皆様いかがお過ごしでしょうか。2018年とは何の関係もない話題です。
『アニひな : TVアニメ「ラブひな」ナビゲーション ver.1』を読んでいたら、監督の岩崎良明さんとプロデューサーの大月俊倫さんが対談している記事があった。
大月俊倫さんと言えば『エヴァンゲリオン』のプロデューサーとして有名で、 キングレコードに所属しながら『少女革命ウテナ』や『機動戦艦ナデシコ』『スレイヤーズ』に製作として関わった伝説的な大物プロデューサーである(現在は引退している)。
また、岩崎良明さんものちにJ.C.STAFF美少女アニメのキープレイヤーとして『ゼロの使い魔』や『ハヤテのごとく!!』を監督し、2019年には『ぼくたちは勉強ができない』を監督することが決定している実力派だ。
さて、この対談の中で、大月さんが『ラブひな』OPテーマの「サクラサク」(作詞作曲:岡崎律子、歌唱:林原めぐみ)について語っている箇所が面白かったので紹介してみたい。
「景太郎がね、自殺するんだよ(大月)」という衝撃の見出しが目を引くが、
OPテーマ制作にあたって大月さんが岡崎律子さんにオーダーした内容がここでは述べられている。長文にはなるがここで引用したい。
大月:まず詞と曲は岡崎律子さんでやりたい、というのが私の中でかなり初期からあったんですよ。じつはね、『ラブひな』のアニメ化を決めたとき、私が勝手にイメージしていたストーリーがあるんです。その話ってのは、景太郎がね、自殺未遂しちゃうんです。なんとか命は助かるんだけど昏睡状態に陥って26話分の夢を見るんだけど、その夢にはお爺さんが出てきて、回を重ねるごとに人数がどんどん増えていくわけ。それは要するに死者の世界から生者の世界に景太郎を呼び戻す役目の人なんですよ。
岩崎:その話は今日はじめて聞きました。で、景太郎はどうして自殺したんですか?
大月 :つまりね、女の子にはモテないし浪人するし、将来に絶望してなんですよね。でも26話分の夢を見て死者の世界と生者の世界を行き来しているうちに「生きるとはどういうことか」を理解していって、それて「生きなければ!!」と悟ったところで目が覚めるわけ。そのとき、夢だったはずのひなた荘の住人が景太郎を囲んでいて景太郎をみつめている、そこでパッと終わるっていうのが私なりに考えた構成なんですよ。じつは岡崎さんには原作を読んでもらう前にこの話を説明したんですね。そしたら、すごく感動してくれて、ここからオープニングとエンディングのあの2曲ができたんですよ。歌詞の中で「手を伸ばして」とか「祝福の時は来る」って言葉があるけど、それは生者の世界から、なるたちが手を伸ばして景太郎を招いているということなんです。
だからね、アニメの主題歌の作詞や作曲を依頼するとき、原作を読ませるとかってのはナンセンスなんですよ。作品のコアのコア、真っ赤な溶岩みたいな部分をグッと相手に手渡すしかない。私は他の作品でもこういう方法でやってますし、私が担当したアニメの主題歌が内容と合っているともし評価されるとすれば、こういう方法を採用しているからなんだよね。
作品のエッセンスとして聞かせる内容が、原作にはない完全オリジナル設定というのもすごい話ですが、それがまたなんか凄く…『エヴァンゲリオン』ぽさがあるというか……。
大月さんのような、作家性の強い名物プロデューサーは、今の時代だと少ないでしょうね。そしてこの対談での発言通り、「サクラサク」の歌詞にはこの裏設定が反映されている。
途方に暮れた昨日にさよなら
ふつふつと湧きあがるこの気持ち
何度でも甦る 花を咲かせよう
思い出はいつも甘い逃げ場所
だけど断ち切れ 明日を生きるため
祝福の時は来る 手をのばして
「思い出はいつも甘い逃げ場所 だけど断ち切れ 明日を生きるため」もそう考えると意味深な内容であると言える。
ちなみに、大月さんがここで話してるお爺さんたちは、実際にアニメ版でよく登場している。ただ、岩崎監督は当初の裏設定知らなかったという話なので偶然か?赤松さんの原作でどうだったかは自信ない。
ともかく、私がこれを読んで思い当たったことは、大月さんはレコード会社のプロデューサーとして音楽面で多くのアニメに関わっているが、(この対談が行われた2000年の)時点ではそういったポリシーを持っていたのだとすると、『エヴァンゲリオン』の主題歌作成にあたってもそういった方針を採用していた可能性が極めて高いのではないか。
TV版 『エヴァンゲリオン』のOPであり、現在でも高い人気を誇る「残酷な天使のテーゼ」について、作詞を担当した及川眠子さんは「企画書と最初の2話を早送りで見て2時間ほどで書き上げた」と数年前に暴露して物議を醸していた。
これらによると、
「キングレコードのプロデューサー(大月さんのことだろう)から『哲学的な』『難しい歌詞にしてくれ』と作詞の依頼を受けた」といったことや、「未完成の第2話までのビデオと企画書のみを渡された状況での発注であり、ビデオは早送りで視聴、企画書も熟読することはなかった」といったことが及川さんの口から語られている。
また、作詞家と作曲家とが一度も会うことなく制作された歌であることも分かる。
そして歌唱を担当した高橋洋子さんも、レコーディングの時点では、アニメの内容を全く知らされておらず、「オープニング映像も、第1回の放映を自宅で見たのが初めて」だったという。
これらの内容から、プロデューサーを担当した大月さんを批判する向きもあるけれども、大月さんは「原作を読ませるといったことはナンセンス」「作品のコアの部分のみを伝えるべき」というポリシーに基づくことであったのかもしれない、と考えられる(それだけでは説明つかない内容もあるけれども)。
大月さんのポリシーは、畢竟すると「あえて作品の全体像を提示しない」ということでもあったのだろう。おそらく、それによって、音楽を制作する側にはある程度の自由さを与え、感性を働かせる余地を作り出す*1。もっとも、『エヴァンゲリオン』での関わり方は特殊であっただろうし、他作品ではもう少し踏み込んだ形で楽曲を作成させていると思われる。
『スキゾ・エヴァンゲリオン』によると、TV版の『新世紀エヴァンゲリオン』において大月さんが関わった内容としては、主に企画を通す段階で設定とか内容についての話があった、そして制作会社選びの交渉を行い、プラス25話と26話(有名な最終話)のネタ出しに関わったことが述べられている。
ただし、庵野さんが大月さんの前でエヴァの話をあまりしたがらなかったので、制作中には(大月さんは)作品には一切不介入であったらしい。
その代わり、制作中は会うたびに観念的な話や社会情勢の話で駄弁っていたとのことである。
(こうしたことはそれほど役に立っていたいう風に見なされないけれども、プロデューサーや編集者の役割として、「クリエイターの思考を触発する」という一面があることを考えると、間接的に役割を果たしていたといえるかもしれない。)
なので、エヴァの場合は、大月さんのポリシーというのとは別に、結果的に(主題歌についても)関わり方がそのようにそうなっていたという可能性はある。
「残酷な天使のテーゼ」の作詞と大月俊倫さんの関係について、そのようなことを考えたのでした。
◆これだけではやや物足りないので、もう少し記事に内容を加えます。
『シスプリ』『ぱにぽにだっしゅ!』『ネギま!?』などは顕著だが、「女性声優が多人数出る」ような美少女アニメを多く手掛けていることが分かる*2
「美少女キャラいっぱい出して、キャラソンやエンディング、挿入歌をそれに合わせて多数展開する」という手法を活用していると思えないだろうか。
『シスタープリンセス Repure』などはとくに、各ヒロインごとにエンディングテーマが用意され、しかも声優や歌手の名義ではなく「ヒロインが(キャラの名義で)エンディングをうたっている」という形式を採用していた。
シスター・プリンセス Re Pure キャラクターズエンディング集アルバム 「12人のエンディング」
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今では浸透している手法であるけど、これについては『シスプリ』が先鞭をつけたのではないだろうか(これ以前にもあるのかもしれないが)。
それでは、2018年はお世話になりました。2019年もよろしくお願いします。
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