いまだ語り尽くせぬアニメ『ガールズ&パンツァー 劇場版』
※『ガールズ&パンツァー 劇場版』を見ていない、あるいは楽しめなかったという方にはおそらく毒にも薬にもならない記事です。あとネタバレです。
【感想】(10000字超え)
『ガールズ&パンツァー 劇場版』は水島努監督の過去のTV作品に何となく思いを馳せながら去年12月に観に行ったのですが、「いままで見たことのないような映画で、アニメだ!」と思い、それ以来劇場で何度も見てしまった。
久々に、半々くらいの比率で「理解したい」という欲求と「体験したい」という欲求を同時に掻き立てられるアニメだったというのが大きいと思う。劇中のミカの台詞にすっかり騙されたように何かを見出そうとしていたのかもしれない。
ソフトが早く出れば買って見たいなと思うのですが、ソフトで見るとまた違った見方をするだろうから、体験としては変質してしまうかもしれない。
だから、劇場で見た際のとりあえずの感想を、メモ代わりに残しておこうと思います。
▼映画の体験性としては、やはり音の印象だ。正に『プライベート・ライアン』を昇華したのかな、とも思わせるような耳元をヒュンッっと掠め空気を揺るがす砲弾の音響に、戦車によっては厚い装甲を感じさせる鈍い衝突音や、跳弾音。
戦車戦では、俯瞰、アオリと多彩なアングルを駆使しカメラは戦況を間断なく捉え続け、スコアで展開を主導しフェイズを次から次へと切り替え続ける。
選抜戦では特にロケーションをふんだんに活かしアイディアを投入しまくり、遊園地と3Dレイアウト=箱庭感で、3DCGで構築した空間で箱庭っぽい遊び場で、ミニチュア戦車を走らせ回るような可愛らしさもどこかしらあり、それに全体にわたりごっこ遊びの文脈で小ネタが昇華されてるところ(台詞でもアクションでも)が面白いと感じた。
(そもそも戦車道自体が特殊コーティングとかそういうお約束で担保されて成り立っている世界であるから、箱庭的な遊び場をシチュエーションにするということ自体が心なしか批評性を持って感じられるところもある)
また、それと同時にキャラクターの成長を最も気持ちのいい演出で見せてくれるところがよく、記号的なキャラでありながら天丼ネタを上手く処理している。風紀委員の挫折を経ての再生や、カチューシャが他チームと入り乱れ共同作戦を組むといった描写がそれにあたるだろう。それらを通じては、組織論的に色々と面白いことも言えると思う。たとえば、チームプレイでいかにして自己のポテンシャルを発揮するか、といったようなことや、信頼できる人員をどう使うかといったことだけど。
良い演技を一杯入れよう、アクションはリアリティを底上げしよう 、というところからは映画としての佇まいが感じられ、キャラクター性に寄ったギャグの 積み重ねで気分を上げるファンムービーでもあった(しかし、歴女チームは見事にほぼ歴史の話しかしていない)。
天丼ネタの一つには、狂言回し役で出てくる継続高校の子たち(彼女らだけ後半に中継をTV画面を通して見ている)の戦車道への言及があり、映画全体がそれに挟まれオチがつく形になっている。
エンディングの最後では、中盤の「去っていく学園艦→西住みほの悲しげな顔」と重なるように、「西住みほの綻ぶ顔→水平線に見えてくる学園艦」が映される。当初の目的であった日常の回復の完遂が示唆されると同時に潔く幕切れとなり、終わり方は丁度これでいいと思えるものだった。
▼大まかな視聴体験としてはそのようなものだったけど、客観的に眺めてみて、
すぐに思うのは、『ガルパン』の劇場版は、TV版の続きであるだけでなく、実質的にはそのリメイクとして作られているということだ。
廃校を阻止するための試合という(主にプラウダ戦以後の黒森峰戦だが)展開をもう一度やり、西住母との関係だって仄めかしはするもののそれ自体で完全に和解までは行かない。
また、重戦車マウス撃退の再演や、チハ戦車とポルシェティーガーとで英国戦車追い詰めるところなど、TV版を見ている人であればすぐに想起するよう、それ自体への言及も数多くなされるし、そもそも最終二話の対黒森峰戦のアイディアの多くは劇場版でも使われ、選抜戦のプロトタイプになっていることも分かる。
しかし、「リメイクだ」ということ自体ではそれは「AとBは同じ」と言っているに等しく、内容については何も語っていない。
問題となるのは、メインの筋としては「廃校の決定を阻止するため勝負に出る」という同じ展開であることを観客は当然察するだろうということで、こういった方面については観客からの批判も当然考えられるだろう。第一「3分でわかる~」で、TV版が大洗を廃校の危機から救う話だったことが明言されているし、その点で「同じ展開である」ことは観客は容易に察せられるはずだ。
劇中でも、『劇場版』での廃校絡みの展開の前提とかは、もっと観客に違和感を抱かせないよう巧妙にもできたはずだろうけど、逆に、あえて明快な構図にして明示的に描いて見せている。そしてむしろ戦車戦の展開や個々の関係に注目させよう、といった気概を感じさせるのだ。
「廃校阻止のため試合勝利を目指す」というそれ自体が、一致団結展開のためのエクスキューズであって、「その前提を共有させた上で盛り上げる」というくらいであることを隠そうともしていないくらいで、ここまで踏み切った展開にできること自体が強みだ。
つまり、表現それ自体への注力があるのであればメインの筋は、共感できるよう一つの軸に絞った方が良い。そのためにあえてそれまでの雛形を用いてより強固な形で再現する。
「ストーリー自体は非常にシンプルながら、ドラマのディティール描写に力を込める
映画として作られており、また、そこにこの映画の成功はある。
その意味で、岩波音響監督が盛んに言及する『マッドマックス4』が、直線運動のみという単純なシチュエーションと対立構図に絞り多くのドラマをそこに投入したのとは確かに近いものがある。
▼この映画は描写として、静の部分も動の部分も作りこまれており、記号的ではあるにしてもキャラの息づく存在感が確かにある。西住みほが久々に実家帰りして入った部屋は陽光の差し込む中でホコリがさり気ない形で舞っており、そこから流れるように過去の回想にも誘われる。
セリフがない、というようなシーンの殆ど無いこの活劇において、鮮やかに描かれるこの回想はきわめて強い形で印象づけられる。
アクション自体ももちろんこの映画の主要な要素を占め、世界観を形作っている。
水島監督の演出的な特性、あるいはアニメ的な問題かもしれないけど、ダブルアクション・トリプルアクションやスローモーションなどの、時間的に厚みを持たせるテクニックもこの映画ではそれほど使われていない(大洗市街戦の肴屋本店のとこでダブルアクション、対大学選抜戦のカール戦でスローモーションとトリプルアクションがいずれも効果的に使われているものの)。こういった重厚なアクションであれば通常はもっと多用されてもいいくらいと思う。
『ガールズ&パンツァー 劇場版』は基本的に一瞬で勝負が決まる反スローモーションな世界であり(特に中央広場での「残り5両」以降はそうだろう)、その意味で、アクションの次元ではあくまで緊張感を保ち続けているのだ。
時間を引き延ばす必要のないほど、アクションが詰まっているともいえるけど。
しかし、一方で重厚なアクションというものもありながら、あくまでキャラクターの賑やかさや可愛らしさを保った明確な「漫画映画」的(byアニメ様)的な活劇でもあり、安心して楽しめるという要素を担保している(逆に言うと、スーパーマーケット的な漫画映画でありながらアクションで手加減はしないということでもある)。
(漫画映画的なノリの良さ・快楽原則は、あの西住まほの台詞に合わせ逸見エリカがスッと書面を出すタイミングの良さなどに代表されるもので、期待に応え気分を盛り上げてくれる)
危機的な状況におかれても、全編を通じてキャラがノリの良く楽しんでいる感じを忘れていない。戦車を扱ってはいてもその挙動の可愛らしさを通じて、それを体感させている。「観覧車先輩、お疲れ様です!」といった、あくまでスポーツものとしてのノリや要素もそういったところにハマっている。
エキシビジョンマッチでは途中敗退したウサギさんチームが「私たちの分まで頑張って〜!」「河嶋先輩ガンバーっ!」(余談ですが大野あや「ぶっ殺せー!」が好きです)と応援してるとこが挟まり、部活モノっぽい(部活じゃないけど)ノリをそこで再確認させてくれる。
そして単にコンセプトの問題だけでなく、それを実現化するにあたっては膨大な労力と時間が投入されてことと思うし、それに対しては敬服せざるを得ないという気持ちもする。『ガルパンの秘密』や『ガルパンFebri』を読んでいるだけにより一層そうだ。
▼一般論として、起伏のあるドラマを描け、毎回インターミッションを挟むTVシリーズとも違って、あくまでひとつづきの体験として、巻き戻しの利かない状況で鑑賞されることが前提となる映画では、ドラマというよりは全体を通して描かれる主題が前景化される。『ガールズ&パンツァー 劇場版』の場合、そのうちの一つが「戦車と女の子、戦車道」というあの世界観であるけど(会長・蝶野が理事長と直談判する真面目なシーンでさえ背景には戦車道の世界観を表す絵画がデカデカと目立つ)、実際に劇場で一続きに鑑賞してちゃんと満足感と体験性が担保されるのは、映画的な工夫の数々によるのではないか。
▼『劇場版』は全体で、二つの長尺の試合に挟まれるような構成になっているが、最初の前哨戦的なエキシビションマッチでメインメンバーが試合の流れの中で顔出しして、そこはまたフラッグ戦であり、「一発逆転もあり」な試合だ。その試合ではまだ敵味方も入り乱れた形で描かれ、全貌が一挙には把握できない混乱した戦場になっているが、
それに対し、対選抜戦での30両対30両は敵味方がはっきりと統一され描かれ、何よりフラッグ戦→殲滅戦という設定により相互性・両極性を極めた戦いが展開される。要はあの闘いがハイライトですというのが、エキシビジョンマッチを配することでこの上なく明確になり、試合のテンポを徐々に増していくあの流れと同様に、映画全体の時間の流れを形作っているはずだ。
▼『劇場版』に繰り返しでて来るモチーフとして、一つには高低差を活かした配置があるだろう。エキシビジョンマッチで聖グロを囲繞する大洗知波単連合チーム、大学選抜戦で高地をいち早く占拠するひまわり陣営、遊撃戦を仕掛けた後に遊園地の野外ステージで一塊にされ選抜チームに取り囲まれる大洗陣営の、計三回そのシチュエーションがでて来るはずだ。更には高地で取り囲まれるシチュエーションはTV版11話にも共通して出て来る。
映画において、繰り返し出て来るモチーフに対しては、観客はそれ自体に意識的になるはずだ。見通しの良い高地を取る&多数で一挙に取り囲むという方が有利であり、それをやられると不利になるということが、感覚的なレベルで叩き込まれる。高地よりナビゲーションを行うアンツィオチームもこれに加えられるだろう。
そしてその配置のイメージにより、二度目以降は「また来たな」というスムーズな移行となり、また一方ではそのイメージを覆し、他方ではそのイメージを乗り越えていくという、飽きさせない面白さがあるのが良いなと。
▼また、ドラマパートと試合・戦闘シーンで共通して現れるモチーフもある。
ここで思い出しておきたいのは、そもそも劇場版のシナリオの縦軸で、主なドラマ的主題となっているのは西住姉妹二人の関係に加え、島田愛里寿と西住みほとの関係だということ。
前者については、姉妹が共同するセリフのない運動が、ラストの三つ巴の戦いと、中盤の回想シーンで、共通してある。戦車道の家元に育ち子供の頃から二号戦車で遊んでいたような彼女ら二人にとっては姉妹で共同作戦のプレーを演じられるという機会自体が、この戦場以外にはないだろう特別な場だとも考えられる。空砲で妹の四号戦車を送り出す姉の動きは、回想時代の妹の手を引く姉と逆位置にデザインされているけど、その前に姉が一瞬淋しげな表情を浮かべるのは行為自体の躊躇いと同時に、この試合をこうした形で決着をつけることの是非、あるいはここで終わらせてしまっていいのか、というような問いかけが感じられるのだ。
後者については、島田愛里寿と西住みほがボコを挟んで対峙し手を伸ばすというボコミュージアムでのシチュエーションが、同じ動作の形で劇中の中央広場の戦いで再演されているのが分かる。動き出したヴォイテクの乱入を見てみほと愛里寿の両者は怯んで攻撃を逃すのだけど、終盤戦の煮詰まったところでああいった描写が入るのはやはり両者に同じ反応をさせることで二人の同質性を際立たせるためだろう。「同じ振る舞いをするキャラ」が同一性を意味するのは当然の帰結だ。両者ともに共通してボコに肩入れしている人物であり、彼女らのその同質性は幾度か示唆されている。この描写が白熱したバトルの渦中に挿入されることで、見る観客が一瞬冷静になり両者の当初の動機に立ち返るという余地を設けている。
あの島田愛里寿(および島田流)はこの『劇場版』での戦いの理由を形作っているような存在で、愛里寿は同じぬいぐるみを通じてみほと対比になっているんだろうけど、そこで愛里寿の彼女の過去や動機は伺えないし(時間の都合でカットされた可能性もある)、大学選抜のメンバーとの関わりも特になく孤立のヒーローという感じなのだ。そこを探ってみても何かあるというわけでもないだろうけれど、みほは大洗&学園艦奪還、愛里寿はボコミュージアム復興のため戦い、結局特に両者の利害は勝敗のドラマと関係なくwin-winになってしまっているという批判はなされ得る。それについては以後にまた述べたい。
▼加えて、(ドラマパートと試合・戦闘シーンで共通して現れるモチーフということで)もう一つ言うと、一旦廃校が決定し各々の生徒が転校のためバスに乗ってそれぞれの地に分かれて行くところでは、3D構築のバスがエキシビジョンマッチでの戦車と同じような動作をし、Y字路に分かれていく描写がある。そういった仲間の集合離散のモチーフも、全編を通じて描かれており、テーマの一つとなっているだろう。
しかし、ここで、窓際から見たバスが分かれていって「ああ、皆バラバラになってしまうんだな……」というカットですかさず「でも戦車道選択の生徒は皆一緒らしいけど」という台詞が入ってくるのだ。あくまで映像の次元ではそういうテーマを描くけど、台詞を通じてはエクスキューズにより皆の団結を安心させるというところが、この映画に関して自分が象徴的だと思うところだ。
ともかくも、以上に述べたような映画的な工夫の数々によって『劇場版』の筋立ては、(ドラマ的にはTV版の続きであるものの)流れとしてまとまったものになり、ドラマがアクションを生み、アクションがドラマになるという連動があると感じた。
▼欠点について
次第に指示が高まるに連れフェードアウトしていった感があるけど、『ガールズ&パンツァー 劇場版』に対して当初からあった批判としては、廃校阻止展開の再演というところ以外では、
- 物語的な決着の付け方と試合の勝敗とを重ねてこなかった
- カチューシャの見せ場があの後目立ってなかった
- チーム間での垣根を超えたまとまりが特に深まったわけではない
といったものがあった。
1については最後に述べるとして、
2に関しては、カチューシャのドラマ自体は殲滅戦であるにもかからわずカチューシャ機一両のためにプラウダ校全滅するという戦術的には非常に非合理的なやり方ではあったけど、そうまでしてその後に大きな見せ場の活躍をしなかったということが言われる。しかしカチューシャがあそこを通じて学んだこと自体に意味を置くとそれはまた違ってくるだろう。キャラクターの次元では、あの後混成チームで新たな作戦に乗り出すということ自体に大きな意義があり、その細部にまで注意が及ぶか及ばないかという問題になる。
3については、各チームのメンバーをタンクごとにモジュール扱いしている以上、元々ある程度は犠牲にせざるを得ないところはあるんだけど、この批判も先述のカチューシャのシーンで否定されるし、それに、それぞれチームごとに作戦名を皆でゴリ押ししあうような作戦会議シーンと比べれば、試合シーンでの共闘オペレーションぶりは驚くべきほどだ。
最後に1についてはどうだろうか。
改めて考えてみれば、島田愛里寿は、(母親に西住流打倒について言い含められていたものの)「ボコミュージアムの閉鎖を防ぐため」というあくまでパーソナルな動機により戦っていたわけだが、島田愛里寿側の敗因は、主に遊園地に試合が移行してからは各中隊長の判断に任せ指揮系統として不連絡になり、傍観していたからというのも大きく、その孤立という性質自体によって足を掬われた感もある。
また、愛里寿とみほとはボコミュージアムで既に一度遭遇していたわけだけど、彼女の方から、思わぬところで再会した西住みほに対し反応をしているというところはない。ボコを渡すところでは西住みほについて「あそこで会った」と知っていたようなので、それ以前のタイミングで気付いていたことになる。単に感情の起伏を表に出さないということなのか、あるいはヴォイテクを挟んで対峙するところで悟ったのか?……
西住みほと島田愛里寿の目的は別に反目し合ったものではなく、共に矛盾なく実現し得るので、可能であれば両方とも実現させて問題はないが、ドラマの次元ではそれでは勝敗にかからわず目標が達成されるのであれば勝負にそもそも意味が無かったのか?とも思えてしまう。たとえば二回目以降に見る人にとっては、ドラマの前提があまりに人工的に仕立てられたものに思え虚しく覚えたりもするだろう。
細かく言えば、島田流師範のママが投資すればボコミュージアムはどうにかなるにしても、廃校阻止は契約や沽券の問題であり、個人の力でどうこうできる展開ではないからこの場合そちらがどうしても勝つ必要があるのだけれど、とすれば愛里寿側が負けるということを込みでその点を結果にどう反映させるかという工夫が必要で、今回はそれがなかったといえる。
しかし一方で、そこに関して違う捉え方をすることもできる。
僅差の戦いで大学選抜戦の試合が終わったとき、島田ママと西住ママが共に「ハーっ」と安堵の息を付くというシーンがある。実際このときの母親にしてみれば勝敗の行方云々よりも、子たち自身が真価を発揮して試合が出来ているかに重点があり、安全に決着が付いたこと自体に価値があるのだろう。「次はわだかまりの無い戦いがしたいものですね」という話もするが、それはがやはり真意だ。
『ガルパン』世界であれば勝敗それ自体が重要ではなく、彼女らの目的に合致してそれが達成され、その過程で伸び伸びと試合が出来ていることの方がむしろ重要なのだ。
だから、勝敗の行方が活きるような付加的な筋立てを付加し、利害の問題を持ち込むことは、エンタメとしての『ガルパン』らしさとはトレードオフに働いてしまうため、結果的にサービス精神あるこの展開はバランスを取っているとも言えるのだ。
せめてボコミュージアム復元について蛇足であっても単なる寛容以外の理由付けがあっても良かったかも。戦車戦の被害の地割れで温泉が湧いてお金が確保できたりとかして……って『サマーウォーズ』か!
▼(この際だから好き勝手書くと)自分はガルパン劇場見ると『ロンゲスト・ヤード』('74年米)見返したくなる、と以前ツイッターで書いた後に、その理由を考えることがあった。
断っておくとアメフトものの『ロンゲスト・ヤード』は誠にアメリカンな精神を反映したといえる名作(勝利を収めた後には、そこに至るまでの葛藤や倫理的な判断について全く顧みることのない)だけど、主人公は刑務所内の囚人を集めてアメフトチームを形成して、所長率いる看守チームと戦うことになる…という筋で、B級だし、ガルパンとは似ても似つかぬ映画だ。
ただ、この映画は後半40分くらいを決勝戦の一試合のみに振り分けてじっくり描いてるんだけど、それまで各々のドラマを背負って描かれて来たメンバーたちが、試合になると清いまでのロングショットでひとまとまりに捉えられ、作戦会議で顔を寄せ合う集合シーンも下からカメラを空に向けて撮り、ごついマスクに隠れてメンバーの区別すら付かない、という状態にしてしまうのだ。
ガルパン劇場版でも、試合では、戦車内描写や、キャラクターの掛け合い・連絡、区別はもちろん維持されるけど、戦車外の描写では甘い描写を廃し、外部からは正に「戦車の中から声が聞こえる」的な状態で、それでもって即物的な映像の次元でも、迫力や満足を感じさせることに成功している。
結果的にだけど、そうした感覚を『ロンゲスト・ヤード』と紐付けて思い出したのかもしれない、と思う。これに関しては私の 単なる気の迷いですが。
▼大して個々の内容についても語ってないのにダラダラと書いていたら長くなってしまった。
思わず長くなってしまったけれど、おまけに書いていた内容もあるので以下に載せますね。
おまけ1:
■周辺的な細部(絵コンテなど)について
AからJパートまであります。 #garupan
— 水島努 (@tsuki_akari) 2015, 10月 19
ガルパン劇場版のコンテ、入浴シーンからミュージアム発見まで(B~C)、会長上京から講 堂での会長の宣言(E)、選抜との試合開始~スナフキン無双(G)を担当しましたm(__)m
— 小林敦 (@koba_bako_koba) 2015, 11月 21
▼『ガルパンFebri』インタビュー記事から、工藤辰己さんおよび小林敦さんの演出パートは大雑把に分かっており、また、水島監督のパートはその残りであるとも分かる。それによって『ガールズ&パンツァー 劇場版』&『3分ちょっとでわかる!! ガールズ&パンツァー』の絵コンテ・演出担当パートを推測すると以下のような感じ?
演出の方は特に推測入ってるので多分色々間違ってますね……間違ってたらすみません!(ソフト出たらちゃんと訂正したい)
とはいえ、絵コンテに関しては、水島監督はエキシビジョンマッチ(ペンギンまで)および、試合後半部分(ミカ「皆さんの健闘を祈ります」以後)、そして会長の宣言~選抜試合開始までの、いわばつなぎ部分を担当していることが分かる。水島努さんといえば、僕は「でかいぬいぐるみが暴れ回る」ようなのが妙に好きな人というイメージがあるんですが、どうなんですかね?
小林敦さんの絵コンテはと言えば、TV版のものを参照する限り、「PAW!」「BAM!」といった小林源文の劇画的な擬音と、戦車内の細かなディテール描写の指定、表情芝居などが個人的に見どころです。他方で、水島監督の絵コンテは「ドラえもん」的なあっさりしたタッチの書き込みながら的確な指示で指定しているという印象で、対象的な両者のものによってこの映画の絵コンテは構成されている。
また、両者のコンテパートを横断してなされる描写の数々から見ても、そのシンクロ具合、バトンタッチ、あるいは劇場映画としてのコントロール具合が伺えるはず。
実際にはもっと入り組んでいる?と思われますが、大まかには小林敦さんが中盤にかけてのドラマパートおよび後半戦の前半を担当し(でもボコミュージアムのシーン(ここがD?)はやはりしっかり水島監督自らやってますね)、残りの戦車戦をほぼ水島監督が手掛けるという、構成に合わせたシンプルな配分が伺えます。
ちなみにガルパンではスローモーションやダブルアクションなどをあまり使っていないという話を先にしたけど、小林敦さんは例外的にTV版ではダブルアクションを何度か使っているし、6話の対サンダース戦の終盤でもサスペンス描写に合わせ砲弾スローモーションが使われていたはず。
▼小林敦さんの絵コンテパートで自分がとりわけ好きなシーンは、確約を取り付けて帰ってきた会長と桃ちゃんが再会するところ。
大体のカット割りは
「机をリヤカーで運ぶ河嶋桃がゼーハーしてるとこを横構図で映し、あんこう提灯付き二宮金次郎のカットアウェイが入る。重みに耐えかねた桃ちゃん(正面から)が顔を出し見上げると、そこで桃ちゃんの視点にスッと移行し、正面顔の会長がこちらを向いて何でもないように立っている。そこで呆然とする桃ちゃんの切り返しを挟み、先ほどのポン寄りでバストショットの会長が『ただいまー』とやや気の抜けた風で答え、抱きつく桃ちゃんを会長が介抱する…(横ロング)」
という感じだったと思う。小道具や、カットの重ね方も好きなんですが、自然と桃ちゃんの視点に入り込んでいるとこが良いです。
元々会長は何もしていないようでいて、生徒会二人だけでは指揮を取れないというところがあり、その空白を埋めるためそれまでずっと気を張っていたツンデレ系キャラが、そこで張り詰めていたものが切れ、それまでの弱音も安堵も綯い交ぜになって堰を切ったように泣き出し、思わず駆け寄ってしまう…というさり気ない良いシーンを、気持ちに寄り添う形でとても自然に見せていると思います。
角谷杏も、サンダースのC5Mギャラクシーを生徒会メンバーで結託して呼んで、というのを影でやっておきながら「これで処分されずに済むね」と自分に何の功績もないようにそれを口にする飄々としたキャラです。
「大洗の子たちみんなの思いを背負って立つ」彼女の役回り、キャラクター性も、ドラマパートでは正面から逃げずに向き合うという形でよく表されていたと思う。
▼あとは、西住しほさんの「戦車道にまぐれなし(偶然での勝敗など無い!)」の宣言→湯呑みをバンと置く動作、をカット割らずに一続きの動作で見せてるとこも好きなんですよね。あそこは下手にカット割らない方が逆にインパクトを発揮するシチュエーションと思います(素人がエラソーに語っててすみませんが…)。アクションを契機とするカッティングでパンっとリズムをつけインパクトを出す手法も同時にあり得るのですが、割らないことで動きそれ自体に存在感を出す、という選択肢もあるということですね。その後の役員「大学選抜に勝ちでもしたら…」→会長「分かりました!」のどアップも快楽ですよね。
▼戦闘シーンのとこで好きだった描写(ここは水島監督のコンテパートですが)は、ウエスタンランド付近でのアリクイさんチームのパーシング撃破。
「トスした砲弾をボスッとグーパンで打ち出すように装填した後にももがーがレバーをグッと引っ張るという力強い身体描写、それに重なるように三式が旋回して回り込みながら砲弾がぶっ放され→撃破!」の流れ。
装填→レバー→ぶっ放される砲弾(瞬時に撃破)の流れが、凄く身体動作の延長線上に戦車の挙動があるという感じでグッと来るんですよね。砲撃が腕の挙動の延長線上にあるカットつなぎで、勿論3DCGや作画チームの功績も大きいでしょう。OVA「アンツィオ戦」での「ガン=カタ」というのもそうですが、ああいう「身体動作が挙動にダイレクトに連動するような感覚」の描写は、実はガルパンにはそれほどない描写だと思うので、あそこは良いですね。
▼小林敦さんコンテの戦闘シーンだとやはり、継続高校のシーンが凄い良いですね…どこにいるか配置が分からない戦車内描写から始まり、全景が映ったと思ったら空を舞ってる……。演奏に合わせて同時録音のアクションで期待を煽る感がヤバいです。演出以前に、クロスカッティングにして二段オチにするという、あのアイディア自体すごいけど。
▼また、劇中においては、POV(厳密にはそう言うよりは、車体上の固定カメラ)を使ったいくつかの長いカットがある。POVがあまり適切な言い方じゃないと思うのは、戦車戦では、純粋な意味での長い主観カットは中央広場での三つ巴のとこの、キューポラから顔出した西住みほの主観カットくらいだったはずと思うから。髣髴とさせるのはロボットアニメや映画というよりはFPSジャンルのゲームで、また、ジェットコースターを駆け下りる体験のアトラクション的なものだったりするけど、ソフトの進歩もあってなのか、そういうメディアクロスオーバー的なものも以前よりアップデートされた表現で楽しめるようになっていることが感慨深かった。そして、日本の2Dアニメでも、CGレイアウトを駆使し立体的なカメラ移動やPANが見られるようになって久しいと思うけど、そうした表現の制約が解放され、濫用されることで、かえって以前までの面白さがなくなるというのも考えられると思う。『ガールズ&パンツァー 劇場版』では、そうした表現が効果的であると同時に、映画としての面白さを少しも削ぐことないやり方で使われていて、そうした体験にまた感動したりもしました。
▼ガルパン劇場版の2カット目は紅茶片手のダージリンとペコから、砲身内カメラでグッと引いていって観客は戦場に引きずり出されるので度肝抜かれるけど(更にはそれ以前の紅茶、そして「3分でわかる~」のSDキャラからの流れなのだ)、極端なアップからのロングでスケール感を出す『Gロボ』の今川監督的なダイナミズムも感じさせる。
そもそもガルパンは女の子と戦車というそういう主題である以上、そうしたコントラストを十全に活かせる素材なのだ。また、ヌッと突き出た主砲と車体とのレイヤーが形成する、遠景と近景のコントラストなども見過ごせない。比較的単純な形でスケール感を醸し出すそうしたキメカットが実際見せ場として使われているのが分かるだろう。
考えてみれば砲塔が平気でカメラの方を向くとか、BT戦車の砲口に吸い込まれていくカメラとか、カメラすぐ横を掠める砲弾とか、アニメの仮想的なカメラだから出来る(とは今は言いづらくなったけど)表現も数多い。実車ではないようなタンクの動きも面白いしね。
アクションについて、『ガルパン』は「戦車戦で人が死なない」という前提のイメージを全編を通じて作っているけど(吶喊した西隊長がキューポラから上半身出した状態で跳ね飛ばされるとことか、流石に挽肉になるだろうと思うけどw)、思うにこの前提もかなり効果的で、「キャラの存在を脅かすのでなく、純粋にアドレナリンを迸らせるためにしかアクションが機能しない」という、考えてみれば恐るべき体験を作ってしまっている…。
▼これも余談ではあるけどさきに書いた2カット目はTV版4話、Cut255の「砲身内カメラ 007のオープニング風」のリベンジ?
おまけ2:
それでは、今日は疲れたのでこれくらいで。合わせて全部で20000字くらいになっちゃってますが、読んでもらえた方はありがとうございます。
- 作者: Febri編集部
- 出版社/メーカー: 一迅社
- 発売日: 2016/01/25
- メディア: 雑誌
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ガルパンの秘密 ~美少女戦車アニメのファンはなぜ大洗に集うのか~【通常版】 (廣済堂新書)
- 作者: ガルパン取材班
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2014年アニメOP&ED10選とか
明けましておめでとうございます。
2014年TVアニメOP・ED10選を去年の内に上げるつもりだったのですが上げ忘れており、もう冬アニメも始まっているタイミングで何ですが折角なので上げようかと思います。
ちなみに年末年始も劇マスBDを見たり『魔法使いTai!』を見たり冬コミで人に買って来て貰ったのをチェックしたりしてました。渡部圭祐原画集は分量もかなりのもので解説もいいしでかなり満足度高かった。掲載分は作画MADと被ってる部分もそこそこありで比較的チェックがラクでした(あと『ジャスティーン』はdアニで見れるので)。
『劇マス』はようやくコメンタリ付きで見ましたが、意外だったのは中盤の、しっとりした緊張感を引っ張る部分がガッツリ神戸守さんコンテだったことで、分量的にもTV1エピソード分くらいじゃないだろうか。コンテでのアイディア出し含め、流石だった。
『眠り姫』は錦織さんのコンテですが、PV・MV的なものってアイマス以前から氏は好きですよね、まあグレパラとかもありますけど。
俗・さよなら絶望先生 OP 「リリキュア GOGO!」 - YouTube
「ちょっとした百合的要素」を遊びで組み入れるのもこの時からやってるんだ、と再確認。
という訳で、脱線しましたが、OP・ED10選です。話数単位での10選を選んだので、OP・EDについても選んでみようという趣旨です。OP・ED併せて20個選ぶのは今回ちょっとキツいので併せて10個のセレクトです。
ところで「OP・ED10選」というこの企画、特に選出の際に決まった基準やルールがあるという訳ではなさそうですが、OP・ED映像のいわゆる「完成度」の基準として自分が考えている要素は三つあって、それは「コンセプトの体現性」「楽曲とのマッチング」「映像的快楽」です。
TVアニメのOP・ED映像の性質を考えると分かりますが、まずOP・EDは基本的に本編であるアニメエピソードの導入部もしくは幕切れを飾るものであり、例えばその内容と独立したMV等ではなく(もっともMVにも曲やアーティストに併せたコンセプトがあります)、従って本編の内容とは無関係ではいられないということ、そして通常は楽曲付きで鑑賞されるものであるということ、そして映像としては、アニメ本編のようにリアルな空間を構築する必要性からある程度解放され、純粋なイメージやコンセプトを突き詰める事も可能であるということです。
その三つからそれぞれ先述の条件が弾き出されます。また、毎回の放送で流れるという意味ではたとえば、その一回性を利用できる映画のオープニングタイトルとも違った性質を帯びてくると考えられます。
ということで、2014年のTVアニメのOP・EDから10個セレクトしてみましたが、あまり上に挙げたような観点は気にせずに結構好き勝手選びました。
- 『未確認で進行形』OP
野中乳揺れ。サビの長回しの感じ素晴らしい。「ドキッ」のカットとか、歌との合わせがニクいです。女の子の瞳孔にハート入れる表現って良いですね。普通にやったらエロ漫画みたいになっちゃうと思うので演出の匙加減ですけど。
- 『ピンポン THE ANIMATION』OP(4話~)
松本大洋の漫画を大平晋也が仕上げたらこうなる、という。アニメートの快楽なんだけど、松本大洋のキャラと世界観という枠内にちゃんと嵌ってる感じもありで。
- 『プリパラ』OP1
『ミルキィホームズ』な感じのOP。女の子が変身するまでっていう仕立ての、こういうくらいのOPが良いですね。サビ部分の変身BANKは曲調がアップテンポに変化する曲に合わせサビ部で加速するアクションがGood。OPだからこれくらいやっても良い。みれぃの変身BANKの描き方がとにかく好きなんだけど、ここはパート割れしてないのかな。そのカットから、渡部明夫さんに続いて吉原達矢さんカットで〆という流れもいい。
- 『ノーゲーム・ノーライフ』OP
『ハナヤマタ』OPの方がキャッチーさは上だけど、「コンセプトの体現性」の上からはこっちに軍配が上がる。最初の浮遊からの下界へと沈んでという、浮遊や飛翔のモチーフも本編と重なり合うし、その世界で彼等の目指すところまで、というストーリー部をやってるのもそう。全編にわたってチェスのイメージで統一してるのもまとまってる。前半の白・黒とカット毎の色変えもチェス盤を意識してるんでしょうね。色彩はキャラと背景とで同化させるのに合わせて、心象ともマッチングさせたりとか。密着マルチの使い方・カメラワークは上手い、色彩&撮影処理はさすが。
<参考>
アニメOPEDの“スピード感” - OTACRITIC
- 『ヤマノススメ セカンドシーズン』OP2
絵コンテ・演出・原画:石浜真史のOP。いわゆる「白石浜」。『Aちゃんねる』OPの進化系的な突き抜けたテロップワーク・シーン転換・デザインセンスに加え、石浜氏の影なしベタ塗りの艶っぽい絵の魅力。リップシンクのとこも4人全員芝居が違ったりと芸が細かい。
テロップ一体型のOPについては、歴史的に色々あると思いますが『R.O.D』OVA(2001~2002)がテロップをグラフィックに組み込み、同時期の『あずまんが大王』(2002)のOPがテロップをオブジェクトとして出してキャラと同居させていて、その辺りからアニメ制作がデジタルに移行していったのとも絡んでテロップを演出に取り入れるOPが発達していったと思う(タイポグラフィのシャフト、湯浅、ufoのまなびストレート、ドルアーガの塔、etc.)。
で、その『R.O.D』と『あずまんが大王』の両方にアニメーターやキャラデで参加してたのが石浜さん。というか、石浜さんは『エイケン』のキャラデもやってて地味にパタ様の影響も受けてない?という。
石浜氏はアニメーターとして新房・細田・舛成と個性派演出家との付き合いがあって多彩な引き出しを持っているのが演出家としても強いですね。一人原画としてやって全てコントロールするのは、原画として絵を描きたいというのもあるでしょうが逆に言うと人に任せることが出来ないという所も感じてしまいますが、、、。
- 『ソードアートオンライン2』ED1 ●『ソードアートオンライン2』OP2(19話~)
前者:『SAO2』ED1は幾何学的な破片とかもそうですが『進撃』ED1のようなスケッチ調のタッチの絵で6コマ作画とかの感じに、プラスしてブルートーンで統一した色遣いというのが個人的にツボです。コンセプト的には過去のトラウマとしての詩音、そしてシノンというキャラを詩音が受け入れ取り込むような感じ。演出はキャラに思い入れがある人がやってると分かります。
後者:『SAO2』「マザーズ・ロザリオ」編のOP。このチャプターの主役といえるユウキと、彼女率いるスリーピングナイツをフィーチャー。
鹿間さんはじめアクションアニメーターの集結もそうなんだけど、『SAO』を長い間やってきた足立さんならではのOPという感じ。カット構成とかが、ちょこちょこ『流星のロックマン トライブ』OPに似てるのも楽しい。
- 『魔法戦争』ED
またも石浜氏の一人原画。何でかというと、石浜氏の仕事で今年一番ビビッと来たのがこれなんですね。多分、(テロップではなく)歌詞を取り入れたりとかMV的な映像の作り方を徹底してるからのように思います。
どちらもweb系作画のOP・ED。『Solaメソ』EDは江畑諒真作画で、過去と現在のキャラが交錯。ヤマノススメ17話でもキャラが前方に向かってくる、同一カット内で複数キャラ動くなどカロリー高いカットを多くやっていましたが、カメラワーク込みで演出からやってるとフレームイン・アウトのタイミング含め計算出来るのがあってやはり華があります。予備動作・揺れ戻し・髪揺れと、このリアルなタメツメスタイルはリバイバルがあるかもしれません。
『牙狼』OPはこのキャラデザインに仁保さん沓名さんはじめweb系作画集結。色遣いや、全て原画で動いてる感じが素晴らしいです。本編もエフェクトや特効は凝ってますね。
作画的見所のあるOPは多かったけど、神風動画制作OPのようなセルをCGで動かしたりする試みも見られましたね。
【おまけ】
- 『アオイホノオ』OP
アニメじゃないけど多分今年一番反応したOP・EDの一つ。
金田伊功がアニメにハマる確実な切っ掛けになった自分としては、メモリアルなOPかもしれない。けど、実写版『キューティーハニー』と同じくやはり粗の方が目立ってしまった。ポージング&タイミングまでは合わせられるけどフォルムがダメなので映像的快楽が薄い。まあ、元々パロディでしかないといえばそうなのでそれで良いんだけど。
- ちなみに
今「OP・ED職人」と目されてる人ら周辺(そうでない人も)演出家別に2014年にそれぞれ手掛けたOP・ED数(監督作含)をカウントしてみると
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長井龍雪 4
小野学 4
中村亮介 3
石浜真史 3
橘秀樹 3
URA 3
鈴木利正 3
出合小都美 2
山本沙代 2
梅津泰臣 1(監督作のみ)
鈴木典光 1
鈴木博文 1
江畑諒真 1
大張正巳 1
下田正美 1
大畑清隆 0
山下敏成 0
中澤一登 0
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その他大沼心・イヌカレー・龍輪さんらシャフト(系)演出家陣はver.違い含め色々とありましたね。
2015年は梅津さん(新房さんとこ以外にも幾つかやる予定)大畑さん(WORKING!!3期とか)あたり多分注目。
ということで、以上です。あまり総論的な話は観点がとっ散らかってしまうので苦手ですし、次は何か観点を絞って書こうと思います。
ちなみに1月は諸事情あって多分ブログもTwitterもあまり出来ないと思われます。至らないですが今年も宜しくお願いします。
話数単位で選ぶ、2014年TVアニメ10選
ルール
・2014年1月1日~12月31日までに放送されたTVアニメ(再放送を除く)から選定。
・1作品につき上限1話。
・順位は付けない。
アニメブロガーさんの間では毎年TVアニメのベストエピソード10選を選出するのが恒例と知り、面白そうな企画だなあと思ったので便乗させて貰い、素人目線ながら選んでみます。
客観的な「完成度」というよりはあくまで私的に記憶に残ったエピソードをセレクトしました。ノミネート作は、2014年に放映されたTVアニメの内、自分で見た話数全て。放映順に並べました。さらりと読み流していただけると幸いです。
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■『Wake Up, Girls!』第9話「ここで生きる」(脚本:待田堂子 絵コンテ:中山奈緒美・杉村苑美 演出:有冨興二・中山奈緒美 作画監督:竹森由加・深澤謙二・今岡律之・普津澤時ヱ門)
■『未確認で進行形』第12話「わかってる? わかってる」(絵コンテ・演出:藤原佳幸 作画監督:菊池愛・天崎まなむ・久保茉莉子・尾尻進矢)
視点による内心描写の描き分け、小紅のキャラ性ともリンクする丁寧な料理描写、要求の高い芝居付けに答える動画工房の作画力、等々、抜きん出たシリーズだった。同じ動画工房の『野崎くん』と比べても、四コマ原作をアニメ化する際のスタンスの違いが際立つ感じで。最終話は、生っぽいしっとりした感じの進行を1エピソード通して味わえる意味でも美味しかった。食事のシーンで〆、というのもらしさがあって良い。『GJ部@』と並べて、2014年ベストの幕引きじゃないかなあとも思います。
■『スペース☆ダンディ』第14話「オンリーワンになれないじゃんよ」
『ダンディ』は演出・作画的な見所も大きいけど、シンエイ動画で主に活動しているうえのきみこさんの脚本参加も大きかった(ゾンビ回とかネタ回でも目立つ)。『ダンディ』自体が最終的には多元宇宙オチだったわけだけど、14話で既にパラレルワールドネタをやっているというのが自由だなあと思います。14話は並行世界のダンディたちが一杯出てくるんですが、それらは皆『ダンディ』の企画段階で描かれたダンディたちメイン三人のキャラクター案っていう。その意味で真にパラレルになっているのも面白い。ナレーターもちゃんと分身するのも笑い所だし、オチも外しているんだけどちゃんと落ちてる感じが素晴らしい。ディテール面だと砂漠で金田アクションやってるっていうのも『BIRTH』っぽくて良いし、この「ゴチャゴチャ雑多なものが詰まってる」感じも、一つ『ダンディ』らしさだなと思いセレクト。
■『selector infected WIXOSS』第8話「あの契は虚事」(脚本:岡田麿里 絵コンテ:佐山聖子 演出:桜美かつし・吉田りさこ 作画監督:木本茂樹・村上雄・佐野はるか・岡郁美・熊谷勝弘・斎藤美香)
8話では、携帯を切った香月の「女って最悪だな...」の台詞に合わせて
カメラが反対側に回り込んで、ここが、価値観とか、システムがパッと反転して切り替わったかのようなアクセントになって(似たような話を最近したばっかりなので心苦しいですが……)
その後の、遊月と花代の「中身入れ替わり」になる感じも熱い。
■『ピンポン THE ANIMATION』第10話「ヒーローなのだろうが!!」(脚本:湯浅政明 絵コンテ:湯浅政明 演出:EunYoung Choi 作画監督:伊東伸高、浅野直之、戸田さやか、西垣庄子)
4話のドラゴンVSチャイナ戦でのドラゴンのエフェクトから竜へのメタモルフォーゼ、11話での縦横無尽に動くカメラワークのスマイルVSペコのラリー、と表現的にもドラマ的にも思い出深いゲームが多かった『ピンポン』(挙げたシーン、共に作画は宮沢さんでしょうか)。また、最終話のドラゴンや、4話でのチャイナなど、敗者側への目線の注ぎ方も良かった。私的ベストマッチとして選びたいのは10話のドラゴンVSペコ戦。ドラマ的にも、8話の「ヒーロー見参」、9話のアクマとドラゴンのドラマなどと、バックグラウンドでの積み重ねがあった上での試合。そして「飛翔」のイメージはEDとも繋がる所もある。バトル前半も凄いけど、終盤での、音楽は割合軽妙なものなんだけど、モノローグを重ね、緊迫感あるバトルが進行している感じも堪りません。カット割り、アングル、音楽、表情の付け方、全てが良かった。ラストカット、敗者、ドラゴンの表情も極まっていた。
■『ハナヤマタ』第1話「シャル・ウィ・ダンス?」
マッドハウス作品。クロスカッティングのシーン繋ぎを入れたり、 非リアリズムなまでの花火・桜吹雪、華やかな色彩・画面で圧倒するような1話。1話は漫符処理を大胆に投入したりと画面処理での工夫が目立つ回で、よりキャラの心情に沿う形で演出していると思うのはヤヤの嫉妬を描いた2話なんだけど、レンズフレアや撮影ボカシをふんだんに使った1話の画面処理には圧倒されてしまったのもありということでセレクト。1話はキャラの線もシリーズ随一にシャープな感じがするし、この
アップ絵での瞼と睫毛間にアイシャドー的な影が付く(華やかで艶のある感じ)処理も、1話では特に際立っているように感じる。
1回目ではなるの方が手を離しちゃうんだけど2回目では勿論離さない。
この話に限らず、ハナヤマタは夕刻の光差す中で見せ場のシーンになることが多かった。
■『暴れん坊力士!!松太郎』第15話「帰郷」
■『アルドノア・ゼロ』第3話「戦場の少年たち-The Children's Echelon-」(脚本:虚淵玄 絵コンテ:あおきえい・笹嶋啓一(清書) 演出:加藤誠 作画監督:猪股雅美・小林真平・油井徹太郎・奈須一裕・垣野内成美)
スーパーロボットVSリアルロボット陣営の構図で展開した『アルドノア』。3話は両主人公が戦いに参入するエピソードかな。スレインが、あれで熱いものを秘めた人物であることが分かるエピソードでもあり、冷静沈着なイナホとは対比を成すかのよう。火星のプリンセス・アセイラム姫の顕現もあり。この回は、ニロケラスのバリアの弱点を探り当てるのが話の一つの軸になっていて、「ライターとしての虚淵玄」が繰り返し使って来たけど「脚本家としての虚淵」が使ってこなかったような、ギミックを活かした知略戦になっているのが良かった(その割には考証なってないと言われてたようですが)。
あと、ディテール面に寄ると、伊奈帆がコックピットで姉の張り紙を取るシーンで
一瞬笑みを浮かべるとか、ニロケラスにトドメさした後の「やったか…?」の緊張の一瞬で
微妙に汗浮かべてたりとか
細かい演技付けを作画で出してる感じが良くて、ここら辺はあおきえいさんの演技付けかもと思うのですが。
■『四月は君の嘘』第4話「旅立ち」(脚本:吉岡たかを 絵コンテ:神戸守 演出:いわたかずや・河野亜矢子・イシグロキョウヘイ 作画監督:三木俊明・河合拓也・牧田昌也・野々下いおり・ヤマダシンヤ・菅井愛明・小泉初栄・浅賀和行)
演出意図と見易さを駆け備えたレイアウトで見せる3話、情念溢れる演出で見せる4話、シーンに合わせた多様な作画表現やメリハリの利いた見せ方が良かった5話、の流れと考えています。中でも勢いがピカイチだったのは4話。演出的なテンションでもって話の流れを逆転させるような勢いが良いです。「水中で溺れるような」感じの直喩だったりの心象寄りの演出に、ポエティックなモノローグがマッチ。
それ以外にも、「アゲイン...」の一言だけを口にして、残りのモノローグ内容は声に出さずとも通じ合っているようなこの息の合った二人の「以心伝心」感もグッド。
また、演奏を終えた有馬の、このカット。
ここは「仰ぎ」の開放感に満ちていて良いですね。ピアノをさっきまで演奏していた手付きのままなんだけど、ちゃんと「顔を上げて/上を向いて」いるので。つまり、かをりの言う「五線譜の檻に閉じ込められる」の逆ベクトル。このカットが開放感に満ちているのは、かをりのその台詞ともリンクしているから(あと、ついさっきまでの上掲の逆光のカットとかでは思い切り下を向いて集中していたから、ですよね)。
考察としては、下記の記事が、音楽とカット割りの切り口から見ていて面白かった。
アニメ『四月は君の嘘』第四話カットについて:追い抜かれる視線(1) - 書肆短評 http://nag-nay.hatenablog.com/entry/2014/12/05/081805
■『異能バトルは日常系のなかで』第7話「『覚醒』ジャガーノートオン」
この回は殆ど鳩子シーンで選んだようなもの。でもこれを選ぶのはあんまり趣味良くないのかもしれない。それまでの話でも積み重ねられていた、ディスコミニケーションが炸裂する回(というかシーン)。この話は見ていて辛さしかないような......。2分以上の「イタい」長台詞の奔流は、声優の演技も凄いけど、正面から映したり顔を映さなかったり、カット割りも残酷。表現は全然違うんだけど『ef』1期の問い詰めとか思い出す。個人的には『SHUFFLE!』空鍋回の数倍はキツいものがあります。
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以上です。
短く書くつもりが案外長くなってしまった。
悩んだのがあるとすれば『スペース☆ダンディ』からのセレクトか。ストーリー・演出共にウェルメイドだと思ったのは5話(少女アデリーの回)、10話(ループ回)、20話(ロックバンド回)あたり。円城塔の脚本回とかもSF的な思考実験を正面から取り入れてるようで面白いけど、SFアイディアにしても7話の『暗黒神話』オチのような「ナナメ上」を行くような外した感じで使うのが『ダンディ』らしくて面白いなあと思い、うえのきみこさんの脚本回からセレクトしました。
『ハナヤマタ』は2話か1話かで悩んで、1話にしました。『Gレコ』や、京アニ、P.A.作品からも選びたかったですが、10選に絞るのは難しいですね。
こうして10エピソード選んで見ると、作画監督さんの多くクレジットされてる回も多く、『SHIROBAKO』を参照するまでもなくアニメ制作のピーキーなスケジュールを物語っているかの様です。
思うに「エピソード単位10選」に求められている観点とは、恐らくは「アニメ」ファン的な目線、あるいは脚本から作画・CGセクションまで幅広く目配せするゼネラリスト的な観点だと思うのですが、スペシャリスト的な観点からの「10選」も見てみたいような気もしなくもない。例えば「2014年凄かった作画10選」のような......といっても自分は出来ないので人任せなんですけど、どうでしょうか。
何にせよ、2014年も面白いアニメが沢山ありました。来年もアニメが楽しめますように
小倉陳利さんの演出について
「異能バトルは日常系のなかで」は、カレカノを継ぐもの http://royal2627.ldblog.jp/archives/41537816.html
イアキさんの、上の記事が、小倉陳利さんの演出のまとめとしても極めて良い記事だった。付け足しながら引用してみると、小倉さんのコンテ(と大塚演出)の特徴として挙げているのは、
(1)構図の手法
横顔ドアップ抜きで目元・口元(感情)隠す
同ポ、ポン寄り、その逆の多さでテンポを出す
(2)止め絵の手法
バンクの積極的使用
顔隠しの絵作り
(3)深刻なシーンの描き方
シリアスな場面を直接的に描写
回想シーンのインサート方法(ネガポジ反転、彩度落としモノクロなど)
と網羅的で良い指摘。『カレカノ』『異能バトル』だけでなく、小倉さんが直近では最も多くコンテを切っていた『新世界より』での演出なども、基本的にはこの方法論に則っているし、こうした手法を多く使っているように思います。
小倉陳利さんの演出については、まっつねさんの、
小倉陳利さんの演出感は摩砂雪と鶴巻を足して二で割らなかったような良さがある。 新エヴァには足りない、摩砂雪と鶴巻がTVシリーズを通して作ってきた「エヴァっぽさ」を一番継承しているのはきっと小倉さんでしょうね。
という評も、的を射ているように思います。小倉さんというとまさに『エヴァ』っぽい構図とカッティングの使い手。
小倉さんといえば、アニメーターとしても旧劇エヴァや『ケモノヅメ』での仕事などが有名ですが、TV版エヴァに原画として参加後、『カレカノ』『フリクリ』にメインで参加し演出家として個性的な仕事を見せた、名実ともにオールドガイナとニューガイナ世代の結節点を象徴するような存在。
TV版『エヴァ』といえば、演出は基本的には効率論で出来ていて、
ゲンドウのこのポーズにしても、この一枚絵だけでキャラとして成立するようなものでありながら、目元さらに口元を隠すことにより、まずは口パクに要する(作画の)枚数を削減。ゼーレのメンバーも基本的にはモノリスのような石版で表現され、姿が出ず演技もありません(演技に要する枚数の節約)。また、こういった表情が出ない描写によりキャラの心情をこちら側に想像させ深みを出している、上手い表現なわけですよね。
『エヴァ』に関してはキャラの場所移動の描写の省略、戦闘シーン以外は止め絵中心の構成、ミサトの目元に影を落とし黒塗りで隠す描写など、大雑把にいえば枚数を省略しつつキャラの奥深さを出す描写を積み重ねる、そして節約した分の作画リソースを戦闘シーンに多く配分する、という方法論を選択していたことは、常識というか今更特に説明を要さないことだと思います。
小倉さんも基本的にはこの方法論に則っていて、
たとえば『フリクリ』4話での、
取り調べ室の中で話していたアマラオとナオ太が、
時系列前後するシーン挟んで次のシーンでは外に出ていたりする(移動の描写略)のもそれに則ったもの。
バンクの多用についても、コンテ担当した『Angel Beats!』12話の絵コンテ抜粋を見ても「同ポ(カメラ位置同じで同じ背景を使用)」「カット兼用」の指示書きが多く見られます。余談ですがAB!に平松さんと共に元ガイナ組として参加したのは、元ガイナの平田雄三さん(AB!のキャラデ総作監)の縁でしょうか?
小倉さんの演出の特徴については上掲のイアキさんの記事でかなり指摘されていますが、自分的にポイントだと思う特徴について補足(蛇足?)する形で書いてみようと思います。
まず、
(1)シンプルな横位置・縦位置・正面顔のレイアウト多用
小倉さんが過去にコンテを担当した作品からいくつか抜き出してみる。
・『フルメタル・パニック!』8話
・『新世界より』4話
・『異能バトル日常系のなかで』6話
(余談ですがここは撮影での強いボカシも驚いた)
基本的に人物は横位置・縦位置で配置し、キャラを正面から捉えたレイアウトが多い。この辺も『エヴァ』っぽい印象としても繋がる所ですが、キャラを正面や真横からカメラで捉えていて、秩序的でやや硬質な印象も受けます。
(2)ポイントとなるシーンでの独特のカットワーク
のカット繋ぎなんかはまさに顕著な例だと思います。コンテ段階でここまで不気味な「よく分からない」描写を盛れるのも凄いですがw
足の間からキャラを映すカットについては、一枚絵で映画的な立体感や臨場感を醸し出せる優れたレイアウトですね。国産TVアニメ第一弾の『鉄腕アトム』の頃から使われているものです。
あとは、「じわPAN」に加えキャラの心情に寄っていくような場面での「じわT.U.」、その逆に突き放すような場面での「じわT.B.」などカメラの動きを割と細かく指定しているようにも感じますがこの辺についてはコンテというより演出による指定が大きいのかもしれません。
あとは、鏡面にキャラを映すようなレイアウトも多いですね。これもレイアウトの機能底上げと絡む所と、内面描写とからでしょうか。
・『Another』11話
・『新世界より』17話
・『異能バトルは日常系のなかで』6話
特徴としてはこういった所でしょうか。独特のカットワークに加え、兼用カットを重ねてリズムを作ったり、『フリクリ』4話のような奇妙なポージングとか、アングルとかも持ち味だと思いますね。『新世界より』『Another』といった作品に参加している所からも分かるように、ホラーっぽい描写を得意とする人でもあります。
『Another』のこれ
とか、
『フリクリ』の
これとかの感じですね。『新世界より』でも、18話などホラーサスペンス調の話を多く担当していました。
また、個人的に『異能バトルは日常系なかで』3話は小倉さんの持ち味もありつつ演出的に上手いと思ったところがいくつかありとても良かった。
なのですが、彩弓の回想シーンを挟んで
次に4人が映るシーンでは千冬の立ち位置が彩弓側の上手に移動!これは彩弓の語る内容に千冬が同調してるのに合わせてでしょう。回想シーンの間に移動しているというこのさり気なさ!移動に要する「枚数の節約」という点でもこれはポイント。
また、もう一度回想シーンを挟んで更に2カット後、次に4人全員が映るカットでは
画面内でのキャラの上手・下手の立ち位置が逆転しています。
先ほどまでとは逆に灯代・鳩子が会話の主導権を握り(上手)、彩弓らがそれに同調する側(下手)に回ったことを画面位置で表現する、基本に則っていながら上手い描写!
また、この回は灯代の義兄、桐生一の初登場回なのですが、
登場シーンのファーストカット(安藤と遭遇)から一貫して画面の上手側にいた桐生が、喫茶店でのシーンで、
直前の、この画面上手側を背中で埋め尽くすような位置から逆転、
妹である灯代の登場と共に
灯代を上手側に配置した下手側へと移行!
と、この二人の関係性を表すような表現になっている。
アニメーターとしても天才だけど、コンテも上手いなあ、ホントに。小倉さんが、『パンスト』以来久々にガイナ・トリガー系列でコンテを切っているという意味だけでも『異能バトル』は貴重な作品。大地さん回や7話の望月さん回も良かったし。
『異能バトル』に関してはもう少し書きたいくらいですがひとまずこれくらいで。
あとそろそろ、年末なので「話数単位で選ぶ、2014年TVアニメ10選」も書いてみたいですね。
今回は以上です。
映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』にインスピレーションを与えたカートゥーン
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』は2000年公開のデンマーク映画、ラース・フォン・トリアーが監督しアイスランドのシンガーソングライターであるビョークが主演を務めた上で劇中の音楽を担当し、話題になりました。
セルマの処刑、そして失明は、作品のメロドラマ的な側面だ。ビョークに送った最初の脚本にはセルマの失明という設定は盛り込まれていなかった。だが、そのあとで私はとてもよくできたアニメを見る機会に恵まれた。1930年代に作られたワーナー・ブラザーズの作品で、ある警察官が人形を見つけ、恋仲にある女性の娘にプレゼントする。幼い少女は階段に座ってその人形で遊んでいるが、ふとした拍子にそれを落とす。すると少女は下を見ることなく手で辺りを探り、それを拾い上げるのだ。たったそれだけのことで観客はその少女が盲目であることが分かる。洗練されたすばらしい描写だった。
少女は母親の顔も街の様子も見ることなく、さまざまな音に囲まれて暮らしているという設定は『ダンサー・イン・ザ・ダーク』のそれに近いものがあった。少女の空想の中で人形は生命を持った存在となり、少女を連れて世の中を見て回る。少女は地下鉄の騒音からジェットコースターを連想し、ニューヨークのスラム街に咲き乱れる花園を作り出す。そして母親の顔をイメージするのだ。見る者の涙を誘う美しい作品だった。
(Interview ラース・フォン・トリアー『ダンサー・イン・ザ・ダーク』より)
ここで監督のトリアーが言っているアニメ作品は、"The Enchanted Square (1947)"というファイマス・スタジオ制作のカートゥーン作品で間違いないと思われます(フェイマス・スタジオは1930年代を通じてディズニー社最大のライバルだったフライシャー・スタジオの後身となる会社)。ワーナーではなくパラマウントの配給、'30年代ではなく'40年代の作品ですが、筋が非常に似通っているのでほぼ間違いありません。パブリックドメインになっているのでリンクを貼っておきます。
詳しくはこの記事でも紹介されていますが、日本でも雑貨や絵本などでポピュラーなキャラクターであるラガディ・アン人形(下画像はラガディ・アン&アンディで、左側がアンで右側が弟のアンディ)が登場するカートゥーンとして三本目に作られたものです。
リンク先の記事では筋が紹介されているので参照すれば英語が分からなくても鑑賞できます。それで、この作品を実際確認してみると、
なるほど、「すると少女は下を見ることなく手で辺りを探り、それを拾い上げるのだ。たったそれだけのことで観客はその少女が盲目であることが分かる」との言葉通り、この描写だけでこの少女が盲目であることの説明になっています。事実、この作品においてはこの描写以外は一言も彼女が"blind(盲目)"であるとの説明は入りません。台詞ではなく仕草で語る、まさに「洗練された描写」と言えます。
「優れた作画(=animation)はそれ一片だけでもインスピレーションを与える」というように、アニメーションは演技も現実そのままの模写ではなく誇張したいものを取り分けそれと捉えて描くわけですから、自然主義的な演技であってもそれはある種また現実のそれとは違った形で鮮明な印象を残すこともあるのだと思います。
何というか、今回の記事は「フライシャー・スタジオのアニメがこんな所にも影響を与えていた!」というのを発見したということでそれを指摘するだけのような内容なんですが、このカートゥーンが魅力的なのでそれについても書こうという趣旨です。
「顔に付いている眼で見る者もいる。そして心の眼で物を見る者だっているんだ」
"There's some who see with the eyes in their head, and there's some who see with the eyes in their heart."
という言葉も胸に残ります。映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の脚本には「結果的に間違った選択を続けその無垢さ/献身さ故に受難者となってしまう女性」というややサディスティックな側面があるのに対しそのようなイヤミが感じられないというのもこういった作品の良さでしょう。『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を見た後は、その元に影響を与えたこの小品を鑑賞するのもいいのではないでしょうか。
この「魅惑の街角」"The Enchanted Square"(1947)はラガディ・アン人形が登場するカートゥーン作品としては三本目にあたりますが、一本目・二本目はともにフライシャー・スタジオの作品で、特に一本目はデイブ・フライシャー(フライシャー兄弟の弟の方)の監督作品です。
「魅惑の街角」とスタッフの多くが共通しているらしい"Suddenly It's Spring"はアニメーションのスタイルとしても似通っています。デイブ・フライシャーの"Raggedy Ann and Raggedy Andy"は「ラガディ・アン&アンディ」人形の誕生秘話とでも呼ぶべき話で、二人が造られ名づけられる過程も描いており、これも傑作です。人形が魂(anima)を吹き込まれ動き出す(motion)というモチーフは静止画の連なりからアニメーションが生起するのと歩調を同じくしているようでもありますね。
この二作品も合わせて鑑賞されるとよりキャラクターやカートゥーンへの愛着も深まり望ましいのではないかと思います。
「二つのお人形」"Raggedy Ann and Raggedy Andy"(1941)
「人形の願い」 "Suddenly It's Spring"(1944)
次はできればまた近い内に(日本の)TVアニメに関して書きたいと思います。感想記事ばっかじゃなくてたまには考察系も書きたいですね。
(追記)2014.12.5
(以下蛇足)
映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』についても少し。「息子を思い立ち回ったところ、結果的に間違った選択を続けその無垢さ/献身さ故に受難者となってしまう女性というモデル」はやや脚本のサディスティックな部分で好き嫌いが分かれるでしょうが、冷酷の場面に際しては想像力の美しさで抗い「映画のラストは留保される」というあのエンディングに繋がるのは一つ観客にメッセージ性を託す上では効果的でしょうね。映画の直接的なテーマ性としては死刑制度への批判やチェコ(東欧)の共産主義と対比される形でのアメリカ批判なども乗っかっているのでしょうけど、あくまで想像力の持つ美しさを描き出した作品として評価したいです。
トリアーが採用している「ドグマ95」の撮影技法については、正直なところあまり上手く行っているとは思いません。記事を書くにあたってミュージカルシーンのキャプチャを取ろうとしたのですが、セルマがちゃんと映っているカットが少ないんですね。ミュージカルをちゃんと見せるという意図であれば、不適切な技法を選択していると思います。これはこれで映画として成立していたので良いんですけど、ビョークの音楽に助けられてる部分は大きいなあと思います。
『楽園追放』公開初日に見ての感想メモ
『楽園追放』、初日で見て来た。備忘録的なメモをば。見たのは公開初日ですが、立て込んで書くのが遅れました。他の人の感想とかはまだ見てません。
Expelled From Paradise Film Making Vol 2 - YouTube
アニメ制作・アニメ業界もののアニメって
水島努×P.A.WORKSの新作アニメ『SHIROBAKO』はアニメ業界が舞台で制作進行が主人公のアニメ制作アニメ。世間的には、幾原監督をモデルにしたというアニメ業界小説『ハケンアニメ!』 が話題になるなどアニメ業界ものはタイムリー。しかしアニメ制作・業界物についてまとめているような記事が見当たらなかったので、多分に紹介文的なものになってしまうかもしれませんが書こうと思いました。
『SHIROBAKO』に関して言うと、水島監督×シリーズ構成:横手美智子のコンビは『ハレグゥ』を初め『イカ娘』『じょしらく』など多くの作品で組んでいるけど、そこにP.A.の関口可奈味キャラのニュアンスが加わり、音楽は『TARI TARI』『ガルパン』の浜口史郎というスタッフィング。おそらくは『いろは』に続くP.A.の「働く女の子」シリーズ2弾ということですがアニメ制作アニメということで似たような系列の『まんがーる!』のような雰囲気も込みでいくのかなあ、、とか。女の子5人組がメインで、水島監督で横出美智子シリーズ構成という点のみ取り出せば実質『じょしらく』ですが。
企画の始まりは2、3年前に水島監督と乗ったJR中央線の車中でのこと。制作現場を舞台にした作品を作りたい。制作進行の話ではなくて、制作進行の目を通して見たクリエーターへの敬意や、この業界の今を描きたいという話をしました。監督も制作進行の頃から作ってみたかったようで、「実はファーストシーンはもう考えてあるんです」と、2社の進行車が交差点で並ぶシーンの説明を受けました。監督構想20年のシーンです!じゃあ、作りましょう、というのがこの作品の始まりです。
(「メーカー横断アニメガイド2014SUMMER」『SHIROBAKO』プロデューサー 堀川憲司 インタビューより)
水島監督が(シンエイ動画での)制作進行時代から温めていた二十年来の企画とのことで、ギャグやフィクションを交えつつもアニメ制作工程を描きそれをエンタメとして仕上げていこうとする気概も伺えます。
水島努監督の制作現場時代の体験談もエピソードなり描写なりで活かされるのかなと思いますが 、ここに来て自分にとって思い出されるのは同じく制作進行の女の子が主人公のOVA『アニメーション制作進行くろみちゃん』シリーズ。
(……) その後さらに、ラッキーモアというアニメの撮影会社の立ち上げに参加し、その流れで、ラッキーモアの出資会社であったイージー・フィルム(以下イージーと略)というアニメ制作会社の制作部に移籍しました。そのイージーの頃の制作経験が『アニメーション制作進行くろみちゃん』で描かれているわけです。
(大地丙太郎『これが「演出」なのだっ 天才アニメ監督のノウハウ』より)
大地監督のキャリア的には『ドラえもん』の撮影監督を5年ほど務めた後初のコンテデビュー、そして一旦アニメの仕事を離れた後に再び制作進行としてアニメ業界に復帰していますが、この頃の実際の経験が『くろみちゃん』においても活かされているとのこと。実際、制作進行の主人公に関してではないですが、大地監督がコンテ打ちの際に笑いながら説明しているのを前にアニメーター陣はひたすら真面目に下を向いてメモを取っている……というような上掲書において語っているようなエピソードが『くろみちゃん』においてワンシーンとして出て来るなど、実際の経験に裏打ちされた描写がなされている部分も感じられます。
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『くろみちゃん』はやや誇張も含まれますがアニメ制作の常に切迫したスケジュールや品質管理に関する厳しい状況をコメディタッチで描いていて、それにシリアスな要素を絡ませる大地監督お得意の芸風。
2作目はスケジュール管理に関して質よりも早さを優先させることで厳しい制作状況を乗り切ろうとする制作デスクが登場し、テーマ的にも更に踏み込んで、締め切りをとりあえず乗り切ろうとする現場主義的な考えと、それでも品質を維持しようとする向きとの対立軸になる。
制作されるアニメ本数に見合った人員やスケジュールが確保されていないアニメ制作の現状に対する大地監督の問題意識が根底にあるのでしょう。
思えばアニメーションの厳しい制作現場における現場主義・商業主義に対しそれに抗って真摯な作品作りを進行しようとする態度を真面目に作品として描こうとするならばそれは作品内としては「理想/現実」の対立軸というところになるので作品のドラマ性はそこで担保できるのだと思います。『SHIROBAKO』でもその面は関係してくるのでしょうか。
ところで、アニメ制作に題材を取ったアニメのエピソードは多々ありますが、
- 『妄想代理人』10話「マロミまどろみ」(脚本:吉野智美 絵コンテ:佐藤竜雄 演出:遠藤卓司)
- 『こいこい7』6話「熱血闘魂・鬼軍曹どのっ!制作進行サクヤさんです〜」(脚本:社綾 絵コンテ:八谷賢一 演出:米田和博)
- 『GOLDEN BOY さすらいのお勉強野郎』6話「アニメーションは面白い!」(脚本・絵コンテ・演出:北久保弘之)
など、役職でいえばアニメーションの制作進行を主人公としたものが目立ちます(前者2本はTVアニメの1エピソードで、後者1本はOVA)。『SHIROBAKO』も主人公は制作進行の子のようだし。その理由として考えられる内容のことを『妄想代理人』監督である今敏が証言しています。
他でもない我らが「業界物」なので、アニメの舞台裏、制作現場やスタッフ、制作プロセスなどの紹介も重ね合わせた方が良かろう、ということになった。となると、原画動画、美術 背景、色彩設計、撮影などなどの絵にかかわるポジションは主人公として除外されることになる。なぜなら彼らの仕事は机から動かない。監督や演出というポジションも主人公として魅力ではあったが動く範囲が限定されていることに変わらない。そのポジションの仕事ととして動き回ってくれないと各プロセスやスタッフの紹介もままならない。そして各スタッフの間を動き回るポジションというと「制作」しかない。制作といってもプロデューサー、制作デスク、制作進行など 色々あるが、各スタッフ間を頻繁に回って歩くのは「制作進行」しかない、ということになる。
アニメ制作の舞台裏に触れるような「業界物」の内容にするならば、アニメ制作の最も多くのセクションに関わる人間であり、かつ能動的に行動をとり物理的にも移動の多い制作進行を主人公にした方が当然やり易い、という計算の上で制作進行という役職が選ばれていたのが分かります。
アニメ制作ものとして個別に作品について触れると、「マロミまどろみ」は『妄想代理人』の1エピソードということで、アニメ制作の逼迫した状況を体現するかのようにアニメ制作の各役職が次々と少年バットに始末されていき、それを制作進行の主人公の回想という形で描いています。各役職の担う役割についても詳しい解説が入る。
OVA『GOLDEN BOY』は北久保監督、キャラデの川元利浩のもと磯光雄や本田雄の参加した作画アニメとして知られていますが6話は当時のセルアニメの制作の様子が細かく分かるエピソード。アニメ現場現場の実写素材を使ったりとなかなか面白く、またオリジナルエピソードの最終話としてそれまでのヒロインを総括するような構成にしているのも上手いし、原作の江川達也、北久保監督、作監の川元利浩さんそれぞれをモデルにした原作者、監督、作監も本編内に登場。
『こいこい7』6話は主人公達がアニメ制作に駆り出されるギャグ回ですが(というかこのアニメはほぼギャグ回かもしれませんが)、過密スケジュールを管理するスパルタ制作進行として奔走するサクヤの台詞
「いいか!貴様ら動画は原画も描けない無能な連中だ」「私の任務はその無能な貴様らにきちんと動画を上げさせることだ」「いいか。貴様らは人間じゃない。色を塗るためだけの機械だ」「筆を持たない貴様らにはひとかけらの価値もない」
などはなかなか衝撃(というか、言ってる当人がまず人間じゃなくサイボーグなんですが)。期日に間に合わせるため3徹したり逃げ出したスタッフを強制連行したりする描写もあったり。
また、アニメ制作の工程をなぞるようなものとは別に、プロデューサーと原作者、監督との駆け引きに焦点を置いているエピソードとしては
- 『こちら葛飾区亀有公園前派出所』178話「アニメで儲けろ!」(脚本:西園悟 絵コンテ:榎本明広 演出:和田裕一)
とかがあるかと。『こち亀』原作にもあるエピソードですが、アニメ版ではよりアニメに関して細かい描写になっています。両津が原作者不在の状況を利用して原作者の代理人としてアニメ制作に意見出しを行い、関連商品を売りたいスポンサー側の要求を持ち込み少女漫画の内容を改変しまくった挙句ロボット戦隊変身バトルものの商品紹介番組にしてしまうという内容ですが…。この回はアイキャッチ、EDが劇中作のものに差し替えになるなど遊び心が尽されてます。
原作サイドとアニメ作品との関係というのをより深く掘り下げてシリアスなものにしてかつ今風のアレンジになっているのが
- 『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』(1期)8話「俺の妹がこんなにアニメ化なわけがない」(脚本:倉田英之 絵コンテ:佐野隆史 演出:清水聡)
かもしれません。制作現場までは踏み込みませんがこれもアニメ回で、倉田脚本のオリジナル回として、センセーショナルな内容でもあったので記憶に新しい人も多いかもしれません。
そういえばこの当時『こち亀』 の監督だった高松信司監督は「アニメ業界ものやりたい」というつぶやきを以前していました。結果的にTVシリーズとしては水島監督が先に着手することになりましたが、高松監督のアニメ業界ものも見てみたいです。
企画書といえば、昔からアニメスタジオを舞台にした「アニメ業界もの」がやりたくて、何度か企画書を書いてるけど通ったことがない。
— 高松信司 (@takama2_shinji) 2014, 5月 26
高松監督といえば、アニメ制作回というのとは少し違いますが、コンテを担当した『銀魂』94話「電車に乗るときは必ず両手を吊り革に」のアバンでこんな事をしていたのが思い出されます。
あくまでメタなギャグとしてですが、アニメを構成する素材を露呈させそれをスラップスティック的に見せて行くところに面白さがあるし、アニメ制作を題材にしています。
同じようなコンテ撮りやレイアウト撮を見せるような描写は川口監督の『SKET DANCE』でもしていました。
『こち亀』のような長期シリーズのアニメだとアニメ制作回も挟みやすいのだと思います、『星のカービィ』では2回やっていましたが、『ハヤテのごとく!』『ケロロ軍曹』『美少女戦士セーラームーン』のいずれもファーストシーズンでアニメ回があります。
- 『星のカービィ』49話「アニメ新番組星のデデデ」(脚本:吉川惣司 絵コンテ:日下部光雄 演出:岩崎太郎)
- 『星のカービィ』89話「オタアニメ! 星のフームたん」(脚本:国沢真理子・吉川惣司 絵コンテ・演出:まつもとよしひさ)
- 『ハヤテのごとく!』(第1作)44話「就職率120パーセントの謎(仮)」(脚本:植田浩二 絵コンテ:川口敬一郎 演出: 渡辺正彦 )
- 『ケロロ軍曹』(1stシーズン)「ケロロ小隊 アニメでペコポン侵略 であります」(脚本:西園悟 絵コンテ・演出:鵜飼ゆうき)
- 『美少女戦士セーラームーン』「子供達の夢守れ! アニメに結ぶ友情」(脚本:隅沢克之(絵コンテ・)演出:幾原邦彦)
『星のカービィ』49話のアニメ制作回は徹夜での作業、アニメーターの重労働、逼迫したスケジュールなどを描き、「アニメーターにも基本的人権はある」とキャラに言わせたりし、アニメ内でアニメの制作状況についてのバッシングを入れたり自虐ネタも取り入れたりといったアニメ内からの告発めいたエピソードとして有名ですが、本編内、アニメ放送の最中ぶっつけ本番でアフレコすることになったキャラの会話がこれで。
この49話の脚本は『カービィ』総監督の吉川惣司さんで、『ルパンVS複製人間』も監督している大ベテランですが、虫プロ設立後まもなくの日本TVアニメ黎明期からアニメーターとして活躍されている方による脚本と考えると重みがあるしブラックなリミテッドアニメ批判としても取れるのが面白い。89話の方の脚本も合作で書いていて、そちらはオタク的なネタも多くパロディ色も強い内容になっていましたが。
他にもハヤテのアニメ回はアフレコアニメ的内輪ネタもあったりケロロのアニメ回では劇中劇のアニメの原画を声優が描いていたりしていてネタとしては面白いですが、一旦このくらいで。
あと、そういえばOVAの『ナースウィッチ小麦ちゃんマジカルて』の4話もアニメ回でした。
- 『ナースウィッチ小麦ちゃんマジカルて』4話「魁! 嵐を呼ぶアニメスタジオ・水道橋大爆破!?」(脚本:玉井☆豪 絵コンテ・演出:米たにヨシトモ)
OVA『小麦ちゃん』シリーズは3話から制作が京アニからタツノコに移り、それまでのパロディ多めのギャグ路線は踏襲しつつ米たに監督のカラーが強くなりタツノコの自社パロが入ったりギャグ色のより強いアチャラカ気味になっていた印象ですが、アニメ回も、アニメ制作については段階的な描写はありますが、脚本家の「あかほりさとろう」が登場したり「ヤシガニ」ネタが入ったりするギャグ回。
TVやOVAシリーズ内の1エピソードとしてアニメ回が挿入される場合、それはメタなギャグとして行ったり、アニメ制作者との距離を近づけるようなものだったり、アニメファンとしての製作過程への興味を刺激するようなものとしてのいわばファンサービスであったり内輪ネタであったりすることが多いかと思います。
余談としては、『小麦ちゃん』4話と『ハヤテ』44話とでどちらにもナベシンが劇中でのアニメ制作スタッフとしてカメオ出演を達成しています。
『ハヤテ』一期に関してはおそらくは川口監督のつてでナベシンはローテに入っていたので他の回でも出まくっていますが『小麦ちゃん』の米たに監督の回でも出演で、もちろん声も本人。ナベシンの出演するような回だとアニメ制作のメタネタやパロネタでも許されるというようなところでしょうか。
アニメ制作アニメではアニメ内にまた劇中劇という形で作品が生じるいわゆるメタ構造になるわけですが、その作品の中での現実と作品のリアリティのラインも重要な要素になるかと思います。そこをギャグに振るかどうかというのもあるし(最近だと『俺妹』などは劇中劇については凝っていて後にスピンオフ的に作品が出たりしているし(実際の制作経緯はまた違うみたいですが)『ブラック・ブレット』劇中アニメの「天誅ガールズ」が独立に商品展開したりしていますが、『SHIROBAKO』でも劇中劇と絡めて(商品的にも作品的にも)どのように展開していくのかというのは楽しみです)。
また、アニメ制作を題材にした漫画や小説と違いアニメ制作アニメは実際の経験に裏打ちされた部分がでるのがやはり好きだし、そこに業界内からのカミングアウト的なものを感じたりもします。
そういえば以前、こんな話をしました。
漫画家が主人公の漫画は腐るほどあるけど、アニメーター主人公とか少ないのは、赤貧イメージとか、あと共同作業な分作家性が曖昧だからとかかな
— highland (@highland_sh) 2014, 7月 7
考えてみれば、漫画家主人公だと漫画家である作者は当然書きやすい。 そして漫画の方がニッチな企画通り易いという側面もある。 アニメーター主人公を描くには業界に精通している必要があって、従ってアニメ作家の方がやりやすいが反面アニメではニッチな企画が通りにくい これが理由じゃないかな
— highland (@highland_sh) 2014, 7月 7
漫画制作が題材の漫画といえば『サルまん』や『バクマン』などスッと浮かぶのに対しアニメ制作が題材の漫画は少数タイトルに限られてる印象があります。
そこで気になって、アニメ制作を題材にした漫画についてもちょっと調べてみたところ、結構なタイトルが出ていますね。
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『これだからアニメってやつは!』はアラサー女性のアニメ制作進行を主人公にした漫画で、その点ではやや『SHIROBAKO』とも似てるかもしれませんが実際は全然違う感じはします。余談ですが1巻巻末には「アニメ監督という仕事」について作者と大沼心の対談というかロングインタビューが収録されているのでお勧めです。
自分は前から好きなのは『レイアース』などで有名な元アニメーターの石田敦子さんの『アニメがお仕事!』ですが、やはり実際の経験に裏打ちされた部分が大きいし、キャラの掘り下げやリアリティの面でも優れていると思います。アニメ―ター主人公たちの青春ラブストーリーモノですが、仕事に遣り甲斐を感じる部分も伝わるし原画マンや動画チェッカーの労苦、アナログ時代のアニメ制作の状況も分かり、仕事と恋愛の葛藤もある。
自主制作アニメを題材にした今井哲也の『ハックス!』も佳作で、学生主人公の青春ものでもあり、アニメに関わらず現代におけるクリエイティブな創作行為全般に通じるような普遍性を持っていると思います。
また、アニメ制作を題材にした漫画とはちょっと違うと思いますが声優を題材にした漫画も最近は数多くあるようです。
漫画『こえでおしごと!』『REC』などはアニメ化もしていましたが、アニメ化すると実際に声優さんによる声が声優キャラクターに付くのでメタ・アニメ的になると思います。『REC』もシャフト制作、故・中村隆太郎監督でアニメ化していましたが、新人声優キャラの恩田赤を実際の新人声優(当時)の酒井香奈子が演じているし。吉田玲子脚本のもと漫画とは少し構成も変えて「恋と仕事」を軸にして実直に描くようにしており、また各回脚本やOPでのビジュアルなど大胆にオードリー・ヘプバーンをフィーチャーしてのアニメ化で、アニメ独自の良さがありました。ちなみに『REC』原作の方では声優ヒロインの妹がアニメーターであり、後の方でヒロインとしても出てくるし、アニメ業界の話も絡んできています。
ここまできて『SHIROBAKO』に話を戻すと、主人公:制作進行をはじめ声優、アニメーター、ライター志望、CG担当という5人はとてもバランスの良い采配になっていると感じます。制作進行を主人公に据えることでアニメ制作工程についての見通しをよくし、今やますます重要性を増しつつあるCG担当を投入する一方、それに偏らないようライターなどもあり、新人声優という役もアニメファンにとっては魅力的なものとして機能する。そして彼女らが学生の頃自主制作アニメを作っていた仲間であるという設定も、既存の作品でも取り上げられていた部分を持って来る感じでニクいと思います。この配役は水島監督のキャリアとも深い関わりがありそうですが、このあたりはプロデューサー側の采配もあるのか、それとも水島監督によるものでしょうか。
- 『へっぽこ実験アニメーション エクセル♥サーガ』17話「アニメーションUSA」(脚本:倉田英之 絵コンテ:別所誠人 演出:平池芳正・福多潤)
あんまりアニメ制作の描写もないので入れなかったのですが一応アニメ回なので書いておきます。エクセル演じる三石琴乃本人でセラムン(の月野うさぎ)パロやってたりネタ的な見所は満載、この頃のやりたい放題やってた(今も?)ナベシン節も楽しめる。脚本書いた倉田も後にホントにアメリカ行ってそれでルポ書いたりしてましたね。
ついでに、アニメ制作の描写があるだけなら『おたくのビデオ』2話とかも浮かびますけど、あんまり関係ないですね。
(追記3)2015.1.17
アニメ業界漫画に関して追記です。
上井草アニメーターズ (1) (カドカワコミックスAエース)
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