highland's diary

一年で12記事目標にします。

『12人の優しい日本人』(1991)

 

12人の優しい日本人』がGyaoで今月末31日まで見れる。

CMが頻繁に入ってウザいけどできれば是非見てもらいたので下手な文章ですが紹介文を書く。

12人の優しい日本人』はアメリカ映画『十二人の怒れる男』の日本翻案版として作られた同名舞台劇の映画化。

脚本は三谷幸喜。監督は『櫻の園』の中原俊。考えてみれば『櫻の園』もそのまま演劇の話であるし、劇中で流れる時間と視聴者の時間がほぼ同期している作品だ。

この映画を最初に見たのは10年以上前にたまたま見たのだけれど、それでも当時は感銘を受けたし、三谷幸喜ってすごい人だな〜という感じ。Gyaoで公開してたので久々にに見たけどやっぱり良かった。

ちなみに『十二人の怒れる男』は陪審員制度の話で、裁判の判決を巡る議論を交わし被告人が有罪か無罪かを判断する法廷劇。
シチュエーションを一室内に完全に限定した上の話になるので、空間と役者さえいれば撮れるたぐいのドラマである。『十二人の怒れる男』といえば低予算でも面白い映画が作れることの代名詞的存在だ。逆にいえば、密室の中で生じる議論のうねりそのものを劇化しなきゃいけないので、そこが演出家としては腕の見せどころとなる。繰り返し何度も映像化されているのはそれもあるのだろう。

この『十二人の怒れる男』の定型が優れているのは、ノー回想シーン・ノー再現シーンで、実際の法廷そのものは視聴者は見ておらず、もちろん実際の事件状況は分からない中でそれについて陪審員たちは議論を交わすわけで、あくまで真実は可塑的なもの、簡単に歪められてしまうとして存在せざるを得ない。あくまで真実は「藪の中」という『羅生門』的な世界観。

場当たり的な都合や情緒で事実関係が歪められ、オーラルな議論の中ですり抜けていく情報量そのものが緊迫感を生む。
最後にはもちろん有罪・無罪の判決が出るわけだけど、その結論の是非について容易な価値判断を差し挟むことは許されない。


では『12人の優しい日本人』はどうかというと、こちらもオリジナルの要素は大きく引き継いでいて、仕事で帰りたがる会社員がいたり、賢明な判断をくだす老人役がいたり、全体の展開も、トイレ休憩を挟んだり、細かいところでは部屋にファンが回ってたりするところまで、多くの要素を引き継いでいる。

異なるのは、『怒れる男』が大理石の荘厳な法廷に象徴されるような固い法廷劇であったのに対し、こちらはあくまで口当たりのいいコメディとして作られていることだ。老若男女12人は、当直が一人付いてるだけの安普請のボロい施設の密室で議論を交わす。 

そして、『優しい日本人』の翻案の優れている点は、この12人の人物像にある。オリジナルの『怒れる男』ではヘンリー・フォンダ演じる陪審員8号が、(いくら中立的なドラマとはいっても)道義的に正しい人物として特権化されて(贔屓されて)描かれているのに対し、『優しい日本人』ではそういった、明確に感情移入を許す頼り甲斐のある人物は排除されている。最初に全員一致の判決を覆すヘンリー・フォンダのポジションはいかにも独断に陥りやすそうな弱々しい男役者が演じているし(そしてそれが逆にオリジナルにないようなハラハラさを生んでいるが)、賢明な老人役も実質はただの頑固ジジイである。その点ではオリジナル版以上に中立的な目線もある。

加えて、アメリカ版になかった展開として、被害者への情緒的な同情や議論への付和雷同、なあなあの妥協によるとりあえずの折衷案、本音と建前の乖離、責任逃れ・無責任の体系......といった、議論に際しての日本人的な人物像が戯画化されて描かれている。

いわばそこでは、法学的な厳密なはどうでもよく、議論の進め方そのものが主題となる。『優しい日本人』は『怒れる男』の日本ローカライズ版として作られているが、カリカチュアライズされた人物像を自覚的に描くことで日本人そのものに関わる問題を前景化させてもいる。というか、日本人であれば多かれ少なかれ「あー議論の場でこういう感じのことする人居るよね」と思うところはあるはず。

もちろん豊川悦司演じるニヒルな弁護士が発言しだしてからの後半の議論のまとまり方はいかにもよくできたシチュエーションコメディらしいものであるし、ダイアローグの上手さも三谷幸喜独特のものである。そして、冒頭の出前をとるところから、もうそれぞれの人物の特徴を必要最低限の台詞で描出していく手際の良さもやはり感心する。だけれど、二転三転するこの前半部分だけでも十分に面白いものであると思う。

オリジナル版と比較すると、『12人の優しい日本人』は、当初の無罪判決を覆し有罪の嫌疑をかけるところから始まるのも面白い。『怒れる男』は当初の有罪判決を→無罪に覆す話なので、「被告人の少年を救う」という流れが一貫してあるのに対し、『優しい日本人』はたとえ判決が変わったとしても無罪が有罪になることになり、それは本意ではない。彼らはいわば議論のために議論をしている。

「演劇は関係性の芸術」という言葉が思い出される。12人の議論のテンポがピアノ音のようにアンサンブルを奏で、投票の割れにより人物は幾何学的な配置を描く。舞台的な誇張の利いた演技により流動的なうねりが生じ、予想外ながら必然性をも感じさせる結論が導き出される。この映画はあくまで舞台の映画化だけれど、フレーミングが上手いので、舞台を見ているような感覚と映画的な部分を上手く両立させている。

 

 演劇版の『12人の優しい日本人』は見たことがないけど、三谷幸喜は映画より演劇の方が面白いらしいとも聞いているので気にはなる。あと有頂天ホテルラヂオの時間も勧められたのでまた見ますかね~。

 

12人の優しい日本人【HDリマスター版】 [DVD]

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藪の中 (講談社文庫)

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