highland's diary

一年で12記事目標にします。

『君の名は。』と『彼氏彼女の事情』とその他について【後編】

 

highland.hatenablog.com

 元々一本の記事として書くつもりでしたが長さの関係で二本になりました。更新が遅れたのですが、後編は前編とは違った切り口での話です。『君の名は。』についての記事は、これで一旦完結です。

今回はまず、少しだけ『とらドラ!』(2008年、長井龍雪監督)の話に触れます。

■『彼氏彼女の事情』→『とらドラ!』→『君の名は。

新海さんが『エヴァ』について話していた上記(【前編】の記事)のインタビューが掲載された『月刊アニメスタイル 第一号』(2011年)において、巻頭特集が組まれているのが『とらドラ!』。

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偶然の一致か、この特集記事の中でも庵野監督の『彼氏彼女の事情』の話題が出ている。

長井:[『とらドラ!』について]最初は「萌えもの」というジャンルのものだと思っていたんですが、原作をいただいて読んで「あ!これは少女マンガかも」と思ったんです。その時に『カレカノ』が思い浮かんで、『カレカノ』みたいにしたら、面白そうかも」と思いました。それまでは、木村真一郎さんに習った王道フォーマットで作ってきたんですが、今回はそれを捨てて、少女マンガ文脈でやってみようと考えました。
小黒:『カレカノ』は少女マンガを、少女マンガ文脈でちゃんと映像化した作品だったということですね。あれが初の成功例だったかもしれない。
([]内引用者. 引用者により原文括弧内の記述省略)
なお『カレカノ』は長井監督がJ.C.STAFFで仕事をする数年前に同スタジオが制作した作品であり、長井監督のもう一人の師匠筋であるカサヰケンイチさんも演出時代に参加している。
また、そもそも原作の『とらドラ!』も『カレカノ』も、「それぞれ家庭環境や生い立ちに問題を抱えた二人の男女が、ひょんなことからお互いの秘密を知ってしまうことから関係が生まれる」ことを起点とした話で、これら二作品はある程度共通点を持っているといえるでしょう。だからここで参照元として上がったというのも、それほど唐突な話ではありません。
それはさておき、『とらドラ!』において長井監督は「少女マンガ文脈を用い」、それまでと違う作風を試みた。そしてその後『とらドラ!』と同じメインスタッフ(長井×岡田麿里×田中将賀)のもとに、手法的にはある程度共通しながら、より地に足付いた題材の『あの花』(2011年)『ここさけ』(2015年)の二作を手がけることになる。

他方で、『とらドラ!』といえば新海監督が度々好きなアニメとして公言しているタイトルでもある*1Z会のタイアップCM『クロスロード』でアニメーター:田中将賀さんと組んだ理由も、一つには『とらドラ!』や『あの花』のような作品が、(深夜アニメの部類ながら)「メジャー感」を獲得し「若い年代の人たちへの訴求力」を持っており、その特性が(10代の受験生に向けた)「Z会」という題材に適合していたことにある*2


Z会 「クロスロード」 120秒Ver.


君の名は。』(2016年)においてキャラクターデザインを担当した理由も、これに近しいものがあるだろう。じっさい、田中将賀さんのデザインに見られるアニメ的なポップさと肉感は、これまでの新海作品に見られなかったような種の存在感をキャラクターに与えている*3

2011年の『アニメスタイル』で、互いに独立した特集記事においてとり上げられた新海誠さんと田中将賀さんが、5年後の2016年にタッグを組んでオリジナル大作映画を手がけることになる(しかもオリジナル企画『ここさけ』が公開された翌年)とは当時は誰も予想していなかったはずで、こういった人の流れは作品とは直接関係ないことだけれども、一つの興味深い事実だと思います。

■そのうえで『君の名は。』について

田中将賀さんがキャラクターデザインを手がけているというのもあるかもしれませんが、『君の名は。』には『とらドラ!』チーム=超平和バスターズの手によるアニメを彷彿とさせるようなところもありました。実際、影響を受けているかどうかはともかく、キャラクター寄りだったりいわゆる「アニメ」的な作りを残しつつも、一般性のある長井監督らのスタイルは一つの指標にはなっていただろうと思う*4

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君の名は。』の描写で言うと、漫符を使ってみたり、羞恥を覚えるようなシーンをコメディタッチで見せたりというような手法もそうだけど、たとえば気心の知れたコミュニティの内での居心地の良さを描くという部分も共通して感じられる部分ではあった*5

しかしそこへいくと『君の名は。』はコメディとしての黄金律や、107分で語らなければならない物語の経済性を優先することで、キャラクターのリアリティはある程度犠牲になっているとは感じた。その点で、『ここさけ』『あの花』のような作品とはだいぶ温度差があると思う。

たとえば三葉が都会に憧れていて、その次の場面で(夢の中で)瀧の肉体に入って東京行ったときにカフェ行くのが実現するという流れは分かるんですよ。しかしはたして男子高校生三人が学校帰りに、女の子が憧れるようなファンシーなカフェ行くか?ということにはなりますよね。

瀧は体育会系気質ながら、建築や写真に関心を持つやや繊細なところもある男子高校生だけど、遊ぶところとバイト先だけが月9ドラマみたいなリアリティになっているのは骨折していると思う。
これは思い切り仮にですが、「東京の高校生になったけど帰りにラーメン二郎に連れて行かれて、めちゃくちゃ食べさせられてギャップに幻滅した」とか、そういうのも一つの作劇としてアリたと思うんですが、その種のギャップについてのリアリティはないんだなと感じます。

糸守の描写のある種誇張している部分や、それに対する東京の淡泊さに関しては、意図的にやっているのだと思うけれど良くも悪くも「幻想としての田舎」「幻想としての都会」という印象を受けました。

加えて、映画前半は入れ替わりのコメディになっていて、中身・性別の違いをギャグにしているとこは面白かったけれど、最終的にミュージックビデオ進行でダイジェスト的に見せていて、そこでストーリーを一旦断ち切っている。入れ替わりのコメディについてはコメディで完結させて、あまり本筋に絡めないというところはあり、そういった点でも違いを感じる。

■『君の名は。』とミュージックビデオ

『君の名は。』『聲の形』『この世界の片隅に』ーー 最新アニメ映画の音楽、その傾向と問題点について | Real Sound|リアルサウンド 映画部

 ミュージックビデオ進行について。

上掲の記事を読むと、「曲のボーカルと台詞とを同時に被せるのが良くない」という観点から批判しているけれど、そもそも「歌詞を聴き取らなければならない」というような命題はないのであって、あまり本質的な批判になっていないと思う。だいいち、挿入歌が4曲あるといっても歌詞と台詞が重なって聴こえるのは「スパークル」の流れるシーンだけだし、そのシーケンスですら、ボーカルパートと台詞がなるべく重なって聴こえないように配分パートを分けていた。こういった点について上の記事は無配慮に書いている。

とはいえ、『君の名は。』がミュージックビデオ的な進行をとっていることについては、上の記事とは別の観点から批判できる。具体的には中盤に「前前前世」がフルで流れてミュージックビデオ風になるシーンがあるけど、中盤のああいうシーンでストーリーを進行させながら使うのはダメだと思う。

なぜなら、挿入歌を流すというのはときにすごくいい相乗効果を生むこともあるけど、ミュージックビデオ的にカットを割る進行にすると、曲に引きずられてシーン全体のエモーションが一種類に統一されてしまうので、映像が進行を追いかけるだけになり、ドラマの発展性がなくなります。だからそれまで続いていたドラマの流れが停滞し、弛緩した時間が続いているといった印象になってしまう。
オープニング映像についても、前後のストーリーとは独立して何の必然性もなく曲が流れるので予告編を見せられてる感じになって良くない。映画序盤に製作のテロップを出し曲を流す必要はあっても、前後の筋書きと関係ないオープニング映像を挟む必要はない。確かに映像的な快楽はあるけれど、快感原則に流されるだけでは映画は成立しないということも、我々は経験的に知っています。

RADWINPSとのタイアップで曲を入れるという側面ももちろんあの映画にはあったはずで、それはそれで否定されるべきものではないけれど*6、『秒速5センチメートル』のラストのような、映画全体のエモーションを示すシークエンスじゃない限りミュージックビデオ進行は基本的に使うべきではないと思います。

■『秒速5センチメートル』音楽について

そもそも「ミュージックビデオな作り」との評価が新海監督になされたのは『秒速5センチメートル』が最初であり、そしてまた、『秒速』はそのような作りを採用することにおいて先鞭をつけた面があります。傍証として、やや長いけれども『新海誠美術作品集 空の記憶』(講談社、2008年)巻末でのインタビュー記事を引く。

――『秒速~』ではシンプルなものを作りたかったとおっしゃっていましたが、山崎まさよしさんの「One more time, One more chance」に合わせて風景が羅列される、あのクライマックスの演出はとても印象的でした。あえてストーリーを描かず、イメージを積み重ねることに徹することで、観ている人間に自分の中の感情を想起させるという手法は、商業アニメーションの表現として、可能性が広がったのではないかと思うんです。

 

新海:あのシーンについては、やるべきかやるべきでないか、ずいぶん迷ったんです。最後の大きな部分を観客にゆだねるような手法を、商業映画でやっていいのかどうか、と。たとえば『スター・ウォーズ』のような映画なら、作品の中に確固とした世界観が作られていて、観客は映画を観ながらその世界の中に降りていって、そこで与えられる物語を楽しむわけですよね。わりと一般的なエンターテインメントのあり方です。でも『秒速~』はそういうタイプの作品ではない。だとしたら違うやり方で終わらせたいと思ったんです。観客が作品世界の中に降りていって楽しむのではなく、作品が観客の中に手を伸ばして、何かを引きずり出すような。そのためにクライマックスの演出では、物語としての側面をあえて抑えて、観客が普段見ているような風景を音楽に乗せて連続して見せる形にしました。
だから、あのシーンはたぶんその人自身を映す鏡のようなものだと思うんです。〔中略〕『秒速~』のラストはあのような形をとる必要があったと、僕としては今は確信しています。

『秒速』の場合は、映画全体のエモーションを山崎まさよしさんの歌とモンタージュによって総ざらいし、象徴的に示すという使い方で、これは挿入歌を一回のみ使うという条件のもとで上手く成立している。貴樹や明里の、その場での感情と無関係に突然音楽が流れるのである意味「掟破り」なことをやっているんだけど、それは物語を締めくくる上で必然性があったと言えます。

(更に言うと、『秒速』は「One more time, One more chance」とは別にエンディングにインスト曲「想い出は遠くの日々」を用意しているのがポイント。テーマ曲ともいえるこの曲が映画中に流れるのは第一話「桜花抄」において二回と、エンディングで流れる一回の合計三回。『秒速』を見た人が結構その余韻を引きずってしまうのは、一つにはエンディングでこのテーマ曲が流れることで、最初の「桜花抄」の記憶に引き戻される気がするからでしょう。山崎まさよしのエモーションで締めくくらせてくれないんですね)

そして『言の葉の庭』ではクライマックスからエピローグに流れる情景、エンディングにかけて主題歌を被せるという手法をやった。これもある種『秒速』で試みたことの延長線上にあり、それぞれ映画においてフィーチャーされている主題歌を劇中で流すことで、映画全体のエモーションを歌に委ねていた。そしてそれはやはり、歌を最良のタイミングで一回きり流すということではじめて効果を発揮するものだった*7

以上のように、ミュージックビデオのような進行をすることは、必ずしも映画においてプラスにならず、あまり濫用すべきではないです。ですが、『君の名は。』におけるそれが、全面的にダメだったとは思いません。

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個人的には、ティアマト彗星落下の場面で 「スパークル」の流れるところなどは凄く良かったと感じました。停電で村の灯りが消えていって、世界中で皆オーロラのような彗星の眺めを共有するという美しい場面。山頂のクレーター上での円運動と、彗星による線運動・分岐のイメージ。そして三葉らの奔走とは裏腹に記憶が消えていき、同時に災厄が迫ってくる。ここでロマンチックな曲をかけるというのはある種、対位法ぽい使い方だと思うんだけど、とにかく色々な感情がこの一連の場面には入っていて、ハイライトとなるこのシーンを統一するにはあの挿入歌をかけるのがベストだったと思う。

まだあまり上手く言語化できないのですが、この「スパークル」については良い相乗効果を生んでいたと感じます。これがあっただけでも良かったと思うんです。

 

とらドラ! Blu-ray BOX

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君の名は。(通常盤)

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One more time,One more chance 「秒速5センチメートル」Special Edition

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*1:新海誠監督のおすすめアニメ【あにこれβ】2016年10月2日閲覧

*2:「クロスロード」のときの田中将賀さんとの対談(同人誌「学生応援的CM制作記録集」)での、新海監督の発言「僕たちが「うる星やつら」とか「タッチ」とか自分たちのロールモデルとしての高校生活をアニメに投影していた作品が、2000年代でいうと「とらドラ!」や「あの花」なんじゃないか、という感覚があったので。それもあって自分の憧れや興味とは別にして「Z会」という題材に田中さんの絵柄はぴったりくるかな、とは思っていたんですけど」

*3:もちろんのこと『君の名は。』の作画面におけるもう一人の立役者としては作画監督:安藤雅司さんの存在が大きいですが、ここでは話題の関係から触れていません。参考:君の名は。についてのメモという名の叫び - まっつねのアニメとか作画とか

*4:『あの花』『ここさけ』のヒットは、コアなアニメファンだけでなく一般層へもアピールすることに成功したからというのが理由としてある

*5:君の名は。』はアニメ映画としてはそこそこ珍しくオープニング映像もありましたが(1コマの使い方が格好いい)、バックショットでの振り向いてポーズや、時間経過、小道具、シンメトリーのレイアウトなど、長井龍雪さんの演出されるOPを思わせるようなものだった。参考:長井龍雪が描くOP/EDの演出的魅力 その1 - OTACTURE

*6:思えばOVAシリーズ『フリクリ』(2000年)も『君の名は。』と同様に、音楽面において特定音楽グループ(the pillows)と全面的にコラボしていて興味深いけれど、『フリクリ』の挿入歌は、1話ごとに盛り上がりと見せ場を作らなければならないOVAという形態ならではのものであるともいえる

*7:雲の向こう、約束の場所』『星を追う子ども』ではエピローグからエンディングにかけて主題歌を被せているけれど、シーンの流れは連続しており、これを「ミュージックビデオ的」と受け取る人はごく少数だと思う

MADOGATARI展 Tokyo Encore

25日までやっていたMADOGATARI展のTokyo Encoreに先日行ってきました。去年もやっていたのですが、行けたのは今回が初めてです。

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シャフトといえば斎藤千和さん、という感じがします。

前回東京でやったときの概要などは以下のレポ記事などで見れます。

シャフト40周年「MADOGATARI展」レポ 『まどか☆マギカ』新作映像も - KAI-YOU.net

シャフト40周年となる去年から全国でやっていて、もう全日程終わってしまっているのですが、12月には金沢でMADOGATARI GALLERYがあったりするようです。

 以下はその展示を見てきての感想です。

展示内容

・展示で最初に通るのが歴代シャフト作品キャラクターで全面に彩られたウェルカムトンネルで、ちょっと壮観で感動。

入場時の窓口で見せられるのがオリジナルのマナームービーで、まどかと物語シリーズのキャラがコラボして、レトロゲーム風の画面でマナー解説している動画なのですが、こういったマニアックなディティール部分にちょっと驚かされる。

 

・展示自体を見て思ったのは、展示してある資料とは別に展示の仕方が凄く凝っているということ。

・まず、展示の仕方でプロダクションデザインを作っている。物語シリーズのブースだと原画集と同じように黒バックに赤、まどかだと全面が白バックの空間に 原画やタブレットディスプレーが絵画枠にはめ込まれて展示されている(11話のこれ↓風に)。

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・あとは観客の目線の位置と関係なく壁一面にずらっと原画やレイアウトが並べられてて、一個一個の見やすさではなく全体としての景観、見え方重視の見せ方だと思う*1。コンセプトに沿って凝りすぎて、逆にちょっと見づらくなっているとこ含め「シャフト」な感じがするw

・あと BGMは会場に流れてるんだけど、劇中で流れてるアニメ本編のムービーに音声がない。極めて客観的に流れる絵を見せている。 この辺がとても「クール」な趣向と感じる。

・加えて、最低限の作品説明以外にキャプションや解説がほとんどなかったということ。これは、制作工程の解説などを制作資料に付与することで、観客の見方を誘導するエキシビジョン(近藤喜文展など)とは対照的だと思う。もちろんこういう展示には、制作スタジオというよりも「まどか」や「化物語」といった作品自体のファンも来るだろうし、マニア含め色々な層のファンが来るだろうのでこうなった側面はあると思うけど、「見る側の自由度が極めて高い」というのは確かに感じた。 その辺が「クール」な印象に繋がっている*2

・実際、エンドカードのゾーンあたりでは「生の素材を雑多に並べた」というような趣向になっていたりして、ガラス台の中に 色紙、アフレコ台本、絵コンテ、設定メモなどがごちゃまぜに展示されていた。 昔のシャフトの撮影台とおぼしき器具もあったけどこれにも解説はなかった。でもそれが不満と感じることはなく、それ含め展示の仕方なんだなあと思えるところがあった。

・なお図録を見ると、会場の場所と空間によってデザインは変えているとのこと。前に東京でやったときは天井にまで原画貼って展示していたみたいで、凄いサービス精神だと思う。
・展示のコンセプトデザインはブックデザイナーとして知られるミルキィ・イソベさんが手掛けているとのこと。こういう人の名前にも、注目していきたいと思えました。

・今回の目玉でもある特別上映の『惑語』は、物語シリーズのキャラがまどマギ魔法少女だったらどういう属性になるか?というのの紹介ムービーで、本の見開き風の特別なデュアルディスプレーで展示しているのが面白かった。でも「設定を見せる」という側面が強く、映像的には一回見れば十分なものだった。

まどマギ新作のコンセプトムービーはバレエというもあって、プリンセスチュチュを彷彿とさせるものだった

以下、細かい感想(読み飛ばし推奨)

・『エトレンジャー』以後のほぼ全作品が置いてあった。『エトレンジャー』はセル画や設定画。『ドッとKONIちゃん』『G-onらいだーす』『この醜くも~』『桜通信』などはさすがになかったけど、それ以外はほぼ全てあった。
傷物語吉成鋼さんの原画が見れたので良かった。というか思ったより吉成曜さんの原画が多かった。『ネギま!?』と『ぱにぽに』『まりほり』のOPに加え、『まほろまてぃっく』のまで一枚置いてあった(セル画つき)。セレクションをやった人はマニアだと思う。
・伊藤良明さんの「ルーレットルーレット」の原画とか見たかったけど流石になかった。
・新房さんの絵コンテは『ネギま!?春』と『ひだまりスケッチ×365』12話『ひだまり特別編』(七夕の青虫のくだり)があった。あとはまどかのコンセプトムービーのコンテ。『ネギまOVAと『ひだまりスケッチ×☆☆☆』1話のアバンはクレジットされてなかったが少なくとも一部新房さんが描いていたのが分かった。
・「するがモンキー 其ノ參」の対レイニーデヴィルのとこの原画は生で見ると凄かった(複製原画だったっけ?)
・やはり『絶望先生』の絵コンテが一番密度高かった。山村さんの絵コンテ。「ここの素材は原作のこのコマから」 みたいな指示が頻繁にあるのが興味深い。
・ 『三月のライオン』はキャラ設定が置いてあった。
・ 『化物語』10話のあおきえいさんの絵コンテは思ったよりずっとあおきえいさんそのままの絵コンテだった。
・ 『化物語』1話と2話の絵コンテがあった。武内さんの。尾石さん新房さんの修正が結構入っているだろうけど展示を見る限りでは武内さんが描いているようだった。
・ efのPVの大沼さん絵コンテはキャプションがデジタル入力だった。PVの絵コンテ大沼さんなのは初めて知った。
・ 『月詠』の草川さんのOP絵コンテ。テロップ指示もコンテに描きこんであった。
・『月詠』 ED絵コンテはクレジットなかったけど新房さんでほぼ確定だと思う。 文字やペンタッチが新房さんのそれ。
・『荒川』 OP2の山本沙代さんの絵コンテは一人だけサインペンで描いてあって、ポップな絵柄と相まってひときわ目立っていた。
・『ダンスインザヴァンパイアバンド』の漫画家の人が描いた1話の劇中劇絵コンテとか面白い。
・ 『鬼物語』の絵巻物のとこの生原画(紺野大樹さん)がずらっと並んでるのは圧巻。
物語シリーズの何かだったか。 雲のセルの引きスピードをカット内で二種類分けていたりした。
・原画も見ていると「ポスタリゼーションの処理」「セルバレしないようにそれぞれの紙の大きさ分くらい作画お願いします」「このフォルムに合わせなびきA2A3お願いします 」など詳細な指示を読んでいくのは面白さがあった。
・『REC』の中村隆太郎さんのOP絵コンテは、パステル調の水色や赤など色鉛筆使って優しいトーンで描かれていて、これだけでも見れて良かったと感じる。
・『俗・絶望先生』の錦織さんの絵コンテ「リリキュアGO! GO!」のやつがあって、ラフなタッチだけど可愛く描けていた。
・あと面白かったのは『絶望先生』の尾石さんのOPのこのカット。

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原画を見ると、「ニンプが着物を着るのは特に難しい訳ではないみたいで、帯をきつく締めたりしなければ大丈夫なようです。今回は特に少し上の方に帯を締めています(リサーチ不足等あるかもしれないですが…)」という演出の尾石さんへの指示書きがあったりして、「そういうところに気を遣っていたのか」というのが興味深かった。

シャフトスタジオについて

・21世紀に入った時期から、アニメ制作がデジタルに移行し、撮影・仕上げ工程によって画面の出来栄えが左右される面のウェイトが大きくなった。そこで、撮影・CG部門など含め自社で制作体制を一貫して管理できる会社は強みを活かせることになり、'00年代にはJ.C.STAFF、シャフト、京アニ、ufortableなどの(自社で一貫して制作を行える)制作スタジオが頭角を表すことになった。

・2004年からシャフトで制作を始める新房監督は、自身の強烈な演出的個性のもとに、デジタル処理に強い大沼心さんと、グラフィカルなデザインおよびカッティングセンスを強みに持つ尾石達也さん(を初めとする若手演出家)を従えてシャフトスタジオのカラーを作っていく。2009年には『夏のあらし』二期を最後に大沼心さんがシャフトからシルリンに活動拠点を移し、『化物語』で満を持してのシリーズディレクターを務めた尾石達也さんが『傷物語』制作のため2016年まで潜伏期間に入る。これによって、強烈な二大個性を失うことになり、2009年はシャフトスタジオにとって一つの大きなピリオドを迎えた年だと思います。

参考:【ぷらちな】アニメ新表現宣言!新房監督作品の奥にアニメ表現の最先端を見た!『さよなら絶望先生』シャフト《前編》

 

・「MADOGATARI展」のパンフレット(2015年時点でのやつですが)を読むと、以前からも度々インタビューなどで話題になっていた「シャフト演出マニュアル」についての話題が。もともとシャフトでシリーズディレクターをやっていた宮本幸裕さんが各話演出の人に「新房演出」「シャフト演出」のルールについて共有するためにまとめたレギュレーションであり、 おそらくレイアウトのとり方や、「アップとロングの入れ方」みたいなののことだと思うのですが、最近では新房さんもこういう自身で課したルールにあまり縛られていないとのこと(この話自体、他のインタビューでもしてましたが)。
その「ルール」というのが具体的に何かは分からないけど、たとえば以下のようなものが含まれるだろうことは想像が付きます。

「限られた時間と人手の中で、生理的に気持ちいいものを『安全に』追究していった」という新房監督。たとえば、同じ場面でキャラクターが会話するときには、アップで入れるのは1人。2人以上を同じ画面に入れる際には、ロング(遠景)にする。それはアップにした人物の様子を、細かい絵の動きで見せなくても良いからだという。そして、会話をさせるときには、しゃべるキャラクターが変わるごとにカットを変える。その早いカット割りが、観る側からすると、テンポ良く新鮮な印象に映るのだ。

ASCII.jp:新房監督のアニメ論 「制約は理由にならない」 【前編】 (1/4)|渡辺由美子の「誰がためにアニメは生まれる」

『荒川』のときだから、2010年の記事ですね。このときまではこうしたルールは適用されていた。で、こういったルールは近作の『ニセコイ』や『幸腹グラフィティ』とかを見るとそれほど守られていないように見える(もちろん、題材上そういうのが必要じゃないからというのもあるでしょうけど)。こういうところからも、近年の変化というのは伺えると思います。

 

・「MADOGATARI展」という名前に出ているけれど、シャフトのヒット作が『化物語』と『まどマギ』の二大巨頭であるというのは確かな事実としてあって、アニプレ&岩上Pが噛んだこの二作で大ヒットを飛ばしてるけど、逆に言えばそれ以外は(ひだまりなど原作ファン人気は根強くとも)興行的には鳴かず飛ばずなところがどうしてもあります。
ただ、シャフトは一作一作に対しどのようなスタイルを打ち出していくか、原作とのすり合わせで考えて作っていく姿勢があるのが美点だと思います。なので、オリジナルの企画は進めつつ、今後も堅調に原作ファンに受け入れられる作りを模索していくのが一番じゃないかと(外野のファンという立場から見る分には)感じます。

・「MADOGATARI展」 パンフレットでの新房さんのインタビューでは「自分の『ガンバの冒険』や『宝島』を作りたい」と話していて、新房さんの出崎ファン健在ぶりにちょっと嬉しくなりました。新房さんが全話絵コンテを切る(という)オリジナルの探偵ものや、『宝島』のような2クールのエンタメ作品はいずれ是非見れたら良いな、と思います。

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*1:演出上の指示が多いカットに限って上の見にくい位置に置いてあったりするのはマニア泣かせであった

*2:マクルーハンのいうような意味での「クール」とは違っていますが。

『君の名は。』と『彼氏彼女の事情』とその他について【前編】

※『君の名は。』についてのネタバレを含みます

主にディティールについての雑記です。公開初日に見て、それから一ヶ月くらい経って記事を書くというのも何だかなと思いますが、思い付くことがあったので。確認しましたが記憶がおぼろげな記述もあるのでご容赦ください。本編のキャプは基本的に予告編から持って来ています。

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君の名は。』は描き切れていないところもあって決して完璧な映画とは言えないけど、良くできていたと思います。

「世界に対するどうしようもならなさ=思春期のイノセンス」を強調するのではなく、自らの行動により運命を主体的に分岐させ、選び取っていく高校生の姿が描かれていて良質なジュブナイルとなっていました。

「男女入れ替わり」とは「究極のすれ違い」とはよく言ったもので*1、その通り相手の身体は知っていても、心の本体には出逢えないことがもどかしさを生みます。実際、映画内で二人が直接接点を交わすのはリボンを渡した電車内と片割れ時の山頂、ラストシーケンスの三回のみですね。

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「入れ替わり」によって直接の接点は生まれないんですが、「相手の視点を通じて相手の周囲の環境や人間関係を知る」というところから相手への好意が生まれているのが面白かったし、良かったと思う。もちろん二人は日記帳の文章を通じて、互いに入れ替わった間の生活を遡及的に体験することによっても相手の内面を把握し、同化していく。

そして好きという感情は「距離」や「断絶」を経ることで憧憬に転化し、より一層加速していく。従来の新海作品と通底するものではあるけど、「入れ替わらなくなる」/「距離が空いていく」ことでより好きになっていく。

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 赤い髪留め=ブレスレット組紐が過去から現在、未来を往還し、つながりを生むモチーフになっている。日常的に身に付けるリボンを小道具に、髪型で変化を付けているのもすごく感じ入ったところ。というところで本題に入ります。

 ■扉の開閉 

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君の名は。』の作中でつごう10回ほど繰り返される、真横からの引き戸の開閉。宮水家の襖と玄関扉、電車ドアのおおむね三種類でしょうか。

一般に映像演出において扉は「開き扉」であれば「運命」や「人生」「段階」あるいは「プライベートな空間を担保する仕切り」、「引き戸」であれば「境界」として使われることが多いと思います。

 本作の場合、引き戸が明確に「境界」として意識されるのは二箇所あり、一箇所目は序盤に三葉が瀧にリボンを渡すところの回想で扉開くカットが入る。二箇所目は再びこのシーンの詳細が回想で語られるところで、扉「閉じる」と「開く」がシーン初めと終わりで繰り返される。

「開く」=「つながる/解放」 、「閉じる」=「絶たれる/閉塞」というニュアンスを含ませられるので、二人の繋がりを描くための演出的フックとしてこれを使ったのだと思います。かつ、特に前半においてシーン転換を1カットで示すことにより小気味いいテンポ感が生まれています*2

この扉の使われ方で思い出すのは庵野秀明監督のTV版『彼氏彼女の事情』(以下カレカノ)。

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彼氏彼女の事情』 (1998) 第22話

カレカノ』 においては、この真横からの扉の開閉カットはBANK(使い回しカット)としてシリーズで何度も使われていた。

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ドアを正面からでなく側面から撮っているため、開けている主体のキャラクターや、どの教室であるかに関係なく使え、BANKとして汎用性の高いカット。

そしてこのようなカットを使っているのには、TVシリーズ特有の理由もある。

TV版『エヴァ』に関するインタビュー*3庵野監督はこう答えています。

――具体的に『エヴァ』でやったのは、どういう事なんですか。
庵野:例えば、余計な段取りを全部抜いていくとかですね。必要な段取りだけで作るとかね。
――キャラクターの芝居で時間の経過や場所の移動を示すようなことは殆ど無いんですよね。歩いて、ドアをあけて隣の部屋へ行くとか。
庵野:うーん。例えば、椅子に座るとか、アニメーターからすれば、ものすごい大変な作業なわけですよ。歩いていく足元を写すとかね。日常の基本動作をキチンと作画するのは、アニメーターにとって、すごく難しいわけなんですよ。ごまかしがきかないから。
(太字は引用者による)

TV版の『エヴァ』と『カレカノ』はコストパフォーマンスで作られていて、必要でない段取りの部分はある程度記号的な表現にたよってでも大胆に省略していく(その分、作画的に見せたい部分には注力する)。そして「動きや芝居で見せずとも効果的な表現を追求する」ということを試み、多彩な表現を生み出していた。

(注:カレカノ』はTV版『エヴァ』の、特にラスト2話で試みられた表現の延長線上にあって、心象風景とモノローグを通じて作品世界が作られている。

もっとも、母性の闇にひたすら沈潜していく『エヴァ』と違って、少女漫画原作の『カレカノ』は自我と格闘しながら殻を破り、相手へと手を伸ばすことが根底にあるから、そこには解放感があるわけですが、ここでは便宜上『エヴァ』と『カレカノ』をある程度同質に扱います

たとえばドアを開けるシーンでBANKを用いているといっても、もちろん全ての箇所でそれを使っているのではありません。

カレカノ』において、シーン転換でドアを開けるシーンは概ねこの三種類の見せ方をしています。

f:id:ephemeral-spring:20160922040650p:plain 単に「ドアを開ける」ようなディティールであっても、場所を中立的に示したいのか、キャラクターの表情を見せたいのか、ピシャッと閉まる音でアクセントを出したいのか……によって、これらの見せ方を使い分けていて、そこに演出の創意工夫が見られます。上の22話のシーンであれば、ドアをバンッと開けて意思表明をする力強さを表現していますね。また、開くだけでなく閉まるとこもあって、そこでもニュアンスをいい感じに出している。

直接の影響かどうかは定かでないですが『 君の名は。』はこの演出を上手くモチーフとして取り込んでいると感じたのでした 。

新海誠と『彼氏彼女の事情

振り返ってみれば、最近はあまり耳にしなくなりましたが、新海誠さんのスタイルは当初は庵野監督のスタイルを部分的に取り込んだものでもありました。

それが誰であれ、演出家としてのスタイルというのはもちろんその人自身の価値観や、世界・人間についての捉え方などが如実に反映されるものではありますが、画作りの上でヒントになって取り込むというのは、キャリアを考えるうえで大きいと思います。

星を追う子ども』公開前に行われた 『月刊アニメスタイル』第1号のインタビューの中で、新海監督はこう話している。

小黒:(……)また別の話になりますが、風景で心象を語りたいという欲求はいつ頃からあるんでしょうか?
新海:何だろう……やっぱり『エヴァンゲリオン』がきっかけじゃないですかね。「そういう画作りがありうるんだ」と知ったのが『エヴァンゲリオン』でしたから。特に、最終2話とか。
小黒:マンホールが映っているカットとかですね。
新海:そうです。よくわからないけど、ライトを撮ったカットとかがあって。それって意味ありげじゃないですか。
小黒:意味ありげです。しかも、ソリッドでシャープ。
新海:あの格好よさは印象に残っています。
インタビューではその後『エヴァ』と並んで写真雑誌が原点にあるという話があったりして、かつ光にまつわる自身の原体験についても語られている。けっこう稀少なインタビュー記事であると感じます。
新海監督はバンダイチャンネル掲載のインタビュー記事でも『エヴァ』ラスト2話と並んで『カレカノ』について触れている*4
実際、上記のアニメスタイルの記事で話題になっている『エヴァ』のそれとそっくりなマンホールのカットを『秒速5センチメートル』で作っているのも面白いですが、それはさておき、新海作品は初期においてはある程度庵野作品のスタイルと通じる部分もあります。
 
第一作『ほしのこえ』が『エヴァンゲリオン』や『トップをねらえ!』を彷彿とさせる設定と内容であることは誰も否定しないでしょうが、それとは別の問題として、演出的にも庵野秀明作品を取り込んでいる部分はあります。いちばん影響がはっきりしているのは、『彼女と彼女の猫』(2000)でしょうか*5
 
心象風景というのを描く上で、どちらも共通して用いているのは「現実の町並みのディティールを取り込み、デフォルメし拡大することで、風景を異化する」手法です。

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ほしのこえ』(2002)
 
たとえば信号や踏切や標識は、日常性と隣り合わせのアイテムでありながら、キャラクターの心情を象徴する記号として出てくるんだけど、それら町のディティールをデフォルメしてレイアウト上に配置することで、視聴者にその存在を強烈に意識させます。
 
最近になって山本寛さんが(従来の新海作品を称して)「『背景』への注力と『作画(芝居)』への敬遠」と いみじくも指摘していましたが*6、元はアマチュア自主制作からスタートした制作環境や、背景描写で世界を描くという姿勢からも、『エヴァ』や『カレカノ』で使っていたような上記スタイルを要素として取り込んだ*7のは極めて相性が良かったと思う。
ただ新海誠さんのスタイルにはもちろん独自の個性や違いがもちろんあり、たとえばアナログアニメにはなかったデジタル撮影での光の表現(赤や青を入れる)などですね。
 

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「桜花抄」『秒速5センチメートル』(2007) での、スペクトル分解されたような光の表現
 
新海作品においては『カレカノ』の「心象風景としての町がある」というスタンスからもう一歩進んで、日常風景の細部の美しさをすくい上げることで、世界の美しさがキャラクターの尊さの感情と結びつき、互いに際立たせ合うエモーションが生まれている(どちらが良い悪いという話ではなく)。
また、キャラクターが風景を見つめるといったシチュエーションで、新海作品においては多くがキャラクターの主観カットでなく風景の中に人物を入れ込ませるように描かれているのも印象的です。
カレカノ』の場合は「世界」と「キャラクター」のリアリティを分離していて、写真のようなリアルな密度の「世界」とマンガ的な「キャラクター」の心象風景とを計算して分けている
 
もちろんTVシリーズと違って劇場アニメのリアリティであるから当然とはいえますが、新海作品がロングショットを基調とし、世界とキャラクターを分離せず「風景の中に配置した人物」を描くのは、何より世界とキャラクターとが不可分なものという価値観があり、両者が一体化する特別な瞬間を捉えたいという確かな欲求があるからだと思います。
 

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「コスモナウト」(このシーンはとりわけ素晴らしい)

■風景/場を共有するということ

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 君の名は。』においても、二人が「吸い込まれるように」景色を見つめる場面が繰り返し出てきます。

キービジュアルにあるように割れる彗星は分岐そのものを象徴していて、それゆえ希望であり絶望でもあり得るのですが、直接的には災厄たる結果をもたらすその彗星を、無条件で「美しい」と肯定してしまえるというところには胸打たれるところがありました。

上に貼った2カットの場面は映画序盤に、大人になった二人の回想としても出てきます。ところが大方の解釈に従えば、三葉が浴衣を着て彗星を見ていた世界線では三葉は生き残れないので、大人三葉がこのシーンを回想しているとすれば筋が通らないことになります。だからここでこのようなカットを入れるのはある種錯覚によるトリックというか、マジックをしかけているのかもしれません。

ともあれ、ここでは二人の視点を相補的に見せていて、違う世界線にいる二人であっても同じ日同じ時間に同じものを見上げて「同じ風景を共有したこと」が、二人の繋がりを生んでいるように見える。それが非常に面白いと思う。

 

ここで自分が思い浮かべたのは新海監督が過去に手掛けた『はるのあしおと』のOPムービーでした。

思い人と別れ都会から田舎に帰郷した後、臨時教師として新生活を始める青年・樹を主人公にしたminori作品『はるのあしおと』。その内容とリンクしてこのムービーでは、主人公とヒロインとの気づかぬ内の結びつきと、出会いへの予兆が季節のモチーフとともに散りばめられている。

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はるのあしおと』OPムービー(2004)


以下は、このムービー制作時に新海監督本人がコンセプトとして書いたというテキストからの抜粋です。 

それぞれ、互いが未来において大切な存在となることをまだ知らずにいるが、その予兆は既に映像中に充ち満ちている。知らずにすれ違っていた駅のホーム、運命の赤い糸のように風に舞っていたリボン、気づかぬうちに同じ道を歩いていたし、同じ景色を眺めていた。樹の手に舞ってきた秋の綿毛は少女たちの手からこぼれたものだし、少女が無邪気に口に入れたナツハゼの実は樹がそっと触れたものだった。木造の校舎から聞こえてくる歌声に、樹は足を止めていたこともある。アパートの下でふと足を止めた少女は、樹が寝転がって聞いていたラジオの曲に耳を澄ませていた。これから出会うことになる大切な人の気配に、それぞれが気づかぬうちに触れていた。

Other voices -遠い声-

「同じ道を歩いていたし、同じ景色を眺めていた」ということが、出会いの予兆として存在し、そしてその人の気配を感じるというシチュエーションが、相手との繋がりに転化するというロマンがここに描かれています。『はるのあしおと』OPは純粋にそのモチーフのみで構築された、その意味でもっとも純度の高いフィルムなのかもしれません。

そしてこの、「同じ「風景/場」を共有することで繋がりが生まれる」というのは新海誠さんの他の作品においても共通するモチーフであって、それが過去の新海作品においては、

ミカコとノボルが地球の思い出を語る「たとえば、夏の雲とか。冷たい雨とか。秋の風の匂いとか。傘にあたる雨の音とか。春の土の柔らかさとか。……」という共鳴のモノローグであり、あるいは雪のように「秒速5センチメートル」で落ちる桜の情景だったのだと思います。

それらは特別なつながりを信じられる思春期の純粋さやイノセンスとも結びついているものだけど、決してそれだけにとどまるものではなく、特に近作においてはより深い部分で価値観として根を下ろしているのではないかと『君の名は。』を見ても感じます 。

 

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君の名は。』において二人が彗星を仰ぎ見る上記シチュエーションは1200年に一度の彗星を見たという一回性・体験性が際立っており、(世界中の人が見ていたとはいえ)それだけで特別なものとしてある。そして当該シーン以外にも、二人は同じ特別な「風景/場」を共有しています。


奥寺先輩と瀧がデートで通る橋を、その後に三葉が通りがかるという風なシーンがありますが、「片割れ時」と同じく「時を隔てて同じ場所にいる」というシチュエーションもこの映画には繰り返し出てきます。「すれ違い」を視覚的に演出するためにこのような見せ方になっていると思うのですが、そもそも「すれ違い」というのは「同じ場所にいながら、時を隔てていたり、心の壁や、現実のしがらみといった障害によって言葉を交わせない」……という状況から起こるもので、やはりすれ違いというのは同じ場を通じて二人を見せることで、特別な意味を持つものなのだと思います。

もちろん、二人は入れ替わりを通じて接点を持つ前から相手の環境を先に体験している、というのもあり、そうして共有した視界がある、というのも大きいのですが、そうした精神的なつながりを失ってなお、 特別なものの存在を信じ「手の届かないものに手を伸ばす」ことにより最後は相手に辿りつくことになります。

というのも、
分岐した世界の収束とともに夢の記憶やつながりは失われても、

大人になった二人はともに彗星を見たという経験を特別なものとして持っており、
それと同じく糸守町の風景というものを心に抱き続けて生きてきたはずです。特に瀧においてはそれが原体験になっているような描写がありますが、三葉にも多かれ少なかれ同様のことがあるのだと思います(髪に結んだ組紐のつながり以外にも)。

時を経て二人は邂逅を果たすことになりますが、

共通体験により結びつきが生まれるというものが根底にあり、二人がそう生きてきたからこそ、最後に巡り合うということがある種の必然性をもって感じられるのではないでしょうか。そのようなことを少し考えました。

というあたりで、やや分量書きすぎてしまったので続きは次回書きます。

(続き↓)

highland.hatenablog.com

 

(追記)2016.9.24
ブコメにて「リボンではなく組紐」と指摘くださった方がいたため記述を一部変更。
 
※「誰々からの影響が~」とか書いているところで不敬だと感じられたら申し訳ありませんが、別に元ネタがそれであるとかそういうつもりは毛頭なく、比較するためにこのような書き方になっています(もちろん必ずしも作家論的な見方に囚われるべきではないでしょう)。個々の作品のオリジナリティはあくまで尊重すべきで、作家の影響関係の問題はそれとは別だと思います。また、多くは憶測を含んだ内容であることもご留意ください。
アニメクリエイター・インタビューズ  この人に話を聞きたい  2001-2002

アニメクリエイター・インタビューズ この人に話を聞きたい 2001-2002

 

 

Febri Vol.37

Febri Vol.37

 

 

 

新海誠美術作品集 空の記憶~The sky of the longing for memories~

新海誠美術作品集 空の記憶~The sky of the longing for memories~

 

 

*1:君の名は。』映画パンフレット内での氷川竜介さんの言

*2:因みにこの演出について新海監督自身は『Febri Vol.37』掲載のインタビューにおいて「音のリズム」「107分の中でテンポ良く見せるため」「読点のようなもの」と語っている

*3:庵野秀明アニメスタイル」、『美術手帖 増刊 アニメスタイル第1号』美術出版社、2000年。このインタビュー記事は新海監督も読んでいたとのこと

*4:庵野監督の『彼氏彼女の事情』(98)も弟に貸してもらい、あのエッジの効いた演出の学園ものと『エヴァ』のラスト2話の手法は、『ほしのこえ』を作る直接的なきっかけだと言えます」クリエイターズ・セレクション vol.2│バンダイチャンネル 2016年9月23日閲覧

*5:もっと言えばそれ以前の「遠い世界」「囲まれた世界」になると一層『エヴァ』の影が顕著になる。余談ではあるけど、『ほしのこえ』のノボルの声優は『カレカノ』の有馬総一郎役で声優デビューした鈴木千尋さんをキャスティングしていて、二人の姿が何となく重なってしまう部分もあります

*6:山本寛 公式ブログ - 君の名は。 - Powered by LINE 2016年9月23日閲覧

*7:少なくとも『秒速』までの時期の話ですが

マイベスト<美少女アニメ>エピソード10選

今回、以下の企画に参加させていただきました。「作品としてはベストに選ばないけど好きな話数」がコンセプトとのこと。

unmake.blog133.fc2.com

・「マイベストエピソード」選出ルール

・ 劇場版を除くすべてのアニメ作品の中から選出(配信系・OVA・18禁など)
・ 選ぶ話数は5~10個(最低5個、上限10個)
・ 1作品につき1話だけ
・ 順位はつけない

自分のオリジナルではなく、他のブロガーさまの企画に乗っかって書くという点について、まずはご容赦いただければと思います。もちろんその分の責任もあるので、本腰を入れて書かないといけません。

今回は自分のテーマとして、「(広義の)美少女アニメ」からセレクトするということにしました。「美少女アニメ」という枠自体にとりわけ深い意味はないのですが(なのであまりツッコまないでくださいね)、名作回が極めて多いであろう「メカもの」「スポ根」「アクション」……などを封印したうえで、見どころのある回を勧められればと思いこの枠にしました。とっつき易そうという意味もあります。

とはいっても、枠にはあまりとらわれず、美少女ゲーム原作からニチアサまで思いつくままに好きな回を入れたので、ダイレクトに好みが出ているかと思います。

話数単位ということで、1話完結回をわりと多めにして、以下のようなセレクトになりました。

迷い猫オーバーラン!』第1話「迷い猫、駆けた」

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監督・脚本・絵コンテ・演出:板垣伸作画監督石川雅一

 『迷い猫』、意外と好きな人が多いみたいで個人的には嬉しいです。バラエティに富んだ内容の中でも、1話は総合的に見てレベルの高い回だと思います。

『迷い猫』は各話監督制のほぼオムニバス形式でありながら、シリーズ全体で一つの筋に通ったストーリーをするということをやっています(これについて、放映当時はいろいろと毀誉褒貶がありましたが)。

で、普通に考えてこういった形態の作品の1話ってすごくハードルが高いと思うんですよ。

・まず、1話の役割として、舞台設定や各キャラクターの人物像・背景についてはしっかりと 説明しなければならない。

・2話以降の監督がどう原作をアレンジするかがわからないので、原作の世界観・キャラから逸脱し過ぎてはいけない。加えて、2話以降の内容については責任が取れないので、1話で出した要素や伏線は話数内で全て完結させなければならない。

・もちろんエピソード内にドラマの盛り上がりを作り、一本の作品として見応えあるものにしなければならない。

 以上の三条件が前提として課されているわけで、まずこれを全て達成した1話になっているのが凄い。

 内容を見ると、ストレイキャッツの面々と芹沢文乃、梅ノ森千世、三人くらいの視点でイベントをパラレルに進行させたり、結構アクロバティックなことをやってるんですよね。かなり強引な説明台詞も、インパクトのあるマンガ的な絵を積み重ねることでテンポ感を持続させている。

アバンタイトルの意表を付くパンチラもそうですが、「一秒も無駄にしてはならない」という意識のもとで作られているのが分かる。出崎さん風に言えば「時間を無駄にしてはいかん!」という感じ。

 また、それだけでなく、この挿話はヒロインである芹沢文乃(伊藤かな恵)のパーソナリティを掘り下げた回になっているのが高ポイントです。

あくまで彼女は記号的な「ツンデレ」で「意地っ張り」ヒロインなんだけど、それを単に記号的に処理するのではなく、弱者を救うことに敏感であるという描写を重ねることで、過去の生い立ちからパーソナリティを説明している。それでいて変に湿っぽくならず、泣かせとコメディのバランスで見せるのが優れていると感じます。

板垣監督のコメディとしては『ベン・トー』とも『てーきゅう』とも違った感触があって、そこも魅力です。

 苺ましまろ』第2話「アナ」

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脚本:横手美智子/絵コンテ・演出:神戸守作画監督:阿部達也

日常系美少女アニメの金字塔である『苺ましまろ』。

1話で伸恵家周辺の4人を描いて、2話はアナ・コッポラの初登場回ですね。

2話はアナのエセ英国人キャラによって生じるコミュニケーションの齟齬を徹底的にギャグにしている。転校初日の話から始まり、学校での会話劇があり、最後に名字が出ることで全体のオチになっている。

「間」を活用したギャグがツボにハマる回で、アナが膝を付くとか、美羽がへたれこむとか、ギャグカットを出すタイミングが見事。

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加えて、おそらくアナと重ね合わせる形で、「桜」がフィーチャーされています。転校先での失敗や、悲喜こもごもも含め、新たな出会いを祝福するって意味も感じられますね。地面の溝に桜の花びらが溜まっていたり(情景)、アナの気持ちを代弁するかのように桜が排水口を下流に向け流れて行ったり、こういう丁寧な描写が地味にいいです。

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2話での「ぐぬぬ……」は後にネットミームになった。

 神戸守ファンの間では昔から6話「真夏日」がかなり評価高くて、この前のアニメスタイルでの特集でも結構6話の話題は多かったですね。もちろん6話も技術的に凄いことやってる回ですが、2話は「原作の『苺ましまろ』の面白さを、一番最初に的確にアニメで表現した」回というところがあって、魅力に感じています。

 余談ですが、神戸守さんのコンテ回は苺ましまろバッカーノ!がオススメ。

 『セラフィムコール』第7話「柊彩乃〜<私>という逆説(パラドクス)〜」

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 脚本:村井さだゆき/絵コンテ・演出:原博/本橋秀之

セラフィムコール』は1999年放映の深夜アニメ。

小津映画やサンダーバードのパロディをやったり、はては固定カメラの長回し・時系列シャッフルなど、実験的な要素を数多く取り入れたことで知られています。そのせいか、今や美少女アニメ混迷期を象徴する怪作」みたいに語られることの多くなったシリーズですね。

ちなみに、熱い『セラフィム』語りとしてはturnxさんの以下の記事が印象深い。

ヒロインオムニバスアニメとセラフィムコール - 生ビール

 

(そういうわけで、)今となっては(熱心なファン以外は)『セラフィム』をシリーズ通して見る意味はそれほどないかと思うのですが、エピソード単位で見ればわりに楽しめる回も多く、中でも7話は出色の出来です。

7話は25歳の英語教師・柊彩乃をヒロインとした「数学アニメ」がコンセプトになっています。 初見時、数学の定理や論理学をそのままストーリーの構造に取り入れている点に驚かされ、「こういう着想からのお話の作り方もあるんだ」と、感心したところがあります。もっとも、こういう発想で脚本を書く人は、アニメ界で村井さだゆきさんくらいでしょうけど。

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お話のアイディアは、大体「『ゲーデル不完全性定理』の道具立てを用いて作品を入れ子の構造にし、それにタイムパラドックスを絡め、無限ループにする」というもの。非常に観念的なテーマですが、「扉を開く」ことを契機に「自らを解き明かす」という幻想的な演出になっている。それでヒロインの心情に沿ってお話が進むので、自然と見ていられるんですよね。こういう、ロジカルでいて気の利いた構成は好きです。

裏テーマとして示される「愛」が、観了後に不思議な感動を残すところが気に入っています。やや大げさに言えば、裏『千年女優みたいな話になってるんですよ。

フタコイ オルタナティブ』FILM-03「エメラルドマウンテン・ハイ」

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 脚本:金月龍之介/絵コンテ・演出:平尾隆之作画監督:山本佐和子

「電撃G's magazine」の読者参加企画『双恋』のアニメ化第二弾であり、探偵モノとしてリアレンジされた『フタコイ オルタナティブ』。

下町ラブコメディともアクションともスラップスティックともつかない独特の作風で、オンリーワン感の強い作品です。

探偵事務所に居座ってる沙羅・双樹の白鐘姉妹少女と 主人公・双葉恋太郎 は二人ではなく三人で居るのが心地よい関係で、その共同生活を続けようとしている。つまりモラトリアムなんですが、それがいつか終わってしまう予感というか、 どこか刹那的な感じもあって、それが作品全体に叙情をもたらしています。ドラマ的には7 話から9話までの流れがハイライト。

3話「エメラルドマウンテン・ハイ」は、主人公とかつて関係のあった桃衣姉妹が登場する回。桃衣姉妹からの依頼遂行に重ねる形で、過去が回想される。清算されるかつての桃衣姉妹との関係が、今の白鐘姉妹との関係に照射されることで、三人で居られる現在がより一層愛しく感じられる。同時に、失われた夢や思いへの追憶から、痛みが残る。

挿話としてはコーヒーの銘柄である「エメラルドマウンテン」の使い方が上手く、有り体にいえば、自販機で買える缶コーヒーは日常に埋もれているちょっとした「特別な何か」なんだけど、現在から見れば過去への苦い思いみたいなニュアンスもある。

内面描写としての「エメラルドマウンテン・ハイ」をはじめ、ちょっと異様な雰囲気も目立つ回です。平尾隆之さんの、ホラー嗜好が出た回かもしれない。

フタコイの特色でもあった、時系列を入り組ませる構成や反復芸がもっとも効果的に活かされている回でもあります。

白鐘姉妹との馴れ初め話である7話「双葉恋太郎最初の事件」と併せて見るのがオススメ。7話はモラトリアムな空気感の演出が素晴らしいです。

『Gift ~eternal rainbow~』10th Gift「奪われた過去」

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脚本:香村純子/絵コンテ:きみやしげる/演出:古賀一臣/作画監督:東海林康和

『Gift』は美少女ゲーム原作アニメで、制作スタジオはオー・エル・エムの岩佐チーム(後のWHITE FOXですね)、キャラデは田中基樹(=天衡)さんという変わり種。

 Giftの10話といえば以前は『Shuffle!』の空鍋とセットで語られることが多かった回で、ヤンデレヒロインと化した木之坂霧乃の「(一人)糸電話」(9話)が原作クラッシャーとして話題になりました。

喰霊零以前のあおきえいの面目躍如として語られることの増えた空鍋回に比して『Gift』はそれほど聞かれなくなりましたが、特に10話は見るべきところも多い回です。

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嫉妬で豹変し、爪を噛み切る霧乃。宮崎羽衣さんの演技も光る

 
二人の思いが通じ合うことで願いを叶える魔法のような力「Gift」がこの作品のキーアイテムで、それは人を幸せにするためのものだけど、裏切りと結びついて人を暗黒面に落とすこともある。その暗黒面が出たのが9話から10話にかけての展開だといえます。

10話のシナリオが優れているのは小道具の使い方です。プライベートなつながりとしての糸電話に加え、思い出を補強するぬいぐるみとカップ。願いを叶えても誰も幸せにならない皮肉を表すかのように掛かり続ける虹と、止まない雨。

幼馴染の霧乃は主人公との思い出が仇となりピアノ曲を最後まで弾けなくなっていて(このピアノを挿入曲として使うのも良い)、それは糸電話のエピソードに繋がる。

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 この糸電話の作劇。後のねらわれた学園『たまこ』に比べると描写の厚みはそれほどないけど、与えるインパクトは十分。本編で1話から描かれてきた、ヒロイン二人の修羅場の総決算ですね。

To Heart』第13話「雪の降る日」

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脚本:山口宏/絵コンテ:高橋ナオヒト/演出:高橋ナオヒト、深沢幸司/作画監督:斎藤英子、千羽由利子

初代To Heart』(’98)といえば、間違いなくギャルゲー原作アニメのマスターピースの一つです。

ギャルゲーのヒロインであっても立体的なデザインで描き、そこに肉体を伴って存在するかのようなリアリティを重視する。何気ない日常に焦点を当て、生活の描写を克明に描く。大林宣彦の青春映画みたいな渋い作風なんですが、それでもこの思想の一端は、ゼロ年代に入ってからの京都アニメーション美少女ゲーム原作アニメにも引き継がれていると感じます。

ベスト作品に選ぶような作品の挿話から選ぶのは反則かもしれませんが、まあこれを選ばなければ、自分に嘘を付くことになってしまうので。最終話は何回も見返して、そのたびに感嘆します。

この回は、前の12話に引き続き志保とあかりの回ですね。クラスでひらくクリスマスパーティーがあり、その買い出しにかこつけて志保が主人公の浩之ちゃんと抜け駆けデートしてしまう。それを知って幼馴染のあかりがもやもやしてしまう、ってところまでが前の回の話で、最終話で、いよいよクリスマスパーティー本番の話です。

この回のハイライトシーン二つあって、一つ目は風邪で欠席したあかりのお見舞いに行った志保とあかりが会話するところ。二つ目はパーティ当日に風邪を治し、遅れて家を出たあかりを浩之が迎えに行くところ。

前者のシーンはある意味三角関係の修羅場なシーンなんだけど、大袈裟に感情を吐露したり愁嘆場を演じるでもなく、二人ひたすらに淡々と会話を交わすだけです。それでもドラマ上決定的なことが行われているという感じがひたすらに伝わってくるのが凄い。

ドラマ上は志保がここで引き下がるわけですが、湿っぽいところがなく、爽やかな青春の1ページという具合にまとめてしまうのがすごいというかズルいというか。

後者も名シーンです。有名な、キスをしないラストシーン。キスをしない代わりに、マフラーをかける芝居があって、こういうところが本当に美しいです。

ef - a tale of memories.』第2話「upon a time」

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 脚本:高山カツヒコ/絵コンテ:帆村壮二/演出:大沼心作画監督:潮月一也、古川英樹

アニメブロガーのガキモードさんもブログ記事で書いているように、新房シャフトの作品は基本的に感情移入をはねつける、異化効果の側面が強い。まどか☆マギカのTV版などもその延長線上にあるように思う。

その一方で大沼シャフトのefは凄く没入感の強いフィルムになっていて、新房さんがセーブかけちゃうようなところを全力で一点突破していくようなところが心地良かったシリーズ。特に1期はどの回を見ても抜群に面白かったと思う。

(10話のカウントダウンにしても、正攻法だとああいう見せ方は全然思いつかないはずなんだけど、じっさいに見てると非常に効果的なんですよね)

 

1話で主役と成る三組の男女の印象的な邂逅を描いた後、キャラクターがそれぞれに抱える背景を描き、物語のスタートダッシュとなる2話。

帆村荘二さんの絵コンテはわりと大沼さんの1話よりソリッドな作りで、アップとロングのつなぎ、広角・望遠の入れ方が映像のダイナミズムを感じさせる。ナメものの象徴主義、線路と光。それは静かな予兆を感じさせるもので、この挿話の演出として最適だったと思います。

寄せる雲/波の叙情が印象的で、それがラストにガッと結集してくる感じがする。 

ラストからエンドロールにかけて、次回へのヒキの演出が素晴らしい。この高揚感はちょっと忘れられないです。

ふたりはプリキュア!』第8話「プリキュア解散! ぶっちゃけ早すぎ!?」

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脚本:清水東/(絵コンテ・)演出:五十嵐卓哉作画監督:爲我井克美

 プリキュアに選ばれたなぎさとほのかの二人が初めて喧嘩をしてしまうけど、それにより距離が縮まるという回で、バディものとして二人の絆を深め確かめ合う、今後の礎となるエピソード。素晴らしい百合回ですね。

恥ずかしながら、初代プリキュアはリアルタイムでほとんど見ていなかったんですよね。この挿話は後追いで見てとても面白かったので記憶に残ってます。もっとも、プリキュアファンの間に限らずかなりの有名回なので、自分が語るほどでもないのですが。

構成も演出もお手本のような上手さ。ハコ書きしてみると、驚くほど圧縮されたストーリー。

ほのかの幼馴染をきっかけに二人に気持ちのスレ違いが生じるんだけど、相手と自分との相違を認め、友達としての一歩を踏み出すまでの話を丁寧に描く。プリキュアとしての絆を確かめ合うアイテムや、戦闘シーンイベントまでも全て本筋に絡ませて無駄のない構成になっているのがポイント。

冒頭からのマシンガントークに気を取られているうちに展開に自然に呑み込まれてしまう導入の上手さもさることながら、東映演出家のお家芸のような反復/対比の積み重ねと、エモーショナルなシーンでのカッティング、光と影の演出。

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ここの技巧的な切り返しもふつうの発想じゃなくてなんか凄い。ほのかのソツのなさと、置いてけぼりにされるなぎさの感じ

 『青い花』第1話「花物語

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 脚本:高山文彦/絵コンテ・演出:カサヰケンイチ作画監督:木本茂樹

 はあ、小林七郎さんがいた時期のJ.C.STAFFの尊さ……。

 

美少女アニメ」と言うには違和感がありますが、原作が「マンガ・エロティクス・エフ」に連載されていた百合マンガということで、セレクトとしてはありだと思います。

 万城目ふみ(ふみちゃん)と、奥平あきら(あーちゃん)が、高校入学と同時に再会する。

この1話は初めて見たとき、脳天をガツンと殴られたような衝撃がありました(ノイタミナの『放浪息子』より前でしょうか)。これ以上ないくらいに無駄のない構成と演出で、1話でちゃんと完結している。というかあまりに綺麗にオチていて満足してしまったので、「もうこの1話でこのアニメ終わりなんじゃないのか?!」と瞬間的に思ってしまったくらい。

私事ですが、少女漫画のアニメ化について、個人的な興味から調べていた時期があって。『カレカノ』『花より男子』『ホスト部』『メイド様』『君に届け』『ハチクロ』等のタイトルについて、アニメ版の1話を原作マンガと比較して、どう映像化しているかについて調べていました(結構面白いんですよね、こういう作業)。その中でも、『青い花』は抜群に上手いという感触を持ちました。

つまり『青い花』の1話も、原作と比較してどう足し算/引き算をしているか、という観点で見て面白い1話なんですよね。ラストに向けて、どのような描写をプラスしているか。行間を絵にするにあたってどの台詞を足して、どのモノローグを削っているか。どう構成をリアレンジしているか。それはどういう目的によるものか。

青い花』のアニメはそういう楽しみ方をする余地もあるだけの、充実した映像化だったと思います(もちろん、原作抜きに見ても最高に楽しめるはずです、念の為)。

放課後のプレアデス』第8話「ななこ13

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 脚本:浦畑達彦/絵コンテ:春藤佳奈、佐伯昭志/演出:玉田博/作画監督:橋口隼人、空賀萌香

 最近のアニメで印象に残っている回はこれですね。作品自体については特に説明は不要でしょうか。

太陽系外までの探索ミッションに赴くななこの視点で、宇宙の寂寥感と家族との距離感が重なり、彼女にとってプレアデス星人が特別な存在である理由も語られる。

ななこにとっては半日の出来事でもすばる達4人にとっては三ヶ月間のこと(ウラシマ効果)で、それでも景色を共有したい思いと絆の強さが、0.25光年をギュッとゼロまで縮める。

シンプルな構成だけど、人智で把握しきれないスケールの宇宙の事象や距離に、人間の感情を仮託するっていうのがロマンチックで、良いエピソード。

ひかる回の4話にしてもいつき回の5話にしても、それぞれに彼女たちが自らに化した限界を越えていく話になっていて、8話もまたななこが家族や仲間を巡り答えを見つけ、踏み出す姿が描かれていたように思います。

エッジワース・カイパーベルトオールトの雲

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ここはpowers of tenですよね。SF的サブテキストも駆使してテンションを高めてくれる。

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あくまでお遊びではあるけど、ななこはボイジャー計画・パイオニア計画を更新する探査機のつもりで太陽系の果てに赴く。彼ら無人惑星探査機の自意識・孤独を描いた『人類は衰退しました』3巻のエピソードも思い出されます。

 


総括

・サトジュン作品から何か選ばなければ手落ちかな~と思っていたのですが、カレイドスター魔法Tai!も、単体というより全体の流れで好きなところがあって選ばなかったです。

・あと、こういうセレクションだとついつい『瀬戸の花嫁』『ギャラクシーエンジェル』『うる星やつら』とかの傑作回を入れたくなってしまうのですが、「ギャグ枠」になってしまうので外しました。

・もし1作品1話の条件じゃなかったら、『ギャラクシーエンジェル』の好きな回だけで10枠埋めてしまうっていうくらい『ギャラクシーエンジェル』シリーズは好きです(自己紹介)。

 企画に参加して、じっさいに書いてみて思ったのは、自分に正直に選んでいくと、自分の好みとか価値基準とかが明確になってきて面白いな~っていうことですね。人からもそれが見えてしまうと考えると、正直ヒヤヒヤしますけど……。ブログに書かないまでも、アニメファンの人であれば自分の「ベストエピソード」を考えてみるのも、何かしら発見があって面白いかもしれませんね。

 

・『迷い猫オーバーラン!』はバンダイチャンネルで1話無料、『ef~a tale of memories~』もバンダイチャンネルで視聴可能です。苺ましまろ』『フタコイ オルタナティブ』『Gift ~eternal rainbow~』『ToHeart』『ふたりはプリキュア!』『放課後のプレアデス』はdアニメストアで視聴可能(2016/08/31現在)。

・『セラフィムコール』『青い花』は現在配信している動画視聴サービスがないので、DVD・BDからどうぞ。

 

 

 

『シン・ゴジラ』(2016)感想メモ【ネタバレ】

 

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ようやく自分の中でも冷静さが出てきて感想が書けるくらいになりましたが、初回はかなり圧倒されたし、抜群に面白いと思いました。

これを書いてる時点でパンフレットもまだ手をつけてないしネットの考察記事とかも幸い(身内の人が書いたもの以外は)あまり読んでないです。二回目も一応見ましたが一回目見たときに書き散らした感想メモにあまり付け足すことなかったです。 

感想も全然まとまらないですが、思いつくままに書いてみます。以下長文(7000字程度)。

 


 

○まず自分の立ち位置としては、特撮はともかく『ゴジラ』シリーズについては見てたりするけど、さして個人的な思い入れはありません。申し訳ないですが。『シン・ゴジラ』が「ゴジラ」の新作としてどうかというのはよく分からないし、どうでもいいところかもしれない。 

 とはいえ、『シン・ゴジラ』というのは、「新」であり「真」であり、「シンちゃん」(樋口真嗣監督)のゴジラという意味までは含みとしてあるのかな、とは思って見てました。「新」というのは、シリーズの仕切り直しというか、ゴジラの再定義ということで、怪獣が全くの未知の存在であるまっさらな状態で「ゴジラ」というディザスターに直面した「今」の日本の話になるということですよね。未曾有の事態を虚構のない現実で対処するという。その意味で、「現実対虚構」みたいなフレーズは正直鼻につくなと思ってましたけど非常によく本質をついていると思いました。まあこのフレーズもおそらく庵野が監修してるんですよね。 

○『ゴジラ』シリーズにはあまり興味ないし、『クローバーフィールド』みたいな前予告もシラケるとか正直思ってたんですけど、「庵野秀明」および「スタジオカラー」の名前が冠されている以上見ないわけにはいきません。 

○映画が始まって、まず東宝ロゴマークが二回出ます。二回目に出たのは円谷英二が撮影した当初バージョンか何かで、明らかにわざとこれ持ってきてるんですよね。そこからドーンドーンと音が鳴って青バックに白字で東宝映画作品」って文字が明朝体で出る。まだタイトルも出てないんですけどこの時点でもう「ヤバい」と思いました。往年東宝映画へのオマージュだか何か知らないですけどやっぱりこういうのやるかという感じで。エヴァ以後の庵野監督というのは作品に関するありとあらゆるディテールや、作品外のポスターなどの広報に至るまで「デザイン」しコントロールしなければ済まないような人ですけど、やっぱオープニングからエンディングテロップに至るまでそれが来るかと思い身震いしました。 

○タイトルが出て本編が始まり、遭難船が無人で見つかりますね。「ゴジラ」シリーズに興味ないとはいえ1954年版『ゴジラ』とかは前に見てるので海上遭難船の被害から話始まるのはそれと同じかなと思って、一方で無人船というところで『パトレイバー劇場版』なのかなとかどうでもいいことを思いました。まあその後のシーンでヘリでビル街ぬって襲撃とかもパトレイバーぽかったですけど。 

 

ゴジラ多重進化するってアイディアは面白いと思った。最初に第一形態のゴジラの全貌が映されるところで観客は、イメージが違うので「えっこの怪獣は何?」って思うわけじゃないですか。僕は「ゴジラ以外にも怪獣出るのかな」とか素朴に思いましたし。それが進化してゴジラになって「これがゴジラだったのか」となるわけで、意表を突く感じで面白いと思いました。 


ゴジラ対日本の話をするということで、全体として官僚&テクノクラートが大活躍する話になるというのはまあ分かるんですよね。有事の際の対処として意思決定はトップダウンでなされることになるし、大きな話をするのであればそれが適している。少なくとも、間違った選択ではない。 

○それで、全体の構成としては、 

  • まずフッテージやニュースで得られる情報を通じてゴジラが察知され、それと並行してトップダウンで対処案が練られる。この時点では官僚にとってはまだ実在感が薄い。 
  • 対処が追い付かず東京が破壊されたところで官僚が現場に出てここで接点が生じ、実感が出る。 
  • そのあと自衛隊出動、米軍機も駆り出して対処するも通常兵器で太刀打ちできず東京火の海に。 
  • ここでニュース音声が流れ過ぎてくなか再度長谷川は無力感・歯がゆさにとらわれる。 
  • その後長谷川と石原さとみ初めとして根回しにより、外交戦略で国連の核攻撃を回避し矢口プランで対処し一旦事態は収束を迎える。 

という、雑に認識するとこんな感じ。

で、官僚が活躍する話なのは上記のように納得できるんですが、それにしても非常に潔い構成というか、並行して描かれるゴジラ来襲の現場よりもまず政治家のドラマをドスンと据えてますよね。そして、こうした有事の際の権力発動に際し手続きに要する煩雑さを、一つ一つに要する長さ自体を省略しはしても、過程の存在自体を結して省略しはしないというのは非常に胆力が要ることで、その描写を手抜きせず積み重ね続けるというのはある意味非常に泥臭いことをやってるなと思うわけです。そして、それでこそ全体の表現として効果を発揮しているのかなと。 
 たとえば自衛隊の対戦車ヘリがゴジラに最初射撃しようとする場面、 発砲許可の確認とるときでさえ何本も電話繋がっていくのは、はらはらさせられると同時にやきもきさせられるわけですよね。 
 そうした描写を積み重ね続けられるという確信があるというのが何というかすごい。それが最終作戦遂行に至るまでの、国力結集の説得力を生み出してますね。 
アメリカ側の代弁者としての石原さとみと、政治家気質の長谷川博己が出世コース捨てて根回しするみたいなドラマも用意されてますけど、それまでの分厚い蓄積と比べればそれがほとんど免罪符じゃないかとすら思えるくらいです。 

○映画全体に言えることですが、レイアウトがよくて、(特撮シーン以外でも)良い絵が一杯ありますよね。 

  • 実相寺昭雄的な構図感覚(ヘリの機体とか人間の口とかの極端な局部アップ、ナメ、シンメトリー、画面の分断)+岡本喜八のカットつなぎやテンポ、が合わさった随一のもので、このソリッドさにはクラクラさせられたし、オタクがこれ嫌いなわけないです。レイアウトオタクであればレイアウトだけでご飯何杯でもいけるような映画ですよ。 

○官僚組織の集合を表現するために会議シーンが何度も繰り返されるわけですけど、それでも決して単調にならないようにはしていて、見ていて飽きないです。 
最初の官邸会議シーンでのカッティング増やして緊迫感ましてく感じとか、その後の災害対策本部で矢口プラン指導して 会議が 有機的に回り始めてからの ダイナミックで躍動感あるカメラ 移動とか、上手い具合に変化もついてるし対比になっている。 

 あと、ああいう多人数並ぶ会話シーンで、演出意図/視線誘導としてのフォーカス送りをあまり使っていないのがいいですよね。一回目で気付いたのは二箇所だけあって、縦並び会議で総理に意志確認を迫るとこと、平泉成と補佐官が会話するとこ(実際にはあと二、三か所さりげなく使ってますが)。本当に見せ場のとこでしか使ってない。これだけ多人数の会話シーンが多い映画でこれは珍しいと思う。 

これはつまり、 
○各カット内で「見せたいもの」がはっきりしているということで、そのため、見せたいもの・人物にだけ焦点(フォーカス)があたった、被写界深度の浅い画面が頻出します。 
かつカット内でアクションを完結させるので、カット数がこれほど多いわりに意外に映像としては見やすくなっているのではないかと思う。 
「アニメ並に情報量が制御された画面」の為せるわざといったところでしょうか。 

○では会議シーンではその制御された画面で何を見せたがっているかというと、「顔」を見せたがっているとしか思えませんよね。 
 ほとんど明滅するかのごとく去っていく関係閣僚の無数の顔、そして役職(テロップ)。 
 別に登場人物の顔自体に変化があるとか、顔で物語るといった見せ方ではないんですが、とにかく一つ一つの顔、顔、顔を印象づけようとする。 

 ○組織というものの表現として、無数の「顔」に加え、わざわざそこまで出さなくていいだろ、と思うくらいに出る「役職テロップ」が機能している。あとはそれらを有機的に交差させる。ひたすらその繰り返しと言ってもいい。こういう、もはやどっちかというと物量推しではないかという表現もすごいと思いました。「コロンブスの卵」的な(?) 、まあ『日本のいちばん長い日』や『沖縄決戦』でやってることに近いかも知れないんですけど。

 そして、確かに顔アップの繰り返しは多いですけど、ジジイ連中の年期経た皺とかは面白い顔も多く、結構見てられるんですよね。それが平泉成や大杉連の年季行った顔でも、泉修一のふてぶてしい顔でもいいんですけど。 
 大杉連とか北野映画のやくざのイメージだったですけど一国総理の役柄をちゃんと背負えているし、キャストもいいですよね。 

演技については、台詞は演劇みたいにとても流暢(というか棒読み)で、増村監督みたいに基本的に俳優にあまり演技させない演技指導なところはありました。

 だから、別に石原さとみの演技の巧拙それ自体がどうというのはあまり問題ではないんですけど、それにしてもあの石原さとみはどうも自分は受け付けないところがありました(多分そう言っている人かなり多いんでしょうけど)。何というか、あのキャラクターの背負っているドラマに見合うだけのものがないと思ってしまったんですよね。それは単に外形的な顔もそうなんですが。石原さとみ出すならもっと違うキャラクターをあてがっても良かったんじゃないかとか思ってしまって。 

○あと誰か言ってたかもですが、裏で手を引いて利権貪ろうとする悪人とか、無能な人が劇中に誰も出てこないのはやっぱいいですね。お粗末な政治ドラマに終始することがなく、なんというかガチな感じがしていいです。 


特撮に触れてなかったですが、特技監督:樋口さんの尽力もあってか、パノラマティックな絵作りは凄くよかったですね。 
 まず最初に第一形態が多摩川侵入して、香川新橋で上陸してくるわけですが、ここのレイアウトは左右で分断して船が押しのけられてる川の混沌と、そのすぐ横の住宅街とに分けていて、不気味な混沌が日常生活に侵入してくる感じにぞくぞくさせられました。 

  • その後最初に第一形態の全貌が現れ車押しのけるとことかはどっしりした固定カットで、望遠レンズの圧縮で蹂躙される町並みをとらえていて、下手にカメラワークつけないのが規模感出ていて良いです。というか『クローバーフィールド』っぽいあの手持ちカメラは無力感がやばかったですね。 
  • 第一形態がマンションのしかかって押し崩すとこは前半のハイライトですね。 
  • そして、最初の来襲時は平面的に捉えられていたゴジラが、進化を経て二度目に上陸したときには、現実として対処せねばならない存在として二点透視で捉えられる、あおりでダイナミック。 
  • その後もパノラマ鳥瞰図とゴジラの不気味な局部アップの対比で持たす持たす。 

○余談ですが、特撮怪獣映画の魅力ってシンプルに言えば「スケール感」と(ごく個人的には)思います。 

 標識とかビルとかオブジェのような「日常の風景」が怪獣との対比であんなに小さくちゃちなものに見える、みたいな。それがミニチュアセットで再現されたものであれば、二重・三重にスケール感の違いが際立って一層効果を発揮するわけです。で、そういう感性は少なからず『シン・ゴジラ』でも刺激された部分がありましたし、質感の際立たない、CGのゴジラではありましたけど、単純に良いもの見れたなって感じもします。

ゴジラが東京上陸して夜間に停電起こして、ゴジラの周囲から同心円状に灯りが消えて周りの世界がふっと暗くなっていくところが、すごくいいですよね。ああ文明が消滅し世界が終わるんだなって感じなんですけど、同時に思わず綺麗だなって思ってしまう。 

○そしてゴジラがいきなりの火炎放射に続いてビーム発射で米軍機を撃ち落とし、一気に東京を焼け野原にしますよね。一気にやるのがいいんですけど、ほとんど官能的な美しさも湛えているし、燃える霞ヶ関とかが映るところで、まず一度涙ぐんでしまいました。 


○で、ここまできてようやく「ヤシオリ作戦」の話ですね。 

「ヤシオリ作戦」の段取りは、 

  • 自衛隊建機小隊および民間企業関係者面々がビル屋上に集結。 
  • まず無人新幹線JR で爆破し、 陽動。 
  • 米軍機ミサイル空爆攻撃し、ビル破壊でゴジラ足止め。 
  • 自衛隊建機第一小隊に加え、コンクリートタンク車両タンクローリー部隊が出動し、凝固剤注入で凍結作戦するも一度失敗しゴジラ立ち上がり移動。建機第一小隊全滅
  • 追加で無人在来線爆弾で、再度足止め。 
  • 建機第二・第三小隊出動し、凝固剤注入で凍結。 

って感じでした。 

○核攻撃でなく、日本中から物資や技術を集めてゴジラを凍結させるぞ!ってことで、まあ当然、日本中から電力集めてポジトロンライフル発射した(でしたっけ)ヤシマ作戦エヴァ)を踏まえたものではあるんですけど、「日本の国力総結集でゴジラに立ち向かっていく」感がしてやっぱ熱いですね(米軍協力もありますが)。 

「現実対虚構」みたいなのを最も如実に感じるのもここですよね。やってることは非常に荒唐無稽で、無人在来線爆弾とかリアリティ超越してるのでバカみたいなんですけど、日本の現実の「そこにあるもの」で、かつ現実考えうる手段で対処していくというのが非常に堪らないんですよね。 

 

○非常にベタとは思うんですけど、「ヤシオリ作戦」のとこで自分は感極まってしまいました。 

■第一に、まず自衛隊マーチ」をあそこで流すという選曲ですよね。しかも何か劇中の環境音っぽく流してる(明白にそういう描写はないんだけど)。 
 自衛隊ヘリ&戦車総出撃の蒲田作戦のシーンでなくあそこにかけるというのも「ええっ」って感じなんですけど、しかもクライマックスに思い切り既存曲使うという、その図太さというか心意気に感動しました。 

 やや話ずれますが、『ゴジラ』リスペクトで有名な『クレヨンしんちゃん 爆発!温泉わくわく大決戦』でも自衛隊戦車が芝生地で敵巨大ロボを迎え撃つシーンで「自衛隊マーチ」流すんですよね。 

 『温泉大決戦』はわりと本格的に怪獣特撮映画の迫力をアニメで出している作品で、それで中盤にスピーカー付き戦車が出てきて「自衛隊マーチ」流してるんで、おおっとなるんですけど、あれはあくまで自衛隊出てるし正統派オマージュという感じなんです。 

 それに対して「ヤシオリ作戦」であれ流すのは、何が何でもクライマックスであれ流す!というか、非常に気合い入ってるなあという感じがして打ちのめされてしまいました。 
 あと、巡航ミサイルの発射シーンで記録映像混ぜて使ったりするのも、映像再現技術が未発達だった時代の昔の戦争映画によくあるやつですよね。過去作品の韻を踏んでいるのかは分からないけど、ついカッコいいなと思ってしまう。タランティーノとはまた違う意味で、高度な「大人の遊び」をやっているという感じがして。 


■第二に、最終作戦のクライマックスで、絵的にどれほど面白いもの出すかと思えば、口に多数の管突っ込む(デカイ建機だが管に見える)という非常に地味な絵面で、でもその荒唐無稽な作戦を大真面目に(官・民の)職人が仕事として遂行してるっていうのがわかる。わからせる。それがもう堪りませんでした。しかも長谷川に加え、後方指揮で待機してる民間企業も面々もいちいち写るし。 

 あと、フランス政府との遅延交渉も含まれますけど、根回しのプロセスが描かれていてそれまでのドラマの蓄積もあるんですよね。そこで感極まってしまったんです。

 

ラストカットで、いつ動き出すか分からない凍結状態のゴジラが屹立してるというのは、そのまま今の日本の現実と地続きになっているという象徴的なもので、そういう状況認識は意識せざるを得ないのですけど、個人的にそういう読みは直接的すぎる気もして、他の人に委ねたいと思います。


EDテーマ・テロップ

■絵コンテを見ると摩砂雪さんはじめ結構「エヴァ」主要スタッフががっつり入っていて驚いた。カラースタッフ総動員。

■テロップの企業一覧が画面覆うのは熱かったですね、そこまで取り入れてデザインするかっていうか。あざといけど、この映画自体も日本企業結集のその産物ですって言ってるというか。 


 

○ということで、『シン・ゴジラ』は徹底的に自分の好きな要素だけで構築された映画にように思えて、自分としては全力で肯定するしかないのですが、あまりに自分の好みに刺さりすぎて客観的に評価することが出来ないので、人に薦めたいとかはないんですよね。国境を越えるような映画ではないと思うし。今の日本についての状況認識とか、あるいは「特撮」や「怪獣映画」というジャンルの枠組みなしにこの映画見るというのが、そもそもどういう視聴体験になるのか想像できないところがあります。 

 

○冷静にダメ出しするとすれば民間人の顔とかがなかったけど、下手に個人でもってマスを代表させるみたいなメロドラマは、それこそ監督も嫌いそうだし、自分もそれが見たいか?と言われたら疑問符がつく。もちろんそこで賛否あるだろうというのは分かるんですけどね。

 

庵野秀明に関して言えば、こういう着想でこういうものを出してこれるというのは間違いなく才人といえるわけですけど、軽々とこなしているのではなく、どの作品作るにも常に全力いっぱいいっぱいで、自分の持てる手管を全て出し切って作ってるというのが分かるので、そういう意味で、作家としての愛着はあります。生み出してる作品が図らずも似通ったものになるのも、セルフパロディだからではなく、そういう身を削って作ってる側面があるからだろうし。 

 

○あと、余計なことかもしれませんが言うと、日本国力結集して、あらゆる政治的手腕も駆使して対抗するからといって、右翼のプロパガンダみたいなことはないですよね。というか「改憲プロパガンダ」みたいに言われるみたいですが。樋口真嗣監督だって「『未来少年コナン』のオープニング曲はプロパガンダソングっぽくて嫌い」みたいなこと平気で言っちゃう人ですけど、それと、あそこで自衛隊マーチ流すのはまったく別の話でしょうって感じだし。 いずれにせよ、ナンセンスな批判と思いますが。

『12人の優しい日本人』(1991)

 

12人の優しい日本人』がGyaoで今月末31日まで見れる。

CMが頻繁に入ってウザいけどできれば是非見てもらいたので下手な文章ですが紹介文を書く。

12人の優しい日本人』はアメリカ映画『十二人の怒れる男』の日本翻案版として作られた同名舞台劇の映画化。

脚本は三谷幸喜。監督は『櫻の園』の中原俊。考えてみれば『櫻の園』もそのまま演劇の話であるし、劇中で流れる時間と視聴者の時間がほぼ同期している作品だ。

この映画を最初に見たのは10年以上前にたまたま見たのだけれど、それでも当時は感銘を受けたし、三谷幸喜ってすごい人だな〜という感じ。Gyaoで公開してたので久々にに見たけどやっぱり良かった。

ちなみに『十二人の怒れる男』は陪審員制度の話で、裁判の判決を巡る議論を交わし被告人が有罪か無罪かを判断する法廷劇。
シチュエーションを一室内に完全に限定した上の話になるので、空間と役者さえいれば撮れるたぐいのドラマである。『十二人の怒れる男』といえば低予算でも面白い映画が作れることの代名詞的存在だ。逆にいえば、密室の中で生じる議論のうねりそのものを劇化しなきゃいけないので、そこが演出家としては腕の見せどころとなる。繰り返し何度も映像化されているのはそれもあるのだろう。

この『十二人の怒れる男』の定型が優れているのは、ノー回想シーン・ノー再現シーンで、実際の法廷そのものは視聴者は見ておらず、もちろん実際の事件状況は分からない中でそれについて陪審員たちは議論を交わすわけで、あくまで真実は可塑的なもの、簡単に歪められてしまうとして存在せざるを得ない。あくまで真実は「藪の中」という『羅生門』的な世界観。

場当たり的な都合や情緒で事実関係が歪められ、オーラルな議論の中ですり抜けていく情報量そのものが緊迫感を生む。
最後にはもちろん有罪・無罪の判決が出るわけだけど、その結論の是非について容易な価値判断を差し挟むことは許されない。


では『12人の優しい日本人』はどうかというと、こちらもオリジナルの要素は大きく引き継いでいて、仕事で帰りたがる会社員がいたり、賢明な判断をくだす老人役がいたり、全体の展開も、トイレ休憩を挟んだり、細かいところでは部屋にファンが回ってたりするところまで、多くの要素を引き継いでいる。

異なるのは、『怒れる男』が大理石の荘厳な法廷に象徴されるような固い法廷劇であったのに対し、こちらはあくまで口当たりのいいコメディとして作られていることだ。老若男女12人は、当直が一人付いてるだけの安普請のボロい施設の密室で議論を交わす。 

そして、『優しい日本人』の翻案の優れている点は、この12人の人物像にある。オリジナルの『怒れる男』ではヘンリー・フォンダ演じる陪審員8号が、(いくら中立的なドラマとはいっても)道義的に正しい人物として特権化されて(贔屓されて)描かれているのに対し、『優しい日本人』ではそういった、明確に感情移入を許す頼り甲斐のある人物は排除されている。最初に全員一致の判決を覆すヘンリー・フォンダのポジションはいかにも独断に陥りやすそうな弱々しい男役者が演じているし(そしてそれが逆にオリジナルにないようなハラハラさを生んでいるが)、賢明な老人役も実質はただの頑固ジジイである。その点ではオリジナル版以上に中立的な目線もある。

加えて、アメリカ版になかった展開として、被害者への情緒的な同情や議論への付和雷同、なあなあの妥協によるとりあえずの折衷案、本音と建前の乖離、責任逃れ・無責任の体系......といった、議論に際しての日本人的な人物像が戯画化されて描かれている。

いわばそこでは、法学的な厳密なはどうでもよく、議論の進め方そのものが主題となる。『優しい日本人』は『怒れる男』の日本ローカライズ版として作られているが、カリカチュアライズされた人物像を自覚的に描くことで日本人そのものに関わる問題を前景化させてもいる。というか、日本人であれば多かれ少なかれ「あー議論の場でこういう感じのことする人居るよね」と思うところはあるはず。

もちろん豊川悦司演じるニヒルな弁護士が発言しだしてからの後半の議論のまとまり方はいかにもよくできたシチュエーションコメディらしいものであるし、ダイアローグの上手さも三谷幸喜独特のものである。そして、冒頭の出前をとるところから、もうそれぞれの人物の特徴を必要最低限の台詞で描出していく手際の良さもやはり感心する。だけれど、二転三転するこの前半部分だけでも十分に面白いものであると思う。

オリジナル版と比較すると、『12人の優しい日本人』は、当初の無罪判決を覆し有罪の嫌疑をかけるところから始まるのも面白い。『怒れる男』は当初の有罪判決を→無罪に覆す話なので、「被告人の少年を救う」という流れが一貫してあるのに対し、『優しい日本人』はたとえ判決が変わったとしても無罪が有罪になることになり、それは本意ではない。彼らはいわば議論のために議論をしている。

「演劇は関係性の芸術」という言葉が思い出される。12人の議論のテンポがピアノ音のようにアンサンブルを奏で、投票の割れにより人物は幾何学的な配置を描く。舞台的な誇張の利いた演技により流動的なうねりが生じ、予想外ながら必然性をも感じさせる結論が導き出される。この映画はあくまで舞台の映画化だけれど、フレーミングが上手いので、舞台を見ているような感覚と映画的な部分を上手く両立させている。

 

 演劇版の『12人の優しい日本人』は見たことがないけど、三谷幸喜は映画より演劇の方が面白いらしいとも聞いているので気にはなる。あと有頂天ホテルラヂオの時間も勧められたのでまた見ますかね~。

 

12人の優しい日本人【HDリマスター版】 [DVD]

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藪の中 (講談社文庫)

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『ガールズ&パンツァー 劇場版』関連映画一覧など

 個人メモ、把握している範囲で。なお自分は軍オタでも戦争映画マニアでもありません、一応。案外長くなってしまった。

 

【第二次大戦の戦争映画】

  •  『1941』('79年米) 

 ウサギさんチーム澤梓による「ミフネ作戦、行きます!」のコール!

 スピルバーグといえば、これ以後もいくつも戦争映画大作を撮っていますが、記念すべき第一作目はこのタイトル。『JAWS』のセルフパロディから始まり、「太平洋戦前夜でもハリウッドは好き勝手やってました」というようなバカ騒ぎ映画で、人死にはありませんが、それでもドイツ軍人だけはしっかり始末してるとこがスピルバーグらしいです。水島監督は、以前からこの映画好きだったぽいですが。

 ミニチュア特撮の「見立て」に失敗しているという理由から、岡田斗司夫は自著でこの映画を「失敗作」と書いています。戦闘機の特撮シーンは確かに同じ構図の繰り返しでやや飽きますが、インディ・ジョーンズ的な追いかけっこなど全体にわたってドタバタで楽しい映画です。

『1941』で三船敏郎は二発大砲を撃って観覧車を回転軸から外していましたが、砲口が二つあるM3中戦車ならば一回の発射で外せる、加えて観覧車を転がすことで単に観覧車破壊だけでなく撹乱作戦になる……、というような理屈から楽しくアレンジしたと思われます。

パリ・ダカール・ラリーを題材にしたフランスのアクションコメディ(というよりギャグ映画)『ル・ブレ』('02)にも、観覧車が軸から外れて転がり(CG)、その脇でカー・チェイスをするというアクションがありますが、この映画では「転がった観覧車が横倒しになりその隙間に挟まれた人間が生き残る」というのがあります。僕は『ガルパン 劇場版』初見のときに「戦車が横倒しになるのを活かすアクションがあったら良いな」と思ったのですが、『ル・ブレ』ではそういうのをやってます。

 

戦略大作戦(Blu-ray Disc)

戦略大作戦(Blu-ray Disc)

 

 「リパブリック讃歌」をかき鳴らしながらオッドボール軍曹(ドナルド・サザーランド)がシャーマン戦車で駆けつけてくれる!お馴染みの戦車映画で、市街地で戦車で殴り込みをかけ、気持ち良いくらいに破壊しまくる。キャラクターの濃さとサスペンス描写。B級戦争戦争映画でこれ以上にそれぞれのキャラクターが立ってるものはないでしょう。

まんま当時のヒッピーみたいなオッドボール軍曹はじめ、全体的にだらしないならず者部隊という感じの面々を、イーストウッド一人がいい感じに締めていると思います。

同監督、同じくイーストウッドがメインで出演のナチ潜入モノ、荒鷲の要塞』('68米)と組み合わせて見るのが良いでしょうかね。『荒鷲の要塞』はアクションの物量も随一で『戦略~』に引けを取らないし、寡黙な職業軍人が粛々と任務を遂行し敵を葬り去る、ジリジリするような鍔迫り合いのサスペンスが楽しめます。『ガルパン』劇場版のBGM「無双です!」は『荒鷲~』のテーマとフレーズやアレンジが似通ってるところがありますね。

荒鷲の要塞(Blu-ray Disc)

荒鷲の要塞(Blu-ray Disc)

 

 

バルジ大作戦 特別版 [DVD]

バルジ大作戦 特別版 [DVD]

 

 ウサギさんチームの「WW2戦車モノ」その1。劇場版パンフレットにポスターのイメージがパロされた。パンツァー・リートがフルで使われる。

戦車戦は数が多く見応えあります。時代ということもありブルーバック合成や特撮を使ってるとこが多いのが今見るときついかな、とも思いますが、雪中での戦いが良いです。ただあまりお勧めはしません。

 

 ウサギさんチームの「WW2戦車モノ」その2。TV版では「玲萬言橋」でも言及。

最近亡くなったジョン・ギラーミン監督の代表作。

キャラクターはやや薄いながら爆破アクションは多く、戦車がスピーディに走り回ったり、市街地を蹂躙したり。黄金伝説のスコア、微妙に合ってないと思うのは私だけですかね。

 

鬼戦車T-34 ニューマスター [DVD]

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 ウサギさんチームの「WW2戦車モノ」その3。

ドイツ軍の捕虜にされたロシア兵が戦車T-34で脱走する映画で、人情ドラマ。

T-34は最大速度:50km、連続航続距離:300kmと非常に機動力が高いらしく、それを存分に活かし戦車が花畑、原野、市街地、と軽快に疾走します。

狙いとしては、ソ連のプロパガンダの意図が明確に透けて見えるのが難点ですが、ソ連映画的なモンタージュ・シークエンスも、戦車アクションも凝っており結構見応えがあります。キューポラがシュコっと開いて顔をだすとかディテールもいいし、また、戦車という陸戦兵器と、ロシアの自然、国民、地理的風土との奇妙な結びつきも感じられる。あとは「カチューシャ」も。

T-34が暴れ回る映画といえば『戦争のはわらた』('77年英・西独)も、戦車シーン・塹壕戦の戦闘描写が凄まじいので未見の人は是非見て欲しいです。

 

 ウサギさんチームの「WW2戦車モノ」その4。蛸壺屋の『ゆきゆきて戦車道』でも大胆にパロディ対象にされました。

原題は"Patton"で、そのままアメリカのパットン将軍の伝記映画。海外ではむしろ歴史映画、伝記映画の大作として評価が高いです。『大戦車軍団』というB級っぽい野蛮な邦題が付けられてますがアカデミー作品賞も獲ってるA級作品。

アメリカのパットン将軍、イギリスのモンゴメリー将軍、ドイツのロンメル将軍を三つの軸として描いています。破天荒に振る舞い、常に歴史・戦争と共に生きた、パットン将軍という人のキャラクター、生き様の話。戦車戦も、アフリカ戦線の戦いとか大規模で見応えあります。

脚本を書いているのが地獄の黙示録』('79米)フランシス・フォード・コッポラですが、「時代の波に追われ地位や居場所が失われゆく者への目線」という意味では、『ゴッドファーザー』などとも通底するものがあるな、という感じです。

 

 TV版では、4話で言及。吉田玲子氏もインタビューで言及。

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イギリスのモントゴメリー将軍(本人は出ません)考案のマーケット・ガーデン作戦の映画で、多数の兵力を投じ、ドイツ側より優勢だったにもかからわず計算外の要因等により失敗に終わった作戦の顛末を描いています。

映画としては、望遠で戦車・装甲車両がワーッと一杯並んでるような画が多いですが、橋の上での攻防や、対戦車砲との戦いが見応えあります。ただ、この映画単品で見ても戦局の推移とかはかなり分かりにくいです。資料を参照するといいかも。

↓ちなみに、日本での映画公開後まもなくのころ雑誌「PANZER」('77年10月号)でもマーケット・ガーデン作戦の戦史ドキュメントが載ってました。

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 米・英(・仏)独それぞれの視点から、連合軍によるノルマンディー上陸作戦の全貌を扱った、ドキュメント映画。『ガルパン 劇場版』では特報でのパロディを始め、プロモーション等で言及がありました。吉田玲子氏も言及。

ヴェルレーヌの詩の電報の元ネタにあたる話が出てきます。あとは大洗海岸オマハ・ビーチ。戦車は、少しですが、チャーチル戦車やシャーマンが出てます。

典型的なアメリカの戦争映画大作といった感じですが、戦闘シーンは大規模な空撮ショットと、動員された人員の多さが見所。あとは予告でも使われてるカジノ爆破(劇場版でのKV-2のホテル撃破が似てる)など。

戦場でイギリス兵がバグパイプ吹いてたりとかも興味深いです。

 

  • 『フューリー』('14年米)

 一応ガルパンとコラボしてます。タイガー戦車の実車が出て、中盤にはシャーマン戦車との戦闘もあるという触れ込みです。

いわゆる戦車アクションとしてのケレン味やカタルシスは注意深く排除された、正統派の戦争映画です。通過儀礼を経て、新兵が戦争軍人としての振る舞いを身をつけていき、最後にはそこから離れざるを得なくなりますが、その刻印は消えないでしょう、といった。

いわゆる「家」としての戦車がコンセプトで、そのため戦車内の描写に凝っています。

 

  • 『ヨーロッパの解放』('70-'71年ソ)

 ガルパンとコラボしてHDリマスター版が発売された、ソ連映画の連作。 独ソ戦を戦局ごとに扱った再現ドラマで、総上映時間は7時間超。国家プロジェクトとして製作された大規模なプロパガンダ。戦争映画としてはボンダルチュクの『戦争と平和』('66-'67年ソ)とかと比べそれほど評価は高くないです。

監督のユーリー・オーゼロフは同じく連作『モスクワ大攻防戦』('85年ソ)も手がけている。
 
アンツィオ大作戦 [DVD]

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 OVA版のパンフレットでオマージュされたこれも一応関連あるといえばありますが、ロバート・ミッチャム演じる従軍記者が主人公の映画。ローマ解放を描いた映画は他にもある。

 

地獄のバスターズ〈デジタル・リマスター版〉 [DVD]

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 これはガルパン一番くじの何かの版権を見て思い出しましたが、イタリアの「マカロニ・コンバット」モノの代表的な一作で、特攻大作戦』('67年米)的に、脱走捕虜を訓練してナチスの本部に潜入し、V2ロケット運搬中の列車を襲撃するというB級アクション映画。『イングロリアス・バスターズ』でまた注目されました。

↓『地獄のバスターズ』アメリカ公開時のポスター。

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機関銃乱射されてバッタバッタとドイツ兵が血を流さず倒れていく感じはB級らしいノリですが、職業軍人としての男同士の結びつきの群像劇で、列車周辺のアクションも熱いです。

戦車は全然出ないですが、元祖の方の特攻大作戦も癖強い役者と演出で面白いですよ!

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余談として、「マカロニ・コンバット」モノの『砂漠の戦場 エル・アラメン』('69年伊)には、エル・アラメインの戦いで実際に使われたセモベンテ自走砲などイタリア戦車が登場しているらしいですが、未見。リー・ヴァン・クリーフ主演の『地獄の戦場コマンドス』('68年西独・伊・仏)とか、体張ってて面白そうなんですけどね。

 

  • 『サハラ戦車隊』('43年米)
サハラ戦車隊 [DVD]

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 M3中戦車リー映画で、広大なサハラ砂漠を戦車一台で走り続ける。

戦時中に作られたアメリカ映画で、『1941』が名前をとっているルル・ベル号が出てきます。ルル・ベル号の戦車長を演じているのはハンフリー・ボガートですが、自戦車を愛馬のように扱い話しかけます。戦車での戦闘シーンはほぼないですが、アメリカ兵、イタリア兵、ドイツ兵それぞれの思惑が交差するドラマになっています。

 

ウィンター・ウォー ~厳寒の攻防戦~ [DVD]

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  対ロシアの冬戦争を扱った代表的なフィンランド映画。

 

 ↑の 冬戦争の継続としての「継続戦争」の、タリ=イハンタラの戦いを扱ったフィンランド映画の近作。海外版BDが入手可能。戦車はKV-1や三突、T-34が出る。

戦史好きな人の中では、フィンランドは結構定番らしいですが、どういう経路から入るんだろう…。

 

  • 『ホワイトタイガー ナチス極秘戦車・宿命の砲火』('12年露)
ホワイトタイガー ナチス極秘戦車・宿命の砲火 [DVD]

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 『ガルパン』TVシリーズと同年にロシアで制作された、ドイツのタイガー戦車VSソ連戦車のアクション映画。Ⅳ号戦車等も出る(らしい)。未見。

 

  • 『大脱走』('63年米)

 「大脱走マーチ」そして、メインタイトルシーンとの関連もありますが、(実話ベースながら)多彩な濃いキャラクター、サスペンス感ある駆け引き、爽快なアクションと、'60年代戦争娯楽映画の王道。

ガルパンが意識しているらしい「戦争というシチュエーションを借り、極限状況で頑張る人たちを描く」娯楽映画という意味では、これとかナバロンの要塞』('61)とか『特攻大作戦』とかですね。

 

  • 『肉弾戦車隊』('59年米)
世界の戦争映画名作シリーズ 肉弾戦車隊 [DVD]

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 原題"The Tanks Are Coming". ジークフリート=ラインの戦いを題材にしており、こちらは『サハラ戦車隊』と異なり対戦車戦が複数あり、パーシング等アメリカ戦車も多く登場し、面白い挙動をします。こちらでも見れます

 

プライベート・ライアン [Blu-ray]

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 オマハ・ビーチの戦いでの、耳元を掠める銃弾など3D音響の使い方や、細かいカット割りによる主観的な戦場の表現が革新的だった『プライベート・ライアン』。『ボトムズ』ほかアニメ作品でも多く参照されており、全アニメ・映画ファン必見。音響的に指標になった(by岩浪音響監督)。

 

  • 『バンド・オブ・ブラザーズ』('01年米・英)

 ポスタービジュアルがオマージュされる。英米共同制作のドラマシリーズ。このシリーズのドキュメント風描写を意識した(by鈴木氏)。

 

  • 『西住戦車長傳』('39年日)

軍神として知られた西住小次郎大尉(みほのモデルですね)を題材にした菊池寛の小説の映画化で、八九式中戦車など実車が数多く登場しているようです。これに収録されてるようです。単品でのDVD発売やリバイバル上映が待たれます。

 

日活100周年邦画クラシック GREAT20 ビルマの竪琴 HDリマスター版 [DVD]

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 「埴生の宿」(「HOME!SWEET HOME!」)が使われてる往年の名作。これも水島監督のお気に入りでしょうか? '85年にカラー&キャストリニューアルでリメイクされてますが、どちらがより有名でしょうかね。これは白黒の方が良いんですが。

 

  • 『ソドムの市』('75年英・仏)

 広義の意味での戦争映画、風紀委員の名前の由来となる(皮肉?)。「劇場版にオマージュシーンあり」とのこと(by鈴木氏)。すごく上品に撮ったエグいモンド映画という感じなので、一般ファンにはあまり勧められません。

 

【第二次大戦以外の戦争映画】

レバノン [DVD]

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 戦車とひまわりとの取り合わせ。

レバノン内戦を扱った映画で、センチュリオン戦車の内部からの兵士の視点で物語が進行する。

以前、萌えミリを否定しておられる某アニメブロガーの人が、「『ガルパン』を見るくらいなら『レバノン』も同時に見ろ!」というような趣旨のことを書いていたのが忘れられない。

同じくレバノン内戦を扱ったイスラエルのアニメ映画戦場でワルツを』('08年)は、アリ・フォルマン監督自身によるインタビュー&回想形式で戦争体験が綴られる。こちらも特殊なタッチのアニメーションだが市街地で戦車が描写されている。

 

二百三高地 [Blu-ray]

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 この映画である必要性はありませんが、日露戦争内の「203高地の戦い」を描いたエピックな再現ドラマ。お金のかかってる時代の日本映画という感じで、高地での対要塞砲の戦い、突撃し無力に命を落としていく新兵たち、泥沼の戦場が余すところなく再現されています。長い。Amazonプライムでも見れる。

監督は『トラ!トラ!トラ!』('70日・米)山本五十六周辺のパート等にも参加し、太平洋戦争映画もいくつか手がけている舛田利雄で、わりと骨太な演出。

 

これも広義の意味での戦争映画。「雪の進軍」。

 

西部戦線異状なし [DVD] FRT-003

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  第一次大戦の代表的な反戦映画。「蝶に気を取られていて→撃たれる」の流れがこの映画の有名なラストシーン(塹壕)と同じ、ということなんですが、これはそう指摘するのは野暮だという感じも。ダイソーとかでDVD見かけたら買っていいと思います。

仮にそういうネタだったとしても映画ネタというよりは歴史ネタの部類な気がする。

 

【戦争映画以外の映画】

 "Säkkijärven polkka"は実際に継続戦争中に地雷解除のため周波数を合わせて使われたとのことですが(もちろんそれは初めて知りましたが)、アキ・カウリスマキ監督のこの映画の主題歌でもあります。


"Leningrad Cowboys Go America" by Aki Kaurismäki

 グラサンとリーゼントがトレードマークのロックバンド「レニングラードカウボーイズ」が主人公の音楽&ロード・ムービーですが、北野武のギャグ映画みたいなシュールで不思議なトーンの映画で、色々なアイディアがあり楽しめます。

続編のレニングラードカウボーイズ、モーゼに会う』(’94年)も含め、「ポーリュシカ・ポーレ」や「カチューシャ」などロシア民謡の演奏シーンも多く、焚き火を囲んでのコサックダンス(?)も見れます。二作ともに、悲哀をコメディタッチで見せるユーモアがある。未見の人には勧めたい。

 

プロジェクトA [Blu-ray]

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 ジャッキー・チェン映画の、定番。終盤にかけてどんどんテンポを増し畳み掛けるようにカットを重ねるということで、水島監督が制作時に言及したとのこと。

加えて「いすゞジェミニ 街の遊撃手」のCMですね。これはyoutubeとかで検索してみてください。

 

  • 『Mad Max: Fury Road』('15年豪)

 岩浪音響監督が盛んに口にする『マッドマックス』四作目。

『Fury Road』の公開時期的に、『ガルパン 劇場版』と関係があるとすれば音響などポスプロ段階に限られるかな?と思いますが、『マッドマックス』トリロジー('79-'85)は関係あるかも、水島監督アクションでの「オプティカルフロー」を感じさせるような画作りとかは、こういったところに由来するのかもしれない。

カーアクションでは、車がジャンプで川越えするアクションのあるということで、トランザム7000』('77年米)が『ガルパンFebri』エンサイクロペディアで言及される。

 

 『1941』と同じくダン・エイクロイドジョン・ベルーシ主演の奔放なミュージカル・コメディで、カー・チェイスもあり。水島監督はこの映画、お好きそうですが。

ガルパンのBGMでいうと「M4シャーマン中戦車 A GO! GO!」な感じですね。エルヴィス・プレスリーのイメージらしいですけど。

孤児院廃止を阻止するために義援金集める話なんですが、だんだん状況が悪化していく脚本と、歯止めが利かなくなるスラップスティックが見所。

 

  • 『素晴らしきヒコーキ野郎』('65年英)

 『史上最大の作戦』のややコメディ的な部分のある英・仏パートや、『バルジ大作戦』を監督したケン・アナキンによる監督作。

フランス人、ドイツ人、イギリス人、イタリア人、日本人がそれぞれ参加し飛行機レースするコメディ映画。

 

 原恵一監督作で、水島努は絵コンテ・演出で参加。今見ると、いい時代だなあという感じです。

これには自衛隊の戦車(スピーカー付き)や戦闘車両が多く登場し、芝生地で巨大ロボに対抗します。

水島監督が「映画」として新しく『ガールズ&パンツァー 劇場版』を制作するにあたっては、過去に監督もしくは演出として参加した、『クレヨンしんちゃん』劇場版のような活劇がプロトタイプとしてあるように思う。

この作品はアニメで特撮的なスケール・重量感を再現しているのが見所で、個人的には『地球防衛軍』のモゲラっぽいどっしりしたデザインのYUZAMEロボがわりと気に入っています。

  • クレしんパラダイス! メイド・イン・埼玉』('99)

『爆発!温泉わくわく大決戦』と同時上映の短編で、水島監督のアニメ初監督作(映画監督としても)。カオス。

 

 『クレしん』劇場版シリーズの、原恵一からの交代第一弾で、デジタル初移行ということもあり、当時はわりと批判も多かったはず。遊園地での大規模なアクションがある。ジェットコースター!

全体としては水島監督のギャグ・パロディ作家としての才能が炸裂した作品で、テーマらしきものは勿論ありますが、次々とフェイズを切り替えていく漫画映画的構成で、統一感は薄く、いい感じに理屈がなくて、笑えます。

また、多彩なリアリティ・ラインを行き来し、身体感覚に訴えかけてくるようなところがあると思います。

 

 水島監督による『クレしん』映画第二弾で 西部劇をモチーフにしたループ作品であり、メタ映画。水島監督にとって映画とはこういうものであろうか、とも考えられます。

そういえば、『ヘンダーランド』 のス・ノーマン的な巨大雪だるまも劇場版に出てましたよね。

 

  • 『戦艦バウンティ号の叛乱』('35年米)
  • 戦艦ポチョムキン』('25年ソ)
  • 『ケイン号の叛乱』('54年米)

 歴女チームが言及した、艦船で反乱を起こす系の映画繋がり(おそらく)の三作。小ネタ集。映画としては記念碑的作品『ポチョムキン』を見とけば、良いですかね…。クレイマーの『ケイン号』もメインタイトルとかかっこいいですけどね。

 

  • 『荒野の七人』('60年米)

 『七人の侍』翻案のアメリカのスター集結の西部劇。『夕陽のカスカベボーイズ』の元ネタの一つにもなっている。「黄金伝説」『大脱走』と同じくエルマー・バーンスタインの手がけたこの映画のメインテーマが劇場版でオマージュされた(?)ようです。

 

  • 『夕陽のガンマン』('65年伊) 

 マカロニ・ウエスタンというところだと、代表的なレオーネ&イーストウッド映画で、決闘シーンも白眉。『夕陽のカスカベボーイズ』で意識されてる西部劇の一つでもあります(おそらく)。

遊園地のウエスタンランド(?)のところでは、この映画のモリコーネのスコアっぽいBGMが使われていたような…。水島監督もそういうのお好きそうで。なお『戦略大作戦』の西部劇っぽいシーンのパロディ元になっていたのは 『続・夕陽のガンマン』('66年伊)ですね

 
<参照>

数々の名戦車映画へのオマージュと戦車愛が炸裂! 戦車が戦車として戦う魅力に溢れた『ガルパン』

アニメ音楽丸かじり(170)水島努監督の巧みな音楽用法が光る『ガールズ&パンツァー』劇場版サントラ | WEBアニメスタイル

(BGMの「Home!Sweet Home!」はビルマの竪琴からだろうけど、木下恵介監督版二十四の瞳』('54年)でも少し使われてるので、シチュエーション的にそれもあるかもしれないと思う。原恵一『はじまりのみち』('14)繋がりもあるし)

まあこういう推測とかは、後々コメンタリーとか色々なメディアで明かされたり明かされなかったりするでしょうからね。

 

自分からは以上です!

ガールズ&パンツァー 劇場版 オリジナルサウンドトラック

ガールズ&パンツァー 劇場版 オリジナルサウンドトラック