highland's diary

一年で12記事目標にします。

『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』の海外受容について

金曜ロードショーで『未来のミライ』に続き『サマー・ウォーズ』が放映されるとのことで、細田守作品について以前より気になっていることについて書こうと思います。

f:id:ephemeral-spring:20190718233252j:plain

 

デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』について

まずは本作についての客観的な事実から述べます(以下に『ぼくらのウォーゲーム!』の説明を書いていますが、「既にそんなことは知っている」という人はこの部分読み飛ばしてくれて支障ありません)。

細田守の第二作目の監督作である映画『ぼくらのウォーゲーム!』は『サマー・ウォーズ』に直接インスピレーションを与えた作品として広く知られています。「電脳空間に発生した人工知能がインターネットを通じて世界中を混乱に陥れる」「発射された核ミサイルの爆発阻止のため主人公たちはそれに戦いを挑む」といった筋や、「クライマックスに至って観客と映画内の時間とが同期するカウントダウンが始まる」といったアイデアの面でも『ぼくらのウォーゲーム!』を踏襲、『サマウォ』は実質的な『ぼくらのウォーゲーム!』のリメイク作品として見られています。

また、独立した一本の映画としても『ぼくらのウォーゲーム!』は高い評価を受けています。

ヤマカンこと山本寛さんも公開当時2000年7月の日記において「(日本アニメーションにおける)惨状からの希望」と評し絶賛しており、

web.archive.org

最近でも、2019年6月に刊行された石岡良治さんによる著書『現代アニメ「超」講義』は序章を細田守作品論にあて、「2000年から現在までのアニメ史を概観する際に『ぼくらのウォーゲーム!』を起点に据えた」との説明が出ています。

 

本作はこうして批評的にとりあげられているのみならず、いわゆる一般のアニメファン層にもウケている作品です。

映画レビューサービスの「filmarks」でも、(スコア数には差があるものの)『時をかける少女』と並んで細田作品の中では最も高い評価を保持しています。

 

f:id:ephemeral-spring:20190719002237p:plain

 

細田守フィルモグラフィーの中では、今に至るまでに最も高く評価されている作品の一つでしょう。

卑近な例で言えば、細田守作品について語る際に『デジモン』シリーズの名前を出した著名人が持てはやされるなど、

togetter.com

語弊を恐れずに言えば、「玄人のアニメファンが名前を挙げる」というイメージも付いていると言えます。

 

 ぼくらのウォーゲーム!』の卓越性

本作がこれほどまでに高い評価を受けている要因として考えられるのは、一つにはその題材の持つ先進性でしょう。まず、『ぼくらのウォーゲーム!』のタイトルは『ウォー・ゲーム』(1983年、ジョン・バダム監督)から取られていると思われます。

 

f:id:ephemeral-spring:20190718232254j:plain

冷戦下のアメリカを舞台にしたSF映画ウォー・ゲーム』はペンタゴンの国防用コンピュータに侵入した10代のハッカー少年が遊びでゲームを始めたために、混乱したコンピュータがシミュレーションで全面核戦争ゲームを開始してしまうという筋でした。

黎明期におけるハッカー、ネットを題材にした『ウォー・ゲーム』が、ハードなタッチで核戦争の恐怖を描いていたとすれば、『ぼくらのウォーゲーム!』はそれらをずっと我々の日常の感覚に近いところで描いてみせました。

 それは現実世界においてPOSシステムを始めとした日常のインフラやメールを使っての交流といった、インターネットが社会全体に浸透していっている状況と基調をなしていますが、それらを子供の目線から手の届く、肌感覚で描いているところが先進性を持っています。前述の石岡さんの著作においても、例えばマシンの動作が重くなるという経験とデジモンバトルとを感覚的に結びつけており、身体感覚の延長線上でスケール感ある話を展開していることが評価されています。

ぼくらのウォーゲーム!』は我々の暮らす日常と、核ミサイルの暴走といった非日常とを近い距離で対比させて描くことにも成功しています。そして、ネットによる全世界の子供たちとの結びつきといった部分や、あらゆるシステムが統合されるネット、VR空間の表現などは、来るべき21世紀への展望を強く感じさせるものでした。

加えて、光ヶ丘や島根といった実際に存在する場所を舞台に設定しロケハンを行ったり、NTTに実際に取材し、(架空の便利なガジェットを使うのではなく)災害伝言ダイヤルや衛星携帯など有事の際に実際に使われるサービスをストーリーに取り入れたりといった、『デジモン』シリーズの一作品ながら現実世界との結びつきも強く持っています。

劇中で太一は一度も室内から出ず、デジモン同士のバトルもデジタルワールドや現実の世界ではなく、現実のインターネット空間の中で展開するという点もリアリティを持っています。

フィクショナルな作品ながら現実のインターネットやデジタルツールとの関わりを感じさせる面でも、その後のアニメ作品に先んじていると言えるでしょう。

21世紀に入ってからのアニメにおいてはテーマ的にも表現的にも、デジタルなものとの関わりが深化していっており、2000年に公開された『ぼくらのウォーゲーム!』は21世紀のアニメが見せる展開を予見していた作品と言っても過言ではありません。

自信が手掛ける『サマー・ウォーズ』よりおよそ10年早く、このような題材を取り上げた先進性も高く評価されて然るべきでしょう。

 

もう一つの要因としては、一本の映画として非常に高い完成度を見せている点です。

 上で述べたように、『ぼくらのウォーゲーム!』はテーマの持つ社会的・経済的な観点からも重要な作品と言えますが、それだけでなく、VR空間を表現するCGや、モーショングラフィックスの活用といったデジタル表現も幅広く映画内で活用されており、ストーリーを洗練された形で伝達することに成功しています。

 しかし、アニメファンを最も驚かせたのは何といっても映画における時間の使い方でしょう。

主題歌に合わせオープニングクレジットが流れてから、ラストカットのエンドロール、Windowsの画面上で映画が終わるまで、40分という非常に短い上映時間ながら、その時間を完璧で無駄のない使い方をし、開始30分に至るまでにドラマを一気にクライマックスまで持って来るレベルの高さは、まさしく映画体験として非常に強く印象に残ります。個人的にも、短い上映時間でここまでテンションを上げることが可能なのかと衝撃を受けた作品です。

 

後の『サマー・ウォーズ』にも引き継がれた、核ミサイル衝突までの制限時間のカウントダウンと映画の上映時間を同期させるアイデアも本作で初めて試みられていますが、それに限らず、ドラマを盛り上げるためのあらゆるテクニックを使い切っています。

 それは例えば、先に述べたテーマとの関わりで言えば、「日常と非日常のアンサンブル」を取り入れている点です。

 敵役のデジモンディアボロモン)の暴走を阻止するために太一たちは部屋のなかにいながら奔走しますが、その合間に他の登場人物や、周囲の人たちの状況もクロスカッティングで入っています。

 太一と光太郎、ヤマトとタケルは直接戦いに加わりますが、他の子供たちや周囲の人たちはそれを意に介さず日常を過ごしていたりしており、例えば核ミサイルのカウントダウンの数字と母親がケーキを焼き上げるまでの時間、丈の入学試験の残り時間が重なっていたりと、そのあざやかな対比によってサスペンス感を演出しています。日常と非日常との距離感は、テーマに絡んでいるだけでなく、対比と反復によって映画をいかに盛り上げるかといったところにも機能を果たしているのです。

そうした対比と反復、それを成り立たせるための、広角俯瞰のマスターショットを用いたレイアウト重視のスタイルなど、後に見せる細田守の洗練された視覚的スタイルも本作において既に確立されています。本作は『サマー・ウォーズ』の前哨戦であるだけでなく、まぎれもなく細田守が頭角を現した作品でもあり、映画美学の面からも瞠目すべき達成を成し遂げていたと言えるでしょう。

個人的にも、現時点までの細田守の監督作品で最高傑作は何か?と訊かれれば、(そう答えるのがクリシェであるとは知りつつも)『ぼくらのウォーゲーム!』と答えることだと思います。

 

ぼくらのウォーゲーム!』の海外受容

以上にも述べたように、幸い国内においては『ぼくらのウォーゲーム!』の評価は確立されていると考えていいでしょう。

では。本作は海外においてどのように批評されているのか?というのは兼ねてより気になっていたので以前ネットでチェックしてみたのですが

f:id:ephemeral-spring:20190718230732p:plain

RottenTomatoesで「細田守」のフィルモグラフィーの項を見ると、細田作品の中ではまさかの最低の評価が付けられおり、軽いショックを覚えます。

しかしそれと同時に、『Digimon - The Movie』(2000)って何のこと?となるわけです。

日本のアニメファンが『デジモン ザ・ムービー』と言われて思いつくのは、細田守が監督した一作目の『デジモンアドベンチャー』(1999)ですが、こちらは『ぼくらのウォーゲーム!』(2000)とは別作品であり、しかしRottenTomatoesには一作しか記載されていません。

 

詳細を見てみると、監督には『デジモンアドベンチャー』や『ぼくらのウォーゲーム!』とは関係のない山内重保さんや相澤昌弘さんの名前も載っており、ますます首を傾げます。どうも細田守の単独監督作品ではないようなのです。

f:id:ephemeral-spring:20190718231207p:plain

 

『Digimon - The Movie』のCritics Consensus(批評家の合意)を見ると、

 

f:id:ephemeral-spring:20190718231106p:plain

デジモンポケモンよりも良いが、しかしこの映画は凡庸なアニメーションによるありきたりな映画です」(直訳)

 となっており、皮肉にも、前述の日記におけるヤマカンさんによるレビュー(「『ポケモン』劇場版も確かに悪くはないが、『デジモン』に比べれば、赤子と兵隊」)とは真逆の評価を受けてしまっています。

ちなみにWikipediaの英語版で細田守フィルモグラフィーを確認してみても、長編映画の監督第一作目が『Digimon - The Movie』となっています。

 

f:id:ephemeral-spring:20190719001930p:plain


『Digimon - The Movie』という謎の映画の存在が気になるところですが、Wikipediaの当該ページなどを見ると、どうやら本作は

 

・『デジモンアドベンチャー』(1999年、細田守監督)

・『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』(2000年、細田守監督)

・『デジモンアドベンチャー02 前編 デジモンハリケーン上陸!!/後編 超絶進化!!黄金のデジメンタル』(2000年、山内重保監督)

 

の三作を合体させて、編集で上映時間を40分削られた上で、一作品にまとめて北米では公開されていたもののようです。クレジット上も「監督:細田守山内重保」と共同監督による作品となっています。そして台詞や構成を元の映画から大きく改変しているため、オリジナルの別作品として見られている模様。

 

北米でこのような流通がなされた経緯としては、北米において『デジモン』シリーズの劇場版を公開するという話になったときに、その時点で日本で公開されていた劇場版が上記三作であり*1、それぞれ20分、40分、60分と、単独で公開するには向いていない上映時間であることもあって*2、三つをミックスした上で上映時間を短縮、合わせて台詞の改変やシーンの削除等で整合性を取った感じのようです。

 

日本アニメの他の例でいうと、『超時空要塞マクロス』・『超時空騎団サザンクロス』・『機甲創世記モスピーダ』らをまとめて『Robotech』という一つの大河シリーズとして海外で放映するといったリミックス改変によるローカライズがなされていたケースがありますが、この種のミックスによるローカライズが『デジモン』シリーズにおいても行われていたことになります。

ネットを見ると、『Digimon:The Movie』はRottenTomatoesやIMDbなどの英語圏の映画アグリゲーターサイトでは酷評されていますが、AmazonのDVDページのレビューなどを見るとそこそこ高い点数が付いており、本作は本作でそれなりに思い入れのあるアニメファンが多いようです。

 

『Digimon:The Movie』自体を見ていないので何とも言えない面はありますが、いずれにせよ、『ぼくらのウォーゲーム!』はプロットに改変を加えられた上で、『デジモンアドベンチャー』一作目及び、『デジモンアドベンチャー 02』シリーズに属する別作品と抱き合わせで公開されたというのはほぼ間違いないでしょう。

 

『Digimon: The Movie』の問題点

このような流通形態がとられたことによって、『ぼくらのウォーゲーム!』は、批評的にも、デジモンを始めとするアニメファン的にも、公開当初無視されてしまったことになります。海外では、後から配信サイト等で視聴した一部のアニメファンのみが『ぼくらのウォーゲーム!』を映画単体で消費できているのでしょう(そのため、IMDbには独立した作品として登録されており一応そちらでは高スコアも付いています)。

しかし『ぼくらのウォーゲーム!』はその一本の独立した映画としての達成度が抜きんでているのであり、トータルでの完成度、つまり一つ一つのシーンやカットではなく、その全体での統一のされ方においてまさに優れた作品でした。

例えば「日常と非日常の対比」のような肝心の部分は、編集が入ることで崩れてしまうでしょう。表現やテクニックが、テーマや描きたいもの、観客に与える心理的効果に密接に結びついているこの映画において、そこに編集が加えられることや、抱き合わせで一本の映画に統合されることは、映画としての価値を無化してしまうことに等しい。

また、加えて言うと細田監督だけでなく山内重保監督もこのことで被害を被っています。

f:id:ephemeral-spring:20190718233133j:plain

 

デジモンアドベンチャー02 前編 デジモンハリケーン上陸!!/後編 超絶進化!!黄金のデジメンタル』は細田守監督による前二作とも打って変わって、山内監督の作家性が炸裂、敢えて言えば暗い部分を感じさせる作品です。分かりやすいカタルシスもあるわけではない。監督自身が「後編にかけて、観客に嫌な気分になってもらう」ことを目標に作ったというコメントも残しているほどです。

また、『02』は前二作とは表現のトーンも異なります。細田守による前二作は山下高明さんがキャラデザイン&作画監督を手掛け、シルエット重視のシンプルな線を基調とし、影無し作画のスタイルを貫いていますが、山内重保による『02』は部分的に影付き作画、線の艶が際立った色気のあるデザインになっています。

両者は線の手法やキャラデザインなども含め、スタイルも雰囲気もまるで違います。そしてデザイン面の違いは、まさに作品の持つ思想を反映しての違いによるものです。

 

もちろん流通の上で、このような公開形式になったことはある程度仕方ない部分はあるでしょう。東映アニメフェアのような公開形態は北米にはなく、三本に分けて一度に上映するといった公開の仕方もおそらくハードルが高い。しかしせめて、細田守監督による一作目と二作目をひとまとめにして同時に公開し、山内重保監督による二作目を独立して公開するといったやり方は出来たはずです。そのような元作品への尊重を欠いた結果が、『ぼくらのウォーゲーム!』の持つ独立した映画としての真価が批評的に無視されることに繋がってしまいました。 

前述のように、IMDbでは『ぼくらのウォーゲーム!』単体での評価も載っていますが、『Digimon: The Movie』と比べると圧倒的にレビュー数は少ないですし、それに、デジモンの濃いファンや、アニメマニアでない限りは、『Digimon: The Movie』をオリジナルと見比べようとはならないことでしょう。そもそも『Digimon: The Movie』が細田守監督による長編映画の第一作目として認知されてしまっているので、致し方のない状況です。

 

まとめ

ぼくらのウォーゲーム!』が一般のアニメファンや批評家からオフィシャルに評価される機会は英語圏においては実質的に失われてしまったと言っても過言ではないでしょう。

一般的に、ローカライズの仕方というのは、次世代の人がどのようにその作品を享受するかというのを決定づけてしまう。そして、世の中の多くの人はバージョン違いを細かく気にするマニアではない以上、それは不可逆な過程でもあります。

先日Netflixで旧『エヴァンゲリオン』シリーズが全世界に配信された際に、ショッキングなシーンの削除、エンディングソングの変更、あるいは字幕の改変等を行ったことで海外のファンから非難の声が上がるという事件がありましたが、考えてみればこれから『エヴァンゲリオン』を見る人は皆その改変バージョンを見て入門するわけなので、次世代においてはその改変バージョンが「当たり前」になってしまうことになる。Netflixの全世界における影響力を考えれば、これは海外の『エヴァ』ファンが吹き上がるのも当然のことと言えるでしょう。

逆に、日本のファンは海外オタクから指摘される前にもう少しこういった事情に敏感になった方がいいのではないかと感じてしまう。そのようなことを『デジモン』や『エヴァ』のケースなどを見ても考えさせられるのでした。

デジモン THE MOVIES Blu-ray VOL.1

デジモン THE MOVIES Blu-ray VOL.1

 

*1:ぼくらのウォーゲーム!』の正式な続編と見られる『デジモンアドベンチャー02 ディアボロモンの逆襲』(2001年3月)は当時まだ公開されていませんでした。

*2:元は三作とも東映アニメフェアで他タイトルと同時に上映された作品であったため変則的な上映時間だった。