highland's diary

一年で12記事目標にします。

『12人の優しい日本人』(1991)

 

12人の優しい日本人』がGyaoで今月末31日まで見れる。

CMが頻繁に入ってウザいけどできれば是非見てもらいたので下手な文章ですが紹介文を書く。

12人の優しい日本人』はアメリカ映画『十二人の怒れる男』の日本翻案版として作られた同名舞台劇の映画化。

脚本は三谷幸喜。監督は『櫻の園』の中原俊。考えてみれば『櫻の園』もそのまま演劇の話であるし、劇中で流れる時間と視聴者の時間がほぼ同期している作品だ。

この映画を最初に見たのは10年以上前にたまたま見たのだけれど、それでも当時は感銘を受けたし、三谷幸喜ってすごい人だな〜という感じ。Gyaoで公開してたので久々にに見たけどやっぱり良かった。

ちなみに『十二人の怒れる男』は陪審員制度の話で、裁判の判決を巡る議論を交わし被告人が有罪か無罪かを判断する法廷劇。
シチュエーションを一室内に完全に限定した上の話になるので、空間と役者さえいれば撮れるたぐいのドラマである。『十二人の怒れる男』といえば低予算でも面白い映画が作れることの代名詞的存在だ。逆にいえば、密室の中で生じる議論のうねりそのものを劇化しなきゃいけないので、そこが演出家としては腕の見せどころとなる。繰り返し何度も映像化されているのはそれもあるのだろう。

この『十二人の怒れる男』の定型が優れているのは、ノー回想シーン・ノー再現シーンで、実際の法廷そのものは視聴者は見ておらず、もちろん実際の事件状況は分からない中でそれについて陪審員たちは議論を交わすわけで、あくまで真実は可塑的なもの、簡単に歪められてしまうとして存在せざるを得ない。あくまで真実は「藪の中」という『羅生門』的な世界観。

場当たり的な都合や情緒で事実関係が歪められ、オーラルな議論の中ですり抜けていく情報量そのものが緊迫感を生む。
最後にはもちろん有罪・無罪の判決が出るわけだけど、その結論の是非について容易な価値判断を差し挟むことは許されない。


では『12人の優しい日本人』はどうかというと、こちらもオリジナルの要素は大きく引き継いでいて、仕事で帰りたがる会社員がいたり、賢明な判断をくだす老人役がいたり、全体の展開も、トイレ休憩を挟んだり、細かいところでは部屋にファンが回ってたりするところまで、多くの要素を引き継いでいる。

異なるのは、『怒れる男』が大理石の荘厳な法廷に象徴されるような固い法廷劇であったのに対し、こちらはあくまで口当たりのいいコメディとして作られていることだ。老若男女12人は、当直が一人付いてるだけの安普請のボロい施設の密室で議論を交わす。 

そして、『優しい日本人』の翻案の優れている点は、この12人の人物像にある。オリジナルの『怒れる男』ではヘンリー・フォンダ演じる陪審員8号が、(いくら中立的なドラマとはいっても)道義的に正しい人物として特権化されて(贔屓されて)描かれているのに対し、『優しい日本人』ではそういった、明確に感情移入を許す頼り甲斐のある人物は排除されている。最初に全員一致の判決を覆すヘンリー・フォンダのポジションはいかにも独断に陥りやすそうな弱々しい男役者が演じているし(そしてそれが逆にオリジナルにないようなハラハラさを生んでいるが)、賢明な老人役も実質はただの頑固ジジイである。その点ではオリジナル版以上に中立的な目線もある。

加えて、アメリカ版になかった展開として、被害者への情緒的な同情や議論への付和雷同、なあなあの妥協によるとりあえずの折衷案、本音と建前の乖離、責任逃れ・無責任の体系......といった、議論に際しての日本人的な人物像が戯画化されて描かれている。

いわばそこでは、法学的な厳密なはどうでもよく、議論の進め方そのものが主題となる。『優しい日本人』は『怒れる男』の日本ローカライズ版として作られているが、カリカチュアライズされた人物像を自覚的に描くことで日本人そのものに関わる問題を前景化させてもいる。というか、日本人であれば多かれ少なかれ「あー議論の場でこういう感じのことする人居るよね」と思うところはあるはず。

もちろん豊川悦司演じるニヒルな弁護士が発言しだしてからの後半の議論のまとまり方はいかにもよくできたシチュエーションコメディらしいものであるし、ダイアローグの上手さも三谷幸喜独特のものである。そして、冒頭の出前をとるところから、もうそれぞれの人物の特徴を必要最低限の台詞で描出していく手際の良さもやはり感心する。だけれど、二転三転するこの前半部分だけでも十分に面白いものであると思う。

オリジナル版と比較すると、『12人の優しい日本人』は、当初の無罪判決を覆し有罪の嫌疑をかけるところから始まるのも面白い。『怒れる男』は当初の有罪判決を→無罪に覆す話なので、「被告人の少年を救う」という流れが一貫してあるのに対し、『優しい日本人』はたとえ判決が変わったとしても無罪が有罪になることになり、それは本意ではない。彼らはいわば議論のために議論をしている。

「演劇は関係性の芸術」という言葉が思い出される。12人の議論のテンポがピアノ音のようにアンサンブルを奏で、投票の割れにより人物は幾何学的な配置を描く。舞台的な誇張の利いた演技により流動的なうねりが生じ、予想外ながら必然性をも感じさせる結論が導き出される。この映画はあくまで舞台の映画化だけれど、フレーミングが上手いので、舞台を見ているような感覚と映画的な部分を上手く両立させている。

 

 演劇版の『12人の優しい日本人』は見たことがないけど、三谷幸喜は映画より演劇の方が面白いらしいとも聞いているので気にはなる。あと有頂天ホテルラヂオの時間も勧められたのでまた見ますかね~。

 

12人の優しい日本人【HDリマスター版】 [DVD]

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藪の中 (講談社文庫)

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『ガールズ&パンツァー 劇場版』関連映画一覧など

 個人メモ、把握している範囲で。なお自分は軍オタでも戦争映画マニアでもありません、一応。案外長くなってしまった。

 

【第二次大戦の戦争映画】

  •  『1941』('79年米) 

 ウサギさんチーム澤梓による「ミフネ作戦、行きます!」のコール!

 スピルバーグといえば、これ以後もいくつも戦争映画大作を撮っていますが、記念すべき第一作目はこのタイトル。『JAWS』のセルフパロディから始まり、「太平洋戦前夜でもハリウッドは好き勝手やってました」というようなバカ騒ぎ映画で、人死にはありませんが、それでもドイツ軍人だけはしっかり始末してるとこがスピルバーグらしいです。水島監督は、以前からこの映画好きだったぽいですが。

 ミニチュア特撮の「見立て」に失敗しているという理由から、岡田斗司夫は自著でこの映画を「失敗作」と書いています。戦闘機の特撮シーンは確かに同じ構図の繰り返しでやや飽きますが、インディ・ジョーンズ的な追いかけっこなど全体にわたってドタバタで楽しい映画です。

『1941』で三船敏郎は二発大砲を撃って観覧車を回転軸から外していましたが、砲口が二つあるM3中戦車ならば一回の発射で外せる、加えて観覧車を転がすことで単に観覧車破壊だけでなく撹乱作戦になる……、というような理屈から楽しくアレンジしたと思われます。

パリ・ダカール・ラリーを題材にしたフランスのアクションコメディ(というよりギャグ映画)『ル・ブレ』('02)にも、観覧車が軸から外れて転がり(CG)、その脇でカー・チェイスをするというアクションがありますが、この映画では「転がった観覧車が横倒しになりその隙間に挟まれた人間が生き残る」というのがあります。僕は『ガルパン 劇場版』初見のときに「戦車が横倒しになるのを活かすアクションがあったら良いな」と思ったのですが、『ル・ブレ』ではそういうのをやってます。

 

戦略大作戦(Blu-ray Disc)

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 「リパブリック讃歌」をかき鳴らしながらオッドボール軍曹(ドナルド・サザーランド)がシャーマン戦車で駆けつけてくれる!お馴染みの戦車映画で、市街地で戦車で殴り込みをかけ、気持ち良いくらいに破壊しまくる。キャラクターの濃さとサスペンス描写。B級戦争戦争映画でこれ以上にそれぞれのキャラクターが立ってるものはないでしょう。

まんま当時のヒッピーみたいなオッドボール軍曹はじめ、全体的にだらしないならず者部隊という感じの面々を、イーストウッド一人がいい感じに締めていると思います。

同監督、同じくイーストウッドがメインで出演のナチ潜入モノ、荒鷲の要塞』('68米)と組み合わせて見るのが良いでしょうかね。『荒鷲の要塞』はアクションの物量も随一で『戦略~』に引けを取らないし、寡黙な職業軍人が粛々と任務を遂行し敵を葬り去る、ジリジリするような鍔迫り合いのサスペンスが楽しめます。『ガルパン』劇場版のBGM「無双です!」は『荒鷲~』のテーマとフレーズやアレンジが似通ってるところがありますね。

荒鷲の要塞(Blu-ray Disc)

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バルジ大作戦 特別版 [DVD]

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 ウサギさんチームの「WW2戦車モノ」その1。劇場版パンフレットにポスターのイメージがパロされた。パンツァー・リートがフルで使われる。

戦車戦は数が多く見応えあります。時代ということもありブルーバック合成や特撮を使ってるとこが多いのが今見るときついかな、とも思いますが、雪中での戦いが良いです。ただあまりお勧めはしません。

 

 ウサギさんチームの「WW2戦車モノ」その2。TV版では「玲萬言橋」でも言及。

最近亡くなったジョン・ギラーミン監督の代表作。

キャラクターはやや薄いながら爆破アクションは多く、戦車がスピーディに走り回ったり、市街地を蹂躙したり。黄金伝説のスコア、微妙に合ってないと思うのは私だけですかね。

 

鬼戦車T-34 ニューマスター [DVD]

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 ウサギさんチームの「WW2戦車モノ」その3。

ドイツ軍の捕虜にされたロシア兵が戦車T-34で脱走する映画で、人情ドラマ。

T-34は最大速度:50km、連続航続距離:300kmと非常に機動力が高いらしく、それを存分に活かし戦車が花畑、原野、市街地、と軽快に疾走します。

狙いとしては、ソ連のプロパガンダの意図が明確に透けて見えるのが難点ですが、ソ連映画的なモンタージュ・シークエンスも、戦車アクションも凝っており結構見応えがあります。キューポラがシュコっと開いて顔をだすとかディテールもいいし、また、戦車という陸戦兵器と、ロシアの自然、国民、地理的風土との奇妙な結びつきも感じられる。あとは「カチューシャ」も。

T-34が暴れ回る映画といえば『戦争のはわらた』('77年英・西独)も、戦車シーン・塹壕戦の戦闘描写が凄まじいので未見の人は是非見て欲しいです。

 

 ウサギさんチームの「WW2戦車モノ」その4。蛸壺屋の『ゆきゆきて戦車道』でも大胆にパロディ対象にされました。

原題は"Patton"で、そのままアメリカのパットン将軍の伝記映画。海外ではむしろ歴史映画、伝記映画の大作として評価が高いです。『大戦車軍団』というB級っぽい野蛮な邦題が付けられてますがアカデミー作品賞も獲ってるA級作品。

アメリカのパットン将軍、イギリスのモンゴメリー将軍、ドイツのロンメル将軍を三つの軸として描いています。破天荒に振る舞い、常に歴史・戦争と共に生きた、パットン将軍という人のキャラクター、生き様の話。戦車戦も、アフリカ戦線の戦いとか大規模で見応えあります。

脚本を書いているのが地獄の黙示録』('79米)フランシス・フォード・コッポラですが、「時代の波に追われ地位や居場所が失われゆく者への目線」という意味では、『ゴッドファーザー』などとも通底するものがあるな、という感じです。

 

 TV版では、4話で言及。吉田玲子氏もインタビューで言及。

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イギリスのモントゴメリー将軍(本人は出ません)考案のマーケット・ガーデン作戦の映画で、多数の兵力を投じ、ドイツ側より優勢だったにもかからわず計算外の要因等により失敗に終わった作戦の顛末を描いています。

映画としては、望遠で戦車・装甲車両がワーッと一杯並んでるような画が多いですが、橋の上での攻防や、対戦車砲との戦いが見応えあります。ただ、この映画単品で見ても戦局の推移とかはかなり分かりにくいです。資料を参照するといいかも。

↓ちなみに、日本での映画公開後まもなくのころ雑誌「PANZER」('77年10月号)でもマーケット・ガーデン作戦の戦史ドキュメントが載ってました。

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 米・英(・仏)独それぞれの視点から、連合軍によるノルマンディー上陸作戦の全貌を扱った、ドキュメント映画。『ガルパン 劇場版』では特報でのパロディを始め、プロモーション等で言及がありました。吉田玲子氏も言及。

ヴェルレーヌの詩の電報の元ネタにあたる話が出てきます。あとは大洗海岸オマハ・ビーチ。戦車は、少しですが、チャーチル戦車やシャーマンが出てます。

典型的なアメリカの戦争映画大作といった感じですが、戦闘シーンは大規模な空撮ショットと、動員された人員の多さが見所。あとは予告でも使われてるカジノ爆破(劇場版でのKV-2のホテル撃破が似てる)など。

戦場でイギリス兵がバグパイプ吹いてたりとかも興味深いです。

 

  • 『フューリー』('14年米)

 一応ガルパンとコラボしてます。タイガー戦車の実車が出て、中盤にはシャーマン戦車との戦闘もあるという触れ込みです。

いわゆる戦車アクションとしてのケレン味やカタルシスは注意深く排除された、正統派の戦争映画です。通過儀礼を経て、新兵が戦争軍人としての振る舞いを身をつけていき、最後にはそこから離れざるを得なくなりますが、その刻印は消えないでしょう、といった。

いわゆる「家」としての戦車がコンセプトで、そのため戦車内の描写に凝っています。

 

  • 『ヨーロッパの解放』('70-'71年ソ)

 ガルパンとコラボしてHDリマスター版が発売された、ソ連映画の連作。 独ソ戦を戦局ごとに扱った再現ドラマで、総上映時間は7時間超。国家プロジェクトとして製作された大規模なプロパガンダ。戦争映画としてはボンダルチュクの『戦争と平和』('66-'67年ソ)とかと比べそれほど評価は高くないです。

監督のユーリー・オーゼロフは同じく連作『モスクワ大攻防戦』('85年ソ)も手がけている。
 
アンツィオ大作戦 [DVD]

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 OVA版のパンフレットでオマージュされたこれも一応関連あるといえばありますが、ロバート・ミッチャム演じる従軍記者が主人公の映画。ローマ解放を描いた映画は他にもある。

 

地獄のバスターズ〈デジタル・リマスター版〉 [DVD]

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 これはガルパン一番くじの何かの版権を見て思い出しましたが、イタリアの「マカロニ・コンバット」モノの代表的な一作で、特攻大作戦』('67年米)的に、脱走捕虜を訓練してナチスの本部に潜入し、V2ロケット運搬中の列車を襲撃するというB級アクション映画。『イングロリアス・バスターズ』でまた注目されました。

↓『地獄のバスターズ』アメリカ公開時のポスター。

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機関銃乱射されてバッタバッタとドイツ兵が血を流さず倒れていく感じはB級らしいノリですが、職業軍人としての男同士の結びつきの群像劇で、列車周辺のアクションも熱いです。

戦車は全然出ないですが、元祖の方の特攻大作戦も癖強い役者と演出で面白いですよ!

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余談として、「マカロニ・コンバット」モノの『砂漠の戦場 エル・アラメン』('69年伊)には、エル・アラメインの戦いで実際に使われたセモベンテ自走砲などイタリア戦車が登場しているらしいですが、未見。リー・ヴァン・クリーフ主演の『地獄の戦場コマンドス』('68年西独・伊・仏)とか、体張ってて面白そうなんですけどね。

 

  • 『サハラ戦車隊』('43年米)
サハラ戦車隊 [DVD]

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 M3中戦車リー映画で、広大なサハラ砂漠を戦車一台で走り続ける。

戦時中に作られたアメリカ映画で、『1941』が名前をとっているルル・ベル号が出てきます。ルル・ベル号の戦車長を演じているのはハンフリー・ボガートですが、自戦車を愛馬のように扱い話しかけます。戦車での戦闘シーンはほぼないですが、アメリカ兵、イタリア兵、ドイツ兵それぞれの思惑が交差するドラマになっています。

 

ウィンター・ウォー ~厳寒の攻防戦~ [DVD]

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  対ロシアの冬戦争を扱った代表的なフィンランド映画。

 

 ↑の 冬戦争の継続としての「継続戦争」の、タリ=イハンタラの戦いを扱ったフィンランド映画の近作。海外版BDが入手可能。戦車はKV-1や三突、T-34が出る。

戦史好きな人の中では、フィンランドは結構定番らしいですが、どういう経路から入るんだろう…。

 

  • 『ホワイトタイガー ナチス極秘戦車・宿命の砲火』('12年露)
ホワイトタイガー ナチス極秘戦車・宿命の砲火 [DVD]

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 『ガルパン』TVシリーズと同年にロシアで制作された、ドイツのタイガー戦車VSソ連戦車のアクション映画。Ⅳ号戦車等も出る(らしい)。未見。

 

  • 『大脱走』('63年米)

 「大脱走マーチ」そして、メインタイトルシーンとの関連もありますが、(実話ベースながら)多彩な濃いキャラクター、サスペンス感ある駆け引き、爽快なアクションと、'60年代戦争娯楽映画の王道。

ガルパンが意識しているらしい「戦争というシチュエーションを借り、極限状況で頑張る人たちを描く」娯楽映画という意味では、これとかナバロンの要塞』('61)とか『特攻大作戦』とかですね。

 

  • 『肉弾戦車隊』('59年米)
世界の戦争映画名作シリーズ 肉弾戦車隊 [DVD]

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 原題"The Tanks Are Coming". ジークフリート=ラインの戦いを題材にしており、こちらは『サハラ戦車隊』と異なり対戦車戦が複数あり、パーシング等アメリカ戦車も多く登場し、面白い挙動をします。こちらでも見れます

 

プライベート・ライアン [Blu-ray]

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 オマハ・ビーチの戦いでの、耳元を掠める銃弾など3D音響の使い方や、細かいカット割りによる主観的な戦場の表現が革新的だった『プライベート・ライアン』。『ボトムズ』ほかアニメ作品でも多く参照されており、全アニメ・映画ファン必見。音響的に指標になった(by岩浪音響監督)。

 

  • 『バンド・オブ・ブラザーズ』('01年米・英)

 ポスタービジュアルがオマージュされる。英米共同制作のドラマシリーズ。このシリーズのドキュメント風描写を意識した(by鈴木氏)。

 

  • 『西住戦車長傳』('39年日)

軍神として知られた西住小次郎大尉(みほのモデルですね)を題材にした菊池寛の小説の映画化で、八九式中戦車など実車が数多く登場しているようです。これに収録されてるようです。単品でのDVD発売やリバイバル上映が待たれます。

 

日活100周年邦画クラシック GREAT20 ビルマの竪琴 HDリマスター版 [DVD]

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 「埴生の宿」(「HOME!SWEET HOME!」)が使われてる往年の名作。これも水島監督のお気に入りでしょうか? '85年にカラー&キャストリニューアルでリメイクされてますが、どちらがより有名でしょうかね。これは白黒の方が良いんですが。

 

  • 『ソドムの市』('75年英・仏)

 広義の意味での戦争映画、風紀委員の名前の由来となる(皮肉?)。「劇場版にオマージュシーンあり」とのこと(by鈴木氏)。すごく上品に撮ったエグいモンド映画という感じなので、一般ファンにはあまり勧められません。

 

【第二次大戦以外の戦争映画】

レバノン [DVD]

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 戦車とひまわりとの取り合わせ。

レバノン内戦を扱った映画で、センチュリオン戦車の内部からの兵士の視点で物語が進行する。

以前、萌えミリを否定しておられる某アニメブロガーの人が、「『ガルパン』を見るくらいなら『レバノン』も同時に見ろ!」というような趣旨のことを書いていたのが忘れられない。

同じくレバノン内戦を扱ったイスラエルのアニメ映画戦場でワルツを』('08年)は、アリ・フォルマン監督自身によるインタビュー&回想形式で戦争体験が綴られる。こちらも特殊なタッチのアニメーションだが市街地で戦車が描写されている。

 

二百三高地 [Blu-ray]

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 この映画である必要性はありませんが、日露戦争内の「203高地の戦い」を描いたエピックな再現ドラマ。お金のかかってる時代の日本映画という感じで、高地での対要塞砲の戦い、突撃し無力に命を落としていく新兵たち、泥沼の戦場が余すところなく再現されています。長い。Amazonプライムでも見れる。

監督は『トラ!トラ!トラ!』('70日・米)山本五十六周辺のパート等にも参加し、太平洋戦争映画もいくつか手がけている舛田利雄で、わりと骨太な演出。

 

これも広義の意味での戦争映画。「雪の進軍」。

 

西部戦線異状なし [DVD] FRT-003

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  第一次大戦の代表的な反戦映画。「蝶に気を取られていて→撃たれる」の流れがこの映画の有名なラストシーン(塹壕)と同じ、ということなんですが、これはそう指摘するのは野暮だという感じも。ダイソーとかでDVD見かけたら買っていいと思います。

仮にそういうネタだったとしても映画ネタというよりは歴史ネタの部類な気がする。

 

【戦争映画以外の映画】

 "Säkkijärven polkka"は実際に継続戦争中に地雷解除のため周波数を合わせて使われたとのことですが(もちろんそれは初めて知りましたが)、アキ・カウリスマキ監督のこの映画の主題歌でもあります。


"Leningrad Cowboys Go America" by Aki Kaurismäki

 グラサンとリーゼントがトレードマークのロックバンド「レニングラードカウボーイズ」が主人公の音楽&ロード・ムービーですが、北野武のギャグ映画みたいなシュールで不思議なトーンの映画で、色々なアイディアがあり楽しめます。

続編のレニングラードカウボーイズ、モーゼに会う』(’94年)も含め、「ポーリュシカ・ポーレ」や「カチューシャ」などロシア民謡の演奏シーンも多く、焚き火を囲んでのコサックダンス(?)も見れます。二作ともに、悲哀をコメディタッチで見せるユーモアがある。未見の人には勧めたい。

 

プロジェクトA [Blu-ray]

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 ジャッキー・チェン映画の、定番。終盤にかけてどんどんテンポを増し畳み掛けるようにカットを重ねるということで、水島監督が制作時に言及したとのこと。

加えて「いすゞジェミニ 街の遊撃手」のCMですね。これはyoutubeとかで検索してみてください。

 

  • 『Mad Max: Fury Road』('15年豪)

 岩浪音響監督が盛んに口にする『マッドマックス』四作目。

『Fury Road』の公開時期的に、『ガルパン 劇場版』と関係があるとすれば音響などポスプロ段階に限られるかな?と思いますが、『マッドマックス』トリロジー('79-'85)は関係あるかも、水島監督アクションでの「オプティカルフロー」を感じさせるような画作りとかは、こういったところに由来するのかもしれない。

カーアクションでは、車がジャンプで川越えするアクションのあるということで、トランザム7000』('77年米)が『ガルパンFebri』エンサイクロペディアで言及される。

 

 『1941』と同じくダン・エイクロイドジョン・ベルーシ主演の奔放なミュージカル・コメディで、カー・チェイスもあり。水島監督はこの映画、お好きそうですが。

ガルパンのBGMでいうと「M4シャーマン中戦車 A GO! GO!」な感じですね。エルヴィス・プレスリーのイメージらしいですけど。

孤児院廃止を阻止するために義援金集める話なんですが、だんだん状況が悪化していく脚本と、歯止めが利かなくなるスラップスティックが見所。

 

  • 『素晴らしきヒコーキ野郎』('65年英)

 『史上最大の作戦』のややコメディ的な部分のある英・仏パートや、『バルジ大作戦』を監督したケン・アナキンによる監督作。

フランス人、ドイツ人、イギリス人、イタリア人、日本人がそれぞれ参加し飛行機レースするコメディ映画。

 

 原恵一監督作で、水島努は絵コンテ・演出で参加。今見ると、いい時代だなあという感じです。

これには自衛隊の戦車(スピーカー付き)や戦闘車両が多く登場し、芝生地で巨大ロボに対抗します。

水島監督が「映画」として新しく『ガールズ&パンツァー 劇場版』を制作するにあたっては、過去に監督もしくは演出として参加した、『クレヨンしんちゃん』劇場版のような活劇がプロトタイプとしてあるように思う。

この作品はアニメで特撮的なスケール・重量感を再現しているのが見所で、個人的には『地球防衛軍』のモゲラっぽいどっしりしたデザインのYUZAMEロボがわりと気に入っています。

  • クレしんパラダイス! メイド・イン・埼玉』('99)

『爆発!温泉わくわく大決戦』と同時上映の短編で、水島監督のアニメ初監督作(映画監督としても)。カオス。

 

 『クレしん』劇場版シリーズの、原恵一からの交代第一弾で、デジタル初移行ということもあり、当時はわりと批判も多かったはず。遊園地での大規模なアクションがある。ジェットコースター!

全体としては水島監督のギャグ・パロディ作家としての才能が炸裂した作品で、テーマらしきものは勿論ありますが、次々とフェイズを切り替えていく漫画映画的構成で、統一感は薄く、いい感じに理屈がなくて、笑えます。

また、多彩なリアリティ・ラインを行き来し、身体感覚に訴えかけてくるようなところがあると思います。

 

 水島監督による『クレしん』映画第二弾で 西部劇をモチーフにしたループ作品であり、メタ映画。水島監督にとって映画とはこういうものであろうか、とも考えられます。

そういえば、『ヘンダーランド』 のス・ノーマン的な巨大雪だるまも劇場版に出てましたよね。

 

  • 『戦艦バウンティ号の叛乱』('35年米)
  • 戦艦ポチョムキン』('25年ソ)
  • 『ケイン号の叛乱』('54年米)

 歴女チームが言及した、艦船で反乱を起こす系の映画繋がり(おそらく)の三作。小ネタ集。映画としては記念碑的作品『ポチョムキン』を見とけば、良いですかね…。クレイマーの『ケイン号』もメインタイトルとかかっこいいですけどね。

 

  • 『荒野の七人』('60年米)

 『七人の侍』翻案のアメリカのスター集結の西部劇。『夕陽のカスカベボーイズ』の元ネタの一つにもなっている。「黄金伝説」『大脱走』と同じくエルマー・バーンスタインの手がけたこの映画のメインテーマが劇場版でオマージュされた(?)ようです。

 

  • 『夕陽のガンマン』('65年伊) 

 マカロニ・ウエスタンというところだと、代表的なレオーネ&イーストウッド映画で、決闘シーンも白眉。『夕陽のカスカベボーイズ』で意識されてる西部劇の一つでもあります(おそらく)。

遊園地のウエスタンランド(?)のところでは、この映画のモリコーネのスコアっぽいBGMが使われていたような…。水島監督もそういうのお好きそうで。なお『戦略大作戦』の西部劇っぽいシーンのパロディ元になっていたのは 『続・夕陽のガンマン』('66年伊)ですね

 
<参照>

数々の名戦車映画へのオマージュと戦車愛が炸裂! 戦車が戦車として戦う魅力に溢れた『ガルパン』

アニメ音楽丸かじり(170)水島努監督の巧みな音楽用法が光る『ガールズ&パンツァー』劇場版サントラ | WEBアニメスタイル

(BGMの「Home!Sweet Home!」はビルマの竪琴からだろうけど、木下恵介監督版二十四の瞳』('54年)でも少し使われてるので、シチュエーション的にそれもあるかもしれないと思う。原恵一『はじまりのみち』('14)繋がりもあるし)

まあこういう推測とかは、後々コメンタリーとか色々なメディアで明かされたり明かされなかったりするでしょうからね。

 

自分からは以上です!

ガールズ&パンツァー 劇場版 オリジナルサウンドトラック

ガールズ&パンツァー 劇場版 オリジナルサウンドトラック

 

 

いまだ語り尽くせぬアニメ『ガールズ&パンツァー 劇場版』

※『ガールズ&パンツァー 劇場版』を見ていない、あるいは楽しめなかったという方にはおそらく毒にも薬にもならない記事です。あとネタバレです。

 

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【感想】(10000字超え)

『ガールズ&パンツァー 劇場版』は水島努監督の過去のTV作品に何となく思いを馳せながら去年12月に観に行ったのですが、「いままで見たことのないような映画で、アニメだ!」と思い、それ以来劇場で何度も見てしまった。 

久々に、半々くらいの比率で「理解したい」という欲求「体験したい」という欲求を同時に掻き立てられるアニメだったというのが大きいと思う。劇中のミカの台詞にすっかり騙されたように何かを見出そうとしていたのかもしれない。

 ソフトが早く出れば買って見たいなと思うのですが、ソフトで見るとまた違った見方をするだろうから、体験としては変質してしまうかもしれない。

だから、劇場で見た際のとりあえずの感想を、メモ代わりに残しておこうと思います。 

 

▼映画の体験性としては、やはり音の印象だ。正に『プライベート・ライアン』を昇華したのかな、とも思わせるような耳元をヒュンッっと掠め空気を揺るがす砲弾の音響に、戦車によっては厚い装甲を感じさせる鈍い衝突音や、跳弾音

戦車戦では、俯瞰、アオリと多彩なアングルを駆使しカメラは戦況を間断なく捉え続け、スコアで展開を主導しフェイズを次から次へと切り替え続ける。

選抜戦では特にロケーションをふんだんに活かしアイディアを投入しまくり、遊園地と3Dレイアウト=箱庭感で、3DCGで構築した空間で箱庭っぽい遊び場で、ミニチュア戦車を走らせ回るような可愛らしさもどこかしらあり、それに全体にわたりごっこ遊びの文脈で小ネタが昇華されてるところ(台詞でもアクションでも)が面白いと感じた。

(そもそも戦車道自体が特殊コーティングとかそういうお約束で担保されて成り立っている世界であるから、箱庭的な遊び場をシチュエーションにするということ自体が心なしか批評性を持って感じられるところもある)

また、それと同時にキャラクターの成長を最も気持ちのいい演出で見せてくれるところがよく、記号的なキャラでありながら天丼ネタを上手く処理している。風紀委員の挫折を経ての再生や、カチューシャが他チームと入り乱れ共同作戦を組むといった描写がそれにあたるだろう。それらを通じては、組織論的に色々と面白いことも言えると思う。たとえば、チームプレイでいかにして自己のポテンシャルを発揮するか、といったようなことや、信頼できる人員をどう使うかといったことだけど。

良い演技を一杯入れよう、アクションはリアリティを底上げしよう 、というところからは映画としての佇まいが感じられ、キャラクター性に寄ったギャグの 積み重ねで気分を上げるファンムービーでもあった(しかし、歴女チームは見事にほぼ歴史の話しかしていない)。

天丼ネタの一つには、狂言回し役で出てくる継続高校の子たち(彼女らだけ後半に中継をTV画面を通して見ている)の戦車道への言及があり、映画全体がそれに挟まれオチがつく形になっている。

エンディングの最後では、中盤の「去っていく学園艦→西住みほの悲しげな顔」と重なるように、「西住みほの綻ぶ顔→水平線に見えてくる学園艦」が映される。当初の目的であった日常の回復の完遂が示唆されると同時に潔く幕切れとなり、終わり方は丁度これでいいと思えるものだった。

 

▼大まかな視聴体験としてはそのようなものだったけど、客観的に眺めてみて、

すぐに思うのは、『ガルパン』の劇場版は、TV版の続きであるだけでなく、実質的にはそのリメイクとして作られているということだ。

廃校を阻止するための試合という(主にプラウダ戦以後の黒森峰戦だが)展開をもう一度やり、西住母との関係だって仄めかしはするもののそれ自体で完全に和解までは行かない。

また、重戦車マウス撃退の再演や、チハ戦車とポルシェティーガーとで英国戦車追い詰めるところなど、TV版を見ている人であればすぐに想起するよう、それ自体への言及も数多くなされるし、そもそも最終二話の対黒森峰戦のアイディアの多くは劇場版でも使われ、選抜戦のプロトタイプになっていることも分かる。

しかし、「リメイクだ」ということ自体ではそれは「AとBは同じ」と言っているに等しく、内容については何も語っていない。

問題となるのは、メインの筋としては「廃校の決定を阻止するため勝負に出る」という同じ展開であることを観客は当然察するだろうということで、こういった方面については観客からの批判も当然考えられるだろう。第一「3分でわかる~」で、TV版が大洗を廃校の危機から救う話だったことが明言されているし、その点で「同じ展開である」ことは観客は容易に察せられるはずだ。

劇中でも、『劇場版』での廃校絡みの展開の前提とかは、もっと観客に違和感を抱かせないよう巧妙にもできたはずだろうけど、逆に、あえて明快な構図にして明示的に描いて見せている。そしてむしろ戦車戦の展開や個々の関係に注目させよう、といった気概を感じさせるのだ。

「廃校阻止のため試合勝利を目指す」というそれ自体が、一致団結展開のためのエクスキューズであって、「その前提を共有させた上で盛り上げる」というくらいであることを隠そうともしていないくらいで、ここまで踏み切った展開にできること自体が強みだ。

つまり、表現それ自体への注力があるのであればメインの筋は、共感できるよう一つの軸に絞った方が良い。そのためにあえてそれまでの雛形を用いてより強固な形で再現する。

「ストーリー自体は非常にシンプルながら、ドラマのディティール描写に力を込める

映画として作られており、また、そこにこの映画の成功はある。

その意味で、岩波音響監督が盛んに言及する『マッドマックス4』が、直線運動のみという単純なシチュエーションと対立構図に絞り多くのドラマをそこに投入したのとは確かに近いものがある。

 

▼この映画は描写として、静の部分動の部分も作りこまれており、記号的ではあるにしてもキャラの息づく存在感が確かにある。西住みほが久々に実家帰りして入った部屋は陽光の差し込む中でホコリがさり気ない形で舞っており、そこから流れるように過去の回想にも誘われる。

セリフがない、というようなシーンの殆ど無いこの活劇において、鮮やかに描かれるこの回想はきわめて強い形で印象づけられる。

アクション自体ももちろんこの映画の主要な要素を占め、世界観を形作っている。

水島監督の演出的な特性、あるいはアニメ的な問題かもしれないけど、ダブルアクション・トリプルアクションやスローモーションなどの、時間的に厚みを持たせるテクニックもこの映画ではそれほど使われていない(大洗市街戦の肴屋本店のとこでダブルアクション、対大学選抜戦のカール戦でスローモーションとトリプルアクションがいずれも効果的に使われているものの)。こういった重厚なアクションであれば通常はもっと多用されてもいいくらいと思う。

『ガールズ&パンツァー 劇場版』は基本的に一瞬で勝負が決まる反スローモーションな世界であり(特に中央広場での「残り5両」以降はそうだろう)、その意味で、アクションの次元ではあくまで緊張感を保ち続けているのだ。

時間を引き延ばす必要のないほど、アクションが詰まっているともいえるけど。

しかし、一方で重厚なアクションというものもありながら、あくまでキャラクターの賑やかさや可愛らしさを保った明確な「漫画映画」的(byアニメ様)的な活劇でもあり、安心して楽しめるという要素を担保している(逆に言うと、スーパーマーケット的な漫画映画でありながらアクションで手加減はしないということでもある)。

(漫画映画的なノリの良さ・快楽原則は、あの西住まほの台詞に合わせ逸見エリカがスッと書面を出すタイミングの良さなどに代表されるもので、期待に応え気分を盛り上げてくれる)

危機的な状況におかれても、全編を通じてキャラがノリの良く楽しんでいる感じを忘れていない。戦車を扱ってはいてもその挙動の可愛らしさを通じて、それを体感させている。「観覧車先輩、お疲れ様です!」といった、あくまでスポーツものとしてのノリや要素もそういったところにハマっている。

エキシビジョンマッチでは途中敗退したウサギさんチームが「私たちの分まで頑張って〜!」「河嶋先輩ガンバーっ!」(余談ですが大野あや「ぶっ殺せー!」が好きです)と応援してるとこが挟まり、部活モノっぽい(部活じゃないけど)ノリをそこで再確認させてくれる。

そして単にコンセプトの問題だけでなく、それを実現化するにあたっては膨大な労力と時間が投入されてことと思うし、それに対しては敬服せざるを得ないという気持ちもする。『ガルパンの秘密』や『ガルパンFebri』を読んでいるだけにより一層そうだ。

 

▼一般論として、起伏のあるドラマを描け、毎回インターミッションを挟むTVシリーズとも違って、あくまでひとつづきの体験として、巻き戻しの利かない状況で鑑賞されることが前提となる映画では、ドラマというよりは全体を通して描かれる主題が前景化される。『ガールズ&パンツァー 劇場版』の場合、そのうちの一つが「戦車と女の子、戦車道」というあの世界観であるけど(会長・蝶野が理事長と直談判する真面目なシーンでさえ背景には戦車道の世界観を表す絵画がデカデカと目立つ)、実際に劇場で一続きに鑑賞してちゃんと満足感と体験性が担保されるのは、映画的な工夫の数々によるのではないか。

 

▼『劇場版』は全体で、二つの長尺の試合に挟まれるような構成になっているが、最初の前哨戦的なエキシビションマッチでメインメンバーが試合の流れの中で顔出しして、そこはまたフラッグ戦であり、「一発逆転もあり」な試合だ。その試合ではまだ敵味方も入り乱れた形で描かれ、全貌が一挙には把握できない混乱した戦場になっているが、

それに対し、対選抜戦での30両対30両は敵味方がはっきりと統一され描かれ、何よりフラッグ戦→殲滅戦という設定により相互性・両極性を極めた戦いが展開される。要はあの闘いがハイライトですというのが、エキシビジョンマッチを配することでこの上なく明確になり、試合のテンポを徐々に増していくあの流れと同様に、映画全体の時間の流れを形作っているはずだ。

 

▼『劇場版』に繰り返しでて来るモチーフとして、一つには高低差を活かした配置があるだろう。エキシビジョンマッチで聖グロを囲繞する大洗知波単連合チーム、大学選抜戦で高地をいち早く占拠するひまわり陣営、遊撃戦を仕掛けた後に遊園地の野外ステージで一塊にされ選抜チームに取り囲まれる大洗陣営の、計三回そのシチュエーションがでて来るはずだ。更には高地で取り囲まれるシチュエーションはTV版11話にも共通して出て来る。

映画において、繰り返し出て来るモチーフに対しては、観客はそれ自体に意識的になるはずだ。見通しの良い高地を取る&多数で一挙に取り囲むという方が有利であり、それをやられると不利になるということが、感覚的なレベルで叩き込まれる。高地よりナビゲーションを行うアンツィオチームもこれに加えられるだろう。

そしてその配置のイメージにより、二度目以降は「また来たな」というスムーズな移行となり、また一方ではそのイメージを覆し、他方ではそのイメージを乗り越えていくという、飽きさせない面白さがあるのが良いなと。

 

▼また、ドラマパートと試合・戦闘シーンで共通して現れるモチーフもある。

ここで思い出しておきたいのは、そもそも劇場版のシナリオの縦軸で、主なドラマ的主題となっているのは西住姉妹二人の関係に加え、島田愛里寿と西住みほとの関係だということ。

前者については、姉妹が共同するセリフのない運動が、ラストの三つ巴の戦いと、中盤の回想シーンで、共通してある。戦車道の家元に育ち子供の頃から二号戦車で遊んでいたような彼女ら二人にとっては姉妹で共同作戦のプレーを演じられるという機会自体が、この戦場以外にはないだろう特別な場だとも考えられる。空砲で妹の四号戦車を送り出す姉の動きは、回想時代の妹の手を引く姉と逆位置にデザインされているけど、その前に姉が一瞬淋しげな表情を浮かべるのは行為自体の躊躇いと同時に、この試合をこうした形で決着をつけることの是非、あるいはここで終わらせてしまっていいのか、というような問いかけが感じられるのだ。

後者については、島田愛里寿と西住みほがボコを挟んで対峙し手を伸ばすというボコミュージアムでのシチュエーションが、同じ動作の形で劇中の中央広場の戦いで再演されているのが分かる。動き出したヴォイテクの乱入を見てみほと愛里寿の両者は怯んで攻撃を逃すのだけど、終盤戦の煮詰まったところでああいった描写が入るのはやはり両者に同じ反応をさせることで二人の同質性を際立たせるためだろう。「同じ振る舞いをするキャラ」が同一性を意味するのは当然の帰結だ。両者ともに共通してボコに肩入れしている人物であり、彼女らのその同質性は幾度か示唆されている。この描写が白熱したバトルの渦中に挿入されることで、見る観客が一瞬冷静になり両者の当初の動機に立ち返るという余地を設けている。

あの島田愛里寿(および島田流)はこの『劇場版』での戦いの理由を形作っているような存在で、愛里寿は同じぬいぐるみを通じてみほと対比になっているんだろうけど、そこで愛里寿の彼女の過去や動機は伺えないし(時間の都合でカットされた可能性もある)、大学選抜のメンバーとの関わりも特になく孤立のヒーローという感じなのだ。そこを探ってみても何かあるというわけでもないだろうけれど、みほは大洗&学園艦奪還、愛里寿はボコミュージアム復興のため戦い、結局特に両者の利害は勝敗のドラマと関係なくwin-winになってしまっているという批判はなされ得る。それについては以後にまた述べたい。

 

▼加えて、(ドラマパートと試合・戦闘シーンで共通して現れるモチーフということで)もう一つ言うと、一旦廃校が決定し各々の生徒が転校のためバスに乗ってそれぞれの地に分かれて行くところでは、3D構築のバスがエキシビジョンマッチでの戦車と同じような動作をし、Y字路に分かれていく描写がある。そういった仲間の集合離散のモチーフも、全編を通じて描かれており、テーマの一つとなっているだろう。

しかし、ここで、窓際から見たバスが分かれていって「ああ、皆バラバラになってしまうんだな……」というカットですかさず「でも戦車道選択の生徒は皆一緒らしいけど」という台詞が入ってくるのだ。あくまで映像の次元ではそういうテーマを描くけど、台詞を通じてはエクスキューズにより皆の団結を安心させるというところが、この映画に関して自分が象徴的だと思うところだ。

ともかくも、以上に述べたような映画的な工夫の数々によって『劇場版』の筋立ては、(ドラマ的にはTV版の続きであるものの)流れとしてまとまったものになり、ドラマがアクションを生み、アクションがドラマになるという連動があると感じた。

 

▼欠点について

次第に指示が高まるに連れフェードアウトしていった感があるけど、『ガールズ&パンツァー 劇場版』に対して当初からあった批判としては、廃校阻止展開の再演というところ以外では、

  1. 物語的な決着の付け方と試合の勝敗とを重ねてこなかった
  2. カチューシャの見せ場があの後目立ってなかった
  3. チーム間での垣根を超えたまとまりが特に深まったわけではない

といったものがあった。

1については最後に述べるとして、

2に関しては、カチューシャのドラマ自体は殲滅戦であるにもかからわずカチューシャ機一両のためにプラウダ校全滅するという戦術的には非常に非合理的なやり方ではあったけど、そうまでしてその後に大きな見せ場の活躍をしなかったということが言われる。しかしカチューシャがあそこを通じて学んだこと自体に意味を置くとそれはまた違ってくるだろう。キャラクターの次元では、あの後混成チームで新たな作戦に乗り出すということ自体に大きな意義があり、その細部にまで注意が及ぶか及ばないかという問題になる。

3については、各チームのメンバーをタンクごとにモジュール扱いしている以上、元々ある程度は犠牲にせざるを得ないところはあるんだけど、この批判も先述のカチューシャのシーンで否定されるし、それに、それぞれチームごとに作戦名を皆でゴリ押ししあうような作戦会議シーンと比べれば、試合シーンでの共闘オペレーションぶりは驚くべきほどだ。

最後に1についてはどうだろうか。

改めて考えてみれば、島田愛里寿は、(母親に西住流打倒について言い含められていたものの)「ボコミュージアムの閉鎖を防ぐため」というあくまでパーソナルな動機により戦っていたわけだが、島田愛里寿側の敗因は、主に遊園地に試合が移行してからは各中隊長の判断に任せ指揮系統として不連絡になり、傍観していたからというのも大きく、その孤立という性質自体によって足を掬われた感もある。

また、愛里寿とみほとはボコミュージアムで既に一度遭遇していたわけだけど、彼女の方から、思わぬところで再会した西住みほに対し反応をしているというところはない。ボコを渡すところでは西住みほについて「あそこで会った」と知っていたようなので、それ以前のタイミングで気付いていたことになる。単に感情の起伏を表に出さないということなのか、あるいはヴォイテクを挟んで対峙するところで悟ったのか?……

西住みほと島田愛里寿の目的は別に反目し合ったものではなく、共に矛盾なく実現し得るので、可能であれば両方とも実現させて問題はないが、ドラマの次元ではそれでは勝敗にかからわず目標が達成されるのであれば勝負にそもそも意味が無かったのか?とも思えてしまう。たとえば二回目以降に見る人にとっては、ドラマの前提があまりに人工的に仕立てられたものに思え虚しく覚えたりもするだろう。

細かく言えば、島田流師範のママが投資すればボコミュージアムはどうにかなるにしても、廃校阻止は契約や沽券の問題であり、個人の力でどうこうできる展開ではないからこの場合そちらがどうしても勝つ必要があるのだけれど、とすれば愛里寿側が負けるということを込みでその点を結果にどう反映させるかという工夫が必要で、今回はそれがなかったといえる。

しかし一方で、そこに関して違う捉え方をすることもできる。

僅差の戦いで大学選抜戦の試合が終わったとき、島田ママと西住ママが共に「ハーっ」と安堵の息を付くというシーンがある。実際このときの母親にしてみれば勝敗の行方云々よりも、子たち自身が真価を発揮して試合が出来ているかに重点があり、安全に決着が付いたこと自体に価値があるのだろう。「次はわだかまりの無い戦いがしたいものですね」という話もするが、それはがやはり真意だ。

ガルパン』世界であれば勝敗それ自体が重要ではなく、彼女らの目的に合致してそれが達成され、その過程で伸び伸びと試合が出来ていることの方がむしろ重要なのだ。

だから、勝敗の行方が活きるような付加的な筋立てを付加し、利害の問題を持ち込むことは、エンタメとしての『ガルパン』らしさとはトレードオフに働いてしまうため、結果的にサービス精神あるこの展開はバランスを取っているとも言えるのだ。

せめてボコミュージアム復元について蛇足であっても単なる寛容以外の理由付けがあっても良かったかも。戦車戦の被害の地割れで温泉が湧いてお金が確保できたりとかして……って『サマーウォーズ』か!

 

▼(この際だから好き勝手書くと)自分はガルパン劇場見るとロンゲスト・ヤード』('74年米)見返したくなる、と以前ツイッターで書いた後に、その理由を考えることがあった。

断っておくとアメフトものの『ロンゲスト・ヤード』は誠にアメリカンな精神を反映したといえる名作(勝利を収めた後には、そこに至るまでの葛藤や倫理的な判断について全く顧みることのない)だけど、主人公は刑務所内の囚人を集めてアメフトチームを形成して、所長率いる看守チームと戦うことになる…という筋で、B級だし、ガルパンとは似ても似つかぬ映画だ。

ただ、この映画は後半40分くらいを決勝戦の一試合のみに振り分けてじっくり描いてるんだけど、それまで各々のドラマを背負って描かれて来たメンバーたちが、試合になると清いまでのロングショットでひとまとまりに捉えられ、作戦会議で顔を寄せ合う集合シーンも下からカメラを空に向けて撮り、ごついマスクに隠れてメンバーの区別すら付かない、という状態にしてしまうのだ。

ガルパン劇場版でも、試合では、戦車内描写や、キャラクターの掛け合い・連絡、区別はもちろん維持されるけど、戦車外の描写では甘い描写を廃し、外部からは正に「戦車の中から声が聞こえる」的な状態で、それでもって即物的な映像の次元でも、迫力や満足を感じさせることに成功している。

結果的にだけど、そうした感覚を『ロンゲスト・ヤード』と紐付けて思い出したのかもしれない、と思う。これに関しては私の 単なる気の迷いですが。

 

▼大して個々の内容についても語ってないのにダラダラと書いていたら長くなってしまった。

思わず長くなってしまったけれど、おまけに書いていた内容もあるので以下に載せますね。

 

おまけ1

周辺的な細部(絵コンテなど)について

▼『ガルパンFebri』インタビュー記事から、工藤辰己さんおよび小林敦さんの演出パートは大雑把に分かっており、また、水島監督のパートはその残りであるとも分かる。それによって『ガールズ&パンツァー 劇場版』&『3分ちょっとでわかる!! ガールズ&パンツァー』の絵コンテ・演出担当パートを推測すると以下のような感じ?

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演出の方は特に推測入ってるので多分色々間違ってますね……間違ってたらすみません!(ソフト出たらちゃんと訂正したい)

とはいえ、絵コンテに関しては、水島監督はエキシビジョンマッチ(ペンギンまで)および、試合後半部分(ミカ「皆さんの健闘を祈ります」以後)、そして会長の宣言~選抜試合開始までの、いわばつなぎ部分を担当していることが分かる。水島努さんといえば、僕は「でかいぬいぐるみが暴れ回る」ようなのが妙に好きな人というイメージがあるんですが、どうなんですかね?

小林敦さんの絵コンテはと言えば、TV版のものを参照する限り、「PAW!」「BAM!」といった小林源文の劇画的な擬音と、戦車内の細かなディテール描写の指定、表情芝居などが個人的に見どころです。他方で、水島監督の絵コンテは「ドラえもん」的なあっさりしたタッチの書き込みながら的確な指示で指定しているという印象で、対象的な両者のものによってこの映画の絵コンテは構成されている。

また、両者のコンテパートを横断してなされる描写の数々から見ても、そのシンクロ具合、バトンタッチ、あるいは劇場映画としてのコントロール具合が伺えるはず。

実際にはもっと入り組んでいる?と思われますが、大まかには小林敦さんが中盤にかけてのドラマパートおよび後半戦の前半を担当し(でもボコミュージアムのシーン(ここがD?)はやはりしっかり水島監督自らやってますね)、残りの戦車戦をほぼ水島監督が手掛けるという、構成に合わせたシンプルな配分が伺えます。

ちなみにガルパンではスローモーションやダブルアクションなどをあまり使っていないという話を先にしたけど、小林敦さんは例外的にTV版ではダブルアクションを何度か使っているし、6話の対サンダース戦の終盤でもサスペンス描写に合わせ砲弾スローモーションが使われていたはず。

 

小林敦さんの絵コンテパートで自分がとりわけ好きなシーンは、確約を取り付けて帰ってきた会長と桃ちゃんが再会するところ。

大体のカット割りは

「机をリヤカーで運ぶ河嶋桃がゼーハーしてるとこを横構図で映し、あんこう提灯付き二宮金次郎のカットアウェイが入る。重みに耐えかねた桃ちゃん(正面から)が顔を出し見上げると、そこで桃ちゃんの視点にスッと移行し、正面顔の会長がこちらを向いて何でもないように立っている。そこで呆然とする桃ちゃんの切り返しを挟み、先ほどのポン寄りでバストショットの会長が『ただいまー』とやや気の抜けた風で答え、抱きつく桃ちゃんを会長が介抱する…(横ロング)」

という感じだったと思う。小道具や、カットの重ね方も好きなんですが、自然と桃ちゃんの視点に入り込んでいるとこが良いです。

元々会長は何もしていないようでいて、生徒会二人だけでは指揮を取れないというところがあり、その空白を埋めるためそれまでずっと気を張っていたツンデレ系キャラが、そこで張り詰めていたものが切れ、それまでの弱音も安堵も綯い交ぜになって堰を切ったように泣き出し、思わず駆け寄ってしまう…というさり気ない良いシーンを、気持ちに寄り添う形でとても自然に見せていると思います。

角谷杏も、サンダースのC5Mギャラクシーを生徒会メンバーで結託して呼んで、というのを影でやっておきながら「これで処分されずに済むね」と自分に何の功績もないようにそれを口にする飄々としたキャラです。

「大洗の子たちみんなの思いを背負って立つ」彼女の役回り、キャラクター性も、ドラマパートでは正面から逃げずに向き合うという形でよく表されていたと思う。

 

▼あとは、西住しほさんの「戦車道にまぐれなし(偶然での勝敗など無い!)」の宣言→湯呑みをバンと置く動作、をカット割らずに一続きの動作で見せてるとこも好きなんですよね。あそこは下手にカット割らない方が逆にインパクトを発揮するシチュエーションと思います(素人がエラソーに語っててすみませんが…)。アクションを契機とするカッティングでパンっとリズムをつけインパクトを出す手法も同時にあり得るのですが、割らないことで動きそれ自体に存在感を出す、という選択肢もあるということですね。その後の役員「大学選抜に勝ちでもしたら…」→会長「分かりました!」のどアップも快楽ですよね。

 

▼戦闘シーンのとこで好きだった描写(ここは水島監督のコンテパートですが)は、ウエスタンランド付近でのアリクイさんチームのパーシング撃破。

「トスした砲弾をボスッとグーパンで打ち出すように装填した後にももがーがレバーをグッと引っ張るという力強い身体描写、それに重なるように三式が旋回して回り込みながら砲弾がぶっ放され→撃破!」の流れ。

装填→レバー→ぶっ放される砲弾(瞬時に撃破)の流れが、凄く身体動作の延長線上に戦車の挙動があるという感じでグッと来るんですよね。砲撃が腕の挙動の延長線上にあるカットつなぎで、勿論3DCGや作画チームの功績も大きいでしょう。OVAアンツィオ戦」での「ガン=カタ」というのもそうですが、ああいう「身体動作が挙動にダイレクトに連動するような感覚」の描写は、実はガルパンにはそれほどない描写だと思うので、あそこは良いですね。

 

小林敦さんコンテの戦闘シーンだとやはり、継続高校のシーンが凄い良いですね…どこにいるか配置が分からない戦車内描写から始まり、全景が映ったと思ったら空を舞ってる……。演奏に合わせて同時録音のアクションで期待を煽る感がヤバいです。演出以前に、クロスカッティングにして二段オチにするという、あのアイディア自体すごいけど。

 

▼また、劇中においては、POV(厳密にはそう言うよりは、車体上の固定カメラ)を使ったいくつかの長いカットがある。POVがあまり適切な言い方じゃないと思うのは、戦車戦では、純粋な意味での長い主観カットは中央広場での三つ巴のとこの、キューポラから顔出した西住みほの主観カットくらいだったはずと思うから。髣髴とさせるのはロボットアニメや映画というよりはFPSジャンルのゲームで、また、ジェットコースターを駆け下りる体験のアトラクション的なものだったりするけど、ソフトの進歩もあってなのか、そういうメディアクロスオーバー的なものも以前よりアップデートされた表現で楽しめるようになっていることが感慨深かった。そして、日本の2Dアニメでも、CGレイアウトを駆使し立体的なカメラ移動やPANが見られるようになって久しいと思うけど、そうした表現の制約が解放され、濫用されることで、かえって以前までの面白さがなくなるというのも考えられると思う。『ガールズ&パンツァー 劇場版』では、そうした表現が効果的であると同時に、映画としての面白さを少しも削ぐことないやり方で使われていて、そうした体験にまた感動したりもしました。

 

ガルパン劇場版の2カット目は紅茶片手のダージリンとペコから、砲身内カメラでグッと引いていって観客は戦場に引きずり出されるので度肝抜かれるけど(更にはそれ以前の紅茶、そして「3分でわかる~」のSDキャラからの流れなのだ)、極端なアップからのロングでスケール感を出す『Gロボ』の今川監督的なダイナミズムも感じさせる。

そもそもガルパンは女の子と戦車というそういう主題である以上、そうしたコントラストを十全に活かせる素材なのだ。また、ヌッと突き出た主砲と車体とのレイヤーが形成する、遠景と近景のコントラストなども見過ごせない。比較的単純な形でスケール感を醸し出すそうしたキメカットが実際見せ場として使われているのが分かるだろう。

考えてみれば砲塔が平気でカメラの方を向くとか、BT戦車の砲口に吸い込まれていくカメラとか、カメラすぐ横を掠める砲弾とか、アニメの仮想的なカメラだから出来る(とは今は言いづらくなったけど)表現も数多い。実車ではないようなタンクの動きも面白いしね。

アクションについて、『ガルパン』は「戦車戦で人が死なない」という前提のイメージを全編を通じて作っているけど(吶喊した西隊長がキューポラから上半身出した状態で跳ね飛ばされるとことか、流石に挽肉になるだろうと思うけどw)、思うにこの前提もかなり効果的で、「キャラの存在を脅かすのでなく、純粋にアドレナリンを迸らせるためにしかアクションが機能しない」という、考えてみれば恐るべき体験を作ってしまっている…。

 

▼これも余談ではあるけどさきに書いた2カット目はTV版4話、Cut255の「砲身内カメラ 007のオープニング風」のリベンジ?  

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おまけ2

highland.hatenablog.com

それでは、今日は疲れたのでこれくらいで。合わせて全部で20000字くらいになっちゃってますが、読んでもらえた方はありがとうございます。

ガルパンFebri

ガルパンFebri

 

 

2014年アニメOP&ED10選とか

明けましておめでとうございます。

2014年TVアニメOP・ED10選を去年の内に上げるつもりだったのですが上げ忘れており、もう冬アニメも始まっているタイミングで何ですが折角なので上げようかと思います。

 ちなみに年末年始も劇マスBDを見たり『魔法使いTai!』を見たり冬コミで人に買って来て貰ったのをチェックしたりしてました。渡部圭祐原画集は分量もかなりのもので解説もいいしでかなり満足度高かった。掲載分は作画MADと被ってる部分もそこそこありで比較的チェックがラクでした(あと『ジャスティーン』はdアニで見れるので)。

 『劇マス』はようやくコメンタリ付きで見ましたが、意外だったのは中盤の、しっとりした緊張感を引っ張る部分がガッツリ神戸守さんコンテだったことで、分量的にもTV1エピソード分くらいじゃないだろうか。コンテでのアイディア出し含め、流石だった。

『眠り姫』は錦織さんのコンテですが、PV・MV的なものってアイマス以前から氏は好きですよね、まあグレパラとかもありますけど。


俗・さよなら絶望先生 OP 「リリキュア GOGO!」 - YouTube

「ちょっとした百合的要素」を遊びで組み入れるのもこの時からやってるんだ、と再確認。

 という訳で、脱線しましたが、OP・ED10選です。話数単位での10選を選んだので、OP・EDについても選んでみようという趣旨です。OP・ED併せて20個選ぶのは今回ちょっとキツいので併せて10個のセレクトです。

 ところで「OP・ED10選」というこの企画、特に選出の際に決まった基準やルールがあるという訳ではなさそうですが、OP・ED映像のいわゆる「完成度」の基準として自分が考えている要素は三つあって、それは「コンセプトの体現性」「楽曲とのマッチング」「映像的快楽」です。

 TVアニメのOP・ED映像の性質を考えると分かりますが、まずOP・EDは基本的に本編であるアニメエピソードの導入部もしくは幕切れを飾るものであり、例えばその内容と独立したMV等ではなく(もっともMVにも曲やアーティストに併せたコンセプトがあります)、従って本編の内容とは無関係ではいられないということ、そして通常は楽曲付きで鑑賞されるものであるということ、そして映像としては、アニメ本編のようにリアルな空間を構築する必要性からある程度解放され、純粋なイメージやコンセプトを突き詰める事も可能であるということです。

その三つからそれぞれ先述の条件が弾き出されます。また、毎回の放送で流れるという意味ではたとえば、その一回性を利用できる映画のオープニングタイトルとも違った性質を帯びてくると考えられます。

ということで、2014年のTVアニメのOP・EDから10個セレクトしてみましたが、あまり上に挙げたような観点は気にせずに結構好き勝手選びました。

野中乳揺れ。サビの長回しの感じ素晴らしい。「ドキッ」のカットとか、歌との合わせがニクいです。女の子の瞳孔にハート入れる表現って良いですね。普通にやったらエロ漫画みたいになっちゃうと思うので演出の匙加減ですけど。

  • 『ピンポン THE ANIMATION』OP(4話~)

松本大洋の漫画を大平晋也が仕上げたらこうなる、という。アニメートの快楽なんだけど、松本大洋のキャラと世界観という枠内にちゃんと嵌ってる感じもありで。

  • 『プリパラ』OP1

ミルキィホームズ』な感じのOP。女の子が変身するまでっていう仕立ての、こういうくらいのOPが良いですね。サビ部分の変身BANKは曲調がアップテンポに変化する曲に合わせサビ部で加速するアクションがGood。OPだからこれくらいやっても良い。みれぃの変身BANKの描き方がとにかく好きなんだけど、ここはパート割れしてないのかな。そのカットから、渡部明夫さんに続いて吉原達矢さんカットで〆という流れもいい。

『ハナヤマタ』OPの方がキャッチーさは上だけど、「コンセプトの体現性」の上からはこっちに軍配が上がる。最初の浮遊からの下界へと沈んでという、浮遊や飛翔のモチーフも本編と重なり合うし、その世界で彼等の目指すところまで、というストーリー部をやってるのもそう。全編にわたってチェスのイメージで統一してるのもまとまってる。前半の白・黒とカット毎の色変えもチェス盤を意識してるんでしょうね。色彩はキャラと背景とで同化させるのに合わせて、心象ともマッチングさせたりとか。密着マルチの使い方・カメラワークは上手い、色彩&撮影処理はさすが。

<参考>

アニメOPEDの“スピード感” - OTACRITIC

http://d.hatena.ne.jp/ukkah/20140616/p1

絵コンテ・演出・原画:石浜真史のOP。いわゆる「白石浜」。『Aちゃんねる』OPの進化系的な突き抜けたテロップワーク・シーン転換・デザインセンスに加え、石浜氏の影なしベタ塗りの艶っぽい絵の魅力。リップシンクのとこも4人全員芝居が違ったりと芸が細かい。

テロップ一体型のOPについては、歴史的に色々あると思いますが『R.O.DOVA(2001~2002)がテロップをグラフィックに組み込み、同時期の『あずまんが大王』(2002)のOPがテロップをオブジェクトとして出してキャラと同居させていて、その辺りからアニメ制作がデジタルに移行していったのとも絡んでテロップを演出に取り入れるOPが発達していったと思う(タイポグラフィのシャフト、湯浅、ufoのまなびストレートドルアーガの塔、etc.)。

で、その『R.O.D』と『あずまんが大王』の両方にアニメーターやキャラデで参加してたのが石浜さん。というか、石浜さんは『エイケン』のキャラデもやってて地味にパタ様の影響も受けてない?という。

石浜氏はアニメーターとして新房・細田・舛成と個性派演出家との付き合いがあって多彩な引き出しを持っているのが演出家としても強いですね。一人原画としてやって全てコントロールするのは、原画として絵を描きたいというのもあるでしょうが逆に言うと人に任せることが出来ないという所も感じてしまいますが、、、。

  • 『ソードアートオンライン2』ED1 ●『ソードアートオンライン2』OP2(19話~)

前者:『SAO2』ED1は幾何学的な破片とかもそうですが『進撃』ED1のようなスケッチ調のタッチの絵で6コマ作画とかの感じに、プラスしてブルートーンで統一した色遣いというのが個人的にツボです。コンセプト的には過去のトラウマとしての詩音、そしてシノンというキャラを詩音が受け入れ取り込むような感じ。演出はキャラに思い入れがある人がやってると分かります。

後者:『SAO2』「マザーズ・ロザリオ」編のOP。このチャプターの主役といえるユウキと、彼女率いるスリーピングナイツをフィーチャー。

鹿間さんはじめアクションアニメーターの集結もそうなんだけど、『SAO』を長い間やってきた足立さんならではのOPという感じ。カット構成とかが、ちょこちょこ『流星のロックマン トライブ』OPに似てるのも楽しい。

  • 『魔法戦争』ED

またも石浜氏の一人原画。何でかというと、石浜氏の仕事で今年一番ビビッと来たのがこれなんですね。多分、(テロップではなく)歌詞を取り入れたりとかMV的な映像の作り方を徹底してるからのように思います。

どちらもweb系作画のOP・ED。『Solaメソ』EDは江畑諒真作画で、過去と現在のキャラが交錯。ヤマノススメ17話でもキャラが前方に向かってくる、同一カット内で複数キャラ動くなどカロリー高いカットを多くやっていましたが、カメラワーク込みで演出からやってるとフレームイン・アウトのタイミング含め計算出来るのがあってやはり華があります。予備動作・揺れ戻し・髪揺れと、このリアルなタメツメスタイルはリバイバルがあるかもしれません。

牙狼』OPはこのキャラデザインに仁保さん沓名さんはじめweb系作画集結。色遣いや、全て原画で動いてる感じが素晴らしいです。本編もエフェクトや特効は凝ってますね。

作画的見所のあるOPは多かったけど、神風動画制作OPのようなセルをCGで動かしたりする試みも見られましたね。

【おまけ】

アニメじゃないけど多分今年一番反応したOP・EDの一つ。

金田伊功がアニメにハマる確実な切っ掛けになった自分としては、メモリアルなOPかもしれない。けど、実写版『キューティーハニー』と同じくやはり粗の方が目立ってしまった。ポージング&タイミングまでは合わせられるけどフォルムがダメなので映像的快楽が薄い。まあ、元々パロディでしかないといえばそうなのでそれで良いんだけど。

  • ちなみに

今「OP・ED職人」と目されてる人ら周辺(そうでない人も)演出家別に2014年にそれぞれ手掛けたOP・ED数(監督作含)をカウントしてみると

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長井龍雪 4

小野学 4

中村亮介 3

石浜真史 3

橘秀樹 3

URA 3

鈴木利正 3

出合小都美 2

山本沙代 2

梅津泰臣 1(監督作のみ)

鈴木典光 1

鈴木博文 1

江畑諒真 1

大張正巳 1

下田正美 1

大畑清隆 0

山下敏成 0

中澤一登 0

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その他大沼心・イヌカレー・龍輪さんらシャフト(系)演出家陣はver.違い含め色々とありましたね。

2015年は梅津さん(新房さんとこ以外にも幾つかやる予定)大畑さん(WORKING!!3期とか)あたり多分注目。

ということで、以上です。あまり総論的な話は観点がとっ散らかってしまうので苦手ですし、次は何か観点を絞って書こうと思います。

ちなみに1月は諸事情あって多分ブログもTwitterもあまり出来ないと思われます。至らないですが今年も宜しくお願いします。

話数単位で選ぶ、2014年TVアニメ10選

ルール
・2014年1月1日~12月31日までに放送されたTVアニメ(再放送を除く)から選定。
・1作品につき上限1話。
・順位は付けない。

アニメブロガーさんの間では毎年TVアニメのベストエピソード10選を選出するのが恒例と知り、面白そうな企画だなあと思ったので便乗させて貰い、素人目線ながら選んでみます。

「新米小僧の見習日記」さんのサイトでは各サイトのまとめ・集計もやってくれているようです

客観的な「完成度」というよりはあくまで私的に記憶に残ったエピソードをセレクトしました。ノミネート作は、2014年に放映されたTVアニメの内、自分で見た話数全て。放映順に並べました。さらりと読み流していただけると幸いです。

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■『Wake Up, Girls!』第9話「ここで生きる」

(脚本:待田堂子 絵コンテ:中山奈緒美・杉村苑美 演出:有冨興二・中山奈緒美 作画監督:竹森由加・深澤謙二・今岡律之・普津澤時ヱ門)

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9話はTV版『WUG』の中核となるエピソード。
白木徹の口から語られる「人間である前にアイドル」に対する真夢の「アイドルである前に人間」。「アイドルは物語である」というのをベースラインに持つこの作品を体現するような宣言。
一方は震災を機に、一方はI-1クラブ脱退を機に同じ仙台に逃げて来た夏夜と真夢、二人の口から語られる想い。夏夜の語りからはアイドルの挫折からの復帰と福島の復興(3.11)とを重ね合わせて描き、真夢の語りからは先述のアイドル宣言、そして「人を幸せにするためにはまず自分を幸せに」というビジョンを呈示する。そして、その夏夜と真夢の二人を横位置レイアウトで配置し、回想を挟みながら、それを見守り感化される他メンバーを含め描く。真夜中から話し始め、二人の和解、そして菜々美をはじめとするメンバーの決意を祝福するかのように差し込む朝日が美しく、静かな朝の雰囲気と合わさって記憶に残っています。なおこの回のコンテ・演出に参加している中山奈緒美さんは『SAOⅡ』9話のコンテでも、回想シーンのモチーフの合わせ/重ね方等、恐怖を煽るデス・ガンの見せ方が上手かった。
■『未確認で進行形』第12話「わかってる? わかってる」

(絵コンテ・演出:藤原佳幸 作画監督:菊池愛・天崎まなむ・久保茉莉子・尾尻進矢)

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視点による内心描写の描き分け、小紅のキャラ性ともリンクする丁寧な料理描写、要求の高い芝居付けに答える動画工房の作画力、等々、抜きん出たシリーズだった。同じ動画工房の『野崎くん』と比べても、四コマ原作をアニメ化する際のスタンスの違いが際立つ感じで。最終話は、生っぽいしっとりした感じの進行を1エピソード通して味わえる意味でも美味しかった。食事のシーンで〆、というのもらしさがあって良い。『GJ部@』と並べて、2014年ベストの幕引きじゃないかなあとも思います。

■『スペース☆ダンディ』第14話「オンリーワンになれないじゃんよ」

(脚本:うえのきみこ 絵コンテ:谷口悟朗 演出:向井雅浩 作画監督伊藤嘉之、稲留和美)

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 『ダンディ』は演出・作画的な見所も大きいけど、シンエイ動画で主に活動しているうえのきみこさんの脚本参加も大きかった(ゾンビ回とかネタ回でも目立つ)。『ダンディ』自体が最終的には多元宇宙オチだったわけだけど、14話で既にパラレルワールドネタをやっているというのが自由だなあと思います。14話は並行世界のダンディたちが一杯出てくるんですが、それらは皆『ダンディ』の企画段階で描かれたダンディたちメイン三人のキャラクター案っていう。その意味で真にパラレルになっているのも面白い。ナレーターもちゃんと分身するのも笑い所だし、オチも外しているんだけどちゃんと落ちてる感じが素晴らしい。ディテール面だと砂漠で金田アクションやってるっていうのも『BIRTH』っぽくて良いし、この「ゴチャゴチャ雑多なものが詰まってる」感じも、一つ『ダンディ』らしさだなと思いセレクト。

■『selector infected WIXOSS』第8話「あの契は虚事」

(脚本:岡田麿里 絵コンテ:佐山聖子 演出:桜美かつし・吉田りさこ 作画監督:木本茂樹・村上雄・佐野はるか・岡郁美・熊谷勝弘・斎藤美香)

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岡田磨里脚本。この回は、後半の展開が衝撃ですが、晶と二人、香月と同級生、そして水面下での遊月と花代と、エゴとエゴとの衝突が特に高まった回、ということでセレクト。でも9話で、遊月と花代が目配せしていたりと、根元さんの脚本ではフォローは入れているみたいですね。あとこの回は桜美かつし演出回でもありますし。

8話では、携帯を切った香月の「女って最悪だな...」の台詞に合わせて

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 カメラが反対側に回り込んで、ここが、価値観とか、システムがパッと反転して切り替わったかのようなアクセントになって(似たような話を最近したばっかりなので心苦しいですが……)

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その後の、遊月と花代の「中身入れ替わり」になる感じも熱い。

■『ピンポン THE ANIMATION』第10話「ヒーローなのだろうが!!」

(脚本:湯浅政明 絵コンテ:湯浅政明 演出:EunYoung Choi 作画監督:伊東伸高、浅野直之、戸田さやか、西垣庄子)

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 4話のドラゴンVSチャイナ戦でのドラゴンのエフェクトから竜へのメタモルフォーゼ、11話での縦横無尽に動くカメラワークのスマイルVSペコのラリー、と表現的にもドラマ的にも思い出深いゲームが多かった『ピンポン』(挙げたシーン、共に作画は宮沢さんでしょうか)。また、最終話のドラゴンや、4話でのチャイナなど、敗者側への目線の注ぎ方も良かった。私的ベストマッチとして選びたいのは10話のドラゴンVSペコ戦。ドラマ的にも、8話の「ヒーロー見参」、9話のアクマとドラゴンのドラマなどと、バックグラウンドでの積み重ねがあった上での試合。そして「飛翔」のイメージはEDとも繋がる所もある。バトル前半も凄いけど、終盤での、音楽は割合軽妙なものなんだけど、モノローグを重ね、緊迫感あるバトルが進行している感じも堪りません。カット割り、アングル、音楽、表情の付け方、全てが良かった。ラストカット、敗者、ドラゴンの表情も極まっていた。

■『ハナヤマタ』第1話「シャル・ウィ・ダンス?」

(絵コンテ:神戸守 演出:いしづかあつこ 作画監督:王國年)

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マッドハウス作品。クロスカッティングのシーン繋ぎを入れたり、 非リアリズムなまでの花火・桜吹雪、華やかな色彩・画面で圧倒するような1話。1話は漫符処理を大胆に投入したりと画面処理での工夫が目立つ回で、よりキャラの心情に沿う形で演出していると思うのはヤヤの嫉妬を描いた2話なんだけど、レンズフレアや撮影ボカシをふんだんに使った1話の画面処理には圧倒されてしまったのもありということでセレクト。1話はキャラの線もシリーズ随一にシャープな感じがするし、この

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アップ絵での瞼と睫毛間にアイシャドー的な影が付く(華やかで艶のある感じ)処理も、1話では特に際立っているように感じる。

なるとハナの桜吹雪舞う中での踊りは1話で2回あって、初対面の1回目ではなるは憧憬の目つきなんだけど、

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友達になってからの2回目での表情の変化も良いですね

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1回目ではなるの方が手を離しちゃうんだけど2回目では勿論離さない。

この話に限らず、ハナヤマタは夕刻の光差す中で見せ場のシーンになることが多かった。

■『暴れん坊力士!!松太郎』第15話「帰郷」

(脚本:大和屋暁 (絵コンテ・)演出:貝澤幸男 作画監督:小泉昇) 

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『松太郎』屈指の名回にして、2クール目の幕開けを飾るような15話。直前の回が正に松太郎が玲子先生の尻を追っかけているような内容だったのですが、この話は打って変わってのシリアス回。幕下優勝を決めた松太郎が久々に故郷に凱旋。しかし、以前は松太郎を疎ましがっていた兄弟、町の人々から歓待を受けるのにどうにも居心地の悪さを感じてしまう...という筋。松太郎の母親は息子の載った新聞記事を集めてスクラップ帳にしていたり、都会に帰る松太郎の見送りに駆け付けて「辛い事あったら、いつでも帰って来ていいんだよ」と声をかけるなど、とにかく地方上京者泣かせのエピソード。
松太郎が故郷を去る際、人々が松太郎を応援する横断幕を掲げているのを見ても気恥ずかしさか、ドラム缶一杯の水をぶちかけてしまうあたりが松太郎というキャラクター。その水飛沫のカットの、

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この入射光の入れ方!と、力強いパースの付け方は、特に素晴らしかった。
夕陽の入射光/透過光や、シルエットで見せたり、ロングでナメる画を作ったり、レイアウトやアングルも全シーンにわたり締まっていた。決め手となるシーンでは台詞は少な目で情緒ある演出で引っ張っていくような調子が良かった。見送る松太郎の母親など、表情の付け方も光るものがとても多かった。作監は小泉昇さんで、泉恭子さんの夫婦タッグアニメーターの方による二人原画回。
■『アルドノア・ゼロ』第3話「戦場の少年たち-The Children's Echelon-」

(脚本:虚淵玄 絵コンテ:あおきえい・笹嶋啓一(清書) 演出:加藤誠 作画監督:猪股雅美・小林真平・油井徹太郎・奈須一裕・垣野内成美

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 スーパーロボットVSリアルロボット陣営の構図で展開した『アルドノア』。3話は両主人公が戦いに参入するエピソードかな。スレインが、あれで熱いものを秘めた人物であることが分かるエピソードでもあり、冷静沈着なイナホとは対比を成すかのよう。火星のプリンセス・アセイラム姫の顕現もあり。この回は、ニロケラスのバリアの弱点を探り当てるのが話の一つの軸になっていて、「ライターとしての虚淵玄」が繰り返し使って来たけど「脚本家としての虚淵」が使ってこなかったような、ギミックを活かした知略戦になっているのが良かった(その割には考証なってないと言われてたようですが)。

あと、ディテール面に寄ると、伊奈帆がコックピットで姉の張り紙を取るシーンで

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一瞬笑みを浮かべるとか、ニロケラスにトドメさした後の「やったか…?」の緊張の一瞬で

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微妙に汗浮かべてたりとか

細かい演技付けを作画で出してる感じが良くて、ここら辺はあおきえいさんの演技付けかもと思うのですが。

■『四月は君の嘘』第4話「旅立ち」

(脚本:吉岡たかを 絵コンテ:神戸守 演出:いわたかずや・河野亜矢子・イシグロキョウヘイ 作画監督:三木俊明・河合拓也・牧田昌也・野々下いおり・ヤマダシンヤ・菅井愛明・小泉初栄・浅賀和行)

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 演出意図と見易さを駆け備えたレイアウトで見せる3話、情念溢れる演出で見せる4話、シーンに合わせた多様な作画表現やメリハリの利いた見せ方が良かった5話、の流れと考えています。中でも勢いがピカイチだったのは4話。演出的なテンションでもって話の流れを逆転させるような勢いが良いです。「水中で溺れるような」感じの直喩だったりの心象寄りの演出に、ポエティックなモノローグがマッチ。

それ以外にも、「アゲイン...」の一言だけを口にして、残りのモノローグ内容は声に出さずとも通じ合っているようなこの息の合った二人の「以心伝心」感もグッド。

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また、演奏を終えた有馬の、このカット。

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ここは「仰ぎ」の開放感に満ちていて良いですね。ピアノをさっきまで演奏していた手付きのままなんだけど、ちゃんと「顔を上げて/上を向いて」いるので。つまり、かをりの言う「五線譜の檻に閉じ込められる」の逆ベクトル。このカットが開放感に満ちているのは、かをりのその台詞ともリンクしているから(あと、ついさっきまでの上掲の逆光のカットとかでは思い切り下を向いて集中していたから、ですよね)。

考察としては、下記の記事が、音楽とカット割りの切り口から見ていて面白かった。

アニメ『四月は君の嘘』第四話カットについて:追い抜かれる視線(1) - 書肆短評 http://nag-nay.hatenablog.com/entry/2014/12/05/081805
■『異能バトルは日常系のなかで』第7話「『覚醒』ジャガーノートオン」

(脚本:樋口七海 絵コンテ:望月智充 演出:宮島善博 作画監督:坂本勝)

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 この回は殆ど鳩子シーンで選んだようなもの。でもこれを選ぶのはあんまり趣味良くないのかもしれない。それまでの話でも積み重ねられていた、ディスコミニケーションが炸裂する回(というかシーン)。この話は見ていて辛さしかないような......。2分以上の「イタい」長台詞の奔流は、声優の演技も凄いけど、正面から映したり顔を映さなかったり、カット割りも残酷。表現は全然違うんだけど『ef』1期の問い詰めとか思い出す。個人的には『SHUFFLE!空鍋回の数倍はキツいものがあります。

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 以上です。

短く書くつもりが案外長くなってしまった。

悩んだのがあるとすれば『スペース☆ダンディ』からのセレクトか。ストーリー・演出共にウェルメイドだと思ったのは5話(少女アデリーの回)、10話(ループ回)、20話(ロックバンド回)あたり。円城塔の脚本回とかもSF的な思考実験を正面から取り入れてるようで面白いけど、SFアイディアにしても7話の『暗黒神話』オチのような「ナナメ上」を行くような外した感じで使うのが『ダンディ』らしくて面白いなあと思い、うえのきみこさんの脚本回からセレクトしました。

『ハナヤマタ』は2話か1話かで悩んで、1話にしました。『Gレコ』や、京アニ、P.A.作品からも選びたかったですが、10選に絞るのは難しいですね。

こうして10エピソード選んで見ると、作画監督さんの多くクレジットされてる回も多く、『SHIROBAKO』を参照するまでもなくアニメ制作のピーキーなスケジュールを物語っているかの様です。

思うに「エピソード単位10選」に求められている観点とは、恐らくは「アニメ」ファン的な目線、あるいは脚本から作画・CGセクションまで幅広く目配せするゼネラリスト的な観点だと思うのですが、スペシャリスト的な観点からの「10選」も見てみたいような気もしなくもない。例えば「2014年凄かった作画10選」のような......といっても自分は出来ないので人任せなんですけど、どうでしょうか。

何にせよ、2014年も面白いアニメが沢山ありました。来年もアニメが楽しめますように

小倉陳利さんの演出について

 

異能バトルは日常系のなかで」は、カレカノを継ぐもの http://royal2627.ldblog.jp/archives/41537816.html

 イアキさんの、上の記事が、小倉陳利さんの演出のまとめとしても極めて良い記事だった。付け足しながら引用してみると、小倉さんのコンテ(と大塚演出)の特徴として挙げているのは、

(1)構図の手法
  横顔ドアップ抜きで目元・口元(感情)隠す
  同ポ、ポン寄り、その逆の多さでテンポを出す

(2)止め絵の手法
  バンクの積極的使用
  顔隠しの絵作り
  
(3)深刻なシーンの描き方
  シリアスな場面を直接的に描写
  回想シーンのインサート方法(ネガポジ反転、彩度落としモノクロなど)

と網羅的で良い指摘。『カレカノ』『異能バトル』だけでなく、小倉さんが直近では最も多くコンテを切っていた『新世界より』での演出なども、基本的にはこの方法論に則っているし、こうした手法を多く使っているように思います。

小倉陳利さんの演出については、まっつねさんの、

小倉陳利さんの演出感は摩砂雪と鶴巻を足して二で割らなかったような良さがある。 新エヴァには足りない、摩砂雪と鶴巻がTVシリーズを通して作ってきた「エヴァっぽさ」を一番継承しているのはきっと小倉さんでしょうね。

http://d.hatena.ne.jp/mattune/20100703/1278138751

 という評も、的を射ているように思います。小倉さんというとまさに『エヴァ』っぽい構図とカッティングの使い手。

小倉さんといえば、アニメーターとしても旧劇エヴァや『ケモノヅメ』での仕事などが有名ですが、TV版エヴァに原画として参加後、『カレカノ』『フリクリ』にメインで参加し演出家として個性的な仕事を見せた、名実ともにオールドガイナとニューガイナ世代の結節点を象徴するような存在。

TV版『エヴァ』といえば、演出は基本的には効率論で出来ていて、

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ゲンドウのこのポーズにしても、この一枚絵だけでキャラとして成立するようなものでありながら、目元さらに口元を隠すことにより、まずは口パクに要する(作画の)枚数を削減。ゼーレのメンバーも基本的にはモノリスのような石版で表現され、姿が出ず演技もありません(演技に要する枚数の節約)。また、こういった表情が出ない描写によりキャラの心情をこちら側に想像させ深みを出している、上手い表現なわけですよね。

エヴァ』に関してはキャラの場所移動の描写の省略、戦闘シーン以外は止め絵中心の構成、ミサトの目元に影を落とし黒塗りで隠す描写など、大雑把にいえば枚数を省略しつつキャラの奥深さを出す描写を積み重ねる、そして節約した分の作画リソースを戦闘シーンに多く配分する、という方法論を選択していたことは、常識というか今更特に説明を要さないことだと思います。

小倉さんも基本的にはこの方法論に則っていて、

 たとえば『フリクリ』4話での、

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取り調べ室の中で話していたアマラオとナオ太が、

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時系列前後するシーン挟んで次のシーンでは外に出ていたりする(移動の描写略)のもそれに則ったもの。

バンクの多用についても、コンテ担当した『Angel Beats!』12話の絵コンテ抜粋を見ても「同ポ(カメラ位置同じで同じ背景を使用)」「カット兼用」の指示書きが多く見られます。余談ですがAB!に平松さんと共に元ガイナ組として参加したのは、元ガイナの平田雄三さん(AB!のキャラデ総作監)の縁でしょうか?

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 小倉さんの演出の特徴については上掲のイアキさんの記事でかなり指摘されていますが、自分的にポイントだと思う特徴について補足(蛇足?)する形で書いてみようと思います。

まず、

(1)シンプルな横位置・縦位置・正面顔のレイアウト多用

小倉さんが過去にコンテを担当した作品からいくつか抜き出してみる。

・『フルメタル・パニック!』8話

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・『新世界より』4話

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・『異能バトル日常系のなかで』6話

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(余談ですがここは撮影での強いボカシも驚いた)

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基本的に人物は横位置・縦位置で配置し、キャラを正面から捉えたレイアウトが多い。この辺も『エヴァ』っぽい印象としても繋がる所ですが、キャラを正面や真横からカメラで捉えていて、秩序的でやや硬質な印象も受けます。

しかし、こういったインパクトを排したシンプルなレイアウトを積み重ねた上で、

(2)ポイントとなるシーンでの独特のカットワーク

を使ってくる。
小倉さんは元よりキャラの位置関係を反転させたりカメラが回り込んで逆位置から撮ったりといったカット繋ぎが多いですが、
新世界より』18話の、この

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ちょっとイマジナリーライン跨ぐような、連続の切り返しでポイントにしたりとか、
『Another』11話での、この

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位置関係をつかみ所なくさせるイマジナリーライン跨ぎであるとか。
小倉さんはシンプルなレイアウトの積み重ねの上にこういった、ポイントとなる所での独特のカットワークや、ハッとさせるようなカットを用い、違和感を際立たせているという印象です。
こうした「決定的に何かが起こっている」ような不穏な感じを出す演出としては、『フリクリ』4話の、このシーン

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 のカット繋ぎなんかはまさに顕著な例だと思います。コンテ段階でここまで不気味な「よく分からない」描写を盛れるのも凄いですがw

あと、 
(3)足の間からキャラを仰ぎ見るカット、より広くはモノナメレイアウト
も結構多用しています。

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 足の間からキャラを映すカットについては、一枚絵で映画的な立体感や臨場感を醸し出せる優れたレイアウトですね。国産TVアニメ第一弾の『鉄腕アトム』の頃から使われているものです。

モノをナメているというのも、レイアウトとしての機能を底上げする上では重要。
また、横顔をナメることについてなど、最初に言及したイアキさんの記事でも指摘されていました。
『異能バトル』3話の、この胸をナメるアングルも、とても良かったですね(胸が良いという意味ではない)。
そうそう、そしてこれも目隠しになってますね。

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あとは、「じわPAN」に加えキャラの心情に寄っていくような場面での「じわT.U.」、その逆に突き放すような場面での「じわT.B.」などカメラの動きを割と細かく指定しているようにも感じますがこの辺についてはコンテというより演出による指定が大きいのかもしれません。

あとは、鏡面にキャラを映すようなレイアウトも多いですね。これもレイアウトの機能底上げと絡む所と、内面描写とからでしょうか。

・『Another』11話

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・『新世界より』17話

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・『異能バトルは日常系のなかで』6話

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特徴としてはこういった所でしょうか。独特のカットワークに加え、兼用カットを重ねてリズムを作ったり、『フリクリ』4話のような奇妙なポージングとか、アングルとかも持ち味だと思いますね。『新世界より』『Another』といった作品に参加している所からも分かるように、ホラーっぽい描写を得意とする人でもあります。

『Another』のこれ

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とか、

フリクリ』の

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これとかの感じですね。『新世界より』でも、18話などホラーサスペンス調の話を多く担当していました。

 また、個人的に『異能バトルは日常系なかで』3話は小倉さんの持ち味もありつつ演出的に上手いと思ったところがいくつかありとても良かった。

たとえば、このシークエンスでは千冬の立ち位置は鳩子・灯代側にあり下手(しもて)位置

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 なのですが、彩弓の回想シーンを挟んで

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次に4人が映るシーンでは千冬の立ち位置が彩弓側の上手に移動!これは彩弓の語る内容に千冬が同調してるのに合わせてでしょう。回想シーンの間に移動しているというこのさり気なさ!移動に要する「枚数の節約」という点でもこれはポイント。

また、もう一度回想シーンを挟んで更に2カット後、次に4人全員が映るカットでは

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 画面内でのキャラの上手・下手の立ち位置が逆転しています。

先ほどまでとは逆に灯代・鳩子が会話の主導権を握り(上手)、彩弓らがそれに同調する側(下手)に回ったことを画面位置で表現する、基本に則っていながら上手い描写!

また、この回は灯代の義兄、桐生一の初登場回なのですが、

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登場シーンのファーストカット(安藤と遭遇)から一貫して画面の上手側にいた桐生が、喫茶店でのシーンで、

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 直前の、この画面上手側を背中で埋め尽くすような位置から逆転、

妹である灯代の登場と共に

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灯代を上手側に配置した下手側へと移行!

と、この二人の関係性を表すような表現になっている。

アニメーターとしても天才だけど、コンテも上手いなあ、ホントに。小倉さんが、『パンスト』以来久々にガイナ・トリガー系列でコンテを切っているという意味だけでも『異能バトル』は貴重な作品。大地さん回や7話の望月さん回も良かったし。

『異能バトル』に関してはもう少し書きたいくらいですがひとまずこれくらいで。

あとそろそろ、年末なので「話数単位で選ぶ、2014年TVアニメ10選」も書いてみたいですね。

今回は以上です。

映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』にインスピレーションを与えたカートゥーン

 
※映画内容に関する大幅なネタバレを含みます
ダンサー・イン・ザ・ダーク(Blu-ray Disc)

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 『ダンサー・イン・ザ・ダーク』は2000年公開のデンマーク映画、ラース・フォン・トリアーが監督しアイスランドのシンガーソングライターであるビョークが主演を務めた上で劇中の音楽を担当し、話題になりました。

アメリカを舞台に、生れつきの病気により徐々に視力を失っていくチェコ移民のシングルマザー(ビョーク)を主人公に据え、遺伝により13歳で手術をしなければいずれ失明してしまう息子を救うため彼女が悲劇に陥っていく様を描いたこの映画においては、現実の場面と、病気によりまた元来の夢見がちな性質により、白昼夢に陥った主人公の夢想の場面との二つの場面が並行して描かれています。
 
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現実の場面は彼女の覚束ない視界を再現したようなハンディカメラ撮影による手ブレ感ある画面で、色褪せたセピア調のトーン。また、彼女の不安定な意識の再現というのもあってかジャンプカットを多用したドキュメンタリー風の進行です。
 
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一方で、夢想の場面においては彼女の内面を表すように一変して華やかな色調の画面になり、デジタルの固定カメラの切り替えで、そのシーンにおけるリアリティを超越したミュージカルが展開されます。ミュージカル場面においても登場人物の服装が変わったり新たな小道具が加わるわけではなくあくまでそこになるありものを用い展開されますが(それは彼女の意識があくまでその場を起点として生じているからですが)、彼女はそれまでに見聞きしたミュージカル映画や音楽からサンプリングしたものと、その場における物音とを自由に組み合わせてそこに音楽を創造していきます。
無実の殺人容疑をかけられ、死刑を宣告され段々と悲劇的な状況に追い込まれていく残酷な現実と、美しく色鮮やかな夢想の場面とが対比され話は進行していきますが、最後の場面、彼女が処刑台に立たされる段になって彼女の処刑を前に集まった観衆(彼女を心配して集まった友人達もいる)を前に、彼女は映画においてそれまで並行して進行していた二つの場面が合わさったかのように、直接現実の舞台(処刑台)の上で聴衆にミュージカルソングで歌いかけます。
 
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この場面は現実の場面として描かれますが、それまでのジャンプカット進行が排されアップでじっくりと顔を映し、決定的な処刑の場面、そして訴えかけるようなラスト、エンディングに繋がっていきます。
この映画のプロットに影響を与えたカートゥーン作品があるらしいというのが監督であるトリアーの口から語られています。
セルマの処刑、そして失明は、作品のメロドラマ的な側面だ。ビョークに送った最初の脚本にはセルマの失明という設定は盛り込まれていなかった。だが、そのあとで私はとてもよくできたアニメを見る機会に恵まれた。1930年代に作られたワーナー・ブラザーズの作品で、ある警察官が人形を見つけ、恋仲にある女性の娘にプレゼントする。幼い少女は階段に座ってその人形で遊んでいるが、ふとした拍子にそれを落とす。すると少女は下を見ることなく手で辺りを探り、それを拾い上げるのだ。たったそれだけのことで観客はその少女が盲目であることが分かる。洗練されたすばらしい描写だった。

少女は母親の顔も街の様子も見ることなく、さまざまな音に囲まれて暮らしているという設定は『ダンサー・イン・ザ・ダーク』のそれに近いものがあった。少女の空想の中で人形は生命を持った存在となり、少女を連れて世の中を見て回る。少女は地下鉄の騒音からジェットコースターを連想し、ニューヨークのスラム街に咲き乱れる花園を作り出す。そして母親の顔をイメージするのだ。見る者の涙を誘う美しい作品だった。

(Interview  ラース・フォン・トリアーダンサー・イン・ザ・ダーク』より)

ここで監督のトリアーが言っているアニメ作品は、"The Enchanted Square (1947)"というファイマス・スタジオ制作のカートゥーン作品で間違いないと思われます(フェイマス・スタジオは1930年代を通じてディズニー社最大のライバルだったフライシャー・スタジオの後身となる会社)。ワーナーではなくパラマウントの配給、'30年代ではなく'40年代の作品ですが、筋が非常に似通っているのでほぼ間違いありません。パブリックドメインになっているのでリンクを貼っておきます。

archive.org

詳しくはこの記事でも紹介されていますが、日本でも雑貨や絵本などでポピュラーなキャラクターであるラガディ・アン人形(下画像はラガディ・アン&アンディで、左側がアンで右側が弟のアンディ)が登場するカートゥーンとして三本目に作られたものです。

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リンク先の記事では筋が紹介されているので参照すれば英語が分からなくても鑑賞できます。それで、この作品を実際確認してみると、

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なるほど、「すると少女は下を見ることなく手で辺りを探り、それを拾い上げるのだ。たったそれだけのことで観客はその少女が盲目であることが分かる」との言葉通り、この描写だけでこの少女が盲目であることの説明になっています。事実、この作品においてはこの描写以外は一言も彼女が"blind(盲目)"であるとの説明は入りません。台詞ではなく仕草で語る、まさに「洗練された描写」と言えます。

「優れた作画(=animation)はそれ一片だけでもインスピレーションを与える」というように、アニメーションは演技も現実そのままの模写ではなく誇張したいものを取り分けそれと捉えて描くわけですから、自然主義的な演技であってもそれはある種また現実のそれとは違った形で鮮明な印象を残すこともあるのだと思います。

何というか、今回の記事は「フライシャー・スタジオのアニメがこんな所にも影響を与えていた!」というのを発見したということでそれを指摘するだけのような内容なんですが、このカートゥーンが魅力的なのでそれについても書こうという趣旨です。

この作品自体、音から生じる空想の世界を色鮮やかに描いた一片として優れており、想像力の美しさを描き、現実世界では人形のような目として描かれる盲目の少女ビリーの眼に空想の世界では瞳孔が生じているなど、現実の場面と対置する形になっており『ダンサー・イン・ザ・ダーク』に繋がっている点もあります。しかし何より、この作品は単体で見て優れているし、独立して鑑賞されるべきでしょう。最後に警察官が残す、少女の想像力を肯定するセリフである、
「顔に付いている眼で見る者もいる。そして心の眼で物を見る者だっているんだ」
"There's some who see with the eyes in their head, and there's some who see with the eyes in their heart."

という言葉も胸に残ります。映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の脚本には「結果的に間違った選択を続けその無垢さ/献身さ故に受難者となってしまう女性」というややサディスティックな側面があるのに対しそのようなイヤミが感じられないというのもこういった作品の良さでしょう。『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を見た後は、その元に影響を与えたこの小品を鑑賞するのもいいのではないでしょうか。

この「魅惑の街角」"The Enchanted Square"(1947)はラガディ・アン人形が登場するカートゥーン作品としては三本目にあたりますが、一本目・二本目はともにフライシャー・スタジオの作品で、特に一本目はデイブ・フライシャー(フライシャー兄弟の弟の方)の監督作品です。

「魅惑の街角」とスタッフの多くが共通しているらしい"Suddenly It's Spring"はアニメーションのスタイルとしても似通っています。デイブ・フライシャーの"Raggedy Ann and Raggedy Andy"は「ラガディ・アン&アンディ」人形の誕生秘話とでも呼ぶべき話で、二人が造られ名づけられる過程も描いており、これも傑作です。人形が魂(anima)を吹き込まれ動き出す(motion)というモチーフは静止画の連なりからアニメーションが生起するのと歩調を同じくしているようでもありますね。

この二作品も合わせて鑑賞されるとよりキャラクターやカートゥーンへの愛着も深まり望ましいのではないかと思います。

「二つのお人形」"Raggedy Ann and Raggedy Andy"(1941)

https://archive.org/details/RaggedyAnnAndAndy

「人形の願い」 "Suddenly It's Spring"(1944)

https://archive.org/details/Cartoontheater1930sAnd1950s1

 次はできればまた近い内に(日本の)TVアニメに関して書きたいと思います。感想記事ばっかじゃなくてたまには考察系も書きたいですね。

 

(追記)2014.12.5

(以下蛇足)

映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』についても少し。「息子を思い立ち回ったところ、結果的に間違った選択を続けその無垢さ/献身さ故に受難者となってしまう女性というモデル」はやや脚本のサディスティックな部分で好き嫌いが分かれるでしょうが、冷酷の場面に際しては想像力の美しさで抗い「映画のラストは留保される」というあのエンディングに繋がるのは一つ観客にメッセージ性を託す上では効果的でしょうね。映画の直接的なテーマ性としては死刑制度への批判やチェコ(東欧)の共産主義と対比される形でのアメリカ批判なども乗っかっているのでしょうけど、あくまで想像力の持つ美しさを描き出した作品として評価したいです。

トリアーが採用している「ドグマ95」の撮影技法については、正直なところあまり上手く行っているとは思いません。記事を書くにあたってミュージカルシーンのキャプチャを取ろうとしたのですが、セルマがちゃんと映っているカットが少ないんですね。ミュージカルをちゃんと見せるという意図であれば、不適切な技法を選択していると思います。これはこれで映画として成立していたので良いんですけど、ビョークの音楽に助けられてる部分は大きいなあと思います。