highland's diary

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『シン・ゴジラ』(2016)感想メモ【ネタバレ】

 

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ようやく自分の中でも冷静さが出てきて感想が書けるくらいになりましたが、初回はかなり圧倒されたし、抜群に面白いと思いました。

これを書いてる時点でパンフレットもまだ手をつけてないしネットの考察記事とかも幸い(身内の人が書いたもの以外は)あまり読んでないです。二回目も一応見ましたが一回目見たときに書き散らした感想メモにあまり付け足すことなかったです。 

感想も全然まとまらないですが、思いつくままに書いてみます。以下長文(7000字程度)。

 


 

○まず自分の立ち位置としては、特撮はともかく『ゴジラ』シリーズについては見てたりするけど、さして個人的な思い入れはありません。申し訳ないですが。『シン・ゴジラ』が「ゴジラ」の新作としてどうかというのはよく分からないし、どうでもいいところかもしれない。 

 とはいえ、『シン・ゴジラ』というのは、「新」であり「真」であり、「シンちゃん」(樋口真嗣監督)のゴジラという意味までは含みとしてあるのかな、とは思って見てました。「新」というのは、シリーズの仕切り直しというか、ゴジラの再定義ということで、怪獣が全くの未知の存在であるまっさらな状態で「ゴジラ」というディザスターに直面した「今」の日本の話になるということですよね。未曾有の事態を虚構のない現実で対処するという。その意味で、「現実対虚構」みたいなフレーズは正直鼻につくなと思ってましたけど非常によく本質をついていると思いました。まあこのフレーズもおそらく庵野が監修してるんですよね。 

○『ゴジラ』シリーズにはあまり興味ないし、『クローバーフィールド』みたいな前予告もシラケるとか正直思ってたんですけど、「庵野秀明」および「スタジオカラー」の名前が冠されている以上見ないわけにはいきません。 

○映画が始まって、まず東宝ロゴマークが二回出ます。二回目に出たのは円谷英二が撮影した当初バージョンか何かで、明らかにわざとこれ持ってきてるんですよね。そこからドーンドーンと音が鳴って青バックに白字で東宝映画作品」って文字が明朝体で出る。まだタイトルも出てないんですけどこの時点でもう「ヤバい」と思いました。往年東宝映画へのオマージュだか何か知らないですけどやっぱりこういうのやるかという感じで。エヴァ以後の庵野監督というのは作品に関するありとあらゆるディテールや、作品外のポスターなどの広報に至るまで「デザイン」しコントロールしなければ済まないような人ですけど、やっぱオープニングからエンディングテロップに至るまでそれが来るかと思い身震いしました。 

○タイトルが出て本編が始まり、遭難船が無人で見つかりますね。「ゴジラ」シリーズに興味ないとはいえ1954年版『ゴジラ』とかは前に見てるので海上遭難船の被害から話始まるのはそれと同じかなと思って、一方で無人船というところで『パトレイバー劇場版』なのかなとかどうでもいいことを思いました。まあその後のシーンでヘリでビル街ぬって襲撃とかもパトレイバーぽかったですけど。 

 

ゴジラ多重進化するってアイディアは面白いと思った。最初に第一形態のゴジラの全貌が映されるところで観客は、イメージが違うので「えっこの怪獣は何?」って思うわけじゃないですか。僕は「ゴジラ以外にも怪獣出るのかな」とか素朴に思いましたし。それが進化してゴジラになって「これがゴジラだったのか」となるわけで、意表を突く感じで面白いと思いました。 


ゴジラ対日本の話をするということで、全体として官僚&テクノクラートが大活躍する話になるというのはまあ分かるんですよね。有事の際の対処として意思決定はトップダウンでなされることになるし、大きな話をするのであればそれが適している。少なくとも、間違った選択ではない。 

○それで、全体の構成としては、 

  • まずフッテージやニュースで得られる情報を通じてゴジラが察知され、それと並行してトップダウンで対処案が練られる。この時点では官僚にとってはまだ実在感が薄い。 
  • 対処が追い付かず東京が破壊されたところで官僚が現場に出てここで接点が生じ、実感が出る。 
  • そのあと自衛隊出動、米軍機も駆り出して対処するも通常兵器で太刀打ちできず東京火の海に。 
  • ここでニュース音声が流れ過ぎてくなか再度長谷川は無力感・歯がゆさにとらわれる。 
  • その後長谷川と石原さとみ初めとして根回しにより、外交戦略で国連の核攻撃を回避し矢口プランで対処し一旦事態は収束を迎える。 

という、雑に認識するとこんな感じ。

で、官僚が活躍する話なのは上記のように納得できるんですが、それにしても非常に潔い構成というか、並行して描かれるゴジラ来襲の現場よりもまず政治家のドラマをドスンと据えてますよね。そして、こうした有事の際の権力発動に際し手続きに要する煩雑さを、一つ一つに要する長さ自体を省略しはしても、過程の存在自体を結して省略しはしないというのは非常に胆力が要ることで、その描写を手抜きせず積み重ね続けるというのはある意味非常に泥臭いことをやってるなと思うわけです。そして、それでこそ全体の表現として効果を発揮しているのかなと。 
 たとえば自衛隊の対戦車ヘリがゴジラに最初射撃しようとする場面、 発砲許可の確認とるときでさえ何本も電話繋がっていくのは、はらはらさせられると同時にやきもきさせられるわけですよね。 
 そうした描写を積み重ね続けられるという確信があるというのが何というかすごい。それが最終作戦遂行に至るまでの、国力結集の説得力を生み出してますね。 
アメリカ側の代弁者としての石原さとみと、政治家気質の長谷川博己が出世コース捨てて根回しするみたいなドラマも用意されてますけど、それまでの分厚い蓄積と比べればそれがほとんど免罪符じゃないかとすら思えるくらいです。 

○映画全体に言えることですが、レイアウトがよくて、(特撮シーン以外でも)良い絵が一杯ありますよね。 

  • 実相寺昭雄的な構図感覚(ヘリの機体とか人間の口とかの極端な局部アップ、ナメ、シンメトリー、画面の分断)+岡本喜八のカットつなぎやテンポ、が合わさった随一のもので、このソリッドさにはクラクラさせられたし、オタクがこれ嫌いなわけないです。レイアウトオタクであればレイアウトだけでご飯何杯でもいけるような映画ですよ。 

○官僚組織の集合を表現するために会議シーンが何度も繰り返されるわけですけど、それでも決して単調にならないようにはしていて、見ていて飽きないです。 
最初の官邸会議シーンでのカッティング増やして緊迫感ましてく感じとか、その後の災害対策本部で矢口プラン指導して 会議が 有機的に回り始めてからの ダイナミックで躍動感あるカメラ 移動とか、上手い具合に変化もついてるし対比になっている。 

 あと、ああいう多人数並ぶ会話シーンで、演出意図/視線誘導としてのフォーカス送りをあまり使っていないのがいいですよね。一回目で気付いたのは二箇所だけあって、縦並び会議で総理に意志確認を迫るとこと、平泉成と補佐官が会話するとこ(実際にはあと二、三か所さりげなく使ってますが)。本当に見せ場のとこでしか使ってない。これだけ多人数の会話シーンが多い映画でこれは珍しいと思う。 

これはつまり、 
○各カット内で「見せたいもの」がはっきりしているということで、そのため、見せたいもの・人物にだけ焦点(フォーカス)があたった、被写界深度の浅い画面が頻出します。 
かつカット内でアクションを完結させるので、カット数がこれほど多いわりに意外に映像としては見やすくなっているのではないかと思う。 
「アニメ並に情報量が制御された画面」の為せるわざといったところでしょうか。 

○では会議シーンではその制御された画面で何を見せたがっているかというと、「顔」を見せたがっているとしか思えませんよね。 
 ほとんど明滅するかのごとく去っていく関係閣僚の無数の顔、そして役職(テロップ)。 
 別に登場人物の顔自体に変化があるとか、顔で物語るといった見せ方ではないんですが、とにかく一つ一つの顔、顔、顔を印象づけようとする。 

 ○組織というものの表現として、無数の「顔」に加え、わざわざそこまで出さなくていいだろ、と思うくらいに出る「役職テロップ」が機能している。あとはそれらを有機的に交差させる。ひたすらその繰り返しと言ってもいい。こういう、もはやどっちかというと物量推しではないかという表現もすごいと思いました。「コロンブスの卵」的な(?) 、まあ『日本のいちばん長い日』や『沖縄決戦』でやってることに近いかも知れないんですけど。

 そして、確かに顔アップの繰り返しは多いですけど、ジジイ連中の年期経た皺とかは面白い顔も多く、結構見てられるんですよね。それが平泉成や大杉連の年季行った顔でも、泉修一のふてぶてしい顔でもいいんですけど。 
 大杉連とか北野映画のやくざのイメージだったですけど一国総理の役柄をちゃんと背負えているし、キャストもいいですよね。 

演技については、台詞は演劇みたいにとても流暢(というか棒読み)で、増村監督みたいに基本的に俳優にあまり演技させない演技指導なところはありました。

 だから、別に石原さとみの演技の巧拙それ自体がどうというのはあまり問題ではないんですけど、それにしてもあの石原さとみはどうも自分は受け付けないところがありました(多分そう言っている人かなり多いんでしょうけど)。何というか、あのキャラクターの背負っているドラマに見合うだけのものがないと思ってしまったんですよね。それは単に外形的な顔もそうなんですが。石原さとみ出すならもっと違うキャラクターをあてがっても良かったんじゃないかとか思ってしまって。 

○あと誰か言ってたかもですが、裏で手を引いて利権貪ろうとする悪人とか、無能な人が劇中に誰も出てこないのはやっぱいいですね。お粗末な政治ドラマに終始することがなく、なんというかガチな感じがしていいです。 


特撮に触れてなかったですが、特技監督:樋口さんの尽力もあってか、パノラマティックな絵作りは凄くよかったですね。 
 まず最初に第一形態が多摩川侵入して、香川新橋で上陸してくるわけですが、ここのレイアウトは左右で分断して船が押しのけられてる川の混沌と、そのすぐ横の住宅街とに分けていて、不気味な混沌が日常生活に侵入してくる感じにぞくぞくさせられました。 

  • その後最初に第一形態の全貌が現れ車押しのけるとことかはどっしりした固定カットで、望遠レンズの圧縮で蹂躙される町並みをとらえていて、下手にカメラワークつけないのが規模感出ていて良いです。というか『クローバーフィールド』っぽいあの手持ちカメラは無力感がやばかったですね。 
  • 第一形態がマンションのしかかって押し崩すとこは前半のハイライトですね。 
  • そして、最初の来襲時は平面的に捉えられていたゴジラが、進化を経て二度目に上陸したときには、現実として対処せねばならない存在として二点透視で捉えられる、あおりでダイナミック。 
  • その後もパノラマ鳥瞰図とゴジラの不気味な局部アップの対比で持たす持たす。 

○余談ですが、特撮怪獣映画の魅力ってシンプルに言えば「スケール感」と(ごく個人的には)思います。 

 標識とかビルとかオブジェのような「日常の風景」が怪獣との対比であんなに小さくちゃちなものに見える、みたいな。それがミニチュアセットで再現されたものであれば、二重・三重にスケール感の違いが際立って一層効果を発揮するわけです。で、そういう感性は少なからず『シン・ゴジラ』でも刺激された部分がありましたし、質感の際立たない、CGのゴジラではありましたけど、単純に良いもの見れたなって感じもします。

ゴジラが東京上陸して夜間に停電起こして、ゴジラの周囲から同心円状に灯りが消えて周りの世界がふっと暗くなっていくところが、すごくいいですよね。ああ文明が消滅し世界が終わるんだなって感じなんですけど、同時に思わず綺麗だなって思ってしまう。 

○そしてゴジラがいきなりの火炎放射に続いてビーム発射で米軍機を撃ち落とし、一気に東京を焼け野原にしますよね。一気にやるのがいいんですけど、ほとんど官能的な美しさも湛えているし、燃える霞ヶ関とかが映るところで、まず一度涙ぐんでしまいました。 


○で、ここまできてようやく「ヤシオリ作戦」の話ですね。 

「ヤシオリ作戦」の段取りは、 

  • 自衛隊建機小隊および民間企業関係者面々がビル屋上に集結。 
  • まず無人新幹線JR で爆破し、 陽動。 
  • 米軍機ミサイル空爆攻撃し、ビル破壊でゴジラ足止め。 
  • 自衛隊建機第一小隊に加え、コンクリートタンク車両タンクローリー部隊が出動し、凝固剤注入で凍結作戦するも一度失敗しゴジラ立ち上がり移動。建機第一小隊全滅
  • 追加で無人在来線爆弾で、再度足止め。 
  • 建機第二・第三小隊出動し、凝固剤注入で凍結。 

って感じでした。 

○核攻撃でなく、日本中から物資や技術を集めてゴジラを凍結させるぞ!ってことで、まあ当然、日本中から電力集めてポジトロンライフル発射した(でしたっけ)ヤシマ作戦エヴァ)を踏まえたものではあるんですけど、「日本の国力総結集でゴジラに立ち向かっていく」感がしてやっぱ熱いですね(米軍協力もありますが)。 

「現実対虚構」みたいなのを最も如実に感じるのもここですよね。やってることは非常に荒唐無稽で、無人在来線爆弾とかリアリティ超越してるのでバカみたいなんですけど、日本の現実の「そこにあるもの」で、かつ現実考えうる手段で対処していくというのが非常に堪らないんですよね。 

 

○非常にベタとは思うんですけど、「ヤシオリ作戦」のとこで自分は感極まってしまいました。 

■第一に、まず自衛隊マーチ」をあそこで流すという選曲ですよね。しかも何か劇中の環境音っぽく流してる(明白にそういう描写はないんだけど)。 
 自衛隊ヘリ&戦車総出撃の蒲田作戦のシーンでなくあそこにかけるというのも「ええっ」って感じなんですけど、しかもクライマックスに思い切り既存曲使うという、その図太さというか心意気に感動しました。 

 やや話ずれますが、『ゴジラ』リスペクトで有名な『クレヨンしんちゃん 爆発!温泉わくわく大決戦』でも自衛隊戦車が芝生地で敵巨大ロボを迎え撃つシーンで「自衛隊マーチ」流すんですよね。 

 『温泉大決戦』はわりと本格的に怪獣特撮映画の迫力をアニメで出している作品で、それで中盤にスピーカー付き戦車が出てきて「自衛隊マーチ」流してるんで、おおっとなるんですけど、あれはあくまで自衛隊出てるし正統派オマージュという感じなんです。 

 それに対して「ヤシオリ作戦」であれ流すのは、何が何でもクライマックスであれ流す!というか、非常に気合い入ってるなあという感じがして打ちのめされてしまいました。 
 あと、巡航ミサイルの発射シーンで記録映像混ぜて使ったりするのも、映像再現技術が未発達だった時代の昔の戦争映画によくあるやつですよね。過去作品の韻を踏んでいるのかは分からないけど、ついカッコいいなと思ってしまう。タランティーノとはまた違う意味で、高度な「大人の遊び」をやっているという感じがして。 


■第二に、最終作戦のクライマックスで、絵的にどれほど面白いもの出すかと思えば、口に多数の管突っ込む(デカイ建機だが管に見える)という非常に地味な絵面で、でもその荒唐無稽な作戦を大真面目に(官・民の)職人が仕事として遂行してるっていうのがわかる。わからせる。それがもう堪りませんでした。しかも長谷川に加え、後方指揮で待機してる民間企業も面々もいちいち写るし。 

 あと、フランス政府との遅延交渉も含まれますけど、根回しのプロセスが描かれていてそれまでのドラマの蓄積もあるんですよね。そこで感極まってしまったんです。

 

ラストカットで、いつ動き出すか分からない凍結状態のゴジラが屹立してるというのは、そのまま今の日本の現実と地続きになっているという象徴的なもので、そういう状況認識は意識せざるを得ないのですけど、個人的にそういう読みは直接的すぎる気もして、他の人に委ねたいと思います。


EDテーマ・テロップ

■絵コンテを見ると摩砂雪さんはじめ結構「エヴァ」主要スタッフががっつり入っていて驚いた。カラースタッフ総動員。

■テロップの企業一覧が画面覆うのは熱かったですね、そこまで取り入れてデザインするかっていうか。あざといけど、この映画自体も日本企業結集のその産物ですって言ってるというか。 


 

○ということで、『シン・ゴジラ』は徹底的に自分の好きな要素だけで構築された映画にように思えて、自分としては全力で肯定するしかないのですが、あまりに自分の好みに刺さりすぎて客観的に評価することが出来ないので、人に薦めたいとかはないんですよね。国境を越えるような映画ではないと思うし。今の日本についての状況認識とか、あるいは「特撮」や「怪獣映画」というジャンルの枠組みなしにこの映画見るというのが、そもそもどういう視聴体験になるのか想像できないところがあります。 

 

○冷静にダメ出しするとすれば民間人の顔とかがなかったけど、下手に個人でもってマスを代表させるみたいなメロドラマは、それこそ監督も嫌いそうだし、自分もそれが見たいか?と言われたら疑問符がつく。もちろんそこで賛否あるだろうというのは分かるんですけどね。

 

庵野秀明に関して言えば、こういう着想でこういうものを出してこれるというのは間違いなく才人といえるわけですけど、軽々とこなしているのではなく、どの作品作るにも常に全力いっぱいいっぱいで、自分の持てる手管を全て出し切って作ってるというのが分かるので、そういう意味で、作家としての愛着はあります。生み出してる作品が図らずも似通ったものになるのも、セルフパロディだからではなく、そういう身を削って作ってる側面があるからだろうし。 

 

○あと、余計なことかもしれませんが言うと、日本国力結集して、あらゆる政治的手腕も駆使して対抗するからといって、右翼のプロパガンダみたいなことはないですよね。というか「改憲プロパガンダ」みたいに言われるみたいですが。樋口真嗣監督だって「『未来少年コナン』のオープニング曲はプロパガンダソングっぽくて嫌い」みたいなこと平気で言っちゃう人ですけど、それと、あそこで自衛隊マーチ流すのはまったく別の話でしょうって感じだし。 いずれにせよ、ナンセンスな批判と思いますが。