アニメーターズ (1) (カドカワコミックスAエース)

上井草アニメーターズ (1) (カドカワコミックスAエース)

 
新しく見つけたアニメーター漫画を追記。他にも畑健二郎が同人でやってた声優漫画がアニメ化したりするみたい。エロゲ業界漫画だけでも可視範囲で複数出てきてるし、全体にお仕事モノとしての業界モノの機運の高まり?
たまにアニメーターの同人誌とかに、原画マンや制作進行を主人公にした漫画みたいなのが載ってたりするのも見るので、業界モノをやりたいって人は少なからず居そうですね。
『SHOROBAKO』の所為もありか、こち亀でもアニメーター回がありましたね。『SHOROBAKO』はくじアンみたいに劇中劇もアニメにするとか。
もし『MAICO 2010』みたいにアニラジをアニメ化するとかがあるなら渡会けいじ先生の『O/A』やって欲しいかな。でもあれは声優じゃなくてアイドルか…。
ハケンアニメ!

ハケンアニメ!

 
アニメーションの基礎知識大百科

アニメーションの基礎知識大百科

 

『セーラー服と機関銃』(1981年)感想

 

セーラー服と機関銃  デジタル・リマスター版 [DVD]

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 たまにはアニメ以外の映画の話でもしたいと思います。

相米監督の映画は初めて見たがカットの切り返しなどほとんど使わずに超ロングからの長回しを多用するスタイルに驚かされた。佐久間と主人公が二人が屋上で組の墓を全て燃やすクライマックスとなるようなシーンも望遠で撮影した俯瞰の超ロングショット。マユミと泉二人で歌うシーンやEDで街を歩くシーンも望遠レンズで超ロングで、先鋭的な表現。そういった印象的な表現が生っぽさを出したりしてこの映画自体の雰囲気に結び付いているかもしれない。かなりの手間をかけてあえてそういう撮影に踏み切るというところに思い切りを感じる。

特に前半がそうだが、手前に木の葉や金魚鉢などオブジェクトをナメたり窓や掛物を通した形での超ロングショットで、カメラがじっくりと回り込んでいくような画面が特徴だと思う。

仏像で泉や高校男子三人組が騒ぐシーンもかなりの長回しだが、そこから更に暴走族のバイク疾走の長回しシーンまでカット切り返し無しに繋いでおり5分以上の長回し。バイクの荷台から後ろ向きにカメラを向けて撮影したんだと思うけどここまで思い切った処理は凄い。バイクシーンもそうだが、アフレコでの音付けをしており、エコーをかけているような処理も多かった。考えてみればロングを多用する以上録音はしにくいのでどうしてもアフレコにせざるを得ないだろう、という話だけど。

玄関の覗き穴の魚眼レンズから主人公の魚眼POVショットへの切り替えは、エコーの掛かった台詞ともあいまって動揺した現実感の伴わない主人公の心情の表現なのではないかと感じる。

前半のカフェで泉が記者と話をする場面、記者が泉にマユミのことを尋ねる瞬間に、その決定的さが演出されるかのようにBGMがシャットアウトされカメラがイマジナリーライン越えのように180°回り込む。こうした変化の付け方が上手い。

全編にわたりロングショットの多用があるが、カフェでの会話シーン、海辺のセットでの食事シーン、そして最後の死した佐久間とのキスシーンなどのシーンには主人公の心情に寄るアップショットが使用され、抒情的なBGMとも合わせ使われる。節目となるところでポイントとしてアップショットを使用し、ロングとの対比で効果的な見せ方になっている。

冒頭でめだか組メンバーの殴り込みを止めていた泉が自ら決起し殴り込みをかけに行くシーン、ヘロインのローションを機関銃で粉砕しながら泉が叫ぶ「カイ・カン!」のフレーズ。この「快感」は太っちょの語る、「死の恐怖と肉体の旋律が入り混じった」ものとも通じるものはあるのだろうか。この映画を飾る有名なシーンだが、セーラー服で機関銃を放つシーンは映画内でここだけ、しかもそのとっておきのシーンに1回のみじっくりスローモーションを使っており、否が応にも印象深いものにしている。

一方、クレーンにより泉がセメント漬けにされるシーンや太っちょにより地雷の上に立たされるシーンなどは客観的なロングショットのためかどことなくドリフのようなバラエティ番組のセットのように見えてしまった。「人生はクローズアップで見ると悲劇、ロングショットで見ると喜劇」というのはチャップリンの言。超ロングで表情がよく見えないというショットも多かったが、それが悪目に出ているということかもしれない。

薬師丸ひろ子演じる泉の服装がコロコロ変わるのは角川のアイドル映画としての側面からだろうか。セーラー服だけでも複数バリエーションがあった。初登場シーンからいきなりブリッジだし、二日酔いになるところでは匍匐前進したり、独特の演技指導も際立つ。そういえば『ウテナ』の橋本カツヨ回でウテナがブリッジや屈伸していたのを思い出したが、おそらくカツヨさんも『セーラー服と機関銃』の影響でそういう処理にしたという話だった。細田守相米監督に影響受けまくっているらしいし。

泉が強姦されかかるシーンなど随所でかかる音楽が笙の雅楽というのも面白い。じっくりヒコの手当てのシーンを撮った直後にあっけなく射殺されるヒコ、という一幕も刹那性を際立たせる感じでこの映画らしい。

太っちょの基地のセットは、臓物らしきホルマリン漬けがあったり台形の扉だったり多分に東映特撮のそれを彷彿とさせるものでチベット仏僧のような敵人員や太っちょの義足など相まって、ここだけ雰囲気がかなり浮いていると感じるが、それもこの映画の、カルト的雰囲気には資していると言えるだろうか。そういえばあの海辺のセットは背景合成とかではなく実際に海辺に組んだのだろうか。

薬師丸ひろ子もそうだが、敵ボスを演じた寺田農も、マユミ を演じた風祭ユキも良い演技をしていた。

しかし、この映画は少女の初恋、青春を切り取ったものであるけど、反面相米監督の実験的な手法も目立つしカルト的な雰囲気を纏っていたりとかなりコアなものだろうので、薬師丸ひろ子の主演やキャッチ-なタイトルやコンセプトなどの求心力はあるものの、角川映画としての宣伝やプロデュースがなければここまでのヒットを見込み、一本のカルト映画として以上の人気と支持を獲得することもなかったであろうとも思う。

次は近い内にまたアニメについて書こうと思います。

アニメルカ特別号『反=アニメ批評 2014summer』に寄稿させて貰いました。

http://animerca.blog117.fc2.com/blog-entry-47.html

TVアニメ『彼氏彼女の事情』の演出について
――セレクティブ・アニメーションの美学
桐原

とあるように、故あって(「桐原」名義で)『カレカノ』について書きました。

 

放映から15年経って、アニメ批評のトレンドもボカロやアイドルモノや3DCGになって来ているのに今更にして『カレカノ』です。自分だけ10年前のパラダイムに属している気分です。去年『フルバ』や『ウテナ』と同じタイミングでニコ生一挙やった時に『カレカノ』熱が再燃したのもありますが、ここに来て自分の中でちょっと『カレカノ』を振り返る必要があると感じたのもありました。一つは(少女)漫画のアニメ化という観点から、もう一つはTVアニメ時代(新劇EVA以前)までの庵野監督の作家的側面、そしてリミテッドアニメとしてのスタイルに関して。

ところで、情景などを用いた『カレカノ』の心象風景描写が京アニ新海誠に影響を与えたというのはどこまで本当なのでしょうか、長井龍雪監督は『とらドラ!』の際に『カレカノ』を方針に据えたという話はあったりしますが。

お話についてはほとんど触れず、映像スタイルに主に着目して書いています。他の記事の方がよほど充実した内容かと思うので、そのついでにでも読んでいただけると有難いです。

『六畳間の侵略者!?』OPについて少し

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上記のツイートの内容だけでほぼ済むような内容ですが、大沼心が絵コンテ・演出を担当したこのOPのカード引き、画面垂直に白線を引いて画面に奥行きを出すというあまり見られない表現は、

下記の記事で取り上げられている内容からインスパイアされたものではないか?という仮説(既出かもしれませんが)。

アニメGIFに縦線2本を入れるだけで3D化できることが話題に http://takao.asaya.ma/article_5307.html

主人公の視点でヒロインを切り取った枠、そしてカードの枠を体現するものとしての白線の表現ですが、背景と合わせて画面に遠近感を生んでいます。

個人的には、デジタルネイティブなクリエーターである大沼心さんらしいアイディアの取り入れだと考えます。

カード引きも、現時点(3話まで放映)のアニメ本編で主要な道具立てとして取り上げられるものですし、OPでもこのパートは四者四様のリアクションが楽しめるものになっています。

OP自体については、賑やかな雰囲気を保ちキャラを順繰りに見せて行き、目のアップのカットを挿入したり独特の色彩で見せる、大沼心らしい構成およびディレクションですが、

4人のヒロインを順番に見せて行くにあたり、視点やキャラ配置を360°回転させるという手法を用いています。特に、カード引きのパートでは主人公を中心にヒロイン達の回転、後半のヒロイン歌唱パートでは卓袱台を中心に4人のヒロインが回転という具合ですね。

 

アニメ本編自体も、ゲームシナリオライターとして著名な健速先生の原作にヤスカワショウゴ氏ら脚本の力もあり、コメディとして楽しみな作品です。