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highland's diary

多忙のため休止中。何かあればコメントでお願いします。

山川吉樹『HELLS』(2008)

未見の人になるべく見てもらいたいので、ネタバレなし紹介

多くの人に見てもらおうと考えるなら本当はタイミングよくネタに乗っかってバズらせるとか、そういう手段があるのかなと思いますが(今の『けものフレンズ』みたいな)、自分はそういうのが上手くないしそういう広め方をするのも何かなと思うので普通に宣伝記事を書きます。

本当は初見のときに記事にすべきだったんですけどね。

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山川吉樹さんといえば、桜井弘明監督作品でのダバ絵作画に定評のあるアニメーターであり(斉木楠雄のエンディングも良かったですね)、近年では『キルミーベイベー』『リトバス』『ダンまち』…などJ.C.STAFFの職人監督としても知られていますが、そんな山川吉樹さんの初監督作がこの『HELLS』(旧題:『HELLS ANGELS』)であります。マッドハウス制作の劇場作品、しかも上映時間二時間近くの大作でありながら恐ろしく知られておらず、つい最近まで山川吉樹さんのウィキペディアページにも全く記載がなかったくらいです。

2008年に東京国際映画祭で上映されながら、2012年に配信開始・ソフト化がされるまで見る手段が一切なく、これが原因でマイナーになってしまったのかもしれないと思いますが、幸い今ではBDも比較的安価で買えるし、レンタルでもそこそこ見かける作品になっています。

『HELLS』は山川吉樹監督、ふでやすかずゆき脚本(この人は元はマッドハウスの撮影出身ですね)、中澤一登作画(アニメーション)という、マッドハウス出身の稀有な才能が合わさって生まれたアニメです。本当にざっくり言えば女子高生が地獄に落ちて、そして……というお話。
野暮だと思うのであらすじなどについて細かく紹介はしませんが、今石洋之監督の『DEAD LEAVES』風に、極端に強調したパースやコマ割りなど漫画的な表現をこれでもかと投入し、中澤一登のフォルム重視の荒々しいタッチの作画(キレキレ)に、持てる手管をフル駆使してイメージを誇張する演出、間を投入せずつぎ込みまくった台詞と非常に観客に負担を強いる作品になっています。
ぶっちゃけ映画として見れば観客の生理に合わないまで詰め込んであるのでクズクズであると思うけれど、アニメーションとしては間違いなく面白いし支持します。仮にこれが100パーセント原作通りの映像化なのだとしても(自分は原作は未読)、やはりすごいアニメであると思う。

普通にシリアス展開をやっててもギャグになってしまうノリとかはふでやす脚本の味なのかなと思いますが(ミルキィホームズとか)、今回見返して『HELLS』に関してはどっちかというと山川吉樹監督の見せ方の方が要因として大きいなと思いました。演出の破壊的テンションがいっそ清々しいです。
あと中澤一登さんって金田伊功は通っていないと前から公言しているけれど、『HELLS』を見るとバリバリ金田チックな表現もありますね。やはり金田フォロワーの板野一郎さんの影響を受けてるだろうからむべなるかな、という感じではありますが。

なんかスタイルの話ばかりでストーリーについて全然触れていないですが、めちゃくちゃに荒削りながら非常に濃密な展開であるし(それでいて明快!)、声優さんの熱演も良いです。特に主人公:天鐘鈴音(りんね)を演じた福圓美里さんの演技は、『まどか☆マギカ』での悠木碧渾身の演技に比較さるべき好演であると真面目に思う次第です。

今石監督の作品にも非常に似通っているところがあって、GAINAXでいえば『エヴァ』と『キルラキル』と『グレンラガン』の諸要素を全部合わせたみたいな感じ。

この作品(『HELLS』)の基調をなすのはあくまでコメディであると思うけれど、どこか舞城王太郎の作風(『好き好き大好き超愛してる』など)を思わせるところもあったりする、そんな不思議なアニメ。

何か期待値を上げまくるようなことばっか言いまくっていて申し訳ないですが(自分は何だかんだ人を誘って見たりしているので、一人でDVDで見てめちゃくちゃに面白いかどうかは分からないし、多分そんなにはちゃめちゃに傑作というわけでもないので)、気になる方はまあ見てみてください。一見の価値があることは保証します。

ちなみに
本作をDVDやBD(または配信)で見るのであれば、途中で一時停止などという野暮なことはせず、ノンストップで最後まで視聴することを推奨します。それが、この作品が劇場アニメ作品として作られた理由の大きな一つでもあると思うので。

HELLS Blu-ray

HELLS Blu-ray

 

 (最近記事が滞っててすみません次の長文記事も書きます

2016年劇場で見たアニメ映画・映画レビュー

アニメ 映画 感想 雑記 総括 君の名は。 傷物語
劇場で見たのは全27作品?以下は全レビュー。
他で書いた感想の引き写しも多め。
 
『ガールズ&パンツァー劇場版』
結局劇場で見たのは去年からの総計で8回だった。4DXは見なかったけど、堪能しました。

グリーン・インフェルノ
密林の鮮やかな緑に、真っ赤な肌と色彩がすさまじい。
元ネタのイタリア食人族映画が食人族と文明社会を直接重ね合わせる諷刺だとすれば、それにリスペクトを捧げつつ幾分ヒネった形でアレンジした作品だと思う。
『ホステル』もそうだがスプラッタ描写はきつい。生きたまま眼球を取られるとか。

ブリッジ・オブ・スパイ
スピルバーグ新作。
橋を渡ってくるソ連車の撮り方は「プライベートライアン」のティーガー戦車ぽいとか、トムハンクスの役柄は「キャッチミーイフユーキャン」とか、そして何よりドイツ側は「シンドラーのリスト」とか、境界の映画で「ターミナル」だとか、爆撃機は「1941」で、電車内のシーンは「マイノリティリポート」だとか、そういうのは思い出したけれど、そのどれでもなく全陣営にしっかりと目配せして描かれたドラマで、一人の市民であり英雄でもあるドノヴァンのお仕事映画でした。
 
『オデッセイ』
ここ数年のリドリースコットで一番良かった、という中澤一登さんの評に同意。
 
『同級生』
高校生のこの多感な時期特有の気だるさもあり気力もあり将来への不安もありの心理と交流を季節感になぞられ繊細な演出で描き出した傑作というべき。レモンソーダ。
まずシネスコの画面を自由に使ったレイアウトや漫画のコマ割りを再現したりしていて面白い。間を活かした静の部分も動の部分もすごい。
くすんだ色合いのグラデーション背景とそれに完全同化するタッチのアニメート、光と影、省略、季節感と、理想的なアニメ化。中村章子さんつながりで、カレカノの手法や君嘘OP2も思い出したり。
一時間を通じて二人の関係の進展を描く構成で、キスシーンは情緒的なものから肉感的なものまで多彩なのだけど(徐々に開放的なシチュエーションにも移行する)、どれもいちいち見せ方が素敵だった。高架下でのキスシーンでは流れる電車の音が心臓の鼓動と同期する!上品な見せ方で良かった。
終盤のバイク二人乗りするシチュエーションも運動を通じ関係を表しており好き。
 
デッドプール
どうやらデッドプール誕生編ということで、最初の1時間は生い立ちの描写だが、アクションと交互に進行させ、常に結論を先延ばしにすることでここは観客の興味を持続させる。最終的に主人公はいくら茶化しても自らの出自と正体に向き合わざるを得ない。終盤のアクションとかは数合わせの傭兵ばかりで画がスカスカになっていて第四の壁破りのギャグでようやく保っているという感じ。不死身の設定のデッドプールに対し生死のサスペンスは成立せず、いかに恋人の命を奪わずに助け出せるかということを焦点化するしかないが、そのサスペンスが足りてない。
そのせいかアクションが間延びして感じられてしまった。最初の登場の仕方とか(いきなりタクシーにいる)意外性があって良かったけど、アクションをやたらアップで展開するため全貌が分からず凄さも伝わらないというのはどうかと思う。あけすけ過ぎるとか、第四の壁破りとかはデッドプールのキャラ特性だろうので仕方ないといえば仕方ないかもだけど、作劇としてはグロテスクな域に達しているのではないか。
 
エクス・マキナ
アカデミー視覚効果賞受賞作。ミニマムなSFスリラー。
ガラス越しにチューリングテストに挑む主人公はそのままスクリーンを隔てて鑑賞する視聴者の立場でもあって、境界の曖昧さがスリラーとしての駆動力を加速する。「ブルーブック」(ウィトゲンシュタインの『青色本』)といったディテールからも監督・脚本家(ガーランド)の知識バックグラウンドは確かなものだけれど、アシモフ三原則は軽くすっ飛ばすあたりがSFとしてのキモで、AIの側に気持ちを託しているという意味で先進的。無感情に目標を遂行したエヴァがメアリーさながらに外部世界に出て何を体験するか?は観客の想像に委ねられている。
AI・ロボットを徹底的に外面的に見つめ、内面に踏み込まないアレンジが素晴しい。
 
ズートピア
これと同じテーマで、これ以上に完成度の高いものを現時点で作ることは不可能だろう、という意味で最良の作品。
最近のピクサー作品は「アナ雪」「ベイマックス」といい、「序盤10分をいかにスピーディに展開して主人公のバックグラウンドを説明し尽くすか」に囚われているような節があるけど、そういった意味でも冒頭から凄まじい情報量(セリフで言わずともプロダクションデザインで雄弁に世界設定を伝える)を処理していて、これはアニメだからこそできることだと思った。
 
アマデウス』(午前十時の映画祭)
10年ぶりくらいに再見。
映画だと思えば3時間は長いけど、オペラだと思えばそんなに長くないと思う。映画の構造としても、非常に分かりやすい。
好きな描写としては、
モーツァルトがオーストリア皇帝ヨーゼフ2世に「こういうオペラはどうか?」と進言して、その内容があまりにも常識はずれなので、宮廷の人らも戸惑って、それを見ている私たち映画の観客も「そんなオペラは無理なんじゃないか」と思わされるんだけど、その次のカットでは、もうそのオペラが完成し上演されていて、誰もがCM等で聞き覚えのあるモーツァルトのメロディーが流れてくる。
モーツァルトの曲が流れてきたときの説得力が凄まじく、「ああこの曲はそういう経緯で出来たのか!」と映画の観客も思わず納得させられてしまう。
 
「そんなの成立するわけないだろう……」からの「ああなるほど!」にシームレスにつながってしまう流れがすさまじく、私はこれを「即落ち2コマ編集」と呼ぶことにしました。
 
『貞子vs伽椰子』
こんな無茶な企画押し付けて「双方のシリーズにリスペクト払いつつ作って」と言う方が無理あるので、「じゃあバケモノとバケモノぶつけよう!」という即物的な筋立てを用意した白石監督の選択は全く正しい。
ジャンルムービーの監督が撮ったそれなりの佳作として、可もなく不可もなく、という感じ。
 
シン・ゴジラ
感想を書いた。

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ジャングル・ブック
アニメ×実写の3D立体視映画。
 
君の名は。

highland.hatenablog.com

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 『君の名は。』についてもう一つ思うことは、あのラストカットでタイトルが出るという処理について。

(思えばあのラストカットは、「カメラが下からグイッとパンしてタイトルロゴがドーン!」そのままだった!)
最後にあの風景を持ってくることで、タイトル回収も兼ねつつ、映画のラストカットとポスタービジュアルとが重なるようになっている。もちろん上手く作ってあるのだけれど、ちょっと作為的なものを感じさせて良くないと思う。
最後の到達点がああなるように、そこから逆算する形でそれまでの動きを設計して、狙ってやりました!感が強く出ていて、意地悪な言い方をすれば演出家のドヤ顔が透けて見えてしまう。最後にタイトルが出ることで、物語世界から現実に引き戻されるというところもあって。
 
そういう風に考えれば、『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』の最後で看板にタイトルロゴが出るのは、そういう効果を逆手に取った感じがあってやはり掟破りであるなあと思う。初見時は皆あそこで「やられた!」と感じるでしょうし、素晴らしいと思う。
 
傷物語 熱血篇』
「鉄血篇」が一本の映画として非常に良かったので、それと比較して何とも言えない感じ。三部作まとめて評価した方がいいかもしれない。
『鉄血篇』では血でもあり太陽でもある日章旗をはじめ木々、鳥、嬰児といったモチーフの重ね方にああ上手いと感嘆したところがあるけど、今作でもそのモチーフは引き続き使われる。
全体に前作よりレイアウトが弱いと感じたのは、羽川との一対一対話が多めになり使える手管が限られていたのも一因。遅延を使ったクロスカッティングが目立っていた。対ドラマツルギー戦は水表現が素晴らしかったけど、横構図が多いのが迫力に欠けてイマイチとおもう。グラウンドや河川敷での、雲や川を溶け込ませたカットとかは良かった。CGの異物感。
羽川のシーンは正面切って描いていたけれど、キスショット周りの方が芝居も秩序立っており演出は制御されているように見える。 『2001年』パロに重ねたみたいにスターゲートだったり。 時間の使い方はあまり映画的でないのだけど、三部作のつなぎにあたる二作目と考えるとこれで問題ないと思える。
 
planetarian~星の人~』
終末世界での、ロボットと天文の寓話。寓話というのがポイントで、適度に抽象化された「誰でもない」キャラクターによる作劇が、観客の共感を生む。
「雨の日のデパートのプラネタリウム」が出発点となったモチーフであり、雨や雪で遮られ空が閉ざされた世界で、それでも逆説的に描く希望と、継がれる思いのドラマ。そもそも星や星座という題材が、縦横に伝播する人の思いを紡ぐのに最適なモチーフなのだ。
それだけに、あの「見たかった/見せたかった」世界を映し出すエンディングは理屈抜きに感動をもたらすもので、あれだけで銀幕で見る価値を十分に持つ。
 
ただ、劇場アニメとしては作りが歪なところもあって、
web版の内容を回想として挟んでいるために(さすがにそこを完全新規カットとはいかない)、そこは説明の比重が増して若干重たくなっている。くわえて、あれだとweb版の結末(涙のとこ)と本編のラストシーンが時間的に近いので「やっとラストで思いが成就&伏線回収」のカタルシスが薄い。「扉が二つだったら俺は…」は観客も共感してしかるべきシーンなのに、ダイジェスト的な構成のために「報われた」感が足りない。
決して完璧なアニメ映画とは呼べるものではないけど、それを補ってあまりある良さはあると思う。
 
子供たちが自家製プラネタリウム見るシーンで、主観カットの演出入ったらもっと良かったかなとか、せっかく劇場アニメだからゆめみのプラネタリウム解説シーンも見せ場でもっとじっくり入ってたら良かったなとかは思った。
無機的な3DCGに長けておりかつ人間の柔らかい感じも出せる、david productionが制作スタジオで良かった。
こつえーさんの素朴なデザインを 『まぶらほ』みたくアニメナイズしてて、今のアニメデザインからすれば正直今日的にはそこまで洗練されてないように見えるけどその素朴さが逆にポンコツロボットぽくて良かったかも。
 
『生きる』(午前十時の映画祭、4kリマスター版)
再見。
ファーストショットが胃のレントゲン写真に、死期が近いというナレーション。カット変わって映る志村喬は仕事をしながら上着の懐から懐中時計を取り出して覗く。この取り出す時計には、ふところの胃がんと絡めて「制限時間」というニュアンスもあって、その限られた制限時間をも煩雑な作業で無駄にしている志村喬、ということを示すカットなのだと思う。
映画を通じて、志村喬は「対象物を見つめているようで、どこか焦点のずれた、虚空をじっと凝視しているような目つき」を繰り返す。これは死に直面した男が、虚空をみつめ、もっといえば自分の来るべき死を見つめている視線としてそのような演技が出てきたのだろう(公園を思うときに限り顔が綻ぶ)。目つきを通じて、前半と後半で急な変化をつけていないので、陳腐さを避けられていると感じた。
死に直面した男は、息子家族との繋がりに縋ったり、メフィストフェレスの小説家とともに気晴らしを訪ねたり、女との付き合いで慰めを求めたりするけれど、最終的に本分である仕事での自己実現に覚醒し、止まっていた生が始まる(誕生歌の祝福。音楽の対位法)。
ラストショットは、子供が遊ぶ公園からカメラがトラックショットで、橋上で見ている男を空をバックに追う。
彼が遺した公園は子供を通じて未来に繋がるもので、大半の官僚は変わらなかったけど、少なくとも役人一人に燻ぶる思いを植えつけることには成功した。そこに希望がある。
感動的なのは、主人公の課長は全くそんなことは考えなかったであろうということで、そもそも彼はとよとの会話を通じて、仕事に打ち込むその「活力」にあてられる形で、仕事を通じて何かを作ろうと思うようになる。それはつまり自分の満足のためにやっていること。
わが子同然のものとして公園を作るわけだけど、それは自分が社会と繋がりを得て自己実現するためにすることであって、いわばその副産物として、彼の姿勢に影響を受ける人が出てくる。
とよが志村喬との会話で「『子のために親が我慢して頑張ってきた』という理屈を子供に聞かせるのはずるい。子供がそう頼んだわけではないのに」と前半で話すところがあるけど、それは、親がやりたいことを我慢することは正しいことなのか?やりたいことをやることで、結果として良いこともあるのではないか?という問いを裏に含んでいると思う。
志村喬は、残された生の内5ヶ月を本当の意味で「生きる」ことになるけど、そこでの彼の観念的な意志ではなく、なにより外部から見た行動とその成果によって、人に影響を与えることになる。それが「生きる」ということの重要な側面ではないか、これはそういう話ではないか、と自分は受け取りました。
 
『聲の形』
人と話して、原作と比べても棘のある作品だ、という点で意見が一致。7巻分のストーリーでさすがにダイジェスト気味にはなっていたけど、破綻部分があったとしても特に気にならない。
本編とは関係ないけど、入場特典の漫画が素晴しかった。
 
『レッドタートル ある島の物語』
動き(モーション)の設計を通じてエモーションを作り出す、という好例。亀と人の動きが同期する、というそれだけのシーンで感動させられてしまった。
ラストの海、あれは宮崎駿でなくて出崎統のエモーションだなあ……と何となく思います。
 
ヒミズ』・『愛のむきだし』(旧作、二本立て)
共に傑作であると思います。園子温作品の中でも、とりわけ海外の評価が高いのがこの二作であるというのはとても納得できる。
 
七人の侍』(午前十時の映画祭、4kリマスター版)
上映時間が3時間半くらいなのでインターミッション(途中休憩)が入るのだが、休憩時間に外に出ていたら戻ってきたときに後半部分がすでに始まっているという、今となってはそこそこ稀少な経験をした。
 
『SCOOP!』
大根仁監督作。
下ネタをいいまくる福山雅治のキャラクターが良い。パパラッチの手口を開陳していくところも、題材の興味で引っ張る。のっぺりしたドローン撮影ショットは結構良かった。そういうわけで前半は良かったのだけれど、後半の展開は、もうちょっと上手くまとめられた気がする。
カメラとか写真を使った作劇、終盤は何となく『ポケ戦』を思い出した。
 
ファンタスティック・プラネット』・『ヤコペッティの大残酷』・『神々のたそがれ』(旧作、三本立て)
.『ファンタスティック・プラネット
フィルム上映だったか。再見。
フランスの有名ないわゆるカルトアニメ。ヒエロニムス・ボスの地獄絵図みたいな世界観であるが、SFとして見ても知性的な筋であるためもっと見られて欲しい。異形の怪物が闊歩し、人間が虫けら同然の存在となる世界観はそれだけでまさにSF的なもの。「人がまるでゴミのようだ!」っていうのはこれのことでしょう。
改めて見て思うのはダークな劇伴もそうだが音響の使い方がめちゃくちゃ良いということで、意外性ある音響を用いて未知の物体の質感を打ち出しているのがわかる。
 
2.ヤコペッティの大残酷』
邦題はタイトル詐欺で、スプラッタなシーンは全くない。
原題は"Mondo candido"、風刺小説であるヴォルテールの『カンディード』を、モンド映画仕立てにアレンジするという天才的な着想にもとづく劇映画。
古今東西の文明諷刺サンプリングとチープな映像がバカバカし過ぎて終始ずっと笑った。モンティパイソンのコントか。あれだけ逸脱しておきながら最後はちゃんと『カンディード』の筋に戻ってくるところが感動的。最後はじゃっかん寺山修司を感じさせるようなENDで、そういったバカバカしさ全てを肯定してしまえるようなところがある。大傑作。
 
3.『神々のたそがれ』
ほぼ中世騎士世界なのだけど、冒頭に異惑星が舞台であるというSF設定の説明が入り、あくまでSF映画である。ワンシーンワンショットの撮影で上映時間もひたすら長いため、いわゆる忍耐を要するタイプの映画だが、技術的なレベルは非常に高いと思う。
 
『モンパルナスの灯』(午前十時の映画祭)
『穴』というフランスの脱獄映画があり、 脱獄のために要する過程を 具体的な描写にもとづいてひたすら淡々と見せていく傑作なのですが、その『穴』を撮ったジャック・ベッケルの後期作品。
 
アメリカの俗物に従うような妥協を許さず、酒と苦悩で破滅に向かっていくモディリアーニを呪われた芸術家として描いており、「死んではじめて絵に価値が出る」とうそぶく画商の男がその側面を体現する。結構ゾッとする映画であった。
ジャック・ベッケルは視線劇の作り方が上手過ぎる。1シーン目から付き纏う男の不吉な影。ヒロインとの出会いのシーンも美術学校で相手のスケッチをすることで目が合って…という視線劇で作る。
向き合う二人を非対称の切り返しで撮り、あるいは広いフレーム内に視線を彷徨わせる。『穴』もそうだがラストショットは完全に見てはいけないものを見た気分にさせられ戦慄する。大傑作。
 
この世界の片隅に
細部を高めた上で、原作をほぼそのままにやっているのが素晴らしい。これはミニシアター配給だからこその面だと思う。
女性映画、日本映画の傑作であると同時に、アニメーションで映画を作るということに対し自覚的な作品でもある。
本作は手記のような形で綴られる、(完全には違うが)一人称視点からの映画である。
そこには自分で考え自分で勉強し、人生を主体的に選択していく女性の姿が描かれている。この映画が固有に持つ女性像だろう。
すずは不発弾で左手を失った際も脳内シミュレーションを行い過去の行動を反芻するし、戦艦青葉の名を教えてもらった記憶を持って生きる。そういった一つ一つのことが、彼女の人格の結果であり、また記憶として内面を構成する。
「絵を描く」という行為の主題化。全編にわたり戦艦まで全て絵筆の手描きタッチで、セルの密着スライドで動かすスタイルのアニメーション。反復されるカメラマップでの縦フォローショットも含め、いわば「絵」で世界を構築している。これが自覚的になされたアレンジでないはずがない。
人間は世界を「絵」として認識し、だからこそ戦争現実も体験として乗り越えていけるというかのような。そのようなアニメであると感じた。
 
今年見逃したもの
○『ゼーガペインADP』
○『きんいろモザイク pretty days』
○『艦これ 劇場版』
○『好きになるその瞬間を。~告白実行委員会~』
○『劇場版 探偵オペラ ミルキィホームズ 〜逆襲のミルキィホームズ〜
○『劇場版 マジェスティックプリンス-覚醒の遺伝子-』

なお『ガラスの花と壊す世界』『たまゆら』はBDで見た。良かったです。
 
総括
今年のアニメ映画ベストでいえば『同級生』『レッドタートル ある島の物語』『この世界の片隅にでしょうか。『君の名は。』『聲の形』も盛り上がりました。
映画の『planetarian~星の人~』もややいびつではあるけど、好きです。これを劇場で見れなかった鍵ファンは一生後悔するんじゃないかな~とか思います。
 
TVアニメにももちろん触れたいですが、このくらいで。
良いお年を。
シン・ゴジラ Blu-ray特別版3枚組
 

 

不滅のあなたへ(1) (講談社コミックス)

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「『響け!ユーフォニアム』演出総解説」に参加しました

アニメ 響け!ユーフォニアム 告知 考察

アニメ関係の告知です。

 

 冬コミで出る予定の「京都大学アニメーション同好会」さんの同人誌

「New Bridge特別号 引力 〜『響け!ユーフォニアム』演出総解説〜」

に主にテキスト関係で参加させてもらいました。
編集は主に京大アニ同の方が担当してくれています。表紙イラスト担当や、編集長もアニ同の方です。

同人誌タイトルは押井守「METHODS~『パトレイバー2』演出ノート」のオマージュぽい感じになっています。

同人誌の内容としては、『響け!ユーフォニアム』の一期からハイライトシーンを11個抜き出して来て、そのそれぞれのシーンについてカットごとに詳細な解説を加える……というものになっています。解説文は、テクニカルな面について書くと同時に、作品読解の目線もしっかり含んだものになっています。

合計で300カット以上あり、1カットあたり少なくとも平均200~300字は書いているので、結構な解説の分量です。そのほかコラムや読解なども充実しており、分厚い本になっています。

編集長も本の内容や見栄えにはこだわっており、凝った装丁ながら読みやすい本です。

このブログに辿り着くような方であれば、多かれ少なかれ興味が持てるような内容になっているかと思います!冬コミ当日にブースに寄った際はぜひチェックしてみてください。

さて、
自分は一応「総カット解説監督」……というクレジットで載っているかと思います。一応どういうことをしたかというと、他の方が書いた解説文に間違いがあれば修正を加えたり、読み込んだ内容を付け足したりといったことです。この作業は編集長も補足でやってくれていますが、なにせ分量があるのでなかなか骨の折れる作業でした。最終的には、統括がとれた内容になったかと思います。自分も「演出ファン」の一人として言うと、内容の濃さは十分に保証します。

そのほか自分も解説を書いたりコラムなどを書かせてもらいました。自分名義で計3万字ほど文章が載っているかと思います。
ここ数年でいうと、自分のアニメ系同人誌への参加は「アニメルカ」さん、「アニメクリティカ」さんに次いで三度目ということになりそうです。

というわけで、よろしくお願いします!

 

【追記】(2016/12/22)


現物は『シスター・プリンセス Re Pure―完全ビジュアルブック キャラクターズ』や『がくえんゆーとぴあ まなびストレート!―DIRECTORS’ WORKS』などと同じくらいの分厚さでした。参考に。

2016年秋アニメ、第一話段階での時評

たまには普通にアニメファンぽい記事でも。一応見たものについて書いていきます。☆のついてるのは個人的に期待しているタイトル。

 

・ViVid Strike!

そこそこ面白かった。『なのは』シリーズながら、タイトルに「なのは」が付かないのが良いですね。西村監督のハーモニー演出の使い方としてはここ5年くらいで一番良かったかも。

 

・終末のイゼッタ☆

藤森雅也さんといえば、今や亜細亜堂を背負って立つベテランアニメーター&演出家ですね。

監督作『おまえうまそうだな』(2010)もそうですが、『忍たま劇場版』(2011)の重厚な作りに驚いた人も多いはず。
1話は終盤のアクションもそうだけど、電車内でののびやかで丁寧な芝居にも目が止まりました。
あとはシリーズ構成:吉野さんの腕次第かもしれません。

 

ステラのまほう

原作の四コマは『NEW GAME!』というよりは、『GA 芸術科アートデザインクラス』に近い。
アトリエブーカの美術と、キャラクターのトーンがマッチして画面全体の統一感が出ているのが良いです。
背景の色彩がペールトーンならキャラもペールトーンで調整したり、撮影で照明を合わせたりしていて、とても見やすい気がする。
四コマ原作らしく、イメージBG風の画面も上手い。
マンガっぽいキャラに小澤亜李さんの生っぽい声、というのは個人的にツボです。

 

夏目友人帳・伍

大森監督が総監督に移行し監督が交代しましたが、安定して面白い。話は毎度のこと、ややあざといけどこれくらいが丁度いい。

 

灼熱の卓球娘

制作スタッフメンバーを見るにつき、
「入江泰浩」(シズル感あるアクションもの)+「かおり×キネシス」(日常系・百合)+「倉田秀之」(スポコン、あるいは熱量のあるドラマ)
で良いとこ取りのような座組みか?と思ってましたが、それら諸要素が想定していた以上に統御されていた1話でした。期待できると思います。

 

・Lostorage incited WIXOSS

桜美かつしさんに監督交代し、キャラクターデザインもそれに合わせ、よりリアリスティックに。(サトタク監督による)中村隆太郎さんぽいホラーから、主人公の気持ちに重心を置いたドラマになっています。「脱落したくない」という恐怖心から、「記憶を失いたくない」という想いに比重が移っていますね。前作シリーズから引き継がれた演出的な要素も多いですが、全体に桜美かつしさんの純度が高いフィルムに思えます。ファンとしては期待大です。

 

響け!ユーフォニアム2 ☆

1話では久美子が走った橋など前作の舞台を辿ってシリーズのおさらいをしながら、前作で固定化したかに見えていたキャラクターの関係図を少しずつずらしてくる。山田さんの介入が少ないのか、一期一話に見られたような過剰な撮影や自意識は希薄だった。けれども、期待値は高い。

 

・三月のライオン

幸腹グラフィティでの批判(↓)を反映してか、川本家の美術がシャフトらしからぬ温かみのある手描きタッチですね。

 第一話でいうと、これは普通に主人公の自宅との対比ですよね。

出来は素晴らしいと思うけれど、「原作のセリフを一位一句変えない」体制でのアニメ化はやはり限界を感じるのも事実です。
というのも、シリーズ構成の編成を見るに物語シリーズなどと同じ方式なのかな、と思うのですが。
羽海野チカさんの原作というのは、書き文字などの情報量が凄く多いページと、映画的なカット割りのページの両方がありますよね。(物語シリーズのように)原作のモノローグを台詞として使い倒す体制だと、前者のシーンがテンポ悪く、タルくなってしまわないかな、というのが不安です*1

既に1話でもそういう感じはちょっとしたのですけれど。
あとオトマトぺにいちいちSE付けるのはやめた方が良いと思う。絶望先生じゃないのだし。

 

・ガーリッシュナンバー 

面白かった。この原作者の露悪的な方向性をこういう風に振るのは当然反発も大きいでしょうけど。
散々言われてるでしょうけど、劇中作の主題歌のライブ公演を初回のオープニング曲として持ってくるというのは天才的だなという感じです。このオープニングシーンでもって、このアニメがどういうものになるかの宣言をしているのが良い。
とにかく大きなポテンシャルを持っている作品だと思います。とはいえ、今後の展開を聞くにつき、ちょっと微妙な気もしますが。

 

・フリップフラッパーズ

EDの作曲が七瀬光さんだったり、正統派のファンタジーという感じです。
押山さんの初監督作ということで、もちろんのこと作画コネが豊富。
tanuさんのカラフルポップな世界観が原案で、各話で美術の方向性もチェンジするらしいということで、『ローリング☆ガールズ』をやはり思い出します。
『ロリガ』は、作り手の熱量を感じるものではありましたが、画面全体が非常にごちゃごちゃしていて情報量を制御できていないな、と感じていた面があります。
それに比べると、『フリフラ』のデザインは美術含めだいぶ見やすくなっていますね。
二話以降についてはむしろお話の方が不安です。
百合好きでお馴染みの綾奈ゆにこさんがシリーズ構成のオリジナルで、自分的には特に綾奈ゆにこさんにはプラス評価もマイナス評価もしてないので別に思うところはないのですけど、仮に「作画が凄く良いだけの百合アニメ」になってしまったら勿体ないな、と思います。だから、何か大きな仕掛けがあることを期待します。

 

・ブレイブウィッチーズ

1話は凄く綺麗な話でしたよね。やや台詞がくどいのを除けば、ある意味理想形といえます。扶桑国のウィッチの様子が詳しく描かれるのは、アニメ版でこれまでなかったかも。出征先で主人公の姉の扱いはどうなるのかな?というのが気になる。

 

魔法少女育成計画

デスマッチサバイバルゲーム魔法少女もの。
この系統の作品だと、今はどうしても『まど☆マギ』や『龍騎』を引き合いに出して語られがちですよね。
ごちうさ』の監督と聞いていたけれど、この世界観のファンシーな部分だけでなく硬質なところも出ていてそれほど心配はなさそう。
ちょっとロマンチックなところのある1話で良かった。

どうでもいいけど個人的には『アンチ・マジカル 〜魔法少女禁止法〜』の方をアニメで見たかった。

アンチ・マジカル ~魔法少女禁止法~ (一迅社文庫)

アンチ・マジカル ~魔法少女禁止法~ (一迅社文庫)

 

 

 『ウォッチメン』の設定の「アメコミヒーロー」をそのまま「魔法少女」に置き換えたようなアウトロー魔法少女もの。

最初の刊行は2010年で、『まど☆マギ』より前の作品ながら、明確に「魔法少女」ジャンルへの批評的精神を持った作品。

魔法少女禁止法』の方が「映像化して見応えのある」という意味ではやや軍配が上がると思う。24歳になってボロボロになった魔法少女とか見たくないですか?

 

Occultic;Nine -オカルティック・ナイン- ☆

予告PVを見るにつき、やたらとアップショットでカット切り替えが多かったので、本編の映像はさいわい予測範囲内。

5pbでゲーム新作を出す代わりに、スタイリッシュな映像で固めたオリジナルアニメを打って出すということでしょうか。
1話を見ると、10人以上の多人数の視点からのストーリーがリアルタイムで進行していて、新城カズマ15×24』を何となく想起しました。

 外連味ある広角レンズのレイアウトを多用し、主人公の早口の長台詞進行によりグルーブ感を出していく。この感じは嫌いじゃないです。ですが、2話以降もずっとこれだとキツイなという感じですね。さすがに1話でだけでしょうけど。

「マスターショットを設定しておきさえすれば、後はどこにカメラを置いても良い」というような感じで、一度ロングで全体図を見せて以後はアングルもフレームサイズもぽんぽん切り替えていく。そしてそのマスターショットですら一種類に固定してはおかない。

カオスヘッド』『シュタインズゲート』の主人公も大概感情移入しづらい人物でしたが、『オカルティックナイン』はそれに輪をかけて感情移入できる人物がいない。視聴者の気持ちの置き所が見事にどこにも無い第一話。もっとも、これはそういうものとして作っているはずなので特に問題はないでしょう。

あと手描きタッチを取り入れたような、主線の太さが変わるキャラ作画だったりが気になる。

 

・はがねオーケストラ

5分枠。太田雅彦組。コメディをやる限りは信用のおける。

奇異太郎少年の妖怪絵日記

5分枠。キャラデ:今岡律之さん。内容はよく分からない。

信長の忍び

5分枠。 大地丙太郎監督。いつもながら間の取り方に注目というところ。

バーナード嬢曰く。

あまり上手く行ってない1話だと思う。主人公の立ち位置やキャラクター・世界観について理解させる前から早口語りしても、原作未読の視聴者とかは着いて行けないでしょう。

 

あとは『マジきゅん!ルネッサンス』『ユーリ!on ICE』『舟を編む』『装神少女まとい』『ドリフターズあたりですかね、今季は。『ハイキュー』の新シーズンや『レガリア』の継続もありますが。

これらの作品も、それぞれ注目ということで。

ステラのまほう 1巻 (まんがタイムKRコミックス)

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*1:これに関してはやっぱ『会長はメイド様!』方式が一つの理想という気がする。

『君の名は。』と『彼氏彼女の事情』とその他について【後編】

君の名は。 アニメ 映画 雑記 彼氏彼女の事情 とらドラ!

 

highland.hatenablog.com

 元々一本の記事として書くつもりでしたが長さの関係で二本になりました。更新が遅れたのですが、後編は前編とは違った切り口での話です。『君の名は。』についての記事は、これで一旦完結です。

今回はまず、少しだけ『とらドラ!』(2008年、長井龍雪監督)の話に触れます。

■『彼氏彼女の事情』→『とらドラ!』→『君の名は。

新海さんが『エヴァ』について話していた上記(【前編】の記事)のインタビューが掲載された『月刊アニメスタイル 第一号』(2011年)において、巻頭特集が組まれているのが『とらドラ!』。

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偶然の一致か、この特集記事の中でも庵野監督の『彼氏彼女の事情』の話題が出ている。

長井:[『とらドラ!』について]最初は「萌えもの」というジャンルのものだと思っていたんですが、原作をいただいて読んで「あ!これは少女マンガかも」と思ったんです。その時に『カレカノ』が思い浮かんで、『カレカノ』みたいにしたら、面白そうかも」と思いました。それまでは、木村真一郎さんに習った王道フォーマットで作ってきたんですが、今回はそれを捨てて、少女マンガ文脈でやってみようと考えました。
小黒:『カレカノ』は少女マンガを、少女マンガ文脈でちゃんと映像化した作品だったということですね。あれが初の成功例だったかもしれない。
([]内引用者. 引用者により原文括弧内の記述省略)
なお『カレカノ』は長井監督がJ.C.STAFFで仕事をする数年前に同スタジオが制作した作品であり、長井監督のもう一人の師匠筋であるカサヰケンイチさんも演出時代に参加している。
また、そもそも原作の『とらドラ!』も『カレカノ』も、「それぞれ家庭環境や生い立ちに問題を抱えた二人の男女が、ひょんなことからお互いの秘密を知ってしまうことから関係が生まれる」ことを起点とした話で、これら二作品はある程度共通点を持っているといえるでしょう。だからここで参照元として上がったというのも、それほど唐突な話ではありません。
それはさておき、『とらドラ!』において長井監督は「少女マンガ文脈を用い」、それまでと違う作風を試みた。そしてその後『とらドラ!』と同じメインスタッフ(長井×岡田麿里×田中将賀)のもとに、手法的にはある程度共通しながら、より地に足付いた題材の『あの花』(2011年)『ここさけ』(2015年)の二作を手がけることになる。

他方で、『とらドラ!』といえば新海監督が度々好きなアニメとして公言しているタイトルでもある*1Z会のタイアップCM『クロスロード』でアニメーター:田中将賀さんと組んだ理由も、一つには『とらドラ!』や『あの花』のような作品が、(深夜アニメの部類ながら)「メジャー感」を獲得し「若い年代の人たちへの訴求力」を持っており、その特性が(10代の受験生に向けた)「Z会」という題材に適合していたことにある*2


Z会 「クロスロード」 120秒Ver.


君の名は。』(2016年)においてキャラクターデザインを担当した理由も、これに近しいものがあるだろう。じっさい、田中将賀さんのデザインに見られるアニメ的なポップさと肉感は、これまでの新海作品に見られなかったような種の存在感をキャラクターに与えている*3

2011年の『アニメスタイル』で、互いに独立した特集記事においてとり上げられた新海誠さんと田中将賀さんが、5年後の2016年にタッグを組んでオリジナル大作映画を手がけることになる(しかもオリジナル企画『ここさけ』が公開された翌年)とは当時は誰も予想していなかったはずで、こういった人の流れは作品とは直接関係ないことだけれども、一つの興味深い事実だと思います。

■そのうえで『君の名は。』について

田中将賀さんがキャラクターデザインを手がけているというのもあるかもしれませんが、『君の名は。』には『とらドラ!』チーム=超平和バスターズの手によるアニメを彷彿とさせるようなところもありました。実際、影響を受けているかどうかはともかく、キャラクター寄りだったりいわゆる「アニメ」的な作りを残しつつも、一般性のある長井監督らのスタイルは一つの指標にはなっていただろうと思う*4

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君の名は。』の描写で言うと、漫符を使ってみたり、羞恥を覚えるようなシーンをコメディタッチで見せたりというような手法もそうだけど、たとえば気心の知れたコミュニティの内での居心地の良さを描くという部分も共通して感じられる部分ではあった*5

しかしそこへいくと『君の名は。』はコメディとしての黄金律や、107分で語らなければならない物語の経済性を優先することで、キャラクターのリアリティはある程度犠牲になっているとは感じた。その点で、『ここさけ』『あの花』のような作品とはだいぶ温度差があると思う。

たとえば三葉が都会に憧れていて、その次の場面で(夢の中で)瀧の肉体に入って東京行ったときにカフェ行くのが実現するという流れは分かるんですよ。しかしはたして男子高校生三人が学校帰りに、女の子が憧れるようなファンシーなカフェ行くか?ということにはなりますよね。

瀧は体育会系気質ながら、建築や写真に関心を持つやや繊細なところもある男子高校生だけど、遊ぶところとバイト先だけが月9ドラマみたいなリアリティになっているのは骨折していると思う。
これは思い切り仮にですが、「東京の高校生になったけど帰りにラーメン二郎に連れて行かれて、めちゃくちゃ食べさせられてギャップに幻滅した」とか、そういうのも一つの作劇としてアリたと思うんですが、その種のギャップについてのリアリティはないんだなと感じます。

糸守の描写のある種誇張している部分や、それに対する東京の淡泊さに関しては、意図的にやっているのだと思うけれど良くも悪くも「幻想としての田舎」「幻想としての都会」という印象を受けました。

加えて、映画前半は入れ替わりのコメディになっていて、中身・性別の違いをギャグにしているとこは面白かったけれど、最終的にミュージックビデオ進行でダイジェスト的に見せていて、そこでストーリーを一旦断ち切っている。入れ替わりのコメディについてはコメディで完結させて、あまり本筋に絡めないというところはあり、そういった点でも違いを感じる。

■『君の名は。』とミュージックビデオ

『君の名は。』『聲の形』『この世界の片隅に』ーー 最新アニメ映画の音楽、その傾向と問題点について | Real Sound|リアルサウンド 映画部

 ミュージックビデオ進行について。

上掲の記事を読むと、「曲のボーカルと台詞とを同時に被せるのが良くない」という観点から批判しているけれど、そもそも「歌詞を聴き取らなければならない」というような命題はないのであって、あまり本質的な批判になっていないと思う。だいいち、挿入歌が4曲あるといっても歌詞と台詞が重なって聴こえるのは「スパークル」の流れるシーンだけだし、そのシーケンスですら、ボーカルパートと台詞がなるべく重なって聴こえないように配分パートを分けていた。こういった点について上の記事は無配慮に書いている。

とはいえ、『君の名は。』がミュージックビデオ的な進行をとっていることについては、上の記事とは別の観点から批判できる。具体的には中盤に「前前前世」がフルで流れてミュージックビデオ風になるシーンがあるけど、中盤のああいうシーンでストーリーを進行させながら使うのはダメだと思う。

なぜなら、挿入歌を流すというのはときにすごくいい相乗効果を生むこともあるけど、ミュージックビデオ的にカットを割る進行にすると、曲に引きずられてシーン全体のエモーションが一種類に統一されてしまうので、映像が進行を追いかけるだけになり、ドラマの発展性がなくなります。だからそれまで続いていたドラマの流れが停滞し、弛緩した時間が続いているといった印象になってしまう。
オープニング映像についても、前後のストーリーとは独立して何の必然性もなく曲が流れるので予告編を見せられてる感じになって良くない。映画序盤に製作のテロップを出し曲を流す必要はあっても、前後の筋書きと関係ないオープニング映像を挟む必要はない。確かに映像的な快楽はあるけれど、快感原則に流されるだけでは映画は成立しないということも、我々は経験的に知っています。

RADWINPSとのタイアップで曲を入れるという側面ももちろんあの映画にはあったはずで、それはそれで否定されるべきものではないけれど*6、『秒速5センチメートル』のラストのような、映画全体のエモーションを示すシークエンスじゃない限りミュージックビデオ進行は基本的に使うべきではないと思います。

■『秒速5センチメートル』音楽について

そもそも「ミュージックビデオな作り」との評価が新海監督になされたのは『秒速5センチメートル』が最初であり、そしてまた、『秒速』はそのような作りを採用することにおいて先鞭をつけた面があります。傍証として、やや長いけれども『新海誠美術作品集 空の記憶』(講談社、2008年)巻末でのインタビュー記事を引く。

――『秒速~』ではシンプルなものを作りたかったとおっしゃっていましたが、山崎まさよしさんの「One more time, One more chance」に合わせて風景が羅列される、あのクライマックスの演出はとても印象的でした。あえてストーリーを描かず、イメージを積み重ねることに徹することで、観ている人間に自分の中の感情を想起させるという手法は、商業アニメーションの表現として、可能性が広がったのではないかと思うんです。

 

新海:あのシーンについては、やるべきかやるべきでないか、ずいぶん迷ったんです。最後の大きな部分を観客にゆだねるような手法を、商業映画でやっていいのかどうか、と。たとえば『スター・ウォーズ』のような映画なら、作品の中に確固とした世界観が作られていて、観客は映画を観ながらその世界の中に降りていって、そこで与えられる物語を楽しむわけですよね。わりと一般的なエンターテインメントのあり方です。でも『秒速~』はそういうタイプの作品ではない。だとしたら違うやり方で終わらせたいと思ったんです。観客が作品世界の中に降りていって楽しむのではなく、作品が観客の中に手を伸ばして、何かを引きずり出すような。そのためにクライマックスの演出では、物語としての側面をあえて抑えて、観客が普段見ているような風景を音楽に乗せて連続して見せる形にしました。
だから、あのシーンはたぶんその人自身を映す鏡のようなものだと思うんです。〔中略〕『秒速~』のラストはあのような形をとる必要があったと、僕としては今は確信しています。

『秒速』の場合は、映画全体のエモーションを山崎まさよしさんの歌とモンタージュによって総ざらいし、象徴的に示すという使い方で、これは挿入歌を一回のみ使うという条件のもとで上手く成立している。貴樹や明里の、その場での感情と無関係に突然音楽が流れるのである意味「掟破り」なことをやっているんだけど、それは物語を締めくくる上で必然性があったと言えます。

(更に言うと、『秒速』は「One more time, One more chance」とは別にエンディングにインスト曲「想い出は遠くの日々」を用意しているのがポイント。テーマ曲ともいえるこの曲が映画中に流れるのは第一話「桜花抄」において二回と、エンディングで流れる一回の合計三回。『秒速』を見た人が結構その余韻を引きずってしまうのは、一つにはエンディングでこのテーマ曲が流れることで、最初の「桜花抄」の記憶に引き戻される気がするからでしょう。山崎まさよしのエモーションで締めくくらせてくれないんですね)

そして『言の葉の庭』ではクライマックスからエピローグに流れる情景、エンディングにかけて主題歌を被せるという手法をやった。これもある種『秒速』で試みたことの延長線上にあり、それぞれ映画においてフィーチャーされている主題歌を劇中で流すことで、映画全体のエモーションを歌に委ねていた。そしてそれはやはり、歌を最良のタイミングで一回きり流すということではじめて効果を発揮するものだった*7

以上のように、ミュージックビデオのような進行をすることは、必ずしも映画においてプラスにならず、あまり濫用すべきではないです。ですが、『君の名は。』におけるそれが、全面的にダメだったとは思いません。

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個人的には、ティアマト彗星落下の場面で 「スパークル」の流れるところなどは凄く良かったと感じました。停電で村の灯りが消えていって、世界中で皆オーロラのような彗星の眺めを共有するという美しい場面。山頂のクレーター上での円運動と、彗星による線運動・分岐のイメージ。そして三葉らの奔走とは裏腹に記憶が消えていき、同時に災厄が迫ってくる。ここでロマンチックな曲をかけるというのはある種、対位法ぽい使い方だと思うんだけど、とにかく色々な感情がこの一連の場面には入っていて、ハイライトとなるこのシーンを統一するにはあの挿入歌をかけるのがベストだったと思う。

まだあまり上手く言語化できないのですが、この「スパークル」については良い相乗効果を生んでいたと感じます。これがあっただけでも良かったと思うんです。

 

とらドラ! Blu-ray BOX

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君の名は。(通常盤)

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One more time,One more chance 「秒速5センチメートル」Special Edition

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*1:新海誠監督のおすすめアニメ【あにこれβ】2016年10月2日閲覧

*2:「クロスロード」のときの田中将賀さんとの対談(同人誌「学生応援的CM制作記録集」)での、新海監督の発言「僕たちが「うる星やつら」とか「タッチ」とか自分たちのロールモデルとしての高校生活をアニメに投影していた作品が、2000年代でいうと「とらドラ!」や「あの花」なんじゃないか、という感覚があったので。それもあって自分の憧れや興味とは別にして「Z会」という題材に田中さんの絵柄はぴったりくるかな、とは思っていたんですけど」

*3:もちろんのこと『君の名は。』の作画面におけるもう一人の立役者としては作画監督:安藤雅司さんの存在が大きいですが、ここでは話題の関係から触れていません。参考:君の名は。についてのメモという名の叫び - まっつねのアニメとか作画とか

*4:『あの花』『ここさけ』のヒットは、コアなアニメファンだけでなく一般層へもアピールすることに成功したからというのが理由としてある

*5:君の名は。』はアニメ映画としてはそこそこ珍しくオープニング映像もありましたが(1コマの使い方が格好いい)、バックショットでの振り向いてポーズや、時間経過、小道具、シンメトリーのレイアウトなど、長井龍雪さんの演出されるOPを思わせるようなものだった。参考:長井龍雪が描くOP/EDの演出的魅力 その1 - OTACTURE

*6:思えばOVAシリーズ『フリクリ』(2000年)も『君の名は。』と同様に、音楽面において特定音楽グループ(the pillows)と全面的にコラボしていて興味深いけれど、『フリクリ』の挿入歌は、1話ごとに盛り上がりと見せ場を作らなければならないOVAという形態ならではのものであるともいえる

*7:雲の向こう、約束の場所』『星を追う子ども』ではエピローグからエンディングにかけて主題歌を被せているけれど、シーンの流れは連続しており、これを「ミュージックビデオ的」と受け取る人はごく少数だと思う

MADOGATARI展 Tokyo Encore

シャフト アニメ 感想 雑記

25日までやっていたMADOGATARI展のTokyo Encoreに先日行ってきました。去年もやっていたのですが、行けたのは今回が初めてです。

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シャフトといえば斎藤千和さん、という感じがします。

前回東京でやったときの概要などは以下のレポ記事などで見れます。

シャフト40周年「MADOGATARI展」レポ 『まどか☆マギカ』新作映像も - KAI-YOU.net

シャフト40周年となる去年から全国でやっていて、もう全日程終わってしまっているのですが、12月には金沢でMADOGATARI GALLERYがあったりするようです。

 以下はその展示を見てきての感想です。

展示内容

・展示で最初に通るのが歴代シャフト作品キャラクターで全面に彩られたウェルカムトンネルで、ちょっと壮観で感動。

入場時の窓口で見せられるのがオリジナルのマナームービーで、まどかと物語シリーズのキャラがコラボして、レトロゲーム風の画面でマナー解説している動画なのですが、こういったマニアックなディティール部分にちょっと驚かされる。

 

・展示自体を見て思ったのは、展示してある資料とは別に展示の仕方が凄く凝っているということ。

・まず、展示の仕方でプロダクションデザインを作っている。物語シリーズのブースだと原画集と同じように黒バックに赤、まどかだと全面が白バックの空間に 原画やタブレットディスプレーが絵画枠にはめ込まれて展示されている(11話のこれ↓風に)。

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・あとは観客の目線の位置と関係なく壁一面にずらっと原画やレイアウトが並べられてて、一個一個の見やすさではなく全体としての景観、見え方重視の見せ方だと思う*1。コンセプトに沿って凝りすぎて、逆にちょっと見づらくなっているとこ含め「シャフト」な感じがするw

・あと BGMは会場に流れてるんだけど、劇中で流れてるアニメ本編のムービーに音声がない。極めて客観的に流れる絵を見せている。 この辺がとても「クール」な趣向と感じる。

・加えて、最低限の作品説明以外にキャプションや解説がほとんどなかったということ。これは、制作工程の解説などを制作資料に付与することで、観客の見方を誘導するエキシビジョン(近藤喜文展など)とは対照的だと思う。もちろんこういう展示には、制作スタジオというよりも「まどか」や「化物語」といった作品自体のファンも来るだろうし、マニア含め色々な層のファンが来るだろうのでこうなった側面はあると思うけど、「見る側の自由度が極めて高い」というのは確かに感じた。 その辺が「クール」な印象に繋がっている*2

・実際、エンドカードのゾーンあたりでは「生の素材を雑多に並べた」というような趣向になっていたりして、ガラス台の中に 色紙、アフレコ台本、絵コンテ、設定メモなどがごちゃまぜに展示されていた。 昔のシャフトの撮影台とおぼしき器具もあったけどこれにも解説はなかった。でもそれが不満と感じることはなく、それ含め展示の仕方なんだなあと思えるところがあった。

・なお図録を見ると、会場の場所と空間によってデザインは変えているとのこと。前に東京でやったときは天井にまで原画貼って展示していたみたいで、凄いサービス精神だと思う。
・展示のコンセプトデザインはブックデザイナーとして知られるミルキィ・イソベさんが手掛けているとのこと。こういう人の名前にも、注目していきたいと思えました。

・今回の目玉でもある特別上映の『惑語』は、物語シリーズのキャラがまどマギ魔法少女だったらどういう属性になるか?というのの紹介ムービーで、本の見開き風の特別なデュアルディスプレーで展示しているのが面白かった。でも「設定を見せる」という側面が強く、映像的には一回見れば十分なものだった。

まどマギ新作のコンセプトムービーはバレエというもあって、プリンセスチュチュを彷彿とさせるものだった

以下、細かい感想(読み飛ばし推奨)

・『エトレンジャー』以後のほぼ全作品が置いてあった。『エトレンジャー』はセル画や設定画。『ドッとKONIちゃん』『G-onらいだーす』『この醜くも~』『桜通信』などはさすがになかったけど、それ以外はほぼ全てあった。
傷物語吉成鋼さんの原画が見れたので良かった。というか思ったより吉成曜さんの原画が多かった。『ネギま!?』と『ぱにぽに』『まりほり』のOPに加え、『まほろまてぃっく』のまで一枚置いてあった(セル画つき)。セレクションをやった人はマニアだと思う。
・伊藤良明さんの「ルーレットルーレット」の原画とか見たかったけど流石になかった。
・新房さんの絵コンテは『ネギま!?春』と『ひだまりスケッチ×365』12話『ひだまり特別編』(七夕の青虫のくだり)があった。あとはまどかのコンセプトムービーのコンテ。『ネギまOVAと『ひだまりスケッチ×☆☆☆』1話のアバンはクレジットされてなかったが少なくとも一部新房さんが描いていたのが分かった。
・「するがモンキー 其ノ參」の対レイニーデヴィルのとこの原画は生で見ると凄かった(複製原画だったっけ?)
・やはり『絶望先生』の絵コンテが一番密度高かった。山村さんの絵コンテ。「ここの素材は原作のこのコマから」 みたいな指示が頻繁にあるのが興味深い。
・ 『三月のライオン』はキャラ設定が置いてあった。
・ 『化物語』10話のあおきえいさんの絵コンテは思ったよりずっとあおきえいさんそのままの絵コンテだった。
・ 『化物語』1話と2話の絵コンテがあった。武内さんの。尾石さん新房さんの修正が結構入っているだろうけど展示を見る限りでは武内さんが描いているようだった。
・ efのPVの大沼さん絵コンテはキャプションがデジタル入力だった。PVの絵コンテ大沼さんなのは初めて知った。
・ 『月詠』の草川さんのOP絵コンテ。テロップ指示もコンテに描きこんであった。
・『月詠』 ED絵コンテはクレジットなかったけど新房さんでほぼ確定だと思う。 文字やペンタッチが新房さんのそれ。
・『荒川』 OP2の山本沙代さんの絵コンテは一人だけサインペンで描いてあって、ポップな絵柄と相まってひときわ目立っていた。
・『ダンスインザヴァンパイアバンド』の漫画家の人が描いた1話の劇中劇絵コンテとか面白い。
・ 『鬼物語』の絵巻物のとこの生原画(紺野大樹さん)がずらっと並んでるのは圧巻。
物語シリーズの何かだったか。 雲のセルの引きスピードをカット内で二種類分けていたりした。
・原画も見ていると「ポスタリゼーションの処理」「セルバレしないようにそれぞれの紙の大きさ分くらい作画お願いします」「このフォルムに合わせなびきA2A3お願いします 」など詳細な指示を読んでいくのは面白さがあった。
・『REC』の中村隆太郎さんのOP絵コンテは、パステル調の水色や赤など色鉛筆使って優しいトーンで描かれていて、これだけでも見れて良かったと感じる。
・『俗・絶望先生』の錦織さんの絵コンテ「リリキュアGO! GO!」のやつがあって、ラフなタッチだけど可愛く描けていた。
・あと面白かったのは『絶望先生』の尾石さんのOPのこのカット。

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原画を見ると、「ニンプが着物を着るのは特に難しい訳ではないみたいで、帯をきつく締めたりしなければ大丈夫なようです。今回は特に少し上の方に帯を締めています(リサーチ不足等あるかもしれないですが…)」という演出の尾石さんへの指示書きがあったりして、「そういうところに気を遣っていたのか」というのが興味深かった。

シャフトスタジオについて

・21世紀に入った時期から、アニメ制作がデジタルに移行し、撮影・仕上げ工程によって画面の出来栄えが左右される面のウェイトが大きくなった。そこで、撮影・CG部門など含め自社で制作体制を一貫して管理できる会社は強みを活かせることになり、'00年代にはJ.C.STAFF、シャフト、京アニ、ufortableなどの(自社で一貫して制作を行える)制作スタジオが頭角を表すことになった。

・2004年からシャフトで制作を始める新房監督は、自身の強烈な演出的個性のもとに、デジタル処理に強い大沼心さんと、グラフィカルなデザインおよびカッティングセンスを強みに持つ尾石達也さん(を初めとする若手演出家)を従えてシャフトスタジオのカラーを作っていく。2009年には『夏のあらし』二期を最後に大沼心さんがシャフトからシルリンに活動拠点を移し、『化物語』で満を持してのシリーズディレクターを務めた尾石達也さんが『傷物語』制作のため2016年まで潜伏期間に入る。これによって、強烈な二大個性を失うことになり、2009年はシャフトスタジオにとって一つの大きなピリオドを迎えた年だと思います。

参考:【ぷらちな】アニメ新表現宣言!新房監督作品の奥にアニメ表現の最先端を見た!『さよなら絶望先生』シャフト《前編》

 

・「MADOGATARI展」のパンフレット(2015年時点でのやつですが)を読むと、以前からも度々インタビューなどで話題になっていた「シャフト演出マニュアル」についての話題が。もともとシャフトでシリーズディレクターをやっていた宮本幸裕さんが各話演出の人に「新房演出」「シャフト演出」のルールについて共有するためにまとめたレギュレーションであり、 おそらくレイアウトのとり方や、「アップとロングの入れ方」みたいなののことだと思うのですが、最近では新房さんもこういう自身で課したルールにあまり縛られていないとのこと(この話自体、他のインタビューでもしてましたが)。
その「ルール」というのが具体的に何かは分からないけど、たとえば以下のようなものが含まれるだろうことは想像が付きます。

「限られた時間と人手の中で、生理的に気持ちいいものを『安全に』追究していった」という新房監督。たとえば、同じ場面でキャラクターが会話するときには、アップで入れるのは1人。2人以上を同じ画面に入れる際には、ロング(遠景)にする。それはアップにした人物の様子を、細かい絵の動きで見せなくても良いからだという。そして、会話をさせるときには、しゃべるキャラクターが変わるごとにカットを変える。その早いカット割りが、観る側からすると、テンポ良く新鮮な印象に映るのだ。

ASCII.jp:新房監督のアニメ論 「制約は理由にならない」 【前編】 (1/4)|渡辺由美子の「誰がためにアニメは生まれる」

『荒川』のときだから、2010年の記事ですね。このときまではこうしたルールは適用されていた。で、こういったルールは近作の『ニセコイ』や『幸腹グラフィティ』とかを見るとそれほど守られていないように見える(もちろん、題材上そういうのが必要じゃないからというのもあるでしょうけど)。こういうところからも、近年の変化というのは伺えると思います。

 

・「MADOGATARI展」という名前に出ているけれど、シャフトのヒット作が『化物語』と『まどマギ』の二大巨頭であるというのは確かな事実としてあって、アニプレ&岩上Pが噛んだこの二作で大ヒットを飛ばしてるけど、逆に言えばそれ以外は(ひだまりなど原作ファン人気は根強くとも)興行的には鳴かず飛ばずなところがどうしてもあります。
ただ、シャフトは一作一作に対しどのようなスタイルを打ち出していくか、原作とのすり合わせで考えて作っていく姿勢があるのが美点だと思います。なので、オリジナルの企画は進めつつ、今後も堅調に原作ファンに受け入れられる作りを模索していくのが一番じゃないかと(外野のファンという立場から見る分には)感じます。

・「MADOGATARI展」 パンフレットでの新房さんのインタビューでは「自分の『ガンバの冒険』や『宝島』を作りたい」と話していて、新房さんの出崎ファン健在ぶりにちょっと嬉しくなりました。新房さんが全話絵コンテを切る(という)オリジナルの探偵ものや、『宝島』のような2クールのエンタメ作品はいずれ是非見れたら良いな、と思います。

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*1:演出上の指示が多いカットに限って上の見にくい位置に置いてあったりするのはマニア泣かせであった

*2:マクルーハンのいうような意味での「クール」とは違っていますが。

『君の名は。』と『彼氏彼女の事情』とその他について【前編】

君の名は。 彼氏彼女の事情 アニメ 映画 雑記

※『君の名は。』についてのネタバレを含みます

主にディティールについての雑記です。公開初日に見て、それから一ヶ月くらい経って記事を書くというのも何だかなと思いますが、思い付くことがあったので。確認しましたが記憶がおぼろげな記述もあるのでご容赦ください。本編のキャプは基本的に予告編から持って来ています。

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君の名は。』は描き切れていないところもあって決して完璧な映画とは言えないけど、良くできていたと思います。

「世界に対するどうしようもならなさ=思春期のイノセンス」を強調するのではなく、自らの行動により運命を主体的に分岐させ、選び取っていく高校生の姿が描かれていて良質なジュブナイルとなっていました。

「男女入れ替わり」とは「究極のすれ違い」とはよく言ったもので*1、その通り相手の身体は知っていても、心の本体には出逢えないことがもどかしさを生みます。実際、映画内で二人が直接接点を交わすのはリボンを渡した電車内と片割れ時の山頂、ラストシーケンスの三回のみですね。

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「入れ替わり」によって直接の接点は生まれないんですが、「相手の視点を通じて相手の周囲の環境や人間関係を知る」というところから相手への好意が生まれているのが面白かったし、良かったと思う。もちろん二人は日記帳の文章を通じて、互いに入れ替わった間の生活を遡及的に体験することによっても相手の内面を把握し、同化していく。

そして好きという感情は「距離」や「断絶」を経ることで憧憬に転化し、より一層加速していく。従来の新海作品と通底するものではあるけど、「入れ替わらなくなる」/「距離が空いていく」ことでより好きになっていく。

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 赤い髪留め=ブレスレット組紐が過去から現在、未来を往還し、つながりを生むモチーフになっている。日常的に身に付けるリボンを小道具に、髪型で変化を付けているのもすごく感じ入ったところ。というところで本題に入ります。

 ■扉の開閉 

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君の名は。』の作中でつごう10回ほど繰り返される、真横からの引き戸の開閉。宮水家の襖と玄関扉、電車ドアのおおむね三種類でしょうか。

一般に映像演出において扉は「開き扉」であれば「運命」や「人生」「段階」あるいは「プライベートな空間を担保する仕切り」、「引き戸」であれば「境界」として使われることが多いと思います。

 本作の場合、引き戸が明確に「境界」として意識されるのは二箇所あり、一箇所目は序盤に三葉が瀧にリボンを渡すところの回想で扉開くカットが入る。二箇所目は再びこのシーンの詳細が回想で語られるところで、扉「閉じる」と「開く」がシーン初めと終わりで繰り返される。

「開く」=「つながる/解放」 、「閉じる」=「絶たれる/閉塞」というニュアンスを含ませられるので、二人の繋がりを描くための演出的フックとしてこれを使ったのだと思います。かつ、特に前半においてシーン転換を1カットで示すことにより小気味いいテンポ感が生まれています*2

この扉の使われ方で思い出すのは庵野秀明監督のTV版『彼氏彼女の事情』(以下カレカノ)。

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彼氏彼女の事情』 (1998) 第22話

カレカノ』 においては、この真横からの扉の開閉カットはBANK(使い回しカット)としてシリーズで何度も使われていた。

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ドアを正面からでなく側面から撮っているため、開けている主体のキャラクターや、どの教室であるかに関係なく使え、BANKとして汎用性の高いカット。

そしてこのようなカットを使っているのには、TVシリーズ特有の理由もある。

TV版『エヴァ』に関するインタビュー*3庵野監督はこう答えています。

――具体的に『エヴァ』でやったのは、どういう事なんですか。
庵野:例えば、余計な段取りを全部抜いていくとかですね。必要な段取りだけで作るとかね。
――キャラクターの芝居で時間の経過や場所の移動を示すようなことは殆ど無いんですよね。歩いて、ドアをあけて隣の部屋へ行くとか。
庵野:うーん。例えば、椅子に座るとか、アニメーターからすれば、ものすごい大変な作業なわけですよ。歩いていく足元を写すとかね。日常の基本動作をキチンと作画するのは、アニメーターにとって、すごく難しいわけなんですよ。ごまかしがきかないから。
(太字は引用者による)

TV版の『エヴァ』と『カレカノ』はコストパフォーマンスで作られていて、必要でない段取りの部分はある程度記号的な表現にたよってでも大胆に省略していく(その分、作画的に見せたい部分には注力する)。そして「動きや芝居で見せずとも効果的な表現を追求する」ということを試み、多彩な表現を生み出していた。

(注:カレカノ』はTV版『エヴァ』の、特にラスト2話で試みられた表現の延長線上にあって、心象風景とモノローグを通じて作品世界が作られている。

もっとも、母性の闇にひたすら沈潜していく『エヴァ』と違って、少女漫画原作の『カレカノ』は自我と格闘しながら殻を破り、相手へと手を伸ばすことが根底にあるから、そこには解放感があるわけですが、ここでは便宜上『エヴァ』と『カレカノ』をある程度同質に扱います

たとえばドアを開けるシーンでBANKを用いているといっても、もちろん全ての箇所でそれを使っているのではありません。

カレカノ』において、シーン転換でドアを開けるシーンは概ねこの三種類の見せ方をしています。

f:id:ephemeral-spring:20160922040650p:plain 単に「ドアを開ける」ようなディティールであっても、場所を中立的に示したいのか、キャラクターの表情を見せたいのか、ピシャッと閉まる音でアクセントを出したいのか……によって、これらの見せ方を使い分けていて、そこに演出の創意工夫が見られます。上の22話のシーンであれば、ドアをバンッと開けて意思表明をする力強さを表現していますね。また、開くだけでなく閉まるとこもあって、そこでもニュアンスをいい感じに出している。

直接の影響かどうかは定かでないですが『 君の名は。』はこの演出を上手くモチーフとして取り込んでいると感じたのでした 。

新海誠と『彼氏彼女の事情

振り返ってみれば、最近はあまり耳にしなくなりましたが、新海誠さんのスタイルは当初は庵野監督のスタイルを部分的に取り込んだものでもありました。

それが誰であれ、演出家としてのスタイルというのはもちろんその人自身の価値観や、世界・人間についての捉え方などが如実に反映されるものではありますが、画作りの上でヒントになって取り込むというのは、キャリアを考えるうえで大きいと思います。

星を追う子ども』公開前に行われた 『月刊アニメスタイル』第1号のインタビューの中で、新海監督はこう話している。

小黒:(……)また別の話になりますが、風景で心象を語りたいという欲求はいつ頃からあるんでしょうか?
新海:何だろう……やっぱり『エヴァンゲリオン』がきっかけじゃないですかね。「そういう画作りがありうるんだ」と知ったのが『エヴァンゲリオン』でしたから。特に、最終2話とか。
小黒:マンホールが映っているカットとかですね。
新海:そうです。よくわからないけど、ライトを撮ったカットとかがあって。それって意味ありげじゃないですか。
小黒:意味ありげです。しかも、ソリッドでシャープ。
新海:あの格好よさは印象に残っています。
インタビューではその後『エヴァ』と並んで写真雑誌が原点にあるという話があったりして、かつ光にまつわる自身の原体験についても語られている。けっこう稀少なインタビュー記事であると感じます。
新海監督はバンダイチャンネル掲載のインタビュー記事でも『エヴァ』ラスト2話と並んで『カレカノ』について触れている*4
実際、上記のアニメスタイルの記事で話題になっている『エヴァ』のそれとそっくりなマンホールのカットを『秒速5センチメートル』で作っているのも面白いですが、それはさておき、新海作品は初期においてはある程度庵野作品のスタイルと通じる部分もあります。
 
第一作『ほしのこえ』が『エヴァンゲリオン』や『トップをねらえ!』を彷彿とさせる設定と内容であることは誰も否定しないでしょうが、それとは別の問題として、演出的にも庵野秀明作品を取り込んでいる部分はあります。いちばん影響がはっきりしているのは、『彼女と彼女の猫』(2000)でしょうか*5
 
心象風景というのを描く上で、どちらも共通して用いているのは「現実の町並みのディティールを取り込み、デフォルメし拡大することで、風景を異化する」手法です。

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ほしのこえ』(2002)
 
たとえば信号や踏切や標識は、日常性と隣り合わせのアイテムでありながら、キャラクターの心情を象徴する記号として出てくるんだけど、それら町のディティールをデフォルメしてレイアウト上に配置することで、視聴者にその存在を強烈に意識させます。
 
最近になって山本寛さんが(従来の新海作品を称して)「『背景』への注力と『作画(芝居)』への敬遠」と いみじくも指摘していましたが*6、元はアマチュア自主制作からスタートした制作環境や、背景描写で世界を描くという姿勢からも、『エヴァ』や『カレカノ』で使っていたような上記スタイルを要素として取り込んだ*7のは極めて相性が良かったと思う。
ただ新海誠さんのスタイルにはもちろん独自の個性や違いがもちろんあり、たとえばアナログアニメにはなかったデジタル撮影での光の表現(赤や青を入れる)などですね。
 

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「桜花抄」『秒速5センチメートル』(2007) での、スペクトル分解されたような光の表現
 
新海作品においては『カレカノ』の「心象風景としての町がある」というスタンスからもう一歩進んで、日常風景の細部の美しさをすくい上げることで、世界の美しさがキャラクターの尊さの感情と結びつき、互いに際立たせ合うエモーションが生まれている(どちらが良い悪いという話ではなく)。
また、キャラクターが風景を見つめるといったシチュエーションで、新海作品においては多くがキャラクターの主観カットでなく風景の中に人物を入れ込ませるように描かれているのも印象的です。
カレカノ』の場合は「世界」と「キャラクター」のリアリティを分離していて、写真のようなリアルな密度の「世界」とマンガ的な「キャラクター」の心象風景とを計算して分けている
 
もちろんTVシリーズと違って劇場アニメのリアリティであるから当然とはいえますが、新海作品がロングショットを基調とし、世界とキャラクターを分離せず「風景の中に配置した人物」を描くのは、何より世界とキャラクターとが不可分なものという価値観があり、両者が一体化する特別な瞬間を捉えたいという確かな欲求があるからだと思います。
 

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「コスモナウト」(このシーンはとりわけ素晴らしい)

■風景/場を共有するということ

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 君の名は。』においても、二人が「吸い込まれるように」景色を見つめる場面が繰り返し出てきます。

キービジュアルにあるように割れる彗星は分岐そのものを象徴していて、それゆえ希望であり絶望でもあり得るのですが、直接的には災厄たる結果をもたらすその彗星を、無条件で「美しい」と肯定してしまえるというところには胸打たれるところがありました。

上に貼った2カットの場面は映画序盤に、大人になった二人の回想としても出てきます。ところが大方の解釈に従えば、三葉が浴衣を着て彗星を見ていた世界線では三葉は生き残れないので、大人三葉がこのシーンを回想しているとすれば筋が通らないことになります。だからここでこのようなカットを入れるのはある種錯覚によるトリックというか、マジックをしかけているのかもしれません。

ともあれ、ここでは二人の視点を相補的に見せていて、違う世界線にいる二人であっても同じ日同じ時間に同じものを見上げて「同じ風景を共有したこと」が、二人の繋がりを生んでいるように見える。それが非常に面白いと思う。

 

ここで自分が思い浮かべたのは新海監督が過去に手掛けた『はるのあしおと』のOPムービーでした。

思い人と別れ都会から田舎に帰郷した後、臨時教師として新生活を始める青年・樹を主人公にしたminori作品『はるのあしおと』。その内容とリンクしてこのムービーでは、主人公とヒロインとの気づかぬ内の結びつきと、出会いへの予兆が季節のモチーフとともに散りばめられている。

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はるのあしおと』OPムービー(2004)


以下は、このムービー制作時に新海監督本人がコンセプトとして書いたというテキストからの抜粋です。 

それぞれ、互いが未来において大切な存在となることをまだ知らずにいるが、その予兆は既に映像中に充ち満ちている。知らずにすれ違っていた駅のホーム、運命の赤い糸のように風に舞っていたリボン、気づかぬうちに同じ道を歩いていたし、同じ景色を眺めていた。樹の手に舞ってきた秋の綿毛は少女たちの手からこぼれたものだし、少女が無邪気に口に入れたナツハゼの実は樹がそっと触れたものだった。木造の校舎から聞こえてくる歌声に、樹は足を止めていたこともある。アパートの下でふと足を止めた少女は、樹が寝転がって聞いていたラジオの曲に耳を澄ませていた。これから出会うことになる大切な人の気配に、それぞれが気づかぬうちに触れていた。

Other voices -遠い声-

「同じ道を歩いていたし、同じ景色を眺めていた」ということが、出会いの予兆として存在し、そしてその人の気配を感じるというシチュエーションが、相手との繋がりに転化するというロマンがここに描かれています。『はるのあしおと』OPは純粋にそのモチーフのみで構築された、その意味でもっとも純度の高いフィルムなのかもしれません。

そしてこの、「同じ「風景/場」を共有することで繋がりが生まれる」というのは新海誠さんの他の作品においても共通するモチーフであって、それが過去の新海作品においては、

ミカコとノボルが地球の思い出を語る「たとえば、夏の雲とか。冷たい雨とか。秋の風の匂いとか。傘にあたる雨の音とか。春の土の柔らかさとか。……」という共鳴のモノローグであり、あるいは雪のように「秒速5センチメートル」で落ちる桜の情景だったのだと思います。

それらは特別なつながりを信じられる思春期の純粋さやイノセンスとも結びついているものだけど、決してそれだけにとどまるものではなく、特に近作においてはより深い部分で価値観として根を下ろしているのではないかと『君の名は。』を見ても感じます 。

 

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君の名は。』において二人が彗星を仰ぎ見る上記シチュエーションは1200年に一度の彗星を見たという一回性・体験性が際立っており、(世界中の人が見ていたとはいえ)それだけで特別なものとしてある。そして当該シーン以外にも、二人は同じ特別な「風景/場」を共有しています。


奥寺先輩と瀧がデートで通る橋を、その後に三葉が通りがかるという風なシーンがありますが、「片割れ時」と同じく「時を隔てて同じ場所にいる」というシチュエーションもこの映画には繰り返し出てきます。「すれ違い」を視覚的に演出するためにこのような見せ方になっていると思うのですが、そもそも「すれ違い」というのは「同じ場所にいながら、時を隔てていたり、心の壁や、現実のしがらみといった障害によって言葉を交わせない」……という状況から起こるもので、やはりすれ違いというのは同じ場を通じて二人を見せることで、特別な意味を持つものなのだと思います。

もちろん、二人は入れ替わりを通じて接点を持つ前から相手の環境を先に体験している、というのもあり、そうして共有した視界がある、というのも大きいのですが、そうした精神的なつながりを失ってなお、 特別なものの存在を信じ「手の届かないものに手を伸ばす」ことにより最後は相手に辿りつくことになります。

というのも、
分岐した世界の収束とともに夢の記憶やつながりは失われても、

大人になった二人はともに彗星を見たという経験を特別なものとして持っており、
それと同じく糸守町の風景というものを心に抱き続けて生きてきたはずです。特に瀧においてはそれが原体験になっているような描写がありますが、三葉にも多かれ少なかれ同様のことがあるのだと思います(髪に結んだ組紐のつながり以外にも)。

時を経て二人は邂逅を果たすことになりますが、

共通体験により結びつきが生まれるというものが根底にあり、二人がそう生きてきたからこそ、最後に巡り合うということがある種の必然性をもって感じられるのではないでしょうか。そのようなことを少し考えました。

というあたりで、やや分量書きすぎてしまったので続きは次回書きます。

(続き↓)

highland.hatenablog.com

 

(追記)2016.9.24
ブコメにて「リボンではなく組紐」と指摘くださった方がいたため記述を一部変更。
 
※「誰々からの影響が~」とか書いているところで不敬だと感じられたら申し訳ありませんが、別に元ネタがそれであるとかそういうつもりは毛頭なく、比較するためにこのような書き方になっています(もちろん必ずしも作家論的な見方に囚われるべきではないでしょう)。個々の作品のオリジナリティはあくまで尊重すべきで、作家の影響関係の問題はそれとは別だと思います。また、多くは憶測を含んだ内容であることもご留意ください。
アニメクリエイター・インタビューズ  この人に話を聞きたい  2001-2002

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Febri Vol.37

Febri Vol.37

 

 

 

新海誠美術作品集 空の記憶~The sky of the longing for memories~

新海誠美術作品集 空の記憶~The sky of the longing for memories~

 

 

*1:君の名は。』映画パンフレット内での氷川竜介さんの言

*2:因みにこの演出について新海監督自身は『Febri Vol.37』掲載のインタビューにおいて「音のリズム」「107分の中でテンポ良く見せるため」「読点のようなもの」と語っている

*3:庵野秀明アニメスタイル」、『美術手帖 増刊 アニメスタイル第1号』美術出版社、2000年。このインタビュー記事は新海監督も読んでいたとのこと

*4:庵野監督の『彼氏彼女の事情』(98)も弟に貸してもらい、あのエッジの効いた演出の学園ものと『エヴァ』のラスト2話の手法は、『ほしのこえ』を作る直接的なきっかけだと言えます」クリエイターズ・セレクション vol.2│バンダイチャンネル 2016年9月23日閲覧

*5:もっと言えばそれ以前の「遠い世界」「囲まれた世界」になると一層『エヴァ』の影が顕著になる。余談ではあるけど、『ほしのこえ』のノボルの声優は『カレカノ』の有馬総一郎役で声優デビューした鈴木千尋さんをキャスティングしていて、二人の姿が何となく重なってしまう部分もあります

*6:山本寛 公式ブログ - 君の名は。 - Powered by LINE 2016年9月23日閲覧

*7:少なくとも『秒速』までの時期の話ですが