highland's diary

すみません。

大月俊倫さんと『ラブひな』、『残酷な天使のテーゼ』の作詞

皆様いかがお過ごしでしょうか。2018年とは何の関係もない話題です。 

 『アニひな : TVアニメ「ラブひな」ナビゲーション ver.1』を読んでいたら、監督の岩崎良明さんとプロデューサーの大月俊倫さんが対談している記事があった。

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大月俊倫さんと言えば『エヴァンゲリオン』のプロデューサーとして有名で、 キングレコードに所属しながら『少女革命ウテナ』や『機動戦艦ナデシコ』『スレイヤーズ』に製作として関わった伝説的な大物プロデューサーである(現在は引退している)。

また、岩崎良明さんものちにJ.C.STAFF美少女アニメのキープレイヤーとして『ゼロの使い魔』や『ハヤテのごとく!!』を監督し、2019年には『ぼくたちは勉強ができない』を監督することが決定している実力派だ。

さて、この対談の中で、大月さんが『ラブひな』OPテーマの「サクラサク」(作詞作曲:岡崎律子、歌唱:林原めぐみ)について語っている箇所が面白かったので紹介してみたい。

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景太郎がね、自殺するんだよ(大月)」という衝撃の見出しが目を引くが、

OPテーマ制作にあたって大月さんが岡崎律子さんにオーダーした内容がここでは述べられている。長文にはなるがここで引用したい。

大月まず詞と曲は岡崎律子さんでやりたい、というのが私の中でかなり初期からあったんですよ。じつはね、『ラブひな』のアニメ化を決めたとき、私が勝手にイメージしていたストーリーがあるんです。その話ってのは、景太郎がね、自殺未遂しちゃうんです。なんとか命は助かるんだけど昏睡状態に陥って26話分の夢を見るんだけど、その夢にはお爺さんが出てきて、回を重ねるごとに人数がどんどん増えていくわけ。それは要するに死者の世界から生者の世界に景太郎を呼び戻す役目の人なんですよ。

岩崎:その話は今日はじめて聞きました。で、景太郎はどうして自殺したんですか?


大月 :つまりね、女の子にはモテないし浪人するし、将来に絶望してなんですよね。でも26話分の夢を見て死者の世界と生者の世界を行き来しているうちに「生きるとはどういうことか」を理解していって、それて「生きなければ!!」と悟ったところで目が覚めるわけ。そのとき、夢だったはずのひなた荘の住人が景太郎を囲んでいて景太郎をみつめている、そこでパッと終わるっていうのが私なりに考えた構成なんですよ。じつは岡崎さんには原作を読んでもらう前にこの話を説明したんですね。そしたら、すごく感動してくれて、ここからオープニングとエンディングのあの2曲ができたんですよ。歌詞の中で「手を伸ばして」とか「祝福の時は来る」って言葉があるけど、それは生者の世界から、なるたちが手を伸ばして景太郎を招いているということなんです。

だからね、アニメの主題歌の作詞や作曲を依頼するとき、原作を読ませるとかってのはナンセンスなんですよ。作品のコアのコア、真っ赤な溶岩みたいな部分をグッと相手に手渡すしかない。私は他の作品でもこういう方法でやってますし、私が担当したアニメの主題歌が内容と合っているともし評価されるとすれば、こういう方法を採用しているからなんだよね。

 作品のエッセンスとして聞かせる内容が、原作にはない完全オリジナル設定というのもすごい話ですが、それがまたなんか凄く…『エヴァンゲリオン』ぽさがあるというか……。

大月さんのような、作家性の強い名物プロデューサーは、今の時代だと少ないでしょうね。そしてこの対談での発言通り、「サクラサク」の歌詞にはこの裏設定が反映されている。

途方に暮れた昨日にさよなら
ふつふつと湧きあがるこの気持ち
何度でも甦る 花を咲かせよう
思い出はいつも甘い逃げ場所
だけど断ち切れ 明日を生きるため
祝福の時は来る 手をのばして

「思い出はいつも甘い逃げ場所 だけど断ち切れ 明日を生きるため」もそう考えると意味深な内容であると言える。

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ちなみに、大月さんがここで話してるお爺さんたちは、実際にアニメ版でよく登場している。ただ、岩崎監督は当初の裏設定知らなかったという話なので偶然か?赤松さんの原作でどうだったかは自信ない。


ともかく、私がこれを読んで思い当たったことは、大月さんはレコード会社のプロデューサーとして音楽面で多くのアニメに関わっているが、(この対談が行われた2000年の)時点ではそういったポリシーを持っていたのだとすると、『エヴァンゲリオン』の主題歌作成にあたってもそういった方針を採用していた可能性が極めて高いのではないか。

TV版 『エヴァンゲリオン』のOPであり、現在でも高い人気を誇る「残酷な天使のテーゼ」について、作詞を担当した及川眠子さんは「企画書と最初の2話を早送りで見て2時間ほどで書き上げた」と数年前に暴露して物議を醸していた。

getnews.jp

otapol.jp

interview.utamap.com

残酷な天使のテーゼ - Wikipedia

これらによると、

キングレコードのプロデューサー(大月さんのことだろう)から『哲学的な』『難しい歌詞にしてくれ』と作詞の依頼を受けた」といったことや、「未完成の第2話までのビデオと企画書のみを渡された状況での発注であり、ビデオは早送りで視聴、企画書も熟読することはなかった」といったことが及川さんの口から語られている。

また、作詞家と作曲家とが一度も会うことなく制作された歌であることも分かる。

そして歌唱を担当した高橋洋子さんも、レコーディングの時点では、アニメの内容を全く知らされておらず、「オープニング映像も、第1回の放映を自宅で見たのが初めて」だったという。

 これらの内容から、プロデューサーを担当した大月さんを批判する向きもあるけれども、大月さんは「原作を読ませるといったことはナンセンス」「作品のコアの部分のみを伝えるべき」というポリシーに基づくことであったのかもしれない、と考えられる(それだけでは説明つかない内容もあるけれども)。

大月さんのポリシーは、畢竟すると「あえて作品の全体像を提示しない」ということでもあったのだろう。おそらく、それによって、音楽を制作する側にはある程度の自由さを与え、感性を働かせる余地を作り出す*1。もっとも、『エヴァンゲリオン』での関わり方は特殊であっただろうし、他作品ではもう少し踏み込んだ形で楽曲を作成させていると思われる。

庵野秀明 スキゾ・エヴァンゲリオン
 

 『スキゾ・エヴァンゲリオン』によると、TV版の『新世紀エヴァンゲリオン』において大月さんが関わった内容としては、主に企画を通す段階で設定とか内容についての話があった、そして制作会社選びの交渉を行い、プラス25話と26話(有名な最終話)のネタ出しに関わったことが述べられている。

ただし、庵野さんが大月さんの前でエヴァの話をあまりしたがらなかったので、制作中には(大月さんは)作品には一切不介入であったらしい。

その代わり、制作中は会うたびに観念的な話や社会情勢の話で駄弁っていたとのことである。

(こうしたことはそれほど役に立っていたいう風に見なされないけれども、プロデューサーや編集者の役割として、「クリエイターの思考を触発する」という一面があることを考えると、間接的に役割を果たしていたといえるかもしれない。)

なので、エヴァの場合は、大月さんのポリシーというのとは別に、結果的に(主題歌についても)関わり方がそのようにそうなっていたという可能性はある。

残酷な天使のテーゼ」の作詞と大月俊倫さんの関係について、そのようなことを考えたのでした。

 

◆これだけではやや物足りないので、もう少し記事に内容を加えます。

大月さんの旧『エヴァ』以降のフィルモグラフィを見てみたい。

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シスプリ』『ぱにぽにだっしゅ!』『ネギま!?』などは顕著だが、「女性声優が多人数出る」ような美少女アニメを多く手掛けていることが分かる*2

 「美少女キャラいっぱい出して、キャラソンやエンディング、挿入歌をそれに合わせて多数展開する」という手法を活用していると思えないだろうか。

 『シスタープリンセス Repure』などはとくに、各ヒロインごとにエンディングテーマが用意され、しかも声優や歌手の名義ではなく「ヒロインが(キャラの名義で)エンディングをうたっている」という形式を採用していた。

 今では浸透している手法であるけど、これについては『シスプリ』が先鞭をつけたのではないだろうか(これ以前にもあるのかもしれないが)。

 

それでは、2018年はお世話になりました。2019年もよろしくお願いします。 

キネ旬総研エンタメ叢書 アニメプロデューサーの仕事論

キネ旬総研エンタメ叢書 アニメプロデューサーの仕事論

 
 
 

*1:オタクの人はどちらかというと「本編の内容を深く理解して作られた歌詞」を褒める傾向にあると思うので、その真逆と言えるかもしれない。たとえば『AIR』や『リトルバスターズ!』といったKEY作品の歌詞は、本編の内容を反映した歌詞になっており、歌詞の内容を解釈することでストーリーをさらに読み込むことができる。他方で、そういった方向に頼らずにテーマソングを作る方法論も存在するのだと言える。

*2:加えて『ラブひな』繋がりで言えば、堀江由衣さんの参加しているアニメが多く、岡崎律子さんが主題歌を担当した作品もいくつか入っている

映画『若おかみは小学生!』/反射についてのメモ

冬コミケの季節ですね。私は京都大学アニメクリティカさんのところの新刊に映画『若おかみは小学生!』についての記事で参加しています。

映画『若おかみは小学生!』の経済性についての試論

というタイトルで、あの映画の脚本ないし演出が、いかに効率的に物語を伝えているかといったことについて書いています。

 手に取って読んでいただけるとありがたいです。よろしくお願いします。私としては、ほかの方の寄稿記事も楽しみです。

さて、経済性については上記の記事で書いたのですが、そこで書けなかった内容として、今回は反射について書こうと思います。

最後に劇場で見たときにこういうツイートをしたのですが、これだとあまり上手く説明できてないなあと思っていました。

これはDVDソフトが出るまで待ちかなと思っていたのですが、先日『講談社アニメ絵本 若おかみは小学生!』(原著:令丈 ヒロ子、著:斎藤 妙子)に当該カットのキャプチャが載っているのを発見した(!)ため、以下に引用します。

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元ツイートにあるように、これは両親を亡くしたおっこが祖母のお世話になるため花の湯温泉に電車で向かうシーンで、窓ガラスの反射に映るおっこの表情と、おっこが見ている(と思われる)親子連れ三人の反射した姿も画面に映り込んでいます。父母を亡くしたおっこが、両親と話している子どもの姿を見ており、言うまでもなく両者は対比されています。

さて、先ずはこのカット、改めて見るとめちゃくちゃ層が入り組んでるんですよね。映っているものの種類ごとに分けるとおそらく以下のようになっています。

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 画面内にあるもののうち、実物が映っているのは手前にいるおっこの頭のみです。おっこの表情と、反対側の座席に座っている親子連れは窓ガラスへの反射で映っています。そして向かい側の窓ガラスに映っている親子連れの姿も、二重に反射して映り込んでいます。それに加えて、おそらく窓ガラスに透けてトンネル内のケーブルが映っています(この像はおっこの頭にもかぶさっているので反射ではなく透過で合ってると思う)。

四種類のレイヤーが一つの絵の中に重なって映っているという手の込みよう。このカットが発揮している効果としては、以下のようなものが挙げられるかと思う。

まずは

反射を使うことで、親子連れとそれを見ているおっこの表情とを(切り返しを使わずに)一つの画面の中に収めている。

ここで窓ガラスの反射を使わなければ、窓側にカメラを設定しておっこの頭をナメる形で親子連れを映す必要があり、それだとおっこの表情が映らない。おっこの表情を映すためにはカットを割って「親子連れ」→「おっこの表情」と2カット使う必要があり、それだとこのカットの持つ抒情性や、さり気なさが失われる。

親子を見ているおっこのアンニュイな表情と、親子の姿とを一つの絵に収めることで浮かび上がってくる情緒というものがあると思う。

また、厳密には「見ている」のではなく、「見ているように見える」というのもポイントで、観客が想像力を伸ばす余地をそこに与えている。

もう一つの効果としては、

親子三人の姿を反射を通して映すことで、ここでのおっこにとって「親子連れ三人」というイメージは失われてしまったもの、不確かなものになっていることを示す。

というのが挙げられる。

鏡面反射ではなく、窓ガラスへの反射・映り込みを通して何かを映すと、被写体は(透過率50パーセントくらいの)半透明な姿でそこに映り込む。つまり、直接映せばはっきりした形でそこに表出するものが、反射を通して映せば、どこかぼやけて不確かなイメージと化す。虚構や空虚さといったものをそこに付与することが出来るのだ。

父母を亡くしたおっこにとって、その姿はぼやけた虚像*1として感じ取られているような印象を与える。

しかも、(私の記憶が正しければ)この次のカットでは、電車がトンネルから出て窓外の景色が明るくなったところで、この反射は消えて、窓ガラスには鏡像のおっこだけが映るようになる。

このカットの流れには、本作の全体としてのテーマが反映されているように思えないだろうか……?

事故で両親を失った後も「幽霊と化した両親」と交流することができるけれども、やがてトンネルを抜けて明るくなるように変化することで、漠然とした像であったそれは消える(そして自分の姿が残る)。そういうことを語っているように見える。

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そもそも映画内において幽霊たちは透けた形で出てくる不確かな存在だ。だからこそ両親が常に実在のもののように出てくることに不気味さがあるのだけれど、幽霊と化した両親も幽霊たちと同様に、異界の存在である。最後におっこは両親および幽霊たちといった異界の存在と別れ、そこでホワイトアウトして映画は締めくくられる。

私の深読みや勘違いかもしれないけど、こういうさり気ない描写によってテーマが散りばめられているのだとしたら、それはとても芸が細かいことであると思う。

もちろん、こういったカットを見て観客が即座に「これはこういう意味で~」みたいに意識的に理解するわけではないだろう。しかしこういった表現がサブテキストとして細かに散らされることで、無意識に刷り込みが行われ、映画全体のテーマに説得力を与えていく。

そして本作は、反射・映り込みの表現の精緻さが注目を浴びた作品でもあった。

これについては勿論、作品内の世界のリアリティの底上げする効果があると考えられるけれど、他方で、鏡像を多く使うことで生・死の境界の不確かさや、異界への通じやすさといったイメージを際立たせる効果もあるのではないだろうか。

それでは追加で、他のカットでどのように反射・映り込みが使われているかを、先述の『講談社アニメ絵本 若おかみは小学生!』に載っているキャプチャで確認できる範囲で見ていこうと思う。

先述のカットの前に出てくるカット(本からキャプチャをトリミングしてしまったので端が変になっていることはご容赦ください)。

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こちらは窓外の景色が窓全体に反射して映っており、それを見ているおっこの表情が同時に透過で映っている。窓内と窓外の両方の像が重なっており、こちらもカットを割らずに、見ている主体と見られているものとを映すことに成功している。おっこが思いに沈んで、目から見た景色が漠然としたイメージとして映っていることを示唆しているようでもあります。

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こちらは旅館に着き、自分の部屋に最初に入ったときのシーン、ウリ坊を見つける直前あたり。

写真立てに入った両親の写真(の上のガラス板)に、挿し込んだ光によって窓枠が反射で映り込んでいる。これによって、両親の姿が半透明なものに見える(実際には透明ではない)ようになっている。観客に対し、両親の「幽霊のような姿」を印象づける効果があるだろう。

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水領さんの車に乗って買い物に行く途中、おっこが事故のPTSD過呼吸に陥り、その後おそらく車中で休ませてもらっているところ。

サイドミラーにおっこの表情が映り込む。こちらもおっこの表情と、おっこにとって見えている両親の姿とを同時に映す経済的なレイアウト。死んだ両親の姿がナチュラルに見えているが、「サイドミラーのおっこ」が同時にフレーム内に映っていることで、それがあくまでおっこの視線を通じてだけのものであることが強調される

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おっこが水領さんに初めての浴衣を着せてあげるシーンにアクセントを加える映り込み。この水晶玉の表現はびっくりするほどキレイでしたね。こちらも二重に像が映り込んでいる手の込みよう。

レイアウトの意図を汲み取るならば、幽霊の存在を感じ取れるおっこと、霊能はないが占い師である大人の水領さん、二人の存在の重なりを印象づけることでしょうか。

それほど数は確認できませんでしたが、映画全体において、反射の表現がときに意義深く用いられているということは言えるでしょう。

 

反射・映り込みという表現一般について振り返ると、そもそも反射というのは現実を直接映すのではなく間接的に像として見せることで、歪められたリアリティをそこに現出させる神秘的な技法でもあります。

下の画像はジェレミー・ヴィンヤード『傑作から学ぶ映画技法完全レファレンス』(2002年、フィルムアート社)より。

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古今東西の映画やコミックで用いられている技法であるとは思いますが、

殊に日本アニメにおいて、反射という表現の持つ神秘性を哲学の域にまで高めたのは、よく知られているように押井守さんの『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』だと思う。

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頻繁に出てくる水面への映り込みや、光の反射の表現。

それら表現が個々に象徴的な意味を有しているというよりは、作られた虚構の世界/夢と現実というテーマに沿った描写が、映画全体にサブテキストとして散りばめられている。それによって、地と図の反転によって境界があいまいになる、あるいは夢のような形で世界を現出させるという主題に結びつく。

そして日本アニメの後続の作品においては描き出された仮想の現実、箱庭的な虚構の世界といったものを表現する際には、(押井さん自身のものも含めて)鏡面反射・映り込みというモチーフはしばしば用いられるようになった。

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機動警察パトレイバー 2 the Movie』
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劇場版 魔法少女まどか☆マギカ 新編 叛逆の物語』
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『SSSS.GRIDMAN』#09

加えて、今敏さんのこれも印象深い。

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自我同一性、夢と現実の境目の揺らぎをテーマにした『パーフェクトブルー』は鏡面反射を使った表現の見本市のような作品になっている。

左の方は未麻が部屋で自身のブログページを見つけるシーン、鏡写しを使った不安定なレイアウト、真っ赤な色味と相まって不安感を急速に高める。右は有名な本田雄パート。鏡像の未麻と本体とが共に動くのを手前から映してるという、トリッキーなカット。

連想で言えば、最初に紹介した『若おかみは小学生!』のカットと形態的には似ている表現を、『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』第2話(コンテ:坂田純一、演出:堀口和樹)で見つけることができる。

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思春期症候群によりだんだん(比喩的でなく)他者から存在を認識されなくなっていき、追い詰められていく桜島麻衣。

窓ガラスに反射した麻衣の半透明の姿、そしてここで彼女がその像を見ているという表現によってその事態がよりはっきりと視覚化されている。

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ここで麻衣は梓川咲太から目を逸らしながら会話している(後に向き直る)。

「私のこと、覚えてる?」という麻衣の質問に対し咲太が肯定の言葉を返す、そして麻衣は自分の姿の映り込みを見ながらそれを聞くという描写。ガラスの反射を使うことで、ここでの麻衣の不安げな表情をとらえることに成功し、同時に、麻衣が自己の存在の不確かさを気にかけていることが浮き彫りになっている。


段々取りとめのない話になっていきそうなのでこれくらいで終わりにしようかなあと思います。

冬コミで寄稿させてもらった文章の方もよろしくお願いします。

 

講談社アニメ絵本 若おかみは小学生!

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パーフェクトブルー【通常版】 [Blu-ray]
 

*1:という言い方は理科的には正しくないけれど

舛成孝二さんと鈴木博文さんのEDアニメーション【検証】

今期のアニメ視聴と並行して『バトルアスリーテス 大運動会』(TV)を少しずつ見ている。

今期だと『ゴブリンスレイヤー』でも組んでいる倉田・黒田コンビが全話脚本を担当し、正統派なエンタメでありながら同時になかなかエグい展開もありで見どころは多い。放映時期は1998年~1999年。

’90年代を通じスタイリッシュ美少女アニメで名をはせたスタジオであるAICが制作しているだけあって美少女キャラばかり登場するオタクアニメ、そしてその中でも女性主人公で、かなり「百合」要素も強く感じさせる作品だ。何せ第2話にして添い寝展開がある。テレ東の夕方放送アニメだが、今放映されてたらTwitterで百合オタクが騒いでいただろうなと思う。

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画像左の青髪キャラの声優は川上とも子さん。

 それはさておき、

『バトルアスリーテス』のEDアニメ

EDアニメーションのクレジットを見ていて気付いたことがあった。

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OP・EDの演出にスタジオゑびす*1の二人(菅沼栄治舛成孝二)が参加してるけど、

EDアニメは鈴木博文さんの一人作画

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かわいい。

こういう感じのデフォルメ調の、手描き感あるアニメーションになっている。

鈴木博文さんのEDアニメ仕事

鈴木博文さんといえばNARUTOキャラクターデザイナーであり凄腕のアクションアニメーターと知られているけれど、単独でEDアニメーションを制作することも多い(撮影技術を持っているため絵コンテ・原画・仕上げまで自分一人で出来る)。『NARUTO』での仕事以外に、

近年では

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  • 『世界征服~謀略のズヴィズダー』完成版ED

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等を担当。これらは見たことある人多いのではないだろうか。

あるいは時期を遡ると、

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なども単独で手掛けている。『メダロット』は本編見てないのに引用して申し訳ない。

これらのEDのうちいくつかにも『バトルアスリーテス』同様にデフォルメの利かせたラクガキっぽいタッチのものを見ることができ、

鈴木博文さんの作画wikiにもその旨の記載がある(2018/10/31 閲覧)

同姓の鈴木典光までとはいかないが、彼の手掛けたEDも多い。
その仕事を覗いてみるとラクガキ調な仕上がりなモノが多かったりする。
メダロットバトルアスリーテス大運動会、てなもんやボイジャーズ、モンコレナイトNARUTO、なのは第一期等。)

鈴木博文さんがバリバリのアクションアニメーターとしての仕事をしながら、こういったスタイルのエンディングアニメーションを手掛けていることはやや不思議だなと思っていたのだけれど、これは鈴木博文さんが舛成孝二さんのEDアニメに影響を受けたからではないかと思いついたのだ。

 舛成孝二さんのEDアニメ

舛成孝二さんといえば『R.O.D』シリーズや『かみちゅ!』の監督として知られているけれど、’90年代のAIC作品を中心に2018年現在に至るまで、EDアニメーションを数多く演出している人でもある。

自身の監督作のEDまで含めると膨大な数にのぼるので一部を紹介すると、

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これが初のED仕事ですかね。*2

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岸田隆宏さんの一人原画。

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こちらも岸田隆宏さんの一人原画。

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これらは全て'90年代。『天地』シリーズ絡みが多め。

時代変わって、自身の監督作でのED

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こういう絵筆の感じが残る温かみのあるアニメーションが多い。舛成演出のEDが大体どういうテイストかは理解していただけたのではないだろうか。*4

さて、アニメ誌「アニメージュ」2002年1月号に掲載された舛成孝二さんのインタビュー小黒祐一郎さんがインタビュアーを担当する「この人に話を聞きたい」)において、舛成さんのEDアニメーションについて述べられている箇所がある。

(なお、インタビュー全文はこの本 ↓ に再録されている)

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舛成:スタジオユニコーンという会社に入りました。最初の頃は、「今のアニメの画」をちゃんと描こうとして取り組んでたんですよ。

――ああ、美形キャラとか、美少女とかを。

舛成:そうです。でも、どうやっても巧く描けないんですよ。 動画をやってて、一番楽しかったのが『メイプルタウン物語』とか、そういう作品でした。へにょへにょした画とか、ちょっとラフなタッチの画が好きだったんです。

このインタビューには小黒さんの注釈として

天地無用!』のエンディング以来、現在の『ココロ図書館』まで、彼はヘタウマ系の、あるいはラフなタッチの画のエンディングを何度か作っている。絵コンテで描く画も、ああいった感じの画なのだそうだ。

との記述がなされている。

舛成孝二さんの絵コンテのうち、今手元にあって見れるのがTHE IDOLM@STER』第7話「大好きなもの、大切なもの」・第23話「私」の絵コンテの抜粋*5だけなので、以下にこれを転載する。

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かわいい。

また、絵コンテ以外で舛成孝二さんの(おそらく)素の絵が見れるアニメとしては、

1999年にWOWOWで放映されていたD4プリンセス舛成孝二コンテ回(第7話「東方帝都学園24時 瑠璃堂どりす」)がある。

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…まあ、映像的にはへちょいのでわざわざ見なくてもいいとは思う。この回だけこういう特殊な感じになっています。

D4プリンセス』はEDの電波ソングが有名だけど今見てもまあまあ楽しめます。

このときの舛成孝二さんはこういうコンテや演出をやるような人でもあった。

舛成孝二さんと鈴木博文さんの共同仕事

話が戻るけど、舛成孝二さんのこういったスタイルが鈴木博文さんに受け継がれたと思う根拠としては、’90年代後半~’00年代初頭にかけて、この二人はタッグを組んで数多くのエンディングアニメーションを作っているからだ。*6

演出:舛成孝二、作画:鈴木博文のコンビで作ったEDアニメーションを調べてみると、

先に挙げた『バトルアスリーテス』ED(1997年)以外に、

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 舛成孝二さんの監督作。アニメーター豪華で作画的見所多くてオススメ。ヒロインの声優はデビュー当時の堀江由衣さん。

  • 『アンドロイドアナMAICO2010』ED(1998年)

同じく舛成孝二さん監督で、ラジオ番組制作とアンドロイドを題材にとった作品。

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DVDが手元になかったので拾い物の画像だけど、こういう感じの絵が動いてるEDですね。この作品はお仕事アニメの傑作なんだけれど再評価の機会がなかなか来ないです。

  • 『デュアル!ぱられるんるん物語』ED(1999年)

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という感じに色々組んで作っている。

この時期になるとデジタルの導入が見られますね。舛成さんがこういった、手描き風のふにゃふにゃした絵とCGを組み合わたりといった演出をやられて、鈴木博文さんもそれを自身の中に取り入れたのではないかと思う。

余談であるが『デュアル!』は確かあおきえいさんがAICの撮影時代に参加した作品だったかと。

また、鈴木博文×舛成孝二さんのコンビとしては見逃せないものとして、

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 かわいい。

リスキー☆セフティ』は舛成孝二さんの監督作で、これは昔話の紙芝居のはずが何故か宇宙戦艦とかうる星やつらとかパロディがやたら入る回。

これは舛成孝二さん自身のコンテ演出ではないですが、2クールアニメで枚数を減らす回を作ろうとなったときに鈴木博文さんがこの特殊な紙芝居パートの作画やることになったということは、EDアニメーションといったものを通じた二人のタッグの強さを伺わせる。

『リスキー~』はレイアウトが地味に良くて、天使と悪魔のチビキャラの視点から見た部屋の広さといったものも上手く表現されているし、けっこう良作だと思う。

ちなみに、舛成孝二さんと鈴木博文さんが最後に二人で制作担当したEDアニメは 

  • 天地無用! 魎皇鬼』(第三期)ED(2003年)みたいですね。

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この二人の関係ってどこかで分かったりしないかなあと思うのですが。ネットで検索かけても特にヒットしないし、『R.O.D』(OVA)のオーディオコメンタリーとかで言及がありそうですが、そこまで掘る気力が……。岸田さんとの絡みも多いし、鈴木博文さんてスタジオゑびすと関係あったりするのでしょうか?

 舛成さんから鈴木博文さんのスタイルへの継承

 そして舛成さんとタッグを組んで以降に、鈴木博文さん単体で手掛けたEDアニメーションはというと、

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ラクガキみたいなちびキャラの顔がデジタルで飛び交うアニメーション。

『てなもんや~』は月村了衛さん原案、新房昭之監督という異色のアニメ。石浜真史さんによると、月村先生と新房監督は制作中「いかにして『仁義なき~』シリーズのパロディを作品に多く盛り込めるか」ばかり話してたという。 

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こちらは手描き調で名作劇場っぽい。

こちらも舛成孝二さん監督作ですが、EDアニメーションは鈴木博文さんが椎野隆介さんという方と共同で担当。デジタルの移行期にあって、こういった絵でエンディングを作る手法は舛成さんとのタッグで取り入れたものかもしれない。*8

そして、鈴木博文さんのこうしたテイストは、上に挙げたメダロット』『なのは』(とかモンコレナイト』、『NARUTO』)EDのようなスタイルへと受け継がれていくことになる。

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鈴木博文さんといえば『NARUTO』の仕事がやはり多いので、都留稔幸さんと組んで

膨大な数のEDアニメを作っていますが(自分は未チェック)、作画や演出で参加したEDにもこういったテイストが流用されているかもしれない。

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ちなみに、比較対象として、舛成孝二さんとタッグを組む以前に鈴木博文さんが手掛けたEDアニメーションも存在する。

たとえば

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こちら鈴木博文さんの単独アニメーションだけど、キャラも空間も写実的で、本編と全然変わらないタッチになっている。

また、こどものおもちゃOVA(1995年)のEDアニメーションを都留稔幸さんと共同でやっているようだ。DVDで出てなくて、今はおそらく見る手段がない……けれど、こちらもキャラは本編と変わらないタッチで描かれているようだ(手描き調でデフォルメを利かせた感じではない)。

 

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https://twitter.com/Anime_VHS/status/701430182805053440

クレジットを見るとOVA版は鈴木行さんが監督でJ.C.STAFF制作なんですね。

TV版の方は再放送で見てましたが、大地監督特有の、ハイテンションでまくしたてるようなテンポと可愛いキャラ絵が印象的でした。

さて、

鈴木博文さんの現在の仕事

に戻ると、

影絵のシルエットで見せる処理が『まどか』辺りから増えてきて(というかシャフト作品での仕事ですね)、

OVAクビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い(2016年)のEDなどもそういった感じである。

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この辺りになるとテイストがだいぶ変化しているように見えるけれど、

一方で、それまでのスタイルを取り入れているようなところもある。

  • 『劇場版 魔法少女まどか マギカ[新編]叛逆の物語』ED(2013年)

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これもそれっぽい。TV版と同じくシルエットで見せるようなスタイルですが、背景はラクガキのようなデフォルメ調ですね。
これまでのスタイルを取り込みつつ、発展系という感じもする。

(「君の銀の庭」は映像だけ抜いてくるのがもったいないくらいの名エンディングですが、ご容赦ください) 

やっぱり新房作品での仕事が最近ではまた増えてますね。

まとめ
  • 舛成孝二さんの手掛けたEDアニメーションは自身の絵柄を反映した、ヘタウマ系の、あるいはラフなタッチの画のものが多い。
  • 鈴木博文さんのEDアニメーションも似たテイストのものが多く、これは舛成孝二さんとタッグを組む中でそのスタイルを取り入れたのではないか。
  • 鈴木博文さんは舛成孝二さんのEDアニメに影響を受けたがそれを取り込む形で発展させている

…と、ここまで書いて思ったけれど

岸田隆宏さんが作画を担当したEDアニメーション

も舛成さんと似たようなテイストが多い。

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舛成さんEDと似たようなタッチ。

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同じく大森貴弘監督作。この作品、今になって思うとけっこう百合ですね。

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岸田隆宏さんキャラデ。これも本編は見たことない(DVD買ったら見れるのか?)のでED画像だけ引用するのは後ろめたい…。

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有名なEDアニメーション。大畑清隆さん演出。

こちらはややズレるかも。そういえばこのEDの女の子を根拠に『シスプリ』=『ビューティフルドリーマー』説を唱える人とかいましたね。本編は今となっては別に見なくていいかと思う。

鈴木博文さんと同様、岸田隆宏さんも’90年代に舛成孝二さんとタッグを組んで多くのEDアニメーションを作っていて、二人は共通するテイストを持っているのだなあと思います。

ただ、舛成さんと岸田さんはスタジオゑびすの同期という感じだし、岸田さんが元々こういうテイストを持っているというのも考えられるので、一方的な影響関係ではないかもしれません。

おまけ

上述の通り、鈴木博文さんは『まどマギ』『なのは』をはじめ新房昭之作品のEDも多く手掛けているけれど、鈴木博文さんが初めて新房昭之のEDを手掛けたのはOVAそれゆけ!宇宙戦艦ヤマモト・ヨーコII』(1997年)の第3話EDが初!ということが調べていて分かった。かなり古くからの縁ですね。『コゼットの肖像』を作ってから疎遠になっていたのが、『まどか』TV版以降はまた組み出すようになっているかと思う。このEDはメカが出るところが佐々木正勝さん?

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最後に

それにしても、OPやEDアニメーションって本編を全く見ずしても語れてしまうところはあって、そればかり言及するのってあんまり良くないような気もしてしまいますね。現にこの記事でもいくつかのタイトルでやってしまったので反省したい。

色々脱線したけれど、まあ要するに、こういうラフなタッチのアニメーションって良いなと個人的には思います。’90年代や’00年代にはこういうテイストのEDがおそらく今より多かったかもしれない。作画的にはそれほど注目されないだろうけれど、作品の雰囲気には十二分に貢献する。

EDアニメは、作品の顔であるOPアニメと違って色々な表現を試せるところがあって、『きまぐれオレンジ☆ロード』(1987年)ED2の砂絵アニメをはじめ、表現主義的なスタイルのものが現に多く作られてきているし、また、そうであって欲しいと思う。

こういったものがより注目されると良いのかもしれない、と感じて書かせていただきました。

 

かみちゅ! 大全ちゅ?!

かみちゅ! 大全ちゅ?!

 

 

*1:今なお現役で大活躍している松原秀典さん(『この世界の片隅に』『サクラ大戦』シリーズのキャラデ)、岸田隆宏さん(『lain』『まどか』のキャラデ)、菅沼栄治さん(『こどものじかん』『ましろ色シンフォニー』監督)、舛成孝二さん等が在籍したすごいスタジオ

*2:このEDは元々岸田隆宏さんがやる予定だったのだが、忙しさを理由に岸田さんが断ったところで舛成さんが仕事を横から取った感じらしい。

*3:『エルハ~』は’90年代的な異世界転生ものだけど、珍しく中東風の世界観であったり主人公の女装展開や百合もあったりで今でも新鮮に見れるかと思う。OVA第一期を見るのが良いかと思います。

*4:ただ、舛成さんの近年のEDアニメ仕事は作品本編のテイストに合わせたものが多く、あまりこういう感じではない。

*5:某同人誌で見れる。怒られたら消します。

*6:鈴木博文さんはEDアニメ以外にも『R.O.D』のOVAとか、舛成監督作にアニメーターとして参加することも多い。

*7:リスキー☆セフティ』同様、『ココロ図書館』も映像的に派手なことは何もやっていないんだけど、静かで温かみのある雰囲気を持ち、この時期のアニメにしてはあまり古びていないと思う。彩度の低い落ち着いた画面や、音響が主な理由だろうか。

*8:ここにではあまりそういった話はしてないですが、舛成さんと組んだ『フォトン』EDと、鈴木博文さんが単独で手掛けた『満月をさがして』EDなどを比較すると、CGと作画の組み合わせという面で影響も感じられる。

2017年下半期新旧映画ベスト10

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。今年はアニメの記事もちゃんと書く予定です。

2017年は3年ぶりくらいに映画見た本数が150本切りました。とはいえ五つ星映画で上映会もやったし、岩井俊二オールナイトで『スワロイテイル』『リリィ・シュシュ』も初めて劇場で見れたし、わりと満足度高い。というわけで、余計なこと言わずに下半期見た映画の新旧ベスト10を。

上半期は以下の通りです。

highland.hatenablog.com

 

〇『セルピコ』('73)

組織(警察機構)の中で理想を突き通そうとして疎外感を味わう男(刑事)のドラマで、題材はいかにも’70年代アメリカであるが、構成がよく出来てる。アルパチーノ扮する主人公の兵士が、銃弾を食らって病院に搬送されるシーンから始まり、回想で「どうして恨みを買うことになったのか」という過程を順に追っていく。ルメット監督作だが、ルメットの映画って余計なことしないから演出的には好きなんですよね。緊迫感が高まる対話シーンで、ルメットはごくシンプルなバストショットの切り返しを使うんだけど、切り返すことで緊張感が高まっていくという作りで、これがドキュメント感がある。

 

〇『フランケンウィニー』('12)

うーんこれは良かった。パペットアニメなのだけど、劇中の人物がパペットで作った映画を上映するところから始まり、つまりパペットを使ってパペットアニメを作ってる異化効果なシーンになっている。これがなんか凄くノスタルジックを掻き立てられて感動する。あと終わりの場面も画が好き。

 

〇『ベイビー・ドライバー』('17)

今年は新作の実写はあまり見なかったけど、これは見に行って満足感あった。とにかく省略、省略で不要なシーンを飛ばすやり方が上手い。あのターミネーターみたいな不死身の男とか、いちいち漫画的なキャラ造形が良い(エドガー・ライトなので)。

 

〇『エスター』('09)

ネタバレ厳禁ながらオチがわりと知られててミステリの文脈でよく紹介される映画なのかな。でもこれは凄く緻密に作られたスリラー。距離感の演出が絶妙だ。アニメ的に絵コンテに起こせる映画。

 

〇『心の指紋』('96)

ディア・ハンター』を撮ったマイケル・チミノの遺作。

凶悪犯で末期癌余命一ヶ月のアメリカインディアンの少年が、担当の白人エリート医者を人質に取ってナバホ族の聖地を目指す。その過程で心が通じ合うという、ロードムービー。という説明だけで分かるけどとにかく色々と属性詰め込んでていやいやこんなん泣くでしょって感じなのだが、チミノの演出はこのドラマに全力で説得力持たせようとしてて素晴らしい。あのオチを使ったのは英断だと思う。あとアリゾナの荒野がすごく美しく撮られてる。Netflixで見れる。

 

〇『裸の銃を持つ男』('88)

これはtwitterで誰かが感想呟いてて見ようと思ったのかな。大筋のストーリーは大したことないが、個々のシーンがめちゃくちゃ笑えるシチュエーションコメディ。無類の面白さのコント集だった。ピンマイク付けっぱなしだったせいでトイレに行ったときの音声が大音量で実況されるギャグが好きだった。Netflixで見れる。

 

『スクリーム』('96)

メタホラースリラー。ホラー映画マニアの高校生たちが、ホラー映画のお約束とかベタなネタを劇中で話すのだが、その「お約束」に準える形で猟奇殺人事件が行われていく。メタ映画なのだが、メタの水準が観客の「次の展開はこうなるんじゃないか」という期待と、映画の作劇との間に起こっているので、映画の展開と観客との間で駆け引きが起こっている。すこぶる面白かった。ホラーって本来すごく理知的なものだということが分かる。Netflixで見れる。

 

〇『トゥインクル・トゥインクル・キラー・カーン』('81)

エクソシスト』の原作者で有名なブラッティの、二本しかない映画監督作のうちの一つ。

ベトナム戦争PTSDで精神に異常を来した者たちが隔離されている精神病院に、軍医が派遣されてくるところから話が始まる。中盤までは観念的な議論や台詞も多いし、いかにも小説家の作った映画だなという気がするのだけど、後半の展開であっと言わされて最後には感動してしまった。個々の小さなエピソードが後半に活きてくる作劇って好きかもしれない。

 

『ある子供』('05)

ダルデンヌ兄弟の映画はこれまで4本ほど見てるけど、どれも傑作しかなくてどうなってるのかと思う。彼らの撮る映画は、イタリアのネオレアリズモ(市井の人々に焦点を当て、演出的な作為を廃したドキュメント感や不条理な筋書き)を現代的にやっているようなところがあるけど、これはストーリーも含め凄く『自転車泥棒』を彷彿とさせる映画。ひったくりのシーンが物凄かった。

若いカップルが子供を産んで、でも男の方が倫理観クソなので彼女に隠れて子供を売人に売っちゃうんだけど、彼女がめっちゃ怒ったので赤ちゃん取り返して来ましたみたいな話なので、人によっては胸糞だと思う。単純に話でいえば『サンドラの週末』の方が好き。

 

〇『アルカトラズからの脱出』('79)

これは本当にすごい緊迫感の脱獄映画で、傑作だった。これほどドラマも描写もしっかりしてる脱獄映画って他にほとんどないと思う。Netflixで見れる。

ドン・シーゲルって監督として何かやる気ない人なのかなってイメージが勝手にあって、というのも、『ダーティハリー』を監督したときにシーゲルがやる気なかったからイーストウッドが実際には半分以上のシーンを演出してて、実質的にイーストウッドとの共同監督みたいな状態だったらしい。それを聞いてたのであんまり良いイメージなかったのだけど、これとか『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』('56)とか見るとすごく緻密に作ってあるので、もっと他にも見なきゃなあと思いました。

という感じの10本でした。2017年は人から励ましを受けることもままあったし、2018年はもっと頑張りたいと思います。

 

あと「こみっく☆トレジャー312018年1月21日(日)というイベントで、漫画の同人誌を出せれば出す予定です。今から作業して間に合えばですが。また告知とかするかもしれませんが、よろしくお願いします。気が向いたら買ってください。

2017年上半期新旧映画ベスト10

 
あまり更新しないのも何なので、上半期に見た映画91タイトル(新作旧作含む)から良かったものを紹介。
 
アニメブログなので、アニメ関連の更新をするべきだろうけれど、ネタ的に書いたりするのに時間かかりそうなので。
 
それでは余計なことは言わずに、以下新旧からベスト10。
 
〇『4分間のピアニスト』('06)
こういう、ラスト数分のために全てがあるみたいな映画大好きなんですよね。
これもナメの構図とか動線の演出とか凄く良いですよ。
 
〇『ある戦慄』('67)
こういう、サイコパスが動機とかなしに暴れ回るみたいな映画大好きなんですよね。
白黒画面で明暗のはっきりしたパキッとした撮影で、密室空間のレイアウトに凝っていて見どころあり。
 
〇『バロン』('88)
テリー・ギリアム監督作で、『未来世紀ブラジル』と同じように夢と現実がごちゃごちゃに錯綜するトリッキーな映画なのだが、こちらは官僚主義ディストピア譚ではなく英国ファンタジーで、フィクションに耽溺することの喜びを純粋に感じさせてくれる……そんな名作になっている。フィクション=嘘の美しさを信じられる、という人はぜひ見てほしい。
 
〇『はなればなれに』('64)
タランティーノが好きで、自分の会社の名前に付けた(A Band Apart)というゴダール作品。パルプな犯罪小説を遊び心あふれるアレンジで映画化してある。この時代のフランスの若者の奔放さが良いし、ゴダールらしくナレーションが映画の内容に注釈つけてくるんだけどそれもヘンにうざったくなくて良い。
 
〇『告白』('10)
前半がほぼ完ぺきな映画。冒頭30分松たか子がずーっと長台詞で語り続けるんだけどこれがめちゃかっこいい。
全部で四部構成くらい(?)で、それぞれに視点人物を切り換えることで「実はこういうことでした」というのを段階的に明らかにし、興味を引っ張っていく。映像がすべて記号化されてペラペラなんだけどそれは今日的な感覚に上手くマッチしてるんじゃないかな(嫌いな映画ファンもいるみたいだけど私は普通に好きです)。中島哲也さんは(原作との距離の取り方って意味でも)最近のアニメ監督に近いスタンスで原作を映像化してるなと思う。
 
〇『独立愚連隊』('59)
日中戦争題材の和製アクション。この時期の日本映画なのでめちゃお金かかってるし、日本語中国語二ヶ国語で本格的。岡本喜八監督作なので映像的にスタイリッシュ。『日本のいちばん長い日』は長いし重たいので、こっちの方が圧倒的に入りやすいと思う。戦争を扱っててもどこかカラッとしたエンタメになってて洋画的に見れる。ラストもすごく西部劇ぽい。個人的には次作の『独立愚連隊西へ』よりも好きかな。
 
〇『ひつじのショーン~バック・トゥ・ザ・ホーム~』('15)
2015年のアカデミー長編アニメ賞を『インサイド・ヘッド』と競った作品。サイレントのパペットアニメだが、音楽も映像もめちゃくちゃ御洒落でびっくりした。
余談であるけど、フランスアニメ映画の『くまのアーネストおじさんとセレスティーヌ』('12)も凄く良いですよ。『ズートピア』を淡い画調の手描きアニメでやってる感じで。
 
暴走族からあぶれたアウトサイダーがスーパー右翼の政治結社に入るって筋だけでめちゃくちゃにぶっ飛んでますが……暴走族がわらわら集まっているさまを広角レンズで撮った画だけで面白すぎる。ツッパリのダミ声が耳に残る。ラスト最高。nemanocさんが「人がバイクになるから実質ウテナ」と評してたけど、これに関してはネタでなく本当にそうだなあ~って気がする。
 
〇『サムライ』('67)
アラン・ドロン主演、ジャン=ピエール・メルヴィル監督のフランス映画。恐ろしいほど’90年代頃の北野武映画に似ている。『その男、凶暴につき』とか。
 
〇『少年と自転車』('11)
ダルデンヌ兄弟の映画(若林信さんがお好きみたいですね)はこれが初めてだったが大傑作で、後輩の人と二人で「すげえすげえ」って言ってた。まあカンヌを獲るような作品なわけだけど。世の中にはこういうどうにもならない、ぞっとするような残酷なことがあって、また一方でこういう救いもある……というのを淡々と見せつけてくる感じ。
ダルデンヌ兄弟特有の演出法として、35mmレンズでドキュメンタリー風に撮影しており、会話シーンでもあまり切り返しを使わずに手持ちカメラで二人の顔を行ったり来たり追いかけて撮ってる。ダルデンヌ兄弟の映画はどれもそうだが、ドキュメント風の演出で、説明的な描写を全く入れないので最初のうちは誰が誰かも分からないのだけど、30分くらい見ていくとドラマの大筋がちゃんと必要十分に分かるようになっていて、まるで魔法のようだと思う。
 

山川吉樹『HELLS』(2008)

未見の人になるべく見てもらいたいので、ネタバレなし紹介

多くの人に見てもらおうと考えるなら本当はタイミングよくネタに乗っかってバズらせるとか、そういう手段があるのかなと思いますが(今の『けものフレンズ』みたいな)、自分はそういうのが上手くないしそういう広め方をするのも何かなと思うので普通に宣伝記事を書きます。

本当は初見のときに記事にすべきだったんですけどね。

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山川吉樹さんといえば、桜井弘明監督作品でのダバ絵作画に定評のあるアニメーターであり(斉木楠雄のエンディングも良かったですね)、近年では『キルミーベイベー』『リトバス』『ダンまち』…などJ.C.STAFFの職人監督としても知られていますが、そんな山川吉樹さんの初監督作がこの『HELLS』(旧題:『HELLS ANGELS』)であります。マッドハウス制作の劇場作品、しかも上映時間二時間近くの大作でありながら恐ろしく知られておらず、つい最近まで山川吉樹さんのウィキペディアページにも全く記載がなかったくらいです。

2008年に東京国際映画祭で上映されながら、2012年に配信開始・ソフト化がされるまで見る手段が一切なく、これが原因でマイナーになってしまったのかもしれないと思いますが、幸い今ではBDも比較的安価で買えるし、レンタルでもそこそこ見かける作品になっています。

『HELLS』は山川吉樹監督、ふでやすかずゆき脚本(この人は元はマッドハウスの撮影出身ですね)、中澤一登作画(アニメーション)という、マッドハウス出身の稀有な才能が合わさって生まれたアニメです。本当にざっくり言えば女子高生が突然トラック事故で地獄に転生して、そして……というお話。
野暮だと思うのであらすじなどについて細かく紹介はしませんが、今石洋之監督の『DEAD LEAVES』風に、極端に強調したパースやコマ割りなど漫画的な表現をこれでもかと投入し、中澤一登のフォルム重視の荒々しいタッチの作画(キレキレ)に、持てる手管をフル駆使してイメージを誇張する演出、間を投入せずつぎ込みまくった台詞と非常に観客に負担を強いる作品になっています。
ぶっちゃけ映画として見れば観客の生理に合わないまで詰め込んであるのでクズクズであると思うけれど、アニメーションとしては間違いなく面白いし支持します。仮にこれが100パーセント原作通りの映像化なのだとしても(自分は原作は未読)、やはりすごいアニメであると思う。

普通にシリアス展開をやっててもギャグになってしまうノリとかはふでやす脚本の味なのかなと思いますが(ミルキィホームズとか)、今回見返して『HELLS』に関してはどっちかというと山川吉樹監督の見せ方の方が要因として大きいなと思いました。演出の破壊的テンションがいっそ清々しいです。
あと中澤一登さんって金田伊功は通っていないと前から公言しているけれど、『HELLS』を見るとバリバリ金田チックな表現もありますね。やはり金田フォロワーの板野一郎さんの影響を受けてるだろうからむべなるかな、という感じではありますが。

なんかスタイルの話ばかりでストーリーについて全然触れていないですが、めちゃくちゃに荒削りながら非常に濃密な展開であるし(それでいて明快!)、声優さんの熱演も良いです。特に主人公:天鐘鈴音(りんね)を演じた福圓美里さんの演技は、『まどか☆マギカ』での悠木碧渾身の演技に比較さるべき好演であると真面目に思う次第です。

今石監督の作品にも非常に似通っているところがあって、GAINAXでいえば『エヴァ』と『キルラキル』と『グレンラガン』の諸要素を全部合わせたみたいな感じ。

この作品(『HELLS』)の基調をなすのはあくまでコメディであると思うけれど、どこか舞城王太郎の作風(『好き好き大好き超愛してる』など)を思わせるところもあったりする、そんな不思議なアニメ。

何か期待値を上げまくるようなことばっか言いまくっていて申し訳ないですが(自分は何だかんだ人を誘って見たりしているので、一人でDVDで見てめちゃくちゃに面白いかどうかは分からないし、多分そんなにはちゃめちゃに傑作というわけでもないので)、気になる方はまあ見てみてください。一見の価値があることは保証します。

ちなみに
本作をDVDやBD(または配信)で見るのであれば、途中で一時停止などという野暮なことはせず、ノンストップで最後まで視聴することを推奨します。それが、この作品が劇場アニメ作品として作られた理由の大きな一つでもあると思うので。

HELLS Blu-ray

HELLS Blu-ray

 

 (最近記事が滞っててすみません次の長文記事も書きます

2016年劇場で見たアニメ映画・映画レビュー

劇場で見たのは全27作品?以下は全レビュー。
他で書いた感想の引き写しも多め。
 
『ガールズ&パンツァー劇場版』
結局劇場で見たのは去年からの総計で8回だった。4DXは見なかったけど、堪能しました。

グリーン・インフェルノ
密林の鮮やかな緑に、真っ赤な肌と色彩がすさまじい。
元ネタのイタリア食人族映画が食人族と文明社会を直接重ね合わせる諷刺だとすれば、それにリスペクトを捧げつつ幾分ヒネった形でアレンジした作品だと思う。
『ホステル』もそうだがスプラッタ描写はきつい。生きたまま眼球を取られるとか。

ブリッジ・オブ・スパイ
スピルバーグ新作。
橋を渡ってくるソ連車の撮り方は「プライベートライアン」のティーガー戦車ぽいとか、トムハンクスの役柄は「キャッチミーイフユーキャン」とか、そして何よりドイツ側は「シンドラーのリスト」とか、境界の映画で「ターミナル」だとか、爆撃機は「1941」で、電車内のシーンは「マイノリティリポート」だとか、そういうのは思い出したけれど、そのどれでもなく全陣営にしっかりと目配せして描かれたドラマで、一人の市民であり英雄でもあるドノヴァンのお仕事映画でした。
 
『オデッセイ』
ここ数年のリドリースコットで一番良かった、という中澤一登さんの評に同意。
 
『同級生』
高校生のこの多感な時期特有の気だるさもあり気力もあり将来への不安もありの心理と交流を季節感になぞられ繊細な演出で描き出した傑作というべき。レモンソーダ。
まずシネスコの画面を自由に使ったレイアウトや漫画のコマ割りを再現したりしていて面白い。間を活かした静の部分も動の部分もすごい。
くすんだ色合いのグラデーション背景とそれに完全同化するタッチのアニメート、光と影、省略、季節感と、理想的なアニメ化。中村章子さんつながりで、カレカノの手法や君嘘OP2も思い出したり。
一時間を通じて二人の関係の進展を描く構成で、キスシーンは情緒的なものから肉感的なものまで多彩なのだけど(徐々に開放的なシチュエーションにも移行する)、どれもいちいち見せ方が素敵だった。高架下でのキスシーンでは流れる電車の音が心臓の鼓動と同期する!上品な見せ方で良かった。
終盤のバイク二人乗りするシチュエーションも運動を通じ関係を表しており好き。
 
デッドプール
どうやらデッドプール誕生編ということで、最初の1時間は生い立ちの描写だが、アクションと交互に進行させ、常に結論を先延ばしにすることでここは観客の興味を持続させる。最終的に主人公はいくら茶化しても自らの出自と正体に向き合わざるを得ない。終盤のアクションとかは数合わせの傭兵ばかりで画がスカスカになっていて第四の壁破りのギャグでようやく保っているという感じ。不死身の設定のデッドプールに対し生死のサスペンスは成立せず、いかに恋人の命を奪わずに助け出せるかということを焦点化するしかないが、そのサスペンスが足りてない。
そのせいかアクションが間延びして感じられてしまった。最初の登場の仕方とか(いきなりタクシーにいる)意外性があって良かったけど、アクションをやたらアップで展開するため全貌が分からず凄さも伝わらないというのはどうかと思う。あけすけ過ぎるとか、第四の壁破りとかはデッドプールのキャラ特性だろうので仕方ないといえば仕方ないかもだけど、作劇としてはグロテスクな域に達しているのではないか。
 
エクス・マキナ
アカデミー視覚効果賞受賞作。ミニマムなSFスリラー。
ガラス越しにチューリングテストに挑む主人公はそのままスクリーンを隔てて鑑賞する視聴者の立場でもあって、境界の曖昧さがスリラーとしての駆動力を加速する。「ブルーブック」(ウィトゲンシュタインの『青色本』)といったディテールからも監督・脚本家(ガーランド)の知識バックグラウンドは確かなものだけれど、アシモフ三原則は軽くすっ飛ばすあたりがSFとしてのキモで、AIの側に気持ちを託しているという意味で先進的。無感情に目標を遂行したエヴァがメアリーさながらに外部世界に出て何を体験するか?は観客の想像に委ねられている。
AI・ロボットを徹底的に外面的に見つめ、内面に踏み込まないアレンジが素晴しい。
 
ズートピア
これと同じテーマで、これ以上に完成度の高いものを現時点で作ることは不可能だろう、という意味で最良の作品。
最近のピクサー作品は「アナ雪」「ベイマックス」といい、「序盤10分をいかにスピーディに展開して主人公のバックグラウンドを説明し尽くすか」に囚われているような節があるけど、そういった意味でも冒頭から凄まじい情報量(セリフで言わずともプロダクションデザインで雄弁に世界設定を伝える)を処理していて、これはアニメだからこそできることだと思った。
 
アマデウス』(午前十時の映画祭)
10年ぶりくらいに再見。
映画だと思えば3時間は長いけど、オペラだと思えばそんなに長くないと思う。映画の構造としても、非常に分かりやすい。
好きな描写としては、
モーツァルトがオーストリア皇帝ヨーゼフ2世に「こういうオペラはどうか?」と進言して、その内容があまりにも常識はずれなので、宮廷の人らも戸惑って、それを見ている私たち映画の観客も「そんなオペラは無理なんじゃないか」と思わされるんだけど、その次のカットでは、もうそのオペラが完成し上演されていて、誰もがCM等で聞き覚えのあるモーツァルトのメロディーが流れてくる。
モーツァルトの曲が流れてきたときの説得力が凄まじく、「ああこの曲はそういう経緯で出来たのか!」と映画の観客も思わず納得させられてしまう。
 
「そんなの成立するわけないだろう……」からの「ああなるほど!」にシームレスにつながってしまう流れがすさまじく、私はこれを「即落ち2コマ編集」と呼ぶことにしました。
 
『貞子vs伽椰子』
こんな無茶な企画押し付けて「双方のシリーズにリスペクト払いつつ作って」と言う方が無理あるので、「じゃあバケモノとバケモノぶつけよう!」という即物的な筋立てを用意した白石監督の選択は全く正しい。
ジャンルムービーの監督が撮ったそれなりの佳作として、可もなく不可もなく、という感じ。
 
シン・ゴジラ
感想を書いた。

highland.hatenablog.com

 

ジャングル・ブック
アニメ×実写の3D立体視映画。
 
君の名は。

highland.hatenablog.com

highland.hatenablog.com

 『君の名は。』についてもう一つ思うことは、あのラストカットでタイトルが出るという処理について。

(思えばあのラストカットは、「カメラが下からグイッとパンしてタイトルロゴがドーン!」そのままだった!)
最後にあの風景を持ってくることで、タイトル回収も兼ねつつ、映画のラストカットとポスタービジュアルとが重なるようになっている。もちろん上手く作ってあるのだけれど、ちょっと作為的なものを感じさせて良くないと思う。
最後の到達点がああなるように、そこから逆算する形でそれまでの動きを設計して、狙ってやりました!感が強く出ていて、意地悪な言い方をすれば演出家のドヤ顔が透けて見えてしまう。最後にタイトルが出ることで、物語世界から現実に引き戻されるというところもあって。
 
そういう風に考えれば、『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』の最後で看板にタイトルロゴが出るのは、そういう効果を逆手に取った感じがあってやはり掟破りであるなあと思う。初見時は皆あそこで「やられた!」と感じるでしょうし、素晴らしいと思う。
 
傷物語 熱血篇』
「鉄血篇」が一本の映画として非常に良かったので、それと比較して何とも言えない感じ。三部作まとめて評価した方がいいかもしれない。
『鉄血篇』では血でもあり太陽でもある日章旗をはじめ木々、鳥、嬰児といったモチーフの重ね方にああ上手いと感嘆したところがあるけど、今作でもそのモチーフは引き続き使われる。
全体に前作よりレイアウトが弱いと感じたのは、羽川との一対一対話が多めになり使える手管が限られていたのも一因。遅延を使ったクロスカッティングが目立っていた。対ドラマツルギー戦は水表現が素晴らしかったけど、横構図が多いのが迫力に欠けてイマイチとおもう。グラウンドや河川敷での、雲や川を溶け込ませたカットとかは良かった。CGの異物感。
羽川のシーンは正面切って描いていたけれど、キスショット周りの方が芝居も秩序立っており演出は制御されているように見える。 『2001年』パロに重ねたみたいにスターゲートだったり。 時間の使い方はあまり映画的でないのだけど、三部作のつなぎにあたる二作目と考えるとこれで問題ないと思える。
 
planetarian~星の人~』
終末世界での、ロボットと天文の寓話。寓話というのがポイントで、適度に抽象化された「誰でもない」キャラクターによる作劇が、観客の共感を生む。
「雨の日のデパートのプラネタリウム」が出発点となったモチーフであり、雨や雪で遮られ空が閉ざされた世界で、それでも逆説的に描く希望と、継がれる思いのドラマ。そもそも星や星座という題材が、縦横に伝播する人の思いを紡ぐのに最適なモチーフなのだ。
それだけに、あの「見たかった/見せたかった」世界を映し出すエンディングは理屈抜きに感動をもたらすもので、あれだけで銀幕で見る価値を十分に持つ。
 
ただ、劇場アニメとしては作りが歪なところもあって、
web版の内容を回想として挟んでいるために(さすがにそこを完全新規カットとはいかない)、そこは説明の比重が増して若干重たくなっている。くわえて、あれだとweb版の結末(涙のとこ)と本編のラストシーンが時間的に近いので「やっとラストで思いが成就&伏線回収」のカタルシスが薄い。「扉が二つだったら俺は…」は観客も共感してしかるべきシーンなのに、ダイジェスト的な構成のために「報われた」感が足りない。
決して完璧なアニメ映画とは呼べるものではないけど、それを補ってあまりある良さはあると思う。
 
子供たちが自家製プラネタリウム見るシーンで、主観カットの演出入ったらもっと良かったかなとか、せっかく劇場アニメだからゆめみのプラネタリウム解説シーンも見せ場でもっとじっくり入ってたら良かったなとかは思った。
無機的な3DCGに長けておりかつ人間の柔らかい感じも出せる、david productionが制作スタジオで良かった。
こつえーさんの素朴なデザインを 『まぶらほ』みたくアニメナイズしてて、今のアニメデザインからすれば正直今日的にはそこまで洗練されてないように見えるけどその素朴さが逆にポンコツロボットぽくて良かったかも。
 
『生きる』(午前十時の映画祭、4kリマスター版)
再見。
ファーストショットが胃のレントゲン写真に、死期が近いというナレーション。カット変わって映る志村喬は仕事をしながら上着の懐から懐中時計を取り出して覗く。この取り出す時計には、ふところの胃がんと絡めて「制限時間」というニュアンスもあって、その限られた制限時間をも煩雑な作業で無駄にしている志村喬、ということを示すカットなのだと思う。
映画を通じて、志村喬は「対象物を見つめているようで、どこか焦点のずれた、虚空をじっと凝視しているような目つき」を繰り返す。これは死に直面した男が、虚空をみつめ、もっといえば自分の来るべき死を見つめている視線としてそのような演技が出てきたのだろう(公園を思うときに限り顔が綻ぶ)。目つきを通じて、前半と後半で急な変化をつけていないので、陳腐さを避けられていると感じた。
死に直面した男は、息子家族との繋がりに縋ったり、メフィストフェレスの小説家とともに気晴らしを訪ねたり、女との付き合いで慰めを求めたりするけれど、最終的に本分である仕事での自己実現に覚醒し、止まっていた生が始まる(誕生歌の祝福。音楽の対位法)。
ラストショットは、子供が遊ぶ公園からカメラがトラックショットで、橋上で見ている男を空をバックに追う。
彼が遺した公園は子供を通じて未来に繋がるもので、大半の官僚は変わらなかったけど、少なくとも役人一人に燻ぶる思いを植えつけることには成功した。そこに希望がある。
感動的なのは、主人公の課長は全くそんなことは考えなかったであろうということで、そもそも彼はとよとの会話を通じて、仕事に打ち込むその「活力」にあてられる形で、仕事を通じて何かを作ろうと思うようになる。それはつまり自分の満足のためにやっていること。
わが子同然のものとして公園を作るわけだけど、それは自分が社会と繋がりを得て自己実現するためにすることであって、いわばその副産物として、彼の姿勢に影響を受ける人が出てくる。
とよが志村喬との会話で「『子のために親が我慢して頑張ってきた』という理屈を子供に聞かせるのはずるい。子供がそう頼んだわけではないのに」と前半で話すところがあるけど、それは、親がやりたいことを我慢することは正しいことなのか?やりたいことをやることで、結果として良いこともあるのではないか?という問いを裏に含んでいると思う。
志村喬は、残された生の内5ヶ月を本当の意味で「生きる」ことになるけど、そこでの彼の観念的な意志ではなく、なにより外部から見た行動とその成果によって、人に影響を与えることになる。それが「生きる」ということの重要な側面ではないか、これはそういう話ではないか、と自分は受け取りました。
 
『聲の形』
人と話して、原作と比べても棘のある作品だ、という点で意見が一致。7巻分のストーリーでさすがにダイジェスト気味にはなっていたけど、破綻部分があったとしても特に気にならない。
本編とは関係ないけど、入場特典の漫画が素晴しかった。
 
『レッドタートル ある島の物語』
動き(モーション)の設計を通じてエモーションを作り出す、という好例。亀と人の動きが同期する、というそれだけのシーンで感動させられてしまった。
ラストの海、あれは宮崎駿でなくて出崎統のエモーションだなあ……と何となく思います。
 
ヒミズ』・『愛のむきだし』(旧作、二本立て)
共に傑作であると思います。園子温作品の中でも、とりわけ海外の評価が高いのがこの二作であるというのはとても納得できる。
 
七人の侍』(午前十時の映画祭、4kリマスター版)
上映時間が3時間半くらいなのでインターミッション(途中休憩)が入るのだが、休憩時間に外に出ていたら戻ってきたときに後半部分がすでに始まっているという、今となってはそこそこ稀少な経験をした。
 
『SCOOP!』
大根仁監督作。
下ネタをいいまくる福山雅治のキャラクターが良い。パパラッチの手口を開陳していくところも、題材の興味で引っ張る。のっぺりしたドローン撮影ショットは結構良かった。そういうわけで前半は良かったのだけれど、後半の展開は、もうちょっと上手くまとめられた気がする。
カメラとか写真を使った作劇、終盤は何となく『ポケ戦』を思い出した。
 
ファンタスティック・プラネット』・『ヤコペッティの大残酷』・『神々のたそがれ』(旧作、三本立て)
.『ファンタスティック・プラネット
フィルム上映だったか。再見。
フランスの有名ないわゆるカルトアニメ。ヒエロニムス・ボスの地獄絵図みたいな世界観であるが、SFとして見ても知性的な筋であるためもっと見られて欲しい。異形の怪物が闊歩し、人間が虫けら同然の存在となる世界観はそれだけでまさにSF的なもの。「人がまるでゴミのようだ!」っていうのはこれのことでしょう。
改めて見て思うのはダークな劇伴もそうだが音響の使い方がめちゃくちゃ良いということで、意外性ある音響を用いて未知の物体の質感を打ち出しているのがわかる。
 
2.ヤコペッティの大残酷』
邦題はタイトル詐欺で、スプラッタなシーンは全くない。
原題は"Mondo candido"、風刺小説であるヴォルテールの『カンディード』を、モンド映画仕立てにアレンジするという天才的な着想にもとづく劇映画。
古今東西の文明諷刺サンプリングとチープな映像がバカバカし過ぎて終始ずっと笑った。モンティパイソンのコントか。あれだけ逸脱しておきながら最後はちゃんと『カンディード』の筋に戻ってくるところが感動的。最後はじゃっかん寺山修司を感じさせるようなENDで、そういったバカバカしさ全てを肯定してしまえるようなところがある。大傑作。
 
3.『神々のたそがれ』
ほぼ中世騎士世界なのだけど、冒頭に異惑星が舞台であるというSF設定の説明が入り、あくまでSF映画である。ワンシーンワンショットの撮影で上映時間もひたすら長いため、いわゆる忍耐を要するタイプの映画だが、技術的なレベルは非常に高いと思う。
 
『モンパルナスの灯』(午前十時の映画祭)
『穴』というフランスの脱獄映画があり、 脱獄のために要する過程を 具体的な描写にもとづいてひたすら淡々と見せていく傑作なのですが、その『穴』を撮ったジャック・ベッケルの後期作品。
 
アメリカの俗物に従うような妥協を許さず、酒と苦悩で破滅に向かっていくモディリアーニを呪われた芸術家として描いており、「死んではじめて絵に価値が出る」とうそぶく画商の男がその側面を体現する。結構ゾッとする映画であった。
ジャック・ベッケルは視線劇の作り方が上手過ぎる。1シーン目から付き纏う男の不吉な影。ヒロインとの出会いのシーンも美術学校で相手のスケッチをすることで目が合って…という視線劇で作る。
向き合う二人を非対称の切り返しで撮り、あるいは広いフレーム内に視線を彷徨わせる。『穴』もそうだがラストショットは完全に見てはいけないものを見た気分にさせられ戦慄する。大傑作。
 
この世界の片隅に
細部を高めた上で、原作をほぼそのままにやっているのが素晴らしい。これはミニシアター配給だからこその面だと思う。
女性映画、日本映画の傑作であると同時に、アニメーションで映画を作るということに対し自覚的な作品でもある。
本作は手記のような形で綴られる、(完全には違うが)一人称視点からの映画である。
そこには自分で考え自分で勉強し、人生を主体的に選択していく女性の姿が描かれている。この映画が固有に持つ女性像だろう。
すずは不発弾で左手を失った際も脳内シミュレーションを行い過去の行動を反芻するし、戦艦青葉の名を教えてもらった記憶を持って生きる。そういった一つ一つのことが、彼女の人格の結果であり、また記憶として内面を構成する。
「絵を描く」という行為の主題化。全編にわたり戦艦まで全て絵筆の手描きタッチで、セルの密着スライドで動かすスタイルのアニメーション。反復されるカメラマップでの縦フォローショットも含め、いわば「絵」で世界を構築している。これが自覚的になされたアレンジでないはずがない。
人間は世界を「絵」として認識し、だからこそ戦争現実も体験として乗り越えていけるというかのような。そのようなアニメであると感じた。
 
今年見逃したもの
○『ゼーガペインADP』
○『きんいろモザイク pretty days』
○『艦これ 劇場版』
○『好きになるその瞬間を。~告白実行委員会~』
○『劇場版 探偵オペラ ミルキィホームズ 〜逆襲のミルキィホームズ〜
○『劇場版 マジェスティックプリンス-覚醒の遺伝子-』

なお『ガラスの花と壊す世界』『たまゆら』はBDで見た。良かったです。
 
総括
今年のアニメ映画ベストでいえば『同級生』『レッドタートル ある島の物語』『この世界の片隅にでしょうか。『君の名は。』『聲の形』も盛り上がりました。
映画の『planetarian~星の人~』もややいびつではあるけど、好きです。これを劇場で見れなかった鍵ファンは一生後悔するんじゃないかな~とか思います。
 
TVアニメにももちろん触れたいですが、このくらいで。
良いお年を。
シン・ゴジラ Blu-ray特別版3枚組
 

 

不滅のあなたへ(1) (講談社コミックス)

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