highland's diary

一年で12記事目標にします。

『響け!ユーフォニアム』の演出における位置関係の設計~第5話と第8話を例に~

 数年前に「『響け!ユーフォニアム』演出総解説」という同人誌に参加しまして、『ユーフォニアム』一期の全13話から、ハイライト場面を11シーンセレクトし、それぞれのシーンについて全カットを解説していくというものでした。私はメンバーの一人として、主にカット解説文を書いたり修正したりといったことで参加していました。

だいたい『ユーフォニアム』の第二期が放映されている時期に、アニ同有志の方々と作っていました。

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さて、最近になって、同人誌を中心になって作っていた編集長と久々にコンタクトが取れるようになり、残部が10部ほど残っていたのがアニ同のサークルに戻るようです。

そこで同人誌の紹介も兼ねて、自分が寄稿したコラムの部分を切り出してブログに掲載することにしました。ちょうど『誓いのフィナーレ』が現在上映中でタイミングも良いかなと思い、編集長やアニ同の方の許可も取れたので掲載させていただきます。

なお、元々の同人誌では以下のサンプルのように、シーンのナンバリングやカット解説が載っていたのでそれを参照する形でコラムを書いたのですが、ここに掲載するにあたっては(カット解説のパートがないので)ブログ記事用のフォーマットに直し、いくらか書き足したりしています。

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それでは以下よりコラム本文です。

 

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響け!ユーフォニアム』の演出における位置関係の設計~第5話と第8話を例に~

 

今回取り上げるのは、『響け!ユーフォニアム』一期の第5話「ただいまフェスティバル」において、マーチングの練習帰りに久美子が麗奈と居合わせて会話を交わす場面(乗り合わせた電車内で目が合ってからAパート終わりまで)と、同じく一期の第8話「 おまつりトライアングル」で、祭りの日に久美子と麗奈が待ち合わせて大吉山に登り始める場面です(二人が会ってから、宇治上神社を通り過ぎるあたりまで)。

便宜上、それぞれにシーンA(第5話)及びシーンB(第8話)と呼称することにします。

シーンAは、『響け!ユーフォニアム』のBDソフト第3巻において再生時間10分28.5秒~12分20.0秒の箇所であり、1分51.5秒で計42カット。シーンBは、BDソフト第4巻において再生時間36分12.0秒~38分7.0秒までの箇所であり、1分55秒で計31カット。

この2シーンをセレクトした理由としては、この二つの場面はともに久美子と麗奈が歩きながら会話をするという、基本的にはそれだけのアクションしかないにもかかわらず、それを見る者の心に不思議な感動をもたらします。単に「交わされている台詞や音楽が印象的」であるというだけの理由なら、それはオーディオドラマで聴いても大差ないはずですが、実際には映像を通じて豊かなドラマが展開されています。 

もし貴方がアニメを真摯に鑑賞したいのであれば、「映像上でどのようにドラマを展開しているか」、その「技」をこそ見るべきでしょう。 

(同人誌内の)カット解説では、もっぱら「構図」や「フレーミング」「編集」などを見たのですが、ここでは補足として、それらを成り立たせている「(二人の)位置関係の設計」について整理してみたいと思います。なお、カット解説で書いた内容との重複もありますのでご留意ください。 

 シーンAの設計

まずは第5話前半のハイライトとなるシーンA。電車内で鉢合わせた二人が、駅を出て、帰り道を一緒に歩き、横断歩道を渡りきったところで別れるまでの場面です。

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帰り道ということもあり、二人は画面上でずっと同じ方向に歩き続けています。「下手(しもて)=画面左側」から「上手(かみて)=画面右側」への方向です。これはたとえば『ちびまる子ちゃん』などでも登校するシーンは「上手→下手」方向、下校するシーンは「下手→上手」方向になっていることからも分かりますが、いわば日本アニメのお約束のようなものです。なので、ここで二人が歩いている方向自体に深い意味はないのですが、移動しながらどのように位置関係が変化しているかということは注目に値します(いわゆる「上手-下手理論」はここでは関係ないです。念のため)。 

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まず電車内で二人が鉢合わせした(というか目を合わせた)ところ(【カット1】~【カット3】)では、麗奈が上手側にいて久美子が下手側にいますが、電車を降りて改札口まで歩いてきたところでは久美子の方が麗奈の若干前(上手に近い方)を歩いています(【カット4-1】)。しかしこのカット内においても麗奈と久美子の間隔は徐々に縮まっていき、次のカット(【カット5】)になると麗奈が久美子より先を歩いて行っています。

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麗奈が久美子の先を行くという位置関係は、ここでの、麗奈に振り回される久美子という二人の関係をそのまま示す配置ですが、久美子の方が先を歩いているというカットを最初に入れていることで、(性急なカット割りも相まって)「麗奈の方がスタスタ歩いていくので久美子は追い越されて後ろに付いて行っている」というような印象を作り出しています。 

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道中、久美子は麗奈に適当な話題を振って話しかけようとしますが、「うん」と返されるだけで相手にされません。久美子のアクションが何の効果も生んでいないことが客観的な水平の構図によって示され、ややコミカルな印象が生まれています。

麗奈が久美子の先を歩くという位置関係は駅の出口を出て、信号前で二人が立ち止まるところまで続きます(【カット11】~【カット17】)。【カット17】において麗奈の足が点字ブロックまで着き、これ以上は足を踏み出せないことが分かります。

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ここで赤信号になっており二人は立ち止まるので、そのまま信号待ちで会話を続けることになります。

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ここで麗奈は出し抜けに「どう思う…?滝先生」と久美子に対し問いかけを投げてきます。信号は赤で止まり続けており(【カット21】)まだ歩き出すには時間があるため、答えを適当に濁してやり過ごすことはできず、久美子は逃げ場を無くしたことになります。久美子は麗奈の真意が掴めず困惑しながらも、何とか言葉を紡いで返答しようとします。

 

ここでの会話で、久美子が何気なく漏らした一言「(滝先生は)カッコいい…とか?」に対して麗奈が驚いて振り向く芝居があります(カット【23】)。「カ……カッコいい!?」と麗奈が言うカットです。

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ずっと前をみていて振り返らなかった麗奈が突然久美子のひとことに反応し、振り向くところであり、この【カット23】はその衝撃を表すために生々しさをもって描かれています。麗奈が振り向くとき、このカットの背景に絶妙なタイミングで車が横切ることで、振り向きがいっそう強調されて感じられると思います。ヘッドライトも光源になっており、後ろから光が差し込むようになっているからです。そして、振り返る麗奈の背景に車が横切るためには、麗奈の後ろに久美子がいるという位置関係である必要があります。つまり、「麗奈が久美子の先を行く」という位置関係は、二人の関係を象徴していながら、同時に「振り向く麗奈のバックに車が横切る」というおいしい展開も実現させていることになります。 

 

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麗奈はここで場を取り繕うための言い訳をしなくてはならなくなりますが、その後信号が青になったとき、今度は久美子が話しながら麗奈の前に出て大股で歩き始めます。信号前での一時的な歩行停止を経ることで、「二人の位置関係の転換」が実現します(【カット26】~【カット27】)。

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ここでなぜ久美子が麗奈の前に出るかというと、第一義的には久美子は居たたまれなさを感じているからです。麗奈をまた怒らせてしまうかもしれず、会話内容が気づまりで、つい逃げ出すように小走りになってしまうのですね。しかしメタ的な目線で見ると、「久美子が麗奈の前に出る」ことによって、麗奈が追い付くまでのあいだ、しばし久美子はひとりで話をする時間を与えられたことになるのです。実際、ここでの久美子は自分の内面に没入しており、麗奈がいることも忘れたかのように吹奏楽部に対する本音を話してしまっています。そしてそこに、後ろから麗奈がやってきて内容を聞いてしまう、というような動きの設計になっています。 

 

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ここの演出が上手いのは、【カット28】で久美子を正面からとらえ、麗奈を画面外にはけさせているところです。このカットで久美子がひとり芝居のように話していると、画面左手奥から麗奈の足元がフレームインしてきて、久美子はハッと麗奈の存在を思い出し、あわてて言い訳をすることになります。

「内面への没入によって麗奈の存在がしばし意識の外にある→麗奈に気付く」という展開を、「フレーム外に麗奈をはける→フレーム内に足元が入ってくる」というように画面で直感的に表現しているのが上手いです。これは久美子を正面から俯瞰でとらえるという、このフレーミングとアングルによってはじめて実現する演出になっています。 

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そしてまた、「久美子が麗奈の前に出る」という展開は、これに加えもう一つおいしい展開を実現させています。それは勿論このシーン全体を象徴するショットである【カット35】のことであり、麗奈が「黄前さんらしいね」の台詞を言いながら、髪をかき上げるあの芝居のことです。

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このカットで麗奈は逆光になっており、台詞を言う麗奈のバックを立て続けに三台の車が横切ることで、やはりここでの麗奈の仕草を印象的に見せています。やはりここでも【カット23】同様に「久美子から見た麗奈のバックで車が横切る」という展開が実現しています。そして「久美子が麗奈の前(上手方向)に出る」という位置関係があってはじめて、この展開が成り立っているのです。 

こうして考えてみると、横断歩道での二人の位置転換(久美子が麗奈の前に出る)は【カット28】で麗奈が突如フレームインしてくるという展開に寄与しているだけでなく、【カット23】と【カット35】をともに印象的な場面にするのにも役立っていたことになります。シーン全体の展開を考えて、このような位置関係と移動を設計したことが分かると思います。 

そして久美子と話し終わった麗奈は横断歩道から見て左側(画面奥方向)へ去っていき、久美子はその方向をじっと見つめています(【カット38】【カット39】)。最後にはやはり、「久美子の視線の先に麗奈がいる」=「久美子が麗奈の先を歩いている」という位置関係になっており、この時点での二人の関係が示されているといえるでしょう。 

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さて、シーンAでの 動線(シーン内での動きの軌道)について見てきましたが、そういった動線の設計だけでなく、その映し方という意味でもここでの演出はよくまとまったものになっています。

このシーンでの三好一郎さんの演出は、場所や位置関係の変化は客観的な横構図(二人を側面から映す)で見せて、二人が重要な会話を交わすところでは正面構図(二人を正面から映す)を使っています。

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二人が横構図で映っているところでは位置の移動が起こっており、歩くことで久美子が「やりすごそう」「逃げよう」と思っているところです。そして二人が立ち止まって会話しているところでは二人は正面構図で映されます。ここで二人が立ち止まって会話しているということは「重要な会話をしている」ということです。重要な会話はふつう立ち止まってするものです。実際このシーンにおいて、麗奈が単に相槌をうつのではなく、自分から話しているときは必ず正面構図で映されています。逆に横構図で歩いているところではそっけない反応をしています。 

客観的な横構図で移動を映すことで、場所の移動、どんどん上手(かみて)側に逃げようとする久美子を表現し、主観的な正面構図で重要な会話を印象的に見せる、という整理が行われています。脚本上でのアクションと演出による表現が上手く結合した、卓越した計算がなされていると感じさせます(そして横断歩道や信号というロケーションが、そうした展開にいかに寄与しているかということに注目すべきでしょう)。 

さらに言えば、このシーンAで久美子と麗奈の間に行われる「振り返る」(【カット23】)、「見つめることで相手と目が合う」(~【カット3】)といったアクションはこの第5話全体の演出的な主題にもなっています。久美子と麗奈の間で「相手を見つめていると、その相手が気付き目が合う」というアクションが話数全体で二回交わされ、「麗奈の振り向き」という印象的なアクションもなされます。それらの反復は、このエピソードの最後、サンフェスのシーンで久美子が吹奏楽部を「振り返る」というアクションで総括され、久美子と麗奈二人の関係から、「吹奏楽部のみんな」の関係にまで膨らんでいきます。 

何気ない視線のカットや、振り返りや仕草といった細部のアクションの積み重ねで演出というものは出来上がっており、それらをないがしろにしてはならないでしょう。 

 

 シーンBの設計

次に第8話のシーンBを見てみましょう。こちらは久美子と麗奈が夏祭りの日に、山で待ち合わせて登りはじめるというシーンですから、二人は画面上で「上手(かみて)」から「下手(しもて)」方向へ最初は歩いています。山へ登るところですから、学校へ登校するのと同じ要領であり、二人がこの方向(上手→下手)へ歩いているのは納得がいくでしょう。 

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久美子が待ち合わせ場所に到着したところで、麗奈がぬっとあらわれて遅刻を宣告します(【カット3】)。ここで麗奈はやはり久美子から見て前位置(進行方向から見て前の位置)にいます。 

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麗奈の登場シーンでは久美子が疲れで身をかがめているために、麗奈を仰ぎ見るという姿勢になるのが良いですね。汗を流す久美子と、疲れ一つ見せない麗奈とが対比になります。

大吉山を登るシーンはずっと麗奈が久美子を先導するという位置関係になっています。これもシーンAと同様にこの二人のこの時点での関係を示しているといえますが、こちらでは久美子が麗奈の美しさに魅入られ惹きつけられているという要素も付加され、そのことが久美子のモノローグ以外にも、目線(の向かう先)や、ゆっくりと歩み出す足取りによって視覚的に分かるようになっています。 

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宇治上神社に着いたところで二人はいったん立ち止まって会話するのですが、ここで前を行く麗奈が、久美子に問いかけ(「(こっちの神社の方が)渋くて大人な感じがする……分かんない?」)を発するために「振り向く」という芝居をするのが、やはりこの前後の位置関係ならではのアクションになっています。振り向いて問いかけることで、普通に横並びで会話していたのでは出ないニュアンスを出すことが出来ます。ここでの久美子が麗奈の幻想的な美しさに魅入られていることが台詞の上でも示されている以上、細かい仕草を拾っていくようなディレクションは功を奏することでしょう。

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振り向くところでは麗奈の足元から映しており(【カット20】)、サンダル履きの足をクロスさせるような仕草が大人っぽさを表現しています。 

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さて、宇治上神社を過ぎた辺りで二人の歩く方向が転換し、丸石の行列を横切って二人は階段の方へ歩いていきます(【カット27】)。ここでは麗奈の台詞内容に合わせ、日常から外れた(ささやかではあるが)非日常へ向かう、ということが示されている箇所です。丸石の規則的な行列は単調な日常生活といったもののイメージであり、それらを横切って進むという描写によって「非日常へ向かうこと」を暗示しているのですが、ここではそれと同時に「歩く方向の転換(下手方向へ歩く→上手方向へ歩く)」を同時に行っており、「非日常へ向かうこと」が二重に表現されているといえるでしょう。 

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つづくシーンで階段を上るところでは、麗奈が久美子の先を歩いているために、麗奈が先に階段上に着いて久美子がまだ階段を上りはじめていないという状況になっています(【カット28】)。これによって、【カット29】で麗奈が口にするとっておきの台詞は久美子より高い位置で言われることになり、アオリのアングルで有無を言わせぬ力を持ったものになっています。 

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おそらく演出家としては、このシーンをしめくくる麗奈の最後の台詞「明日、学校だから。」を石段の上に立たせて言わせたいと発想したはずです。そのために、その直前の【カット28】では、階段に上る麗奈と地面を歩く久美子をワンフレームで収めるという、難易度の高いレイアウトを持ち込んでいます。この【カット28】で二人の位置関係をロングで見せておくことで、その次の【カット29】でのアオリのアングルが際立つようになっているのですから。 

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ここで総括としてシーンB全体を見て行くと、久美子が疲れているところに前方から麗奈がフレームインしてくるように登場させ、「非日常に向かう」ことを表現するシーンでは、ロケーションを活かした丸石のようなモチーフを用い演出すると同時に方向の転換でダイレクトに逸脱を表し、シーンを締めくくる最後の台詞は、階段の上下をいかして有無を言わせぬ麗奈の説得力を表現する……という具合に、このシーンBもまたシーンAと同様、脚本上のアクションを演出としてどう表現するかについて細かな気配りがなされています。この大吉山は実在する場所であり、制作過程でロケハンもなされたと考えられますが、このような実在するロケーションであっても、それをアイデアとして取り入れ表現したいドラマを自由に表現できるというのは、演出家の想像力の賜物であると言っていいでしょう。 

やはりアニメにおいても、動線や演出といったものは、一筋縄ではいかないものなのだと痛感させられます、といったところでしょうか。 

 

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スクショが散逸していたため新しく撮り直したりしたのですが、やはり三好一郎さんの演出回は良いなと思いました。カットの切り替わるタイミングがアクションと連動していてテンポ良く、カット頭とカット尻が緊密に詰まっている。キャラクターの芝居や表現手法も大胆で独特、総合的な表現力が凄くあるなと感じます。もちろん藤田春香さんの8話も傑作であるし、11話などもとても見応えある回だったと思いますが、『ユーフォニアム』一期は三好一郎さんの担当した5話と12話がやはり好きでした(個人の意見)。

 

「演出総解説」については、作ったメンバーの中で「このカットにはこういう意味がある」というよりは「このカットを置くことでこういう効果がある」という書き方をする、という合意がありました。

アニメの演出について語るとなった時に、たとえばコンティニュイティ(カットの連続性)の話をする人があまりいなくて、静的な画面を切り出して意味を読み取っていくという方向性に行きがちなのですが、そういった象徴表現を凝らすといったことはあくまで手法の一つに過ぎないし、アニメの映像が私たちに働きかけている作用は、編集や音響も含め、もっと多様で豊かなものであるという問題意識がありました。なので、「意味」というよりは、演出によって生み出される「効果」に焦点を当てて書いていたと思います。

個人的には、今でもそういった問題意識についてはあまり変わっていないなと思います。こういったものはまた書いたりしても面白いかもしれません。

前回の更新から二連続で過去に書いたものの再掲になっており申し訳ないですが、次回以降はまた新しい内容について書きます。