highland's diary

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「東映版Key三部作」の語られなさについてのコメント

私事ですが、現在いわゆる「東映版Key三部作*1」についての同人誌を制作しています。

現状語られないままになっているこれらの作品について語る場を作ろうという企画なのですが、この企画について、鍵ファンでリトバスファンの人から「アニメ版『リトルバスターズ!』の方が語られていない」とコメントがあったというのを聞きました。

確かに、『Keyの軌跡』(坂上秋成、2019年、星海社新書)においてもアニメ版『リトルバスターズ!』は(「東映版Key三部作」と同様に)存在が触れられているのみで内容については言及がなかったですし、まとまった形での考察記事を見た記憶はありません。

しかし、「東映版Key三部作」と比べるとアニメ版『リトルバスターズ!』の方が量的にも質的にも語られていると感じますし、また、両者を単純に比較することはフェアではないと考えます。

もちろん、その方のことなので、何がしかの考えをもとに発した意見には違いありません。また、直接聞いたわけではないので実際はどのような文脈での発言だったのかまでは分かりません。そのため、単純にその方の発言を批判するわけではないです。

ただ、「アニメ版『リトルバスターズ!』の語られなさ」を比較対象にして、そこからの違いとして、「東映版Key三部作の語られなさ」について考えることには意義があるかもしれないと思いました。

そこで、「アニメ版『リトルバスターズ!』の語られなさ」が「東映版Key三部作の語られなさ」とどのように異なるのかということについて、以下では考えてみることにします。

 

1.作品単位でバッシングされていない

まず、アニメ版『リトルバスターズ!』については批評的な言及は少ないかもしれませんが、作品に対しての表立ったバッシングはあまり見たことがありません。

それまで『AIR』『Kanon』『CLANNAD』のアニメが京都アニメーションの手により制作されていたため、『リトルバスターズ!』の制作担当がJ.C STAFFであることで多少物議を醸していた記憶がありますし、消極的な意味ではあったかもしれませんが、作品が放映されている最中にネットで炎上したりといったことはなかったのではないでしょうか。

一方で、東映版『Kanon』『劇場版 AIR』『劇場版 CLANNAD』について、日本語圏のSNSや映画感想サイトで検索をかけると否定的な意見も強いです(これについては様々な要因があるかと思いますが、ここではそれについて詳しく検討はしません)。

アニメ版『リトルバスターズ!』については、一般には「J.C STAFF制作で、原作を尊重し職人的に作られたアニメ」というイメージが強いかと思います。そのため、原作ゲームのファンやアニメファンの目も冷たくないですが、一方で、批評的な言及がなされることも少ないのは確かです。

一般的に、批評家筋の人は大体いつも京アニやシャフト、元ガイナックス組の作品については語りたがるのですが、マスに対して同じくらい大きな影響力を持っているJ.C.STAFFA-1 pictures/CloverWorksについて批評的に語ることは少ないです。

もちろん、これらのスタジオの作品が語られ得ないのはそれ相応の要因や事情があるのですが、それは少なからず、「職人的に作られている」という見方も大きく左右しているのだと思います。
京アニの作品も「徹底的に原作に忠実」と言われていますが、京アニの作品が注目を集めたのは、単に「原作に忠実」であるというのを超えて、原作のデザインや演出を鮮烈な形でアップデートして提示していたからだと思います(そういった意味で、京都アニメーションの作品を「原作に忠実」という形で言い慣わしていたのでは、取りこぼされてしまうものは大きいと思います)。

そのため、もちろんJ.C.STAFF版もきちんとした形で語られるべきだと思いますが、京アニ版を語るのと同じような形で語ることはできず、それ相応のやり方を見付けなくてはならないでしょう。

アニメ版『リトルバスターズ!』がどのように原作のシナリオをまとめているかについてここでは触れませんが、「東映版Key三部作」で脚本を務めた中村誠さんと多数の作品を共同で手がけた島田満さんがシリーズ構成を務めており、その点一つとっても語りがいのある作品かと思います*2

 

2.確実な地位を得ている

上で述べた観点とも重なりますが、アニメ版『リトルバスターズ!』は「東映版Key三部作」と比べて確実な地位を得ていると思います。「確実な地位を得ている」というのは、「言説に対し抑圧的な力がない」ということでもあります。

まず、『Keyの軌跡』にアニメ版『リトルバスターズ!』の内容紹介がないことについては、個人的には「紙幅の都合」という理由で、十分に了解することができます。

というのも、仮にもう数節分のページが「Keyとアニメーション」の章に割かれていたとすれば、アニメ版の『リトルバスターズ!』『Rewrite』『planetarian』についても簡単に紹介文が載っていたかもしれないと考えられるからです。しかし「東映版Key三部作」についても同じことが言えるかというと、少し懐疑的になってしまいます。「東映版Key三部作」が得ている地位は、ごく不確実なものであるためです。

例えば、雑誌「コンプエース」の2011年7月の増刊号として『Keyステーション』(一冊全体がKeyについての特集号)というムックがあり、こちらの巻頭に掲載されている公式の年表には『Kanon東映アニメーション版)』『劇場アニメ AIR』『劇場アニメ CLANNAD』がばっちり記載されています。即ち、作品の存在についてまでは否定していません。

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しかし、各作品についての特集ページを見るとこれが怪しくなります。

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こちらのムックには過去作として『Kanon』『AIR』『CLANNAD』についても特集ページがあり、それぞれの作品のゲーム版及びアニメ版についてページが割かれているのですが、載っているのは京都アニメーション版の『Kanon』『AIR』『CLANNAD』のみです。東映版についてのページはありません。

また、『Kanon』アニメ版についてのページ(画像右)には「原作発売から7年の時を経て、京都アニメーションが制作したアニメ版『Kanon』」という記載があったりするのですが、『Kanon』のアニメ化は2002年に制作された東映版『Kanon』が最初です。つまり、嘘の記載をしているわけではないのですが、Key作品の最初のアニメ化が東映版『Kanon』であったという事実を覆い隠すような記述がされています。

そしてこの「存在については触れるけど、内容については触れない」という構造はそっくり『Keyの軌跡』にも引き継がれています。こういった扱いについて「紙幅の都合」と割り切ってしまっていいのでしょうか。

客観的なスタンスから作品を見ている批評者であれば、『Kanon』『AIR』『CLANNAD』が京都アニメーションによってだけではなく東映アニメーションによってもアニメ化されているという事実は興味深いと感じるはずなのですが、それが記述に反映されなかったのは残念であるなと思います*3

『Keyの軌跡』について、私がとりわけ困惑させられるのは『Kanon』のアニメについての記述であり、京アニ版『Kanon』の構成を称賛する記述をしていながら、同じ問題に取り組んで一定の成功を収めた東映版『Kanon』のシリーズ構成については一切記述がないことです。著者はただ、それらの記述について「東映版『Kanon』の場合はこうしていたが、京アニ版は~」とただ一言ずつ加えるだけで良かったのですから。

また、上記の事柄以外にも、「Key作品のアニメ一挙放送」のような企画でも東映版『Kanon』『劇場版 AIR』『劇場版 CLANNAD』についてはラインナップにないことがほとんどですし、Key20周年特設サイトの関係者コメント欄に東映版の関係者が不在であったりするのを見ると、やはり地位の不確実性を感じざるを得ないところがあります*4

ただ、これについては、Keyファン層や原作ファン層からの外圧というのもあるでしょうし、おそらく権利的な要因もあるのかなと思っています。

 

 3.比較対象の不在

これについては非常にシンプルです。

Kanon』『AIR』『CLANNAD』のアニメは東映アニメーションだけでなく京都アニメーションによっても制作されるという極めてイレギュラーな事態が発生し、両者は必然的に比べられることになりました。

そのため、東映版『Kanon』『劇場版 AIR』『劇場版 CLANNAD』について、褒めるにしても貶すにしてもそれは「京アニ版との比較」によって語ることになってしまい、必然的に「アダプテーションのあり方」に関する議論にならざるを得ない状況にあります。

そしてその点で、諸々の要因によって「東映版Key三部作」は「京アニ版Key三部作」について分が悪く、それが現在に至るまでの地位に繋がっているということです。

当然ながらアニメ版『リトルバスターズ!』については一作しか作られていないため、ずっと素直な形で評価を行うことができます。

J.C.STAFF版『リトルバスターズ!』の後に京アニ版『リトルバスターズ!』 が作られたり、J.C.STAFF版の『リトルバスターズ!』が『劇場版 リトルバスターズ!』として公開され、それと並行して3クール分のアニメがTVシリーズとして放映されることはありませんでした(「東映版Key三部作」に対して起こったのはまさにそういうことなのですが)。

 

また、以上に述べた三点の理由以外にも、単純に、言説の量的な意味でもアニメ版『リトルバスターズ!』は「東映版Key三部作」よりも語られていると思います。

例えばアニメ版『リトルバスターズ!』の感想をネットで検索すると、まとまった形のブログ記事に多数辿り着けますが、『劇場版 CLANNAD』について検索すると辿り着ける記事の多くは公開当時に書かれたもので、それ以降はほとんど(まとまった形での)記事が書かれていないことが分かります。

結論としては、現状アニメ版『リトルバスターズ!』についてもあまり語られていないかもしれませんが、「東映版Key三部作」を取り巻く状況と比べると見通しは明るいのではないでしょうか。アニメ版『リトルバスターズ!』についての論が書かれることを期待したいところです*5

 

*1:東映版『Kanon』『劇場版 AIR』『劇場版 CLANNAD』をまとめての呼称ですが、「東映版Key三部作」という呼称は公式なものではなく、あくまで便宜上の言い回しです。

*2:個人的には、樋上いたる先生とNa-Ga先生のキャラクター原案をアニメーションにするにあたってそれらを上手く折衷できる絵柄の飯塚晴子さんをキャラクターデザインに抜擢したのは慧眼であったと思っています。

*3:『Keyの軌跡』についてはKeyの公式が監修しており、多かれ少なかれKeyやVisualArt'sのスタンスが反映されていると思うため、単純に著者の坂上氏を批判するわけではありません。坂上氏の現在の立場も、完全に独立した批評者というよりは、どちらかというとKeyの広報に寄ったものであると認識しています(これについても単純に良い悪いというわけではありません)。

*4:他方で、「東映版Key三部作」は海外サイトでも配信がされたほか、国内においても、Netflixで『劇場 CLANNAD』がBD画質で配信されたりしています(2020年5月24日現在)。また、『オールアバウト ビジュアルアーツ~VA20年のキセキ~』(2013年、ホビージャパン)でも東映版『Kanon』『劇場版 AIR』『劇場版 CLANNAD』はサムネイル付きで短い紹介文が載っています。加えて、Keyの公式サイトの年表でもこれら三作品は記載されており、「存在を認められている」ことは確かで、「なかったこと」にはされていません。

一部の「東映版Key三部作」のファンの中には、自分たちの好きな作品のことを「黒歴史」と称する人もいますが、本当に「黒歴史」のように扱われているのであれば、こういったこともされていないはずです。必要以上に自虐的になる必要はありません。

*5:個人的には、「東映版Key三部作」についての論をより希求していますが。