highland's diary

一年で12記事目標にします。

映画『空の青さを知る人よ』(2019)雑感

・ファーストショット、画と言うよりくしゃみの「音」から映画が始まる(くしゃみのアップから全身のロングへの切り替え)。目を閉じてのベースの演奏に入れ込ませて他キャラの動作(ドアの開閉ショット等)、過去の回想カット、と音で繋いでいく(ライブシーンから木魚の切り替えの衝撃性)。現在に囚われず異なる時間軸、場所のカットが切り替わっていく、しっちゃかめっちゃかな編集(ここまでやるのは『トレイン・ミッション』以来?)
しかしそれらは主人公にとっての意味を持つもので、意識の流れによるものだというのが浮かび上がって来る。主人公がイヤホンジャックを外し、外部の音が入って来るタイミングでそのことが決定的になる。アバンタイトルの終わりにおいて、空のショットにカメラが上がり、『空の青さを知る人よ』のタイトル。
このアバンタイトルによって主人公のバックグランドを説明し、映画全体の象徴ともいえるシークエンスになっている。ここでまず100点!という感じなのだが、このアバンタイトルの使い方は新海誠を感じさせる(というか『君の名は。』)。
(というのも、新海誠の直近二作においては、冒頭のアバンタイトルにおいて映画の後の方のシーンを先取りして出しているんだけれど、このシーンってモノローグでも映像でも、ほとんど後のシーンを見れば分かるようなことしか言っていないので、本編の象徴や、予告編のような映像になっている。)
全体的にクライマックスでの走りや上昇、降下といった運動の取り入れ方など新海誠エッセンスを感じさせる映画だった。長井龍雪さんと新海誠さんは良い意味で触発し合っているのが伝わって来る。

・演出的には、室内を映す際に広角レンズのレイアウトを選択し、カメラが壁をぶち抜かないようなリアルなカメラ位置。
会話シーンでレイアウトに凝る。敷居を活用して区切った空間にキャラクターを配置することで意味性を持たせている。主人公の伸びやかでフェチを感じさせる芝居。特に脚部の自然な動作を強調。

岡田麿里さんは究極的には女性キャラの自意識にしか興味ないのでは?と思う。主人公の尖ったパーソナリティは良かった。修羅場を作ってそれに持って行くまでの手付きが個人的に好きなんだけど、今回はそこまでのあざとさや際どさはなくて抑制されていた。
ただ、しんのが最初に登場してそのことを主人公があか姉に伝えに行くシーンで、あか姉が作っているのがメンチカツで、ぐちゃぐちゃにかき混ぜている肉片が飛んで主人公の頬に付くシーンは最高。
(あと慎之介の追っかけをしていた女子高生は、結局それを口実にして主人公の方に近づきたかったようにしか見えなかったが、邪推だろうか。)

・最終的に慎之介としんのの男性キャラ二人は完全に蚊帳の外に置かれている(しんのの方もクライマックスになるまではずっと屋内で閉じ込められているし。)。結局のところ自身の夢の問題は自分で解決するしかないのだと思う。この題材であれば「慎之介が夢に向き合って立ち戻るまで」の過程に焦点化するストーリーになってもおかしくないのに、それをメインに据えずに、それを介して姉妹が互いに向ける想いとすれ違いを描いた作品になっている。そこがすごく現代的な様に思った。

・エンドロールで出て来る(その後を描いた)画は要らないという意見には全面的に同意するが、自分の場合どちらかというと「その後の話を自分たちで想像したかった」という理由。ただ、やはりそこまで作品内で描かないと気が済まない/そこまでやりたいというのが超平和バスターズの人たちなのだろうなと思う。