highland's diary

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『君の名は。』と『彼氏彼女の事情』とその他について【後編】

 

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 元々一本の記事として書くつもりでしたが長さの関係で二本になりました。更新が遅れたのですが、後編は前編とは違った切り口での話です。『君の名は。』についての記事は、これで一旦完結です。

今回はまず、少しだけ『とらドラ!』(2008年、長井龍雪監督)の話に触れます。

■『彼氏彼女の事情』→『とらドラ!』→『君の名は。

新海さんが『エヴァ』について話していた上記(【前編】の記事)のインタビューが掲載された『月刊アニメスタイル 第一号』(2011年)において、巻頭特集が組まれているのが『とらドラ!』。

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偶然の一致か、この特集記事の中でも庵野監督の『彼氏彼女の事情』の話題が出ている。

長井:[『とらドラ!』について]最初は「萌えもの」というジャンルのものだと思っていたんですが、原作をいただいて読んで「あ!これは少女マンガかも」と思ったんです。その時に『カレカノ』が思い浮かんで、『カレカノ』みたいにしたら、面白そうかも」と思いました。それまでは、木村真一郎さんに習った王道フォーマットで作ってきたんですが、今回はそれを捨てて、少女マンガ文脈でやってみようと考えました。
小黒:『カレカノ』は少女マンガを、少女マンガ文脈でちゃんと映像化した作品だったということですね。あれが初の成功例だったかもしれない。
([]内引用者. 引用者により原文括弧内の記述省略)
なお『カレカノ』は長井監督がJ.C.STAFFで仕事をする数年前に同スタジオが制作した作品であり、長井監督のもう一人の師匠筋であるカサヰケンイチさんも演出時代に参加している。
また、そもそも原作の『とらドラ!』も『カレカノ』も、「それぞれ家庭環境や生い立ちに問題を抱えた二人の男女が、ひょんなことからお互いの秘密を知ってしまうことから関係が生まれる」ことを起点とした話で、これら二作品はある程度共通点を持っているといえるでしょう。だからここで参照元として上がったというのも、それほど唐突な話ではありません。
それはさておき、『とらドラ!』において長井監督は「少女マンガ文脈を用い」、それまでと違う作風を試みた。そしてその後『とらドラ!』と同じメインスタッフ(長井×岡田麿里×田中将賀)のもとに、手法的にはある程度共通しながら、より地に足付いた題材の『あの花』(2011年)『ここさけ』(2015年)の二作を手がけることになる。

他方で、『とらドラ!』といえば新海監督が度々好きなアニメとして公言しているタイトルでもある*1Z会のタイアップCM『クロスロード』でアニメーター:田中将賀さんと組んだ理由も、一つには『とらドラ!』や『あの花』のような作品が、(深夜アニメの部類ながら)「メジャー感」を獲得し「若い年代の人たちへの訴求力」を持っており、その特性が(10代の受験生に向けた)「Z会」という題材に適合していたことにある*2


Z会 「クロスロード」 120秒Ver.


君の名は。』(2016年)においてキャラクターデザインを担当した理由も、これに近しいものがあるだろう。じっさい、田中将賀さんのデザインに見られるアニメ的なポップさと肉感は、これまでの新海作品に見られなかったような種の存在感をキャラクターに与えている*3

2011年の『アニメスタイル』で、互いに独立した特集記事においてとり上げられた新海誠さんと田中将賀さんが、5年後の2016年にタッグを組んでオリジナル大作映画を手がけることになる(しかもオリジナル企画『ここさけ』が公開された翌年)とは当時は誰も予想していなかったはずで、こういった人の流れは作品とは直接関係ないことだけれども、一つの興味深い事実だと思います。

■そのうえで『君の名は。』について

田中将賀さんがキャラクターデザインを手がけているというのもあるかもしれませんが、『君の名は。』には『とらドラ!』チーム=超平和バスターズの手によるアニメを彷彿とさせるようなところもありました。実際、影響を受けているかどうかはともかく、キャラクター寄りだったりいわゆる「アニメ」的な作りを残しつつも、一般性のある長井監督らのスタイルは一つの指標にはなっていただろうと思う*4

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君の名は。』の描写で言うと、漫符を使ってみたり、羞恥を覚えるようなシーンをコメディタッチで見せたりというような手法もそうだけど、たとえば気心の知れたコミュニティの内での居心地の良さを描くという部分も共通して感じられる部分ではあった*5

しかしそこへいくと『君の名は。』はコメディとしての黄金律や、107分で語らなければならない物語の経済性を優先することで、キャラクターのリアリティはある程度犠牲になっているとは感じた。その点で、『ここさけ』『あの花』のような作品とはだいぶ温度差があると思う。

たとえば三葉が都会に憧れていて、その次の場面で(夢の中で)瀧の肉体に入って東京行ったときにカフェ行くのが実現するという流れは分かるんですよ。しかしはたして男子高校生三人が学校帰りに、女の子が憧れるようなファンシーなカフェ行くか?ということにはなりますよね。

瀧は体育会系気質ながら、建築や写真に関心を持つやや繊細なところもある男子高校生だけど、遊ぶところとバイト先だけが月9ドラマみたいなリアリティになっているのは骨折していると思う。
これは思い切り仮にですが、「東京の高校生になったけど帰りにラーメン二郎に連れて行かれて、めちゃくちゃ食べさせられてギャップに幻滅した」とか、そういうのも一つの作劇としてアリたと思うんですが、その種のギャップについてのリアリティはないんだなと感じます。

糸守の描写のある種誇張している部分や、それに対する東京の淡泊さに関しては、意図的にやっているのだと思うけれど良くも悪くも「幻想としての田舎」「幻想としての都会」という印象を受けました。

加えて、映画前半は入れ替わりのコメディになっていて、中身・性別の違いをギャグにしているとこは面白かったけれど、最終的にミュージックビデオ進行でダイジェスト的に見せていて、そこでストーリーを一旦断ち切っている。入れ替わりのコメディについてはコメディで完結させて、あまり本筋に絡めないというところはあり、そういった点でも違いを感じる。

■『君の名は。』とミュージックビデオ

『君の名は。』『聲の形』『この世界の片隅に』ーー 最新アニメ映画の音楽、その傾向と問題点について | Real Sound|リアルサウンド 映画部

 ミュージックビデオ進行について。

上掲の記事を読むと、「曲のボーカルと台詞とを同時に被せるのが良くない」という観点から批判しているけれど、そもそも「歌詞を聴き取らなければならない」というような命題はないのであって、あまり本質的な批判になっていないと思う。だいいち、挿入歌が4曲あるといっても歌詞と台詞が重なって聴こえるのは「スパークル」の流れるシーンだけだし、そのシーケンスですら、ボーカルパートと台詞がなるべく重なって聴こえないように配分パートを分けていた。こういった点について上の記事は無配慮に書いている。

とはいえ、『君の名は。』がミュージックビデオ的な進行をとっていることについては、上の記事とは別の観点から批判できる。具体的には中盤に「前前前世」がフルで流れてミュージックビデオ風になるシーンがあるけど、中盤のああいうシーンでストーリーを進行させながら使うのはダメだと思う。

なぜなら、挿入歌を流すというのはときにすごくいい相乗効果を生むこともあるけど、ミュージックビデオ的にカットを割る進行にすると、曲に引きずられてシーン全体のエモーションが一種類に統一されてしまうので、映像が進行を追いかけるだけになり、ドラマの発展性がなくなります。だからそれまで続いていたドラマの流れが停滞し、弛緩した時間が続いているといった印象になってしまう。
オープニング映像についても、前後のストーリーとは独立して何の必然性もなく曲が流れるので予告編を見せられてる感じになって良くない。映画序盤に製作のテロップを出し曲を流す必要はあっても、前後の筋書きと関係ないオープニング映像を挟む必要はない。確かに映像的な快楽はあるけれど、快感原則に流されるだけでは映画は成立しないということも、我々は経験的に知っています。

RADWINPSとのタイアップで曲を入れるという側面ももちろんあの映画にはあったはずで、それはそれで否定されるべきものではないけれど*6、『秒速5センチメートル』のラストのような、映画全体のエモーションを示すシークエンスじゃない限りミュージックビデオ進行は基本的に使うべきではないと思います。

■『秒速5センチメートル』音楽について

そもそも「ミュージックビデオな作り」との評価が新海監督になされたのは『秒速5センチメートル』が最初であり、そしてまた、『秒速』はそのような作りを採用することにおいて先鞭をつけた面があります。傍証として、やや長いけれども『新海誠美術作品集 空の記憶』(講談社、2008年)巻末でのインタビュー記事を引く。

――『秒速~』ではシンプルなものを作りたかったとおっしゃっていましたが、山崎まさよしさんの「One more time, One more chance」に合わせて風景が羅列される、あのクライマックスの演出はとても印象的でした。あえてストーリーを描かず、イメージを積み重ねることに徹することで、観ている人間に自分の中の感情を想起させるという手法は、商業アニメーションの表現として、可能性が広がったのではないかと思うんです。

 

新海:あのシーンについては、やるべきかやるべきでないか、ずいぶん迷ったんです。最後の大きな部分を観客にゆだねるような手法を、商業映画でやっていいのかどうか、と。たとえば『スター・ウォーズ』のような映画なら、作品の中に確固とした世界観が作られていて、観客は映画を観ながらその世界の中に降りていって、そこで与えられる物語を楽しむわけですよね。わりと一般的なエンターテインメントのあり方です。でも『秒速~』はそういうタイプの作品ではない。だとしたら違うやり方で終わらせたいと思ったんです。観客が作品世界の中に降りていって楽しむのではなく、作品が観客の中に手を伸ばして、何かを引きずり出すような。そのためにクライマックスの演出では、物語としての側面をあえて抑えて、観客が普段見ているような風景を音楽に乗せて連続して見せる形にしました。
だから、あのシーンはたぶんその人自身を映す鏡のようなものだと思うんです。〔中略〕『秒速~』のラストはあのような形をとる必要があったと、僕としては今は確信しています。

『秒速』の場合は、映画全体のエモーションを山崎まさよしさんの歌とモンタージュによって総ざらいし、象徴的に示すという使い方で、これは挿入歌を一回のみ使うという条件のもとで上手く成立している。貴樹や明里の、その場での感情と無関係に突然音楽が流れるのである意味「掟破り」なことをやっているんだけど、それは物語を締めくくる上で必然性があったと言えます。

(更に言うと、『秒速』は「One more time, One more chance」とは別にエンディングにインスト曲「想い出は遠くの日々」を用意しているのがポイント。テーマ曲ともいえるこの曲が映画中に流れるのは第一話「桜花抄」において二回と、エンディングで流れる一回の合計三回。『秒速』を見た人が結構その余韻を引きずってしまうのは、一つにはエンディングでこのテーマ曲が流れることで、最初の「桜花抄」の記憶に引き戻される気がするからでしょう。山崎まさよしのエモーションで締めくくらせてくれないんですね)

そして『言の葉の庭』ではクライマックスからエピローグに流れる情景、エンディングにかけて主題歌を被せるという手法をやった。これもある種『秒速』で試みたことの延長線上にあり、それぞれ映画においてフィーチャーされている主題歌を劇中で流すことで、映画全体のエモーションを歌に委ねていた。そしてそれはやはり、歌を最良のタイミングで一回きり流すということではじめて効果を発揮するものだった*7

以上のように、ミュージックビデオのような進行をすることは、必ずしも映画においてプラスにならず、あまり濫用すべきではないです。ですが、『君の名は。』におけるそれが、全面的にダメだったとは思いません。

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個人的には、ティアマト彗星落下の場面で 「スパークル」の流れるところなどは凄く良かったと感じました。停電で村の灯りが消えていって、世界中で皆オーロラのような彗星の眺めを共有するという美しい場面。山頂のクレーター上での円運動と、彗星による線運動・分岐のイメージ。そして三葉らの奔走とは裏腹に記憶が消えていき、同時に災厄が迫ってくる。ここでロマンチックな曲をかけるというのはある種、対位法ぽい使い方だと思うんだけど、とにかく色々な感情がこの一連の場面には入っていて、ハイライトとなるこのシーンを統一するにはあの挿入歌をかけるのがベストだったと思う。

まだあまり上手く言語化できないのですが、この「スパークル」については良い相乗効果を生んでいたと感じます。これがあっただけでも良かったと思うんです。

 

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君の名は。(通常盤)

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One more time,One more chance 「秒速5センチメートル」Special Edition

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*1:新海誠監督のおすすめアニメ【あにこれβ】2016年10月2日閲覧

*2:「クロスロード」のときの田中将賀さんとの対談(同人誌「学生応援的CM制作記録集」)での、新海監督の発言「僕たちが「うる星やつら」とか「タッチ」とか自分たちのロールモデルとしての高校生活をアニメに投影していた作品が、2000年代でいうと「とらドラ!」や「あの花」なんじゃないか、という感覚があったので。それもあって自分の憧れや興味とは別にして「Z会」という題材に田中さんの絵柄はぴったりくるかな、とは思っていたんですけど」

*3:もちろんのこと『君の名は。』の作画面におけるもう一人の立役者としては作画監督:安藤雅司さんの存在が大きいですが、ここでは話題の関係から触れていません。参考:君の名は。についてのメモという名の叫び - まっつねのアニメとか作画とか

*4:『あの花』『ここさけ』のヒットは、コアなアニメファンだけでなく一般層へもアピールすることに成功したからというのが理由としてある

*5:君の名は。』はアニメ映画としてはそこそこ珍しくオープニング映像もありましたが(1コマの使い方が格好いい)、バックショットでの振り向いてポーズや、時間経過、小道具、シンメトリーのレイアウトなど、長井龍雪さんの演出されるOPを思わせるようなものだった。参考:長井龍雪が描くOP/EDの演出的魅力 その1 - OTACTURE

*6:思えばOVAシリーズ『フリクリ』(2000年)も『君の名は。』と同様に、音楽面において特定音楽グループ(the pillows)と全面的にコラボしていて興味深いけれど、『フリクリ』の挿入歌は、1話ごとに盛り上がりと見せ場を作らなければならないOVAという形態ならではのものであるともいえる

*7:雲の向こう、約束の場所』『星を追う子ども』ではエピローグからエンディングにかけて主題歌を被せているけれど、シーンの流れは連続しており、これを「ミュージックビデオ的」と受け取る人はごく少数だと思う